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8.記憶の扉
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夕暮れの帰り道、一人とぼとぼと歩きながらさっきのレオの姿を思い出していた。
怪我をした猫に触れるあの優しい手つき。
それはまるで遠い記憶の扉を開ける鍵のようだった。
.
.
.
あれは確か初等部に上がる前のこと。
公園の大きな木の、一番太い枝の上で私は降りられなくなってメソメソと泣いていた。
「う……うぇ……ひっく……こわいよぉ……」
「おい、いつまでそこで泣いてんだよ。日が暮れるぞ」
下から聞こえてきた声に、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「レオ……! わたし、おりられないの……!」
「だから言ったろ、調子に乗って登るなって。ほんっとお前はドジなんだから」
「だって、だって……! うわーん!」
「泣くな!……ったく、しょうがねえなあ」
ため息一つ、レオは自分もひょいと木の幹に足をかけると、私のすぐ下までいとも簡単に登ってきた。
「ほら、手。俺の肩に足乗せろ。ゆっくりだぞ、落っこちんなよ」
「……うん」
差し出された小さな手は泥だらけだったけど、すごく温かくて力強かったのを今でも覚えている。
そうだ、初等部の時も。
体育のドッジボールの時間はいつも憂鬱だった。運動が苦手な私は決まって意地悪な男子たちの格好の的になったから。
「うわっ!」
顔のすぐ横をすごい速さのボールが通り過ぎていく。
泣きそうになりながらコートの隅でしゃがみ込んでいると、男子たちがニヤニヤしながら私を取り囲んだ。
「おい、エリスに集中攻撃だ!」
「こいつすぐ泣くから面白いぜー!」
もうダメだと目をぎゅっと瞑った瞬間、私の前に大きな影が立った。
「……おい」
聞き慣れた低い声。
目を開けると、レオが私をかばうように仁王立ちしていた。
「お前ら、ダセェことしてんじゃねえよ。やるなら俺に当ててみろ」
「な、なんだよレオ! かっこつけやがって!」
「うるせえ。こいつにボール投げる前に、まず俺を倒してからにしろ」
レオは飛んできたボールをいとも簡単にキャッチすると、ものすごい速さで投げ返し、男子たちを次々と当てていく。
試合が終わった後、私は彼に駆け寄った。
「あ、あの、レオ! さっきはありがとう……!」
おずおずとお礼を言うと、レオは汗を拭いながら、ぷいと横を向いた。
「別に。お前がどんくさいから見てられなかっただけだ。だいたい、ボールが来たらちゃんと見ろよ。そうやってすぐ目ぇつぶるから当たるんだろ」
そう言うと、彼は拾ったボールをぽんと投げてよこした。
「ほら、ちょっとは練習しろ。次も助けてやれるとは限んねえぞ」
記憶の場面が中等部の文化祭準備でごった返す教室に飛ぶ。私はクラスの装飾係で、山積みの画用紙と格闘していた。
周りの生徒たちがお喋りしながら作業する中、目立つ女子グループが私の手元を覗き込んできた。
「うわ、エリスさん一人で頑張っちゃって、えらーい」
「どうせ先生にアピールしたいだけでしょ? 真面目な私、みたいな」
「私たちの分までやってくれてるし、うちらもう帰ろっか」
「そ、そんなことない。みんなの分だから……」
言い返す声は小さくかき消される。
彼女たちはクスクス笑いながら、本当に教室を出て行こうとしたその時。
「おい」
教室の入り口に、腕を組んだレオが立っていた。
「お前ら、口動かす暇があるなら手伝えよ。それとも飾り付けもお喋りも中途半端なのがお前らの特技か?」
「ち、違うわよレオ君! 私たちはもう自分の分、終わったし!」
「へえ。そりゃ初耳だ。こいつの前に積まれてんのは、どこの誰の『終わった分』なんだ?」
レオの射るような視線に彼女たちは「ごめん、手伝う」とバツが悪そうに作業を始める。
私の隣にレオは何も言わずに椅子を持ってきてどかりと座った。
「……別に、助けてなんて頼んでないんだから」
私がそう強がって言うと、彼はカッターナイフを手に取りながらこちらを見ずに答えた。
「知ってる。見てられねえだけだ。そんなノロノロやってたら文化祭が終わっちまうぞ」
文句を言いながらも、その手つきは驚くほど器用で、あっという間に綺麗な飾りがいくつも出来上がっていく。その頼もしい横顔を私はただ見つめていた。
「……そうだった」
夕闇が迫る道でぽつりと呟いた。
私が本当に困っている時、泣きそうになっている時、いつも絶妙なタイミングで現れるのはレオだった。
……感謝はしている。
でもいつも口が悪くて一言多い。
もう少し素直になればいいのに……。
