遺言写師はかく語りき

猫野

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本編

5 残酷な罰

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「――アルヴェスさん、あなたは、誰がローデリク氏を殺害したと思いますか」

 その唐突な、しかし核心を突く問いに、リオネルは驚いたように目を見張った。少しの沈黙のあと、言葉を選びながらセドリックの目を正面から見据えた。

「……わかりません。ただ、私にはどうしても、ノアさんが彼を殺したとは思えないのです」

 リオネルの声が、興奮を帯びたようにかすかに震えた。

「それに、あの家からは――っ、う……」

 ――バチッ。
 乾いた音が、はっきりと室内に響いた。
 リオネルの首元から聞こえたそれは、以前にも耳にした音と同じだった。電気が走ったような、なにかが弾けたような、そんな異質な音。
 びくりと体を跳ねさせ、不自然に話を中断したリオネルに、イリスが心配そうに駆け寄った。

「アルヴェスさん? どうされましたか」
「いえ……すみません……」

 リオネルを正面から見ていたセドリックは、今度こそその音の正体に気づいた。やはり、あのチョーカーだ。
 そういえば、聞いたことがある。名告げ人の能力が違法に使われることを防ぐため、制御装置の装着を文法院から義務付けられていると。それにより、名告げ人の能力は文法院の完全なコントロール下にある。だから人々は、安心して生活ができるのだ、と。

 セドリックは訝しげにリオネルの首元へと視線を向け、静かに問いかける。

「あなたを痛めつけているのは、そのチョーカーなのですか」

 その問いにリオネルが答えるよりも早く、イリスは「失礼」と断って首元を覗き込んだ。
 わずかにずれたチョーカーの下には、首輪のように一周、火傷の痕のような引き攣れた痣ができていた。
 間近でそれを見たイリスは、あまりの痛々しさに、しばらくショックを受けたように言葉を失っていたが、やがて低い声で言った。

「なぜこんなものを……外しましょう」
「いけません」

 リオネルは、らしからぬ強い口調でぴしゃりと言った。痣を隠すように素早く襟を正しながら、続けた。

「名告げ人は、公の場ではこれを付けないと罰せられます……みだりに言霊を使用しないためです」
「能力を制御するためですか」

 セドリックが尋ねると、リオネルは一拍置いて答える。

「……というより、保険、のようなものです。名告げ人は、成人していれば無意識に言霊を使用してしまうことは、まずありません。制御する術を身につけているからです。ですが、意図的に使用しないとは限りませんから……」

 自らも名告げ人であるリオネルが、他人事のように名告げ人について語っている。まるで誰かの言葉を、そのまま借りて話しているかのような違和感があった。
 
「では、それは言霊を使用しようとしたときに発動するということですか?」

 セドリックはそう問いかけながら、違和感を覚えた瞬間を思い返していた。
 もしそうであるならば、リオネルは最初に会ったときと今、少なくとも二回、言霊を使用しかけたということになる。

「正確には、少し違います。言霊は、話者の強い感情と意思を前提としています。今の文法院の技術では、言霊そのものを外部から制御することはできません。ですから予防的措置として、一定以上の感情の昂まりを、この装置で抑えています」

 リオネルがなんてことのないように言ってのけた言葉に、セドリックは強烈な嫌悪感を覚えた。当然、リオネルに対してではない。彼らへの、あまりにも強すぎる抑圧に対してだ。
 確かに、言霊は強力だ。なにも持たない人間が相対すれば、なす術がないだろう。歴史的にも、名告げ人による犯罪行為は、消せない過去だ。
 だからといって、今目の前にいる善良な人間が、ただ感情を動かすだけで罰せられ、抑圧される。そんなことが、はたして許されるのだろうか。
 リオネルから喜怒哀楽の感情がほとんど読み取れないのも、この世に生を受けてからずっと、人間にはあって当たり前の、ありとあらゆる情動を、暴力的に抑えつけられていたからなのだ。
 明らかに過剰な支配。それは、国家の彼らへの恐れを示しているようだった。

「そんな……人間にすることではありません」

 セドリックの胸中に渦巻く思いを代弁するかのように、イリスが吐き捨てた。その声には、抑えきれない憤りがはっきりと滲んでいた。

「いえ……私たちの能力は、ときに他人の尊厳を踏み躙ることがあります。仕方ありません」

 リオネルの返答は、あまりにも淡々としすぎていた。怒りも、悲しみもない。理不尽な痛みを受け入れ、抗うことをとうの昔に諦めてしまった者の声だった。

「……フェン、悪いが席を外してくれ」

 セドリックが低く抑えた声でそう言うと、イリスはぐっと奥歯を噛み締めた。
 なにか言いたいことがあるのに、言葉にできない。この行き場のない怒りを、どこにぶつければ良いかわからない。そんな表情だった。
 彼女は人一倍、正義感が強い。リオネルの境遇に、なにもできない自分が歯痒いのだろう。しかし、結局なにも言わず、イリスは二人に一礼し、その場を後にした。

