こんな世界にありふれた、俺と彼女の話

亜瑠真白

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彼女の話

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 しばらくして私は執務室に戻った。部屋には武田支部長が一人、ソファに座っていた。
「あれ、杉野さんと一緒じゃなかったんですか」
「少し前に見回りへ行ったよ。彼の日課なんだ。夜は犯罪が増えるからね。もう帰ってくるんじゃないかな」
「そうですか……」
 さっき書いた記録のチェックをしてもらいたかったんだけど……
「麻生君と少し話したかったんだ。杉野君が帰ってくるまででいいからさ」
「はい。もちろんです」
 私は武田支部長の隣に腰掛けた。
「初めての戦闘はどうだったかな?」
「初めは……すごく怖かったです。本物のPBNを目の前にして、特組の一員なのに恥ずかしい話ですが体が動かなくなってしまいました」
「それはそうさ。誰だってあんなのを見たら体がすくんでしまうよ」
「支部長も、ですか?」
「もちろん。私も特組隊員になって戦闘に出るまでは実物を見たことが無かったから、最初に見たときは『こんなものと戦うのか』って茫然としたよ」
 こんなに頼りがいのありそうな支部長でも初めはそんな風に思ったんだ。
「杉野君が褒めていたよ。状況を見てよく動けていたって」
 杉野さんがそんなことを言ってくれたなんて……
 その時、扉がガチャっと開いた。
「今戻りました」
「それじゃあ、私はこれで。2人共、今日は疲れているだろうから早く寝るんだよ」
 そう言って武田支部長は部屋を出て行った。
「武田さんと何話してたんだ?」
「杉野さんが私のことを褒めてくれてた話とかですかね」
「ちょっ、武田さん……まあ、いいや。事実を言っただけだしな。ところで麻生」
「はい」
「俺に聞きたいことがあるんじゃなかったか?」
「あ! そうなんです! 今日の戦闘記録のチェックを……」
「ってそっちか……それは確認しておくから、俺のデスクに置いておいてくれ。そうじゃなくてだな……」
「はい?」
「なんで俺が第一支部から移動になったのか聞きたかったんじゃないのか?」
「はっ! 完全に忘れてました!」
「お前なぁ……」
 杉野さんはハァっとため息をついた。
 確かに忘れてはいたんだけど、それはきっと今日一緒に過ごして杉野さんへの不信感が無くなったから、あえて確かめたいと思わなくなったんだろう。
「ついでだから説明しておく。俺はトレーニングを終えて第一支部へ配属となった。俺は優秀だったから上官たちはそれを望んでいたし、俺も最前線で戦いたいと思っていた」
「昼間も思いましたけど、自分で天才とか優秀とか言います?」
「実際そうだったんだから仕方ないだろ。そこで俺は若手のエースとして多数の戦闘に参加した。周りも俺の活躍を認めていた……しかしあの日、俺への評価は一変した。お前、主獣と系獣の違いは知ってるか」
「学科で習いました。主獣は今まで一度も駆除できていない個体の呼び名、系獣は特組の開発した武器で駆除可能な個体の総称、ですよね。」
「そうだ。主獣は尾の先が二股に分かれているから一目で区別できる。主獣と呼ばれる一体だけが国の持つ全ての戦力を持ってしても、海へ追い返すことしかできなかった。その日は俺が戦闘に参加するようになって初めて主獣が第一支部管轄地区に現れた。その時は俺がこいつを倒すんだって本気で思ってた。でも支部長からの指示は『遠距離からの威嚇射撃』だった。そんな攻撃、主獣どころか系獣にだってかすり傷にもならない。そんなことは全員分かっているはずなのに、気休め程度に発砲してただ壊されていく街を眺めていることしかできない。そのことに我慢できなくて俺は隊列を飛び出して主獣へ向かった。俺をきっかけにして、同期の、同じように初めて主獣との戦闘に参加した奴らも隊列を飛び出した………今なら分かるんだよ。どうしたって太刀打ちできないんだから、接近戦なんてリスクは冒すべきじゃないってさ。結果は散々だった。主獣にたどり着く前に仲間の発砲に被弾する者、主獣の攻撃を受けて倒れる者、崩れた建物の下敷きになる者……本当にひどい光景だった。奇跡的に命を落としたものはいなかったけど、俺は危険行為を扇動したとして処分を受けることになった。表向きには規律違反ってことでな。除籍になってもおかしくないくらいだった。それを武田さんが拾ってくれたんだ。武田さんは初めて会った時、『私は自分の命を守って戦う。だから君も安心して戦いなさい』って言ってくれた。俺にはその頃、仲間の命を背負う自覚も実力もなかった。それを武田さんは分かってて声をかけてくれたんだと思うよ……どうだ、失望したか」
「いえ……」
 思っていたよりも重たい話でなんて言葉にすればいいか分からない。1人で主獣に向かっていった気持ちは痛いほど分かるし、私だってもしその状況なら思いとどまれていた自信がない。それに、自分の行動で結果的に仲間を危険な目に合わせてしまった悔しさは計り知れない。
「ここはいいよ。主獣は一度も来たことがないし、系獣だってそう多くは来ない。この建物で留守番しているのが一番の仕事みたいなもんだ。俺にはちょうどいい」
「嘘ばっかり」
「あ?」
「じゃあ何で今日の戦闘であんなに動けたんですか? それは日々訓練を重ねているからでしょ!? 毎晩自主的に見回りをしているのは犯罪で傷つく人を守りたいからでしょ!?」
「おいっ……お前……」
 涙が勝手にこぼれてくる。
「それにっ……それに! 主獣を自分の手で倒したいって、本当は思っているんでしょ!? 自分の心にまで嘘つかないでよ!」
「……分かったから、もう泣くな」
「杉野さんならいつか主獣を倒せるって、私はそう思います。もしまた弱気になることがあったら、私が無理やりにでも前を向かせてやります」
 私はもっと強くならないといけない。強くなって、この人が一人で抱え込んでいる使命を一緒に背負ってあげるんだ。
「……お前、いい女だな」
「よく言われます」
「ははっ、そういうことはまずそのぐしょぐしょになった顔を拭いてからにしろよな。ほら」
 そう言って杉野さんは大量のティッシュを私の顔に押し付けた。
「……ありがとな」
 ティッシュのせいで、杉野さんがどんな顔をしているのか分からなかった。
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