そんな過去の思い出に浸りながら私は帰路に就いた。
怪我をした猫に触れるあの優しい手つき。
それはまるで遠い記憶の扉を開ける鍵のようだった。
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あれは確か初等部に上がる前のこと。
公園の大きな木の、一番太い枝の上で私は降りられなくなってメソメソと泣いていた。
「う……うぇ……ひっく……こわいよぉ……」
「おい、いつまでそこで泣いてんだよ。日が暮れるぞ」
下から聞こえてきた声に、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「レオ……! わたし、おりられないの……!」
「だから言ったろ、調子に乗って登るなって。ほんっとお前はドジなんだから」
「だって、だって……! うわーん!」
「泣くな!……ったく、しょうがねえなあ」
ため息一つ、レオは自分もひょいと木の幹に足をかけると、私のすぐ下までいとも簡単に登ってきた。
「ほら、手。俺の肩に足乗せろ。ゆっくりだぞ、落っこちんなよ」
「……うん」
差し出された小さな手は泥だらけだったけど、すごく温かくて力強かったのを今でも覚えている。
そうだ、初等部の時も。
体育のドッジボールの時間はいつも憂鬱だった。運動が苦手な私は決まって意地悪な男子たちの格好の的になったから。
「うわっ!」
顔のすぐ横をすごい速さのボールが通り過ぎていく。
泣きそうになりながらコートの隅でしゃがみ込んでいると、男子たちがニヤニヤしながら私を取り囲んだ。
「おい、エリスに集中攻撃だ!」
「こいつすぐ泣くから面白いぜー!」
もうダメだと目をぎゅっと瞑った瞬間、私の前に大きな影が立った。
「……おい」
聞き慣れた低い声。
目を開けると、レオが私をかばうように仁王立ちしていた。
「お前ら、ダセェことしてんじゃねえよ。やるなら俺に当ててみろ」
「な、なんだよレオ! かっこつけやがって!」
「うるせえ。こいつにボール投げる前に、まず俺を倒してからにしろ」
レオは飛んできたボールをいとも簡単にキャッチすると、ものすごい速さで投げ返し、男子たちを次々と当てていく。
試合が終わった後、私は彼に駆け寄った。
「あ、あの、レオ! さっきはありがとう……!」
おずおずとお礼を言うと、レオは汗を拭いながら、ぷいと横を向いた。
「別に。お前がどんくさいから見てられなかっただけだ。だいたい、ボールが来たらちゃんと見ろよ。そうやってすぐ目ぇつぶるから当たるんだろ」
そう言うと、彼は拾ったボールをぽんと投げてよこした。
「ほら、ちょっとは練習しろ。次も助けてやれるとは限んねえぞ」
記憶の場面が中等部の文化祭準備でごった返す教室に飛ぶ。私はクラスの装飾係で、山積みの画用紙と格闘していた。
周りの生徒たちがお喋りしながら作業する中、目立つ女子グループが私の手元を覗き込んできた。
「うわ、エリスさん一人で頑張っちゃって、えらーい」
「どうせ先生にアピールしたいだけでしょ? 真面目な私、みたいな」
「私たちの分までやってくれてるし、うちらもう帰ろっか」
「そ、そんなことない。みんなの分だから……」
言い返す声は小さくかき消される。
彼女たちはクスクス笑いながら、本当に教室を出て行こうとしたその時。
「おい」
教室の入り口に、腕を組んだレオが立っていた。
「お前ら、口動かす暇があるなら手伝えよ。それとも飾り付けもお喋りも中途半端なのがお前らの特技か?」
「ち、違うわよレオ君! 私たちはもう自分の分、終わったし!」
「へえ。そりゃ初耳だ。こいつの前に積まれてんのは、どこの誰の『終わった分』なんだ?」
レオの射るような視線に彼女たちは「ごめん、手伝う」とバツが悪そうに作業を始める。
私の隣にレオは何も言わずに椅子を持ってきてどかりと座った。
「……別に、助けてなんて頼んでないんだから」
私がそう強がって言うと、彼はカッターナイフを手に取りながらこちらを見ずに答えた。
「知ってる。見てられねえだけだ。そんなノロノロやってたら文化祭が終わっちまうぞ」
文句を言いながらも、その手つきは驚くほど器用で、あっという間に綺麗な飾りがいくつも出来上がっていく。その頼もしい横顔を私はただ見つめていた。
「……そうだった」
夕闇が迫る道でぽつりと呟いた。
私が本当に困っている時、泣きそうになっている時、いつも絶妙なタイミングで現れるのはレオだった。
……感謝はしている。
でもいつも口が悪くて一言多い。
もう少し素直になればいいのに……。
そんな過去の思い出に浸りながら私は帰路に就いた。
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