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第2-2章 私は魔女崇拝を否定しました
私は野良聖女の噂を聞きました
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「野良聖女、ですか?」
「ああ。ここ最近聖都で出没するって話だぜ」
トビアの女の子らしい衣服を揃えてから数日が経過した学院にて、とある噂が広まり始めていました。何でも教会に属していない聖女が恵まれない者達の病気や怪我を治しまわっているんだとか。
「単に薬や適切な治療を施された患者が大げさに伝えられているだけでは?」
「それだったら凄腕の医者の仕業だったで済むんだけど、どうも野良聖女は本当に奇蹟を起こしてるらしいんだ」
聖女は老若男女や身分職業隔てなく人々を救済するのを務めとしていますが、教会という組織に属している以上はどうしても方針の制限を受けてしまいます。寄付金を得られない貧民の相手を後回しにしてしまう場合も少なくありません。
つまり野良聖女とは教会の制約を受けず、神の使命のみに従って奇蹟を行使する者に他なりません。平等に人間を救う行為は大変素晴らしいですが、布教を主目的とする教会への挑戦、権威の否定でもあります。
「さすがに無報酬ってわけじゃないみたいね。夕食をご馳走になったり一泊滞在したりで」
「相手に少しでも対価を払わせることで奇蹟の大盤振る舞いとは思わせない狙いがあるのかもしれないな」
「聖女が強欲だと言わんばかりですけれど、対価を求めたことは無いと聞きますよ」
「その代わりこれからも教会をよろしく的な宣伝はするんだろ? やり方が旨いよな」
他の聖女がどうだかは知りませんが少なくとも私は無償の奉仕ばかりでした。教会が聖女の仕事を選ぶ理由、とあえて表現しましょう、は私の身が一つしかないからと説明を受けた記憶があります。目に見える全ての者を救っていては身がもたない、とね。
人とは欲深き存在。救われる手段があるならなりふり構わず縋りたくなるものでしょう。際限が無ければ聖女に待ち受けるのは殉教という名の過労死です。教会が聖女を管理し神から授かった奇蹟を独占している、との解釈は間違っていませんが悪意がありますか。
「それにしても教会のお膝元である聖都で活動するとは随分と大胆なのですね」
「だからだろ。光あるところに影ありってな」
「随分と哲学的な言い回しね。聖都には人が多く集まるから自然と貧富の差も激しくなって、衣食住にも困ってる人も少なくないって言えばいいじゃないの」
栄えている都会に出れば成功が約束されるだなんて幻想です。それは前のわたしが過ごした現代社会でもこの世界でも変わりません。夢破れて帰る場所も失った者は何とか日々を凌ぐのが精一杯になるなんて珍しくもないと聞きます。
……学院での恋愛に興じる原作乙女げーではそのような裏側は描写されていませんでした。登場する平民は聖都市民や特待生ばかりでしたし。それだけでも乙女げーは所詮物事の一幕を切り取ったに過ぎないと言い切れます。
「でもよ、教会だって見て見ぬふりをしてるわけじゃないんだろ? この前炊き出ししてるの見たぜ。たまに教会を解放して病人の治療をしてるって聞いたし」
「そりゃあそうでしょうよ。困った人を放置していたんじゃあそのうち不満の矛先が教会に向きかねないし。どうして恵まれない私達を助けないんだーみたいに」
「そのやり方が不信感を募らせる要因になっているのですがね」
「は? どういうことだよ?」
教会が行うのはあくまで奉仕活動。その場で困っている者には手を差し伸べますが、その者の生活が改善されるような選択肢は与えません。具体的に例をあげるなら、お金を稼げる仕事を斡旋する、食べ物を作れる畑を与える、とかまではしないのです。
何故か。市民の生活は教会ではなく領主の管轄だからだそうですが、実際は適度に苦しんでもらわなければ信仰されなくなるからでしょう。困った時の神頼み、とは前世の言葉ですが、満たされてしまえば神など必要とされなくなりますからね。
言い方は悪いですが、教会のやり方は教会に依存するよう仕向ける、言わばその場しのぎに過ぎないのです。
「貧困にあえぐ者はこう思うでしょう。教会はいつになったら日々を生きるのが精一杯な自分達を救ってくれるんだ、と」
「ああ。ここ最近聖都で出没するって話だぜ」
トビアの女の子らしい衣服を揃えてから数日が経過した学院にて、とある噂が広まり始めていました。何でも教会に属していない聖女が恵まれない者達の病気や怪我を治しまわっているんだとか。
「単に薬や適切な治療を施された患者が大げさに伝えられているだけでは?」
「それだったら凄腕の医者の仕業だったで済むんだけど、どうも野良聖女は本当に奇蹟を起こしてるらしいんだ」
聖女は老若男女や身分職業隔てなく人々を救済するのを務めとしていますが、教会という組織に属している以上はどうしても方針の制限を受けてしまいます。寄付金を得られない貧民の相手を後回しにしてしまう場合も少なくありません。
つまり野良聖女とは教会の制約を受けず、神の使命のみに従って奇蹟を行使する者に他なりません。平等に人間を救う行為は大変素晴らしいですが、布教を主目的とする教会への挑戦、権威の否定でもあります。
「さすがに無報酬ってわけじゃないみたいね。夕食をご馳走になったり一泊滞在したりで」
「相手に少しでも対価を払わせることで奇蹟の大盤振る舞いとは思わせない狙いがあるのかもしれないな」
「聖女が強欲だと言わんばかりですけれど、対価を求めたことは無いと聞きますよ」
「その代わりこれからも教会をよろしく的な宣伝はするんだろ? やり方が旨いよな」
他の聖女がどうだかは知りませんが少なくとも私は無償の奉仕ばかりでした。教会が聖女の仕事を選ぶ理由、とあえて表現しましょう、は私の身が一つしかないからと説明を受けた記憶があります。目に見える全ての者を救っていては身がもたない、とね。
人とは欲深き存在。救われる手段があるならなりふり構わず縋りたくなるものでしょう。際限が無ければ聖女に待ち受けるのは殉教という名の過労死です。教会が聖女を管理し神から授かった奇蹟を独占している、との解釈は間違っていませんが悪意がありますか。
「それにしても教会のお膝元である聖都で活動するとは随分と大胆なのですね」
「だからだろ。光あるところに影ありってな」
「随分と哲学的な言い回しね。聖都には人が多く集まるから自然と貧富の差も激しくなって、衣食住にも困ってる人も少なくないって言えばいいじゃないの」
栄えている都会に出れば成功が約束されるだなんて幻想です。それは前のわたしが過ごした現代社会でもこの世界でも変わりません。夢破れて帰る場所も失った者は何とか日々を凌ぐのが精一杯になるなんて珍しくもないと聞きます。
……学院での恋愛に興じる原作乙女げーではそのような裏側は描写されていませんでした。登場する平民は聖都市民や特待生ばかりでしたし。それだけでも乙女げーは所詮物事の一幕を切り取ったに過ぎないと言い切れます。
「でもよ、教会だって見て見ぬふりをしてるわけじゃないんだろ? この前炊き出ししてるの見たぜ。たまに教会を解放して病人の治療をしてるって聞いたし」
「そりゃあそうでしょうよ。困った人を放置していたんじゃあそのうち不満の矛先が教会に向きかねないし。どうして恵まれない私達を助けないんだーみたいに」
「そのやり方が不信感を募らせる要因になっているのですがね」
「は? どういうことだよ?」
教会が行うのはあくまで奉仕活動。その場で困っている者には手を差し伸べますが、その者の生活が改善されるような選択肢は与えません。具体的に例をあげるなら、お金を稼げる仕事を斡旋する、食べ物を作れる畑を与える、とかまではしないのです。
何故か。市民の生活は教会ではなく領主の管轄だからだそうですが、実際は適度に苦しんでもらわなければ信仰されなくなるからでしょう。困った時の神頼み、とは前世の言葉ですが、満たされてしまえば神など必要とされなくなりますからね。
言い方は悪いですが、教会のやり方は教会に依存するよう仕向ける、言わばその場しのぎに過ぎないのです。
「貧困にあえぐ者はこう思うでしょう。教会はいつになったら日々を生きるのが精一杯な自分達を救ってくれるんだ、と」
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