遺言写師はかく語りき

猫野

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本編

16 痛みより甘く

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 警備隊が駆けつけると、セドリックは現場の中心で指揮を取った。彼の部下たちに連行されていくアントンの後ろ姿を、リオネルはただ一人、静かに見送った。

「小隊長から、アルヴェスさんはとても勇敢だったと伺いました」

 騒然とするローデリク邸の一角で、ぽつりと一人腰を下ろすリオネルに声をかけたのは、ミカだった。セドリックの部下だという彼は、くりくりとした巻き毛が印象的な、人懐っこい青年だ。

「いえ、そんなことは……。結局、足を引っ張ってばかりでした」
「そんなことはありません! 自分は、小隊長がアルヴェスさんのことをとても尊敬しておられると感じました。あんなに穏やかな表情をなさる小隊長は、なかなか珍しいですから」

 人好きのする笑顔を向けられる、リオネルは思わず目を瞬かせた。
 リオネルにとって、セドリックはとても穏やかで優しい人だ。もちろん、職務上、厳しい姿を見せることもあるだろう。だが、穏やかな表情が珍しいと評されるほどだとは、思いもしなかった。

「珍しい、ですか?」
「ええ! 全ては自分が未熟であればこそ、なのですが……正直、怒った小隊長は鬼よりも恐ろしいです」

 声を落とし、おどけたようにミカが笑った。
 鬼より恐ろしいセドリック――正直、まったく想像がつかない。だが、そんな一面も見てみたい、とふと思う。彼のことを、もっと知りたい。
 リオネルは、少し離れた場所からセドリックを見つめた。ジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を肘まで捲り上げた腕を衛生員に預けている。手当てを受けながらも、指揮官として忙しなく隊員たちへ指示を飛ばしていた。確かに、ああいう表情をリオネルの前ですることは少なかったように思う。
 このまま、彼と言葉も交わせずに別れてしまうのだろうか。そう思うと、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 もう言い逃れはできない。リオネルは、セドリックに惹かれていた。

 真面目で、信念が揺るがないところ。正義感に溢れた強さ。不器用そうでいて優しい手や、大きな背中。笑ったときに細められる目も――全部。
 膨らみ続ける想いは際限を知らず、もはやリオネルの手には負えないほどになっていた。
 こんな感情ははじめてで、どう扱えばいいのかわからない。ただ息を潜め、自然と小さくなるのを待つしかないのだと思った。
 それがいつになるのかはわからない。もしかすると、ヴィクトルのように老いてもなお、永遠に抱き続けるのかもしれない。
 チョーカーが首を打つたびに、自分のような人間が抱いてはならない気持ちなのだと、思い知らされる気がした。

「リオネルさん」

 気づけば、先ほどまでミカがいた場所に、セドリックの姿があった。

「セドリックさん……お疲れ様です」
「遅くまで拘束してしまい、申し訳ありません。本日、ノースクレストにお帰りの予定でしたよね」
「……ええ」

 リオネルが頷くと、セドリックは懐中時計に目を落とし、申し訳なさそうに眉を寄せた。

「すみません、恐らくもう乗り合い馬車がない時間で……」
「あ……」
「馬車を出すこともできますが、危険なので、今夜は王都で休まれてはいかがでしょうか。明朝、責任を持ってお送りいたします」

 セドリックに言われて初めて、リオネルは帰りの馬車を逃していたことに気がついた。
 幸い、差し迫った仕事はない。帰りが明日になっても、問題はなかった。

「……では、そうさせていただきます」





 意外にも、セドリックはリオネルをホテルまで送ってくれた。今朝チェックアウトしたばかりの、ストベリー通りのホテルの一室だ。
 あれほど現場で忙しくしていたセドリックだったが、曰く「怪我人は早く帰れ」と部下に説き伏せられたらしい。鬼より怖いと評されながらも、仲間に慕われていることが窺えた。
 まさか再び言葉を交わせるとは思っておらず、リオネルの胸に小さな喜びが灯った。
 とはいえ、セドリックは怪我人だ。引き止めるわけにもいかない。別れは依然として、すぐそこまで迫っていた。

「お怪我の加減はいかがですか?」
「ご心配おかけしましたが、この通り」

 セドリックは左手を持ち上げて見せた。親指の付け根は清潔なガーゼが当てられている。

「ハンカチを汚してしまい、すみませんでした。このお詫びは、必ず」
「お気になさらず」

 セドリックに渡したハンカチが、彼との唯一の繋がりのように感じた。そんなもの、返さなくてもいいのに。だが律儀な彼のことだ、きっときちんと返してくるのだろう。

 ホテルの部屋までの道のりは、やけに短く感じられた。

「では、今夜はゆっくりおやすみください」
「……良い夜を」

 形ばかりの笑みを返し、扉に鍵を差し込んで回す。
 その瞬間、堰を切ったように感情が込み上げてきて、リオネルはその場に立ち尽くした。まずいと思うのに、熱いものが溢れ出して止まらない。視界が滲む。
 頬を伝った水滴が、鍵を握る手に落ちたと同時に、ビリ、と首筋が痛んだ。

「……リオネルさん?」

 俯きがちに振り返り、セドリックを見上げる。セドリックが息を呑むのがわかった。

 どちらが先に手を伸ばしたのかは、わからない。気づけば扉が閉まり、外の気配が遠ざかる。
 互いの息遣いが触れ合うほどに顔を寄せると、自然と視線が重なる。間近に感じる体温があまりにも温かくて、涙がとめどなく溢れた。
 溶けてしまいそうなリオネルの瞳に、瞼の上からセドリックがそっと口づけを落とした。

「どうしたのですか? あなたに泣かれると……どうしたらいいのかわからなくなります」
「……っごめんなさい……ただ、セドリックさんが恋しくて……っん」

 不意に、唇へセドリックの唇が押し当てられた。涙の塩味が、ほのかにする。驚きで、溢れていた涙が止まった。

「先を越されてしまいましたね。リオネルさん……あなたをお慕い申し上げております」

 心臓が暴れ出すのと同時に、チョーカーがばちばちと何度も音を立てた。
 ――痛い。痛いのに、嬉しい。
 真っ直ぐに注がれる真摯な瞳から目を逸らせずにいると、セドリックは業を煮やした様子でチョーカーに指を沿わせた。

「あっ、待って……外さないで……」
「ですが――」

 リオネルはやんわりとセドリックの手を取った。

「この瞬間を、忘れたくないのです……あなたがくれるものだと思えば、痛みであろうと愛おしい」

 装置はその間も、絶え間なく動作し続けている。
 もしかしたら、すべて都合の良い幻なのかもしれない。そう思うと、この痛みさえも記憶に刻んでおきたかった。
 セドリックは、リオネルの懇願に葛藤しているようだった。冷や汗を滲ませながら、チョーカーとリオネルの顔を交互に見やる。
 やがて大きく息を吸い込み、首を横に振った。

「っいくらあなたの望みとはいえ、記憶に残るのがその首輪の痛みだなんて、我慢なりません……! そんなものがなくとも、一生忘れられない夜にして差し上げます」
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