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Hanakappa!

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第3話 漆黒のアイサイト

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救急車のサイレンが鳴る。
「救急車です。お急ぎですので道の方を開けてください。」
赤信号の大通りを疾走していく光景が見える。
私は、どうなってしまうのだろうか。
(今年もキンキンに冷えたブルーハワイ味のかき氷を頬張りたくなる季節がやってきたんだ。どこかのすべり台に子供たちが満面の笑みで滑っていく公園、子連れで賑わう市民プール、駅前のスクランブル交差点その周りにある大規模な商業施設、声は聞こえるはずなのに、私の見える景色は、すべて消え去られたままなのか・・・。)

「はっっ!」

病院へ搬送される途中で、私は目を覚ましたのだ。
「目を覚ましたぞ。」
「君、大丈夫?自分の名前言える?」
ある1人の救急救命士の若い男の人が、私に声をかけた。
「・・・。」
私は何も答えられなかった。
「高校生だよね?」
男性がこのような質問さえしても、首を縦に振ることもできずにいた。意識も戻ってきたし、目も見えるし、耳も何も問題ないというのに。
だが、私は誰なのかというのは何故か思い出せなくなっていた。
 どうして私は車の中で寝ているのか。どこでなにがあったのか、今起きている瞬間や過去のことはもう記憶の彼方にあった。
病院に到着後、医師との診断や検診を経て、私の横に誰かいるのだが、なぜか悲しそうな顔でこちらを見ている。
「あなたはこの人たちが誰かわかる?」
医師が私にこのような質問をしてきた。
「わから、ないです。」と私は少し間を開けて言った。
「嘘でしょ・・・。」
「本当に覚えていないのか。どうなんだ。」
感情が抑えきれず、1人はハンカチで涙を拭い、もうひとりは、私を両肩に”ドン!”って両手を掴んで離そうとはしなかった。
まるでお風呂でのぼせたような顔の赤さで私の膝で泣き叫んでいた。
(なんでこの人たちは泣いているの・・・。)
何も悪いことをしていないのにも関わらず周りが泣き喚いているのと同じような感覚はこれが初めてなのかもしれない。
私は今までこんなに泣き叫ぶ‘’人‘’を見たことがなかった。
(私は、何もないまま余生を過ごさなくてはいけないのだろうか。)
今、落ち着いて話すことはできるという状況にはなっているのだが、言葉では表せないほどの重みが押しかかっているような気がした。
(だれもわからないや・・。一体どうすれば良いんだ・・・?)
正直泣いている人をそのままにはしておけないという性格もあったのか、私は一見無言を貫いているが、本当は、自分がこの状態から自由になる方法というものを考えていたかった。
でも正直、今の私に残るものはなにもない。”絶望”としか言えなかった。


(なんで思い出せないんだろう・・・。)

そのまま目を閉じて、私は診断室のベッドに横になって眠りについたという。
医師によると、診断結果は頭から落ちたことによる何らかの損傷があり、そして、どのぐらいのスケールかはわからないが、記憶喪失にもなってしまった。私の症状の詳細を病院側が調査というか追求するため、しばらく入院という形になったのだ。おそらく私が眠りに落ちたというのは診察の際に点滴を打っていて、その成分の副作用である眠気と嘔吐が働いているからだろう。
 そんな私は、なにもない病室で1人、ベッドで眠っている。点滴パックから液の滴る音がして、カラスの群衆の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。
(もう夕暮れの時刻にでもなるのだろうか・・・。)そんな橙色の光が眩しかったのか、私は目が覚めたのだ。

「あれ?なんでここにいるの」
病室にはもちろん私一人。何一つ音がしなかった。聞こえてくるのは私の声だけだ。

 私はどうやら病院からもらった何粒もの薬物を飲まなければいけないようだ。一番楽な治療法だとお医者さんも言っていたが、私は全く抵抗などはなかった。結局私の体がどうなろうとどうでもよかったのだ。そう思いながら私は沈黙を貫き、ベッドに備えられている小さいテーブルのようなところに置いてある薬物をじっと見る。

「これが一回分か・・。たくさんあってわかんないよ。ところで薬の副作用は何だったんだっけ?」
私は恐れながらも薬物を何粒もごくごく喉へと流し込んでいく。
普段の食事とはなんだか違う。異物を流し込んでいるような感覚がある。咀嚼してはいけないというのもあるのかもしれないが、喉につっかえないかとても危惧していた。

コップ一杯の水を飲み干して、私はベッドから立ち上がり、試しに歩いてみることにした。
頭痛が少々するけれども、壁に寄りかかりながら、ズタズタ室内を歩いた。
「・・・。ちょっと痛いかも」
スリッパが床にこすれる音がしている。出窓に着いたときに私はなぜか思い出せなくなっていた。
「・・・。」
(あれ?何かを言いたいはずなのにそれが思い出せない・・・!?昨日の朝ごはんを忘れたりなど物忘れはもともと酷いけど、そのようなレベルじゃない気がする。)
そこで私はあることに気がついた。

(2004年9月13日生まれ?高校生?)

ベッドのネームプレートに目が入った。
(どうやら私は、名前は紘人?)

「あ!名前は、ひろと?ひろとだ!」

私は自分の名前が紘人であるということに気づいた瞬間、自分の手を見ながら、頭の中で何かがうごめいているような気がしたというのだ。なんだか初めてではないような気もするが、違和感を感じてしまった。



日が暮れて、辺りが漆黒に包まれたときも私はずっとこの手を見続けていた。
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