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8 鬼が生まれたいきさつ

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 紫龍は何かとてつもない危険が自分に迫っていることを感じた。今までも何回か絶体絶命の危機に陥ったことはあったが、今回は今までに感じたことのない恐怖を感じていた。


 死ぬことは嫌だが、さほど怖くはない。怖いのは相手に自分の醜態をさらすことだ。だから、拷問のように苦しんで死んでいく死に方は一番嫌だし、怖かった。
 その時、かすかに下の階から騒ぎの声や音が聞こえてきた。
「なるほど┅┅ふふ┅┅これは、今まで僕にやられた経験がある相手のようですね┅┅ということは┅┅あの男ですか┅┅」

 紫龍は素早く部屋に戻ると、いくつかの道具をトランクに詰めて外に出た。まずは、屈強な手下たちと合流することが最優先だ。
彼はそう判断すると、階下へ向かって廊下を歩き出した。窓から見えないように、窓の下をかがんだ状態で┅┅。
「っ┅┅サンジン┅┅」
 廊下を一つ曲がった所に、血の海が広がり、心臓を一発で打ち抜かれたマネージャーの男が横たわっていた。彼も相当な手練れの暗殺者上がりで、簡単に殺される男ではない。

「ふん、おもしろい┅┅僕が恐怖におびえるとでも?┅┅」
 紫龍は防犯カメラをにらみつけながら、サイレンサー付きの拳銃を取り出して、カメラに銃口を向けた。

「今さらそんなことを言われても……」
「何度も言うようだが、これは官房室からの緊急要請だ。やってもらわないと困る」
 チーフプロデューサーの男は苦悶の表情でテレビ画面を見つめる。そして、あきらめたように周囲のスタッフに向かって叫んだ。
「CMを入れろ。収録を取りやめ、紫龍の過去のマジックショーに切り替える、急げっ」


 非常ベルがけたたましく鳴り響き、スプリンクラーが発動して、通路を豪雨のように濡らし始めた。その階の一室からもうもうと黒煙が噴出し、男たちの怒号と銃声が非常ベルの音をかき消すように響いていた。
 その喧噪から逃れるように、屋上へ向かおうとする男の姿があった。濡れた漆黒の黒髪が肩を覆い、目深にかぶったソフト帽の下から細面の端正な顔立ちがのぞいている。だが、階段の上部を見上げたその人物の目は、野獣のような凶暴さをあらわにしていた。
 彼は屋上への出口の前でしばらく佇み、外の様子をうかがっていたが、やがてゆっくりとドアを開けた。下からは、非常ベルの音や救急車のサイレンの音などが入り混じった騒音が聞こえていたが、屋上は風の音だけが時折聞こえるだけで静かだった。
 彼は辺りをうかがいながら、背を丸めてゆっくりと屋上の端へ向かおうとした。

「手を上げろっ!紫龍っ」
 屋上の出口の建物の陰から、五人の警察官が飛び出し、彼を素早く取り囲んだ。
「┅┅おやおや┅┅なぜ、屋上に避難した一般人を取り囲むのですかな?」
「一般人?ふざけるなっ!貴様の犯した罪はもう上がってるんだよ。さあ、あきらめて手を上げろ」
「ふ┅┅はいはい、わかりましたよ。いったい、どんな罪状で私を捕まえるのか、楽しみにしておきましょう┅┅ふふ┅┅」
 一人の警官が、紫龍と呼ばれた男に近づき、手錠をかけた。

「こちらコードS、コードK応答願います」
〝コードKだ。どうした?〟
「対象者の身柄を拘束しました」
〝┅┅そうか。残念だ┅┅俺は、奴の控え室を調べてから合流する┅┅〟
「了解┅┅コードK┅┅わざと逃がして僕が始末しても┅┅」
〝やめとけ┅┅お前が懲戒処分になるだけだ。どうせ奴は保釈金で外に出るだろう┅┅次のチャンスを待つ、それだけだ〟
 警官に両側から挟まれて去って行く男の背中をにらみながら、まだ若い捜査官の男は悔しげにツールバングルに口を寄せた。
「┅┅了解。じゃあ、ここで待っています。もうすぐ、ヘリが来ると思うんで┅┅」
 通信を切ると、雑誌記者に変装していた特捜隊員酒井はその場に座り込んで、今や黒煙が覆い始めた夜空を見上げてため息をついた。

 鹿島優士郎は煙が立ちこめる中を上の階に上がって、紫龍が控え室に使っていた部屋に入った。用心深い紫龍が、その部屋に何らかの犯罪の証拠を残しているとは思えなかったが、今後彼を追い詰めるための何かが、少しでも見つかれば、という思いからだった。
 部屋には、紫龍がマジックに使う道具類と、トランクから出された衣装が散乱していた。鹿島はそれらを細かく点検していった。

 と、ふいにドアが開き、一人の警察官が驚いたように鹿島を見て立ちすくんだ。
「あ┅┅こ、これは、失礼しました┅┅刑事殿でありますか?」
「ああ、いや┅┅特捜班の者だ┅┅この部屋に何か用かな?」
「いえ、自分は逃げ遅れた者がいないか、見て回っているところであります。では、失礼します」
 背の高い警官は、そう言うと敬礼をして去って行こうとした。

「ああ、ちょっと、君┅┅」
 鹿島は肩にかけたアサートライフルを小脇に抱え直しながら、警官を呼び止めた。
 警官の男は立ち止まって、しばらく背を向けたまま立っていたが、やがて、ゆっくりと振り返った。
「何でありますか?」

「ああ、いや、君は何で防弾チョッキを着けていないのか、気になってね」
「あの┅┅自分は、近くの交番勤務でして、緊急に呼び出されてきたもので┅┅」
「ふーん、よっぽどあわてていたんだね┅┅ドレスシューズなんか履いてさ」

 警官の男は終始うつむいて顔を見せないようにしていたが、鹿島の言葉に肩を小さく震わせ初め、やがてこらえきれないように笑い出した。
「┅┅ふふふ┅┅あはは┅┅いやあ、僕としたことが、とんだミスだったねえ」
 
 警官は帽子を脱いで、顔を上げた。隠していた長髪と女形のような美しい顔が現れる。
「君は、まだ若いね┅┅でも、僕は何度か君に会っている気がするよ┅┅どこでだったかなあ」
 警官に変装していた男は、そう言いながら考えるふりをして右手を上げ、頭へもっていった。直後、二つのサイレンサー銃の音が鈍く響き渡った。

「┅┅っぐう┅┅」
 最初に倒れ込んだのは鹿島の方だったが、うめき声を上げたのは、警官に扮装していた男の方だった。鹿島は銃に撃たれたのではなく、倒れながら相手の利き腕を狙って撃ったのだ。
 にせ警官の男は、左肩を撃ち抜かれてひざまづきながらも、なんとか立ち上がって右手に銃を持ち替えた。
 再びサイレンサーの音が響き、ニセ警官の銃がはじき飛ばされ、右の太ももから血しぶきが上がった。
「ぐわああっ」
 ニセ警官の男は苦痛の声を上げて片膝をついたが、なおもしぶとくよろよろと立ち上がった。そして、身を翻し、片足を引き摺りながら廊下へ逃げ出す。

 鹿島は立ち上がって、ライフルを抱えたまま男の後を追う。
「もう、逃げられないんだ、止まれ。見苦しいぞっ、紫龍っ!」
 鹿島の制止も聞かず、ニセ警官紫龍はすぐ隣の部屋に倒れ込むように入っていった。

 紫龍は、何もない部屋の中で、窓際の壁にもたれかかっていた。
「┅┅思い出したよ、君のこと┅┅」
 鹿島はライフルを小脇に抱えたまま、紫龍を見下ろす。

「私の妻の実家で見たんだ┅┅まだ少し若い頃の君の写真だよ┅┅そうか、君だったんだねえ」
 紫龍は苦痛のために荒い息をしていたが、にやりと微笑みを浮かべる。
「それと┅┅僕はこれまで何度か身代わりの男を殺されてねえ┅┅同じ弾丸だったから、どこかの殺し屋だろうと思って、調べさせたんだ┅┅ずいぶん手間が掛かったよ┅┅ふふ┅┅そうしたら、なんと、その男は┅┅ぐうう┅┅くそっ、痛え┅┅」
 紫龍は体を動かそうとして苦痛に顔をしかめたが、まだしゃべり続けた。
「┅┅犯罪組織の人間じゃなかった┅┅市民を守るべき警察の中にいたんだよ。君はどう思うかね?」

「そいつはとんでもないな┅┅悪い奴だ」
「┅┅そう、悪い奴だ┅┅警視庁は、そういう人殺しを飼ってるんだよ┅┅」
 紫龍と鹿島は、じっとお互いを見つめて向かい合った。

 鹿島優士郎に人の心を捨てて、鬼になろうと決心させた相手が、今目の前にいた。彼から愛する人を奪い、私利私欲のために多くの人の命を奪った悪魔のような男┅┅。

 もともと優士郎は、大学を卒業したらIT関係の企業に就職するつもりだった。だが、最愛の恋人小野真由香を紫龍に奪われた後、彼はこの世にはびこる悪を自分の手で、法の裁きの場に引きずり出したいと強く願うようになった。それで、国家公務員試験を受けて合格し、警視庁にキャリア組として就職した。
 最初は警務部に配属され、国賓警備のSPになるべく訓練を受けた。だが、すぐにその飛び抜けた能力が認められ、わずか半年で訓練を終えて実務一班に配置、さらにその半年後、警視総監勅命で組織犯罪対策部特殊捜査隊への転属が決まったのであった

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