2 / 7
2話
しおりを挟む
昔は、兄がもう少し強い態度をとってくれればいいのに、と思うことがあった。俺がどんないたずらをしても兄はあまり怒らないものだから、怒らせようとむきになって嫌がらせをエスカレートさせていったことがある。お気に入りの本を水びたしにしたり、食べているものを横から奪ったり、そういう時、兄は驚いた後、困ったような顔をして黙り込むだけで、俺はそういった表情を見るとたまらなくなってしまいそれ以上ひどいことはできなくなって、諦めて謝るのが常だった。兄弟喧嘩をよくする、と言っていた友達がその当時はとても羨ましく、俺に対して感情をぶつけてほしいといつも穏やかな兄に対して願っていたのだが、その願いは今の今まで叶わなかった。
俺は、兄を傷つけた永澤さんを限りなく憎悪したが、同時に、美しく静かな兄が汚された事実に無上の興奮を覚えてもいた。あんなふうに根本から激しく揺さぶられた兄を初めて見た、自由を奪われた白い肌が、永澤さんの硬い体の下で苦しそうに息づいていて、兄も、自分と同じように苦しみという感覚がある生き物なのだということが、その時はっきりと分かった。これまでの、調和に満ち綺麗に整った兄という世界がことごとく破壊されたような気がした。その日、遅くに帰ってきた兄の衣服にはところどころに不自然な皺が寄っていて、出迎えた俺に、兄は俯いたまま「ただいま」と消え入りそうな声で言った。俺は兄の弱った様子を前にして無性にむしゃぶりつきたくなったが、強いて平坦な口調で「暑かったでしょ。夕飯前にシャワーでも浴びたら?」と、事にはあえて触れずに言うと、兄の顔がさっと羞恥に赤らむのを見た。「そうするよ」と、兄は感情を抑制したふうに答えて、そのまま俺の横を突っ切って、浴室へ向かった。力なく歩く、いつもより小さいような背中を眺めていると、俺は再び熱が体の奥底から湧き上がるのを感じた。
兄はおそらく、気づいているはずだ。シャワーを浴びている間にこっそりと兄のバッグを開けると、やはり俺が永澤さんの家で落とした数学のノートがきちんと入っていた。二人は俺が来たことを知っている、いつの時点で気づいたかは分からないが、ともかく俺が二人の行為を覗き見をしていたことはもうバレてしまっているのだ。それで、あの事について知らん顔を続けるか、それとも兄に問い詰めるか、どうしようかずいぶん悩んだ。兄を傷つけた永澤さんへの怒りは強かったが、自分が犯されている兄に欲情してしまったことによって、永澤さんに対して、後ろめたい共犯者のような気持ちさえ芽生えていた。
兄はいつもよりずいぶんと長くシャワーを浴び、普段は家では無造作に開けている第一ボタンまできっちりと閉めたパジャマ姿で、俺の前に現れた。
「上がったから次、いいよ。」
よく見ると、目が赤く腫れている、声も僅かに掠れていて、さっきまで散々泣き叫んでいたであろうことは容易に想像がついた。
「兄さん。」
俺は覚悟を決めた。母は台所で夕食を作っており、父が帰ってくるまでにはまだ時間があった。しっかりと目を見据えると、兄が緊迫に体を硬くするのが分かった、
「あのさ、さっき……」
「永澤、転校するんだって。」
「え?」
兄は俺の言葉を遮って、絞り出すように言った。髪にはまだずいぶん水分を含んでいて、きちんと乾かしていないらしかった。握られた拳が震えてるのに気づき、兄も一つの決心をしたということが分かった。
「こんな時期に大変だよな、もうすぐなんだって、言ってた。」
「そうなんだ。」
誤魔化すための嘘ではないようだけれど、だからといってあの行為を看過する理由にはならない。永澤さんは最後に……と思ったのだろうか、別れ際に友人をひどく傷つけて去っていくなんて、ひどい幕切れだ。しかし、この件に触れてほしくないという兄の気持ちが痛切に伝わってきて、弱い俺はそれ以上踏み込めなかった。
「じゃあ、俺もシャワー浴びてくるね。」
「うん。」