 扉の閉まる音が、静まり返った執務室に響いた。
 セドリックは静かな動きで立ち上がり、リオネルの腰を下ろした。革張りのソファが二人分の体重で沈み込む。すぐ隣から、リオネルの戸惑いと緊張が伝わってきた。

「アルヴェスさん、この場には私しかおりません。私さえ黙っていれば、あなたが責められることはありませんよね?」
「……それは、そうですが……」
「それを外しましょう」
「ですが……」

 リオネルは迷っていた。
 なにかを言い淀み、動揺したように視線を彷徨わせる。長年刷り込まれてきた恐怖と支配が、彼を縛り付けているのだろう。

「私を信じてください。ここには、あなたを罰する人間はいません」

 背中を押すように、寄り添うように。差し出した手のひらを、そっと重ねる。手に触れた瞬間、リオネルの指先が、一瞬ぴくりと震えた。
 セドリックの揺るぎない眼差しに見据えられ、翡翠色の瞳が揺れる。それが彼の迷いを物語っていた。

 セドリックの説得に負け、やがてリオネルはこくりと頷いた。
 長い髪を左肩に流し、自らの首の後ろに手を回す。すらりとしなやかな指先がチョーカーを外すのに手間取るのを見て、セドリックがそれをやんわりと制した。

「私が」
「……ありがとうございます」

 リオネルは首筋をさらすように、自ら手で髪を押さえ、軽く俯いた。セドリックからリオネルの表情は見えなかったが、無垢な首筋にさっと赤みがさすのがわかった。
 直接肌に触れないよう、慎重にチョーカーの留め具を指で挟む。小さな金属音とともに、彼を縛る忌まわしいそれを取り除いた。

 セドリックは装置を手のひらにのせ、しばし観察した。
 一見すると無機質な、ただの黒いチョーカー。しかし、肌に触れる部分は冷たい金属でできており、装着者を痛めつける構造になっている。

 胸の内で一瞬、こんなものは壊してしまえという衝動が膨らんだ。だが、すぐに思い直す。
 それをしたところで、何の解決にもならないばかりか、むしろリオネルを困らせるだけだ。

 セドリックが顔を上げると、思ったよりもずっと近い場所にリオネルの顔があり、思わず心臓が跳ねた。
 しかしそれと同時に、首筋の痣がひどく気になった。セドリックは体験したことがないのでわからないが、リオネルの反応から推測するに、かなりの痛みを伴うのだろう。刻まれた傷の一番上に、真新しい傷が、赤くみみず腫れのように浮かび上がっていた。

 セドリックはチョーカーをテーブルの上に置いて立ち上がると、執務室の棚に近寄った。棚を開き、中から簡易的な救急箱を取り出して振り返る。

「手当てをしましょう」
「あ……いえ、お気遣いなく」

 再び隣に腰を下ろして向かい合うと、リオネルが困ったように笑った。

「今さらしても、意味はありませんから」
「……なにを仰いますか」

 セドリックはそれを半ば無視し、軟膏を手に取った。確かに焼け石に水かもしれない。だとしても、彼の痛みを少しでも和らげてあげたいと思った。今の自分にできることはそれくらいだ。
 「失礼」と声をかけ、指先につけた軟膏を痛々しい傷跡に塗り広げる。時おり手の甲に触れる白銀の髪は繊細でなめらかで、自分のものとはまるで違う。細い首筋は、力加減を間違えれば簡単に手折れてしまいそうだった。
 無防備に急所を晒すリオネルに薬を塗っている間、気がつけば呼吸を止めていた。若い頃、同期の隊員相手にこうして手当てをしたときにはなにも感じなかったのに、リオネル相手だとなぜだか後ろめたいことをしている気分になった。

「これで、少しは痛みも治まるでしょう」

 薬を塗り終えて、セドリックがハンカチで指先を拭いながら言うと、リオネルは頬を上気させて俯いた。

「ありがとう、ございます」

 そんなに恥ずかしそうにされると、こちらにまで気恥ずかしさが伝染する。それを誤魔化すように、セドリックは少し離れた位置に座り直した。
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