小さく頷く兄のほっとしたような声に、何だか涙が出そうになった。
「ごめん。」
俺の言葉に、兄は不思議そうな顔をした。緊急に必要とも思えない数学のノートを、俺にわざわざ届けるよう頼んだのは、兄なりに助けを求めていたのかもしれない、と思ったからそう伝えたのだが、もう何もかもが遅かった。
俺は、兄を傷つけた永澤さんを限りなく憎悪したが、同時に、美しく静かな兄が汚された事実に無上の興奮を覚えてもいた。あんなふうに根本から激しく揺さぶられた兄を初めて見た、自由を奪われた白い肌が、永澤さんの硬い体の下で苦しそうに息づいていて、兄も、自分と同じように苦しみという感覚がある生き物なのだということが、その時はっきりと分かった。これまでの、調和に満ち綺麗に整った兄という世界がことごとく破壊されたような気がした。その日、遅くに帰ってきた兄の衣服にはところどころに不自然な皺が寄っていて、出迎えた俺に、兄は俯いたまま「ただいま」と消え入りそうな声で言った。俺は兄の弱った様子を前にして無性にむしゃぶりつきたくなったが、強いて平坦な口調で「暑かったでしょ。夕飯前にシャワーでも浴びたら?」と、事にはあえて触れずに言うと、兄の顔がさっと羞恥に赤らむのを見た。「そうするよ」と、兄は感情を抑制したふうに答えて、そのまま俺の横を突っ切って、浴室へ向かった。力なく歩く、いつもより小さいような背中を眺めていると、俺は再び熱が体の奥底から湧き上がるのを感じた。
兄はおそらく、気づいているはずだ。シャワーを浴びている間にこっそりと兄のバッグを開けると、やはり俺が永澤さんの家で落とした数学のノートがきちんと入っていた。二人は俺が来たことを知っている、いつの時点で気づいたかは分からないが、ともかく俺が二人の行為を覗き見をしていたことはもうバレてしまっているのだ。それで、あの事について知らん顔を続けるか、それとも兄に問い詰めるか、どうしようかずいぶん悩んだ。兄を傷つけた永澤さんへの怒りは強かったが、自分が犯されている兄に欲情してしまったことによって、永澤さんに対して、後ろめたい共犯者のような気持ちさえ芽生えていた。
兄はいつもよりずいぶんと長くシャワーを浴び、普段は家では無造作に開けている第一ボタンまできっちりと閉めたパジャマ姿で、俺の前に現れた。
「上がったから次、いいよ。」
よく見ると、目が赤く腫れている、声も僅かに掠れていて、さっきまで散々泣き叫んでいたであろうことは容易に想像がついた。
「兄さん。」
俺は覚悟を決めた。母は台所で夕食を作っており、父が帰ってくるまでにはまだ時間があった。しっかりと目を見据えると、兄が緊迫に体を硬くするのが分かった、
「あのさ、さっき……」
「永澤、転校するんだって。」
「え?」
兄は俺の言葉を遮って、絞り出すように言った。髪にはまだずいぶん水分を含んでいて、きちんと乾かしていないらしかった。握られた拳が震えてるのに気づき、兄も一つの決心をしたということが分かった。
「こんな時期に大変だよな、もうすぐなんだって、言ってた。」
「そうなんだ。」
誤魔化すための嘘ではないようだけれど、だからといってあの行為を看過する理由にはならない。永澤さんは最後に……と思ったのだろうか、別れ際に友人をひどく傷つけて去っていくなんて、ひどい幕切れだ。しかし、この件に触れてほしくないという兄の気持ちが痛切に伝わってきて、弱い俺はそれ以上踏み込めなかった。
「じゃあ、俺もシャワー浴びてくるね。」
「うん。」
小さく頷く兄のほっとしたような声に、何だか涙が出そうになった。
「ごめん。」
俺の言葉に、兄は不思議そうな顔をした。緊急に必要とも思えない数学のノートを、俺にわざわざ届けるよう頼んだのは、兄なりに助けを求めていたのかもしれない、と思ったからそう伝えたのだが、もう何もかもが遅かった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる