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1巻
1-3
元々、私とビビアナは仲があまり良くなかったけれど、それでも挨拶を交わす程度の交流はあったのよ。けれど今となっては、すっかりビビアナから忌み嫌われている。
と言うのも、将軍嫡男達に憧れる彼女は、自然とヒロイン派閥になったのよね。私がヒロインをいじめる度に、間接的に私に対する妹の評価は下落していったわけよ。芋女と仲良くすれば見目麗しい殿方に感謝されるらしいしね。
……アンタさぁ、公爵家の令嬢が貧弱一般人に毛が生えた程度の男爵娘に擦り寄るとか、誇りってものがないの?
そんなわけで私とビビアナは犬猿の仲。彼女と会話するのがそもそも時間の無駄なので、ここ最近は口もきいていない。
エスメラルダはそんな私とビビアナ、姉二人の板挟みになっている……というのは表向きで、どうも時間に余裕のあるビビアナが私の悪評を吹聴しているらしい。嫉妬深い醜い女だとかなんとか。脚色はしてあるが、事実もあるのであえて反論はしていない。
お陰様で最近はエスメラルダにも避けられるようになったわ。
もっともアルフォンソ様が芋女に靡く毎日に苛立つ私が癇癪を起こしたりもしたので、その影響もあるかもしれない。
さすがに末の妹にはこれ以上嫌われないよう改めないと。
で、お父様とお母様。お二人は私に対してかなり複雑な思いを抱いているみたい。
次期王妃としての厳格な教育を受ける私は、幼少期に遊ぶ暇なんてなかった。なのにここに来て用済みと言われているようなものだ。努力が無駄になり怒る気持ちは察するって感じらしい。金遣いが荒くなったのも、あの芋女が現れてからの憂さ晴らしだし。
それでも、私の醜態が見逃されているのは、私がアルフォンソ様の婚約者であり続けているから。
婚約破棄されたら最後、私はもうお終いだ。
「お父様。折り入ってお話がございます」
「ん? どうしたんだ、私の愛しい娘よ」
ここ最近不機嫌なあまり一切口をきかなかった私からの発言は、食堂の片隅に控えていた使用人達を驚かせた。
お父様は笑顔で続けるよう私に優しいお言葉を下さる。まだこんなにも私を愛していただけるなんてと思い、少し感動した。
「私、王太子殿下の婚約者を辞退しようと考えていますの」
けれど、そんな安穏とした空気に私は爆弾発言を投下する。
お兄様は肉を刺したフォークを口にしたまま固まり、ビビアナは手にしたナイフを皿の上に取り落とした。次の料理を運んできた使用人は、危うく皿ごと床にぶちまけそうになる。普段何にも動じないお父様すら、しばし目を見開いて私を呆然と見つめるばかり。
「……アレクサンドラ、それは一時の気の迷いかな?」
「いいえ。こんな結論に至ったのはつい最近ですけれど、ずっと前から思い悩んでいました。私はどうやらアルフォンソ様の伴侶として相応しくないんだ、って」
はは、言っちゃった。言ってやっちゃった。
私は自分からこれまでの私自身を全部否定したのだ。
他ならぬアルフォンソ様自らの手でずたずたにされる前にね!
『どきエデ』の知識を得た今、もはや私があの方の愛を取り戻す術はないと分かっている。
もうあの方は、私には振り向いてくださらない。
元々私の恋心は私自身が焚きつけた偽物。なら潔く身を引けばいい。それが私のささやかな自尊心を汚されない、最後の手段なのよ。
ええ、勿論辛いわ。この胸だって今にも張り裂けそうなほど痛い。喉はからからで頭はぐらぐら。大丈夫よって自分に言い聞かせても、苦い感情が込み上げてくる。今にも悲痛な叫びをあげたい、泣いて何もかも忘れたい。
けれど駄目。今だけは我慢よ。
泣いたって私の状況は改善されないんだから。
決して冗談ではなく決意は固いと分かってくれたのか、お父様は軽くため息を漏らした。
「この王国の王妃は代々三大公爵家の娘と決まっている。お前が辞しては、誰を後釜にする?」
「ご心配には及びません。この家にはまだ二人も娘がおりますもの。私は最近アルフォンソ様と仲睦まじくしているビビアナを推薦しようと考えています」
「はぁっ!?」
まさか名前を挙げられると思っていなかったのか、ビビアナがはしたなくも素っ頓狂な声を出した。しかも椅子を倒す勢いで立ち上がっちゃって。
ったく、ビビアナの教育係は彼女とおままごとでもしていたのかしらね?
「お父様のお耳にも、ここ最近、私が行っている不始末は届いていらっしゃるのでしょう?」
「……。確かに度を超えているとも言えるが、まだ私が取り繕える範囲ではある」
「私はアルフォンソ様のお怒りを受ける前に退きたいのです。今ならば私一人が責任を被れば、どこにも波及いたしません」
ふっふっふ、これぞ愚妹に全部押し付けちゃえ大作戦!
王国は一夫多妻制、国王陛下も王妃様以外に側室が多くいらっしゃる。
アルフォンソ様は芋女を目の敵にして目に余る悪行三昧な私に愛想を尽かしているんだから、王妃の座にはビビアナを代わりに据えてしまえばいい。
もっとも、これで万事解決とはいかない。
なんと『どきエデ』王太子ルートだと、過去のしきたりをぶっ壊して芋女が王妃になってしまうのだから。
そうなるのは王太子妃になるはずだった私が断罪されて、その座が空席になったから。芋女は陛下をはじめとした方々には、渋々認められたにすぎない。
じゃあ婚約破棄される前にビビアナを挿げ替えたら?
排除する悪役令嬢を失って、王太子の婚約者の席には芋女と仲の良いビビアナが座っている。私みたいに揚げ足を取られる真似をしでかさない限り、王妃の冠はビビアナのものになるでしょうね。
……なーんてもっともらしく理由を出したけれど、一番の動機はビビアナへの嫌がらせよ。
今までビビアナは芋女とアルフォンソ様の傍に寄り添って、私の愚痴を漏らしていれば良かったんでしょう。ところが今度は自分が芋女にとっての邪魔者になるんだ。どう転ぶかは実に見物よ。
「考え直す気は? アレクサンドラに落ち度があったと見なされて、今後の婚姻が結びづらくなるぞ」
「ございません。それがアルフォンソ様と私、お互いのためですので」
お父様はしばらく呻った後押し黙り、やがて静かに頷かれた。
「……分かった。今まで苦労をかけたね」
「あなた! アレクサンドラは……!」
「いや、いいんだ。殿下の御心はもうアレクサンドラから離れてしまっている。これ以上そのままにしておけばお互いが憎しみ合い、やがては刃を向け合いかねない。確かに我が公爵家の評判は多少落ちるかもしれない。それでも……悲劇が起こるよりはまだいい」
その決断にお母様が我慢できなくなって声を張りあげたけれど、お父様の決意は固かった。お母様ももう変えられないと悟ったのか、がっくり肩を落とす。
……ごめんなさいお父様、お母様。不肖の娘で。
「陛下には近いうちに申し出るとしよう」
「いえ、それには及びません。明日私が登城して謁見を賜り、直接願い出ようと考えています。王妃様も分かってくださるでしょう」
女の子に恵まれなかった王妃様は、私を実の娘のように可愛がってくれる。そんな私が、アルフォンソ様の仕打ちによって憔悴する様は王妃様にとって衝撃だったらしく、心身ともに大いに迷惑をかけてしまった。
きっと王妃様なら私の決断を分かってくださる……って信じたい。
私はビビアナの方に振り向いた。彼女はまさかの展開に追いつけていないみたいでしきりに何かを呟いている。
まあ認めようが認めまいが、これから彼女の身に降りかかる運命とやらは容赦なんてしないでしょうよ。
「ビビアナ」
「……っ!? な、何よ?」
私が取ってつけたような朗らかな笑みと眼差しを向けて語りかけると、彼女は面白いぐらいにびくつきながら虚勢を張る。
「私では駄目だったけれど、貴女ならきっとアルフォンソ様の力になれるわ。どうかよろしくお願いね」
「私が、殿下の……」
できる限り優しく言葉を送ったけれど、内心では嘲笑を浮かべていた。
ふっ、せいぜい芋女への対応で悩むが良いわ。
これで大きな厄介払いが済んで私はもう気分爽快よ。
□前日二十時半
「――お姉様、一体どういうつもりなの?」
「……もう夜なのに、いきなり部屋に入ってくるなり言うのがそれ?」
晩餐を終えて部屋に戻った私は、明日の朝方に国王陛下と王妃様への謁見を願い出るべく手紙をしたためていた。
いくらアルフォンソ様の婚約者だからといって、おいそれとお会いできる方ではないので、重大な用件なんだと大袈裟に書いている。
封蝋でぎゅ、ぽんと封をしてセナイダに手渡し、公爵家の馬車を使ってもいいので王宮に今すぐ行ってきなさいと命じた。それから別の用事もあるので帰りがけに寄り道してこいとも。とある所への先触れってやつね。
そして、セナイダを見送って一息ついた頃だ。ビビアナが私の部屋に突入してきたのは。
渋々招き入れた途端、我が妹は真っ先に私を疑ってきましたよ。
「どうして王太子殿下の婚約者の座を降りるの?」
「理由はさっき説明したでしょう。私はもうあの方の隣に相応しくなくなってしまったからよ」
「嘘よ。お姉様がそんな潔く身を退くなんて信じられない。あれだけルシアに嫌がらせをして散々、王太子殿下に迷惑をかけてきたじゃないの」
「時期が時期だからもう時間がないのよ。分かるでしょう?」
『どきエデ』の舞台になるのは、タラコネンシス王国中の貴族の子息や令嬢が集う王立学園。子供が大人になりかけの時期に、親族や教育係から学ぶ以外の幅広い知識を身に付けるために設立された場所だ。学園を卒業すれば大人の仲間入り、それが王国での認識。婚約から婚姻へ進むのもその時期ね。
そして、アルフォンソ様方攻略対象者のほとんどは、最上級生。婚約破棄騒動は明日開かれる卒業を間近に控えた最後の学園交流会で行われる。
つまり令嬢がアルフォンソ様の婚約者でいられるのもあと少し。アルフォンソ様が学園を卒業されれば正式に婚姻となり、婚約者は王太子妃の座に収まるってわけ。
なら私が自分から身を退くことは、もうこの時期にしか許されない。分かるでしょう?
まあ、本音を言うと『どきエデ』の婚約破棄騒動前に役を放棄したいだけなんだけれど。そうすれば、断罪の大義名分が失われる。
「ビビアナだって私に言っていたじゃないの。お姉様は王太子殿下の婚約者に相応しくない、ってね。喜びなさい、貴女の願いはもうじき叶うわ」
「だから、何を企んでいるの? お姉様はアレだけ王太子殿下のことばかりだったじゃないの。気が変わったなんて、お姉様に限って絶対にないわ。殊勝な心がけ? あり得ないわね」
「ビビアナがなんと思おうと私は辞退を申し出る。事実があれば過程なんてどうでもいいじゃないの。それとも自分が私の代わりになるのは不満?」
「……っ。いえ、別にそうは言っては……」
悪役令嬢アレクサンドラの妹ビビアナはヒロインの芋女と同級生。初めは身分の差が二人を隔てていたけれど、『どきエデ』後半でのビビアナはヒロインの友達、良き理解者になる。真実の愛を古いしきたりが阻むのなら飛び越えるまで、って考えに賛同していたわよね。
「アルフォンソ様があの芋女とどうしようがもう私には関係ないし、百歩譲ってあの芋女が王太子妃になったって構わない。けれど王家の血筋は三大公爵との結びつきで残さなければいけないのよ。それが三大公爵家に生まれた娘に課せられる第一の使命。忘れたとは言わせないわ」
「それくらい、分かっているわよ……っ」
「ならこの私を蹴落とした代償は自分で払いなさい。それともビビアナは、この家の評判に泥を塗るつもり? 王太子の婚約者を断罪したあげくにその役目を放棄して、あまつさえ王家に俗物の血を混ぜ込んだ、ってね」
「わ、私はそんなつもりじゃあ……!」
「そんなつもりでしょうよ! アンタ達がしようとしているのはッ!」
だんっ、と大きな音が出た。
いけない、やっちゃったわね。思わずテーブルを思いっきり叩いちゃったじゃないの。
癇癪で芋女を驚かせたとかアルフォンソ様に難癖つけられたこともあったのに、私ったら懲りない女ね。
「いい? アンタ達が何を企んでいるかは、この際問わないわ。けれどお父様が私一人に責任をなすり付けたとしても、限度があるのよ。アルフォンソ様におとりなししていただく? 末代まで返せない、山よりも高い借りになりそうね」
「……っ。だから、代わりに私に最低限の役目を果たせって?」
「アンタが散々あの芋女達を焚きつけたんだから当然でしょう? 嫌なら私が他の公爵家のご令嬢に泣いて代役をお願いしたっていいのよ」
「それは……!」
ちなみに王妃になる三大公爵家の娘に順番はない。三代続けて同じ家から輩出されたこともある。現代の王妃様も王太后様も、うち出身じゃない。
うちからの王妃の誕生は久しぶりで、私がアルフォンソ様の婚約者と決まった時、お父様はご先祖様のお墓の前で泣いてご報告なさったんだとか。
ビビアナ、アンタは芋女の真実の愛とやらが成就すれば良かったんでしょうね。でも私は多くの期待を背負っているわ。それを肩代わりして責務を果たすくらいやってもらわないと。
貴女は公爵令嬢なんだから――!
「何をためらっているの? ビビアナは次に繋がる子を産めばいい。夜の営みなんて愛がなくたってできるでしょうよ」
「でも、それじゃあ私がルシアを裏切るみたいじゃないの!」
「アンタの個人的感情なんて知ったことじゃないわ。まだ分からないようだからハッキリと言ってあげる」
私は椅子から立ち上がってビビアナを指差す。それで軽く迫ったものだから、気圧された妹は悲鳴をあげて一歩後ろに退いた。
ふっ、この程度でビビるなんてまだまだね。
「アンタは三大公爵家の娘でアルフォンソ様は王太子! その前提が覆らない限り、この宿命からは逃れられないわよ!」
そう、これが現実。どんな理想論を唱えたって、貴族たる者、伝統は守っていかなきゃ駄目よ。
「だったら……ルシアを三大公爵家のどこかの養子にしたらどう?」
ビビアナは我が妹ながら浅知恵を絞って反論してきた。
「血筋の話であって身分の問題じゃないでしょうよ。それが分からないビビアナでもないと思っていたけれど?」
「ルシアと添い遂げたいって願う王太子殿下のお気持ちを蔑ろにしろって?」
「別にいいのよ。アルフォンソ様が生涯あの芋女と添い遂げて、他の女性は抱きませんって公言したって。けれど、国王陛下や三大公爵家の当主、多勢の貴族たちが芋女の子を次の王だって認めると思っているの?」
「……っ!?」
ったく、ここまで頭が回らないなんて。
この国において王権は絶対ではない。王太子のアルフォンソ様が白だって言えば黒も白になるとばかり考えていたら大間違いよ。
芋女が王妃になっても、彼女が生んだ男子に王位継承権は発生しないわ。アルフォンソ様が独裁政治を成して三大公爵家や先王を無視してしきたりを変えるなら話は別だけれど、そこまですれば三大公爵家を筆頭とする貴族から酷く反発されるでしょうね。
「アルフォンソ様には弟君が二人いらっしゃる。そのどちらかが三大公爵家の娘を妻に迎えて子を生せば、継承権はそちらに移る。アルフォンソ様や芋女がどう考えていようが、そうなるのがこの王国の正当な王位継承よ」
「私を脅す気……!? 私が王太子殿下とルシアとの恋の邪魔をしないと、悲惨な未来が待っているって!」
「あら、私言ったわよね。前提が覆らないとそうなるって。ビビアナが二人を説得してその前提をひっくり返すって手もあるわよ」
「前提、ですって?」
ええそうよ。貴女も察しが付いているでしょう?
大体ここまで大事になるのは、私が公爵令嬢でアルフォンソ様が王太子で、かつ芋女が男爵令嬢風情だから。身分だとか血統が問題なら、そんなものはかなぐり捨ててしまえばいい。はい、万事解決、と。
「アルフォンソ様が王太子の座を返上して、一介の王族になればいいわ。これで芋女を妻にしようがうるさい連中も黙るでしょうよ」
「な……んですって……!?」
「あら、どうして驚くの? アルフォンソ様は身分なんて関係ない本当の愛とやらに目覚めたんでしょう? どう足掻いても王太子の座が愛の邪魔になるなら、それを捨てることも厭わないと思うのだけれど?」
「それ、は……」
あら意外。ビビアナったら薄々は勘付いていたのね。認めたくないだけで。
芋女は逆ハーまで達成しようとする女よ。そんな彼女が王太子でなくなったアルフォンソ様と添い遂げたいと思う?
彼女が見ているのは『どきエデ』の王太子であって、一個人のアルフォンソ様でも王太子って身分でもない。
ずれが生じれば恋焦がれる気持ちも冷める。その類ね。
「お嬢様、出立の準備が整いました」
「ご苦労様、セナイダ」
ビビアナが言葉に詰まってしばしの沈黙が部屋を支配した後、用事を済ませたセナイダが戻ってくる。音を立てずに部屋に入ると一礼し、報告を述べた。
私はイシドロに売り払わなかった上着を肩にかけて部屋の出口へ足を進める。
ビビアナは私が部屋を出るまで黙って俯いたままだった。
□前日二十一時
町はそろそろ寝静まる時刻になった。
私は友人のもとへ馬車を走らせた。
セナイダに先触れを出してもらっていたので、友人は私を若干迷惑がりながらも受け入れてくれる。応接室に通されるかと思ったら彼女の私室まで案内された。
「驚きましたわ……。まさかアレクサンドラ様がこんな時間にこのわたくしをお訪ねになるなんて」
「カロリーナ様。こんな夜遅くの訪問にも拘わらず応対していただき、誠にありがとうございます」
「いえ、火急の用事と伺いましたので今夜は特別ですわ。さあ、まだ外は寒いでしょうし早く中へお入りくださいませ」
公爵令嬢カロリーナ。三大公爵家の一つに生を享け、現王妃マリアネア様の姪にあたる。私と同じ年なので、もしかしたらアルフォンソ様の婚約者はこのカロリーナ様だったかもと言われていた。実際、僅差だったと後から聞いている。
私はそんなカロリーナと友人関係を築いていた。
人によっては悪友とか好敵手だって表現もするんでしょう。とにかく、他の貴族令嬢が私を敬ったり讃えたりする中で、彼女は唯一対等に接してくれる。なので気さくな仲でもあるわ。
彼女は侍女に命じて私に温かい飲み物を用意してくれた。それを一口だけ飲んで、私はカロリーナを見据える。
「それでアレクサンドラ様、とうとうこのわたくしに王太子殿下の婚約者の座を譲り渡す気になりましたの?」
「それも一つの手ではないかと考えています」
「ちょっと、本気で言っていますの?」
「ええ。悩みに悩みましたが、私は王太子様の婚約者の座から退こうと思います」
私はついさっき家族に話した決意を繰り返した。
カロリーナが驚愕する。それは、私がアルフォンソ様に入れ込んでいた証だ。カロリーナ付きの侍女まで驚きを露わにしていて、それだけ今までの私の在り方が身にしみた。
「……あの女狐に殿下をお譲りすると?」
「その表現では、私があの芋女に屈したって聞こえますね。違います。私が殿下に愛想を尽かして見限るんです」
「ものは言い様ですわね。ですが、きっと多くの方が貴女様を敗北者だと揶揄するでしょう」
「覚悟の上ですよ。最後の最後まで気高くあろうとする強さは……私にはありませんでした」
そう殊勝に述べておく。
カロリーナも私の豹変ぶりが信じられない様子で私の顔をじっくりと眺めていたものの、やがて決意は固いと受け取ったらしい。肩から力を抜いて大きくため息を漏らした。そして、座っていたソファーにもたれかかる。
「そうですのね。つまり、アレクサンドラ様に苦渋の決断をさせるほど、もう取り返しがつかなくなっていると?」
「多分、殿下は私がこれまで犯してきた罪を口実にして、婚約破棄を迫ってくるでしょう。もはや私には抗う術がありません」
「あり得ますわね……。あの聡明だった王太子殿下は今や女狐の虜。王家と公爵家が取り交わした婚約の破棄がいかに問題か、判別がつかなくなっているのかもしれませんわ」
「恋は盲目とはよく言ったものです」
さて、私は何も友人に愚痴を漏らしに来たわけじゃない。当然、彼女もそれを分かっているらしく、黙したまま私に続きを促してきた。
「明日私は王宮へ赴き、両陛下に意を伝えようと思います」
「破棄を言いわたされる前に先手を打つのですね。では明日は学園にはいらっしゃらないのですか?」
「いえ、夕方の交流会には参加します。ですが、何もカロリーナ様に私の欠席を伝えていただきたいわけではございません」
「勿論ですわ。その程度の用件でしたら、家の者を使いに出しなさいと追い払っていますもの」
『どきエデ』でのカロリーナの立ち位置は流動的。時にはヒロインの助けになり、時には悪役令嬢と結託して立ちはだかる。そして、私とアルフォンソ様との諍いには巻き込まれないよう距離を置いているキャラだ。まあ、そのせいで作中の彼女は影が薄いんだけれどさ。
だが現実では、公爵家のご令嬢だけあって彼女のもとに集う貴族令嬢の派閥は、学園内で侮れない。私の派閥が、日々私のせいで肩身の狭い思いをしているのとは大違いなのよ。
「おそらく殿下と芋女は、私が全面的に悪いように吹聴するものと想定しています。カロリーナ様には、どうか私が一方的に悪いといった雰囲気となるのを防いでいただきたいのです」
よってカロリーナにしてほしいのは、学園内の女性陣の取りまとめよ。
「……それは、アレクサンドラ様を庇い立てしろと仰っているのですの?」
「いえ。私は私のやってしまった罪を糾弾されたら、素直に認めるつもりです。問題なのはどさくさに紛れてやっていない悪行まで、さも私の仕業だと言われかねないことです」
「あぁ。女狐がアレクサンドラ様を追い落とすために罪を捏造すると?」
婚約破棄に端を発する悪役令嬢断罪イベントは、これまで悪役令嬢がしでかした悪行の数々を公にするというもの。フラグ立てが充分じゃなかったり選択肢を誤ると、言い逃れをされて悪役令嬢を追い込めなくなる。
勿論そのほとんどが悪役令嬢の犯した罪。けれど、そんなゲームの都合上か、中には明らかに言いがかりのものも含まれていた。本当は他の貴族令嬢の仕業なのに彼女が私を慕っていたからと難癖を付けられるなど、悪役に仕立て上げるためなら何でもござれなのよね。
カロリーナには中立の立場でしっかりと見ていただく。これで私が一方的に悪者扱いはされなくなるはずよ。
と言うのも、将軍嫡男達に憧れる彼女は、自然とヒロイン派閥になったのよね。私がヒロインをいじめる度に、間接的に私に対する妹の評価は下落していったわけよ。芋女と仲良くすれば見目麗しい殿方に感謝されるらしいしね。
……アンタさぁ、公爵家の令嬢が貧弱一般人に毛が生えた程度の男爵娘に擦り寄るとか、誇りってものがないの?
そんなわけで私とビビアナは犬猿の仲。彼女と会話するのがそもそも時間の無駄なので、ここ最近は口もきいていない。
エスメラルダはそんな私とビビアナ、姉二人の板挟みになっている……というのは表向きで、どうも時間に余裕のあるビビアナが私の悪評を吹聴しているらしい。嫉妬深い醜い女だとかなんとか。脚色はしてあるが、事実もあるのであえて反論はしていない。
お陰様で最近はエスメラルダにも避けられるようになったわ。
もっともアルフォンソ様が芋女に靡く毎日に苛立つ私が癇癪を起こしたりもしたので、その影響もあるかもしれない。
さすがに末の妹にはこれ以上嫌われないよう改めないと。
で、お父様とお母様。お二人は私に対してかなり複雑な思いを抱いているみたい。
次期王妃としての厳格な教育を受ける私は、幼少期に遊ぶ暇なんてなかった。なのにここに来て用済みと言われているようなものだ。努力が無駄になり怒る気持ちは察するって感じらしい。金遣いが荒くなったのも、あの芋女が現れてからの憂さ晴らしだし。
それでも、私の醜態が見逃されているのは、私がアルフォンソ様の婚約者であり続けているから。
婚約破棄されたら最後、私はもうお終いだ。
「お父様。折り入ってお話がございます」
「ん? どうしたんだ、私の愛しい娘よ」
ここ最近不機嫌なあまり一切口をきかなかった私からの発言は、食堂の片隅に控えていた使用人達を驚かせた。
お父様は笑顔で続けるよう私に優しいお言葉を下さる。まだこんなにも私を愛していただけるなんてと思い、少し感動した。
「私、王太子殿下の婚約者を辞退しようと考えていますの」
けれど、そんな安穏とした空気に私は爆弾発言を投下する。
お兄様は肉を刺したフォークを口にしたまま固まり、ビビアナは手にしたナイフを皿の上に取り落とした。次の料理を運んできた使用人は、危うく皿ごと床にぶちまけそうになる。普段何にも動じないお父様すら、しばし目を見開いて私を呆然と見つめるばかり。
「……アレクサンドラ、それは一時の気の迷いかな?」
「いいえ。こんな結論に至ったのはつい最近ですけれど、ずっと前から思い悩んでいました。私はどうやらアルフォンソ様の伴侶として相応しくないんだ、って」
はは、言っちゃった。言ってやっちゃった。
私は自分からこれまでの私自身を全部否定したのだ。
他ならぬアルフォンソ様自らの手でずたずたにされる前にね!
『どきエデ』の知識を得た今、もはや私があの方の愛を取り戻す術はないと分かっている。
もうあの方は、私には振り向いてくださらない。
元々私の恋心は私自身が焚きつけた偽物。なら潔く身を引けばいい。それが私のささやかな自尊心を汚されない、最後の手段なのよ。
ええ、勿論辛いわ。この胸だって今にも張り裂けそうなほど痛い。喉はからからで頭はぐらぐら。大丈夫よって自分に言い聞かせても、苦い感情が込み上げてくる。今にも悲痛な叫びをあげたい、泣いて何もかも忘れたい。
けれど駄目。今だけは我慢よ。
泣いたって私の状況は改善されないんだから。
決して冗談ではなく決意は固いと分かってくれたのか、お父様は軽くため息を漏らした。
「この王国の王妃は代々三大公爵家の娘と決まっている。お前が辞しては、誰を後釜にする?」
「ご心配には及びません。この家にはまだ二人も娘がおりますもの。私は最近アルフォンソ様と仲睦まじくしているビビアナを推薦しようと考えています」
「はぁっ!?」
まさか名前を挙げられると思っていなかったのか、ビビアナがはしたなくも素っ頓狂な声を出した。しかも椅子を倒す勢いで立ち上がっちゃって。
ったく、ビビアナの教育係は彼女とおままごとでもしていたのかしらね?
「お父様のお耳にも、ここ最近、私が行っている不始末は届いていらっしゃるのでしょう?」
「……。確かに度を超えているとも言えるが、まだ私が取り繕える範囲ではある」
「私はアルフォンソ様のお怒りを受ける前に退きたいのです。今ならば私一人が責任を被れば、どこにも波及いたしません」
ふっふっふ、これぞ愚妹に全部押し付けちゃえ大作戦!
王国は一夫多妻制、国王陛下も王妃様以外に側室が多くいらっしゃる。
アルフォンソ様は芋女を目の敵にして目に余る悪行三昧な私に愛想を尽かしているんだから、王妃の座にはビビアナを代わりに据えてしまえばいい。
もっとも、これで万事解決とはいかない。
なんと『どきエデ』王太子ルートだと、過去のしきたりをぶっ壊して芋女が王妃になってしまうのだから。
そうなるのは王太子妃になるはずだった私が断罪されて、その座が空席になったから。芋女は陛下をはじめとした方々には、渋々認められたにすぎない。
じゃあ婚約破棄される前にビビアナを挿げ替えたら?
排除する悪役令嬢を失って、王太子の婚約者の席には芋女と仲の良いビビアナが座っている。私みたいに揚げ足を取られる真似をしでかさない限り、王妃の冠はビビアナのものになるでしょうね。
……なーんてもっともらしく理由を出したけれど、一番の動機はビビアナへの嫌がらせよ。
今までビビアナは芋女とアルフォンソ様の傍に寄り添って、私の愚痴を漏らしていれば良かったんでしょう。ところが今度は自分が芋女にとっての邪魔者になるんだ。どう転ぶかは実に見物よ。
「考え直す気は? アレクサンドラに落ち度があったと見なされて、今後の婚姻が結びづらくなるぞ」
「ございません。それがアルフォンソ様と私、お互いのためですので」
お父様はしばらく呻った後押し黙り、やがて静かに頷かれた。
「……分かった。今まで苦労をかけたね」
「あなた! アレクサンドラは……!」
「いや、いいんだ。殿下の御心はもうアレクサンドラから離れてしまっている。これ以上そのままにしておけばお互いが憎しみ合い、やがては刃を向け合いかねない。確かに我が公爵家の評判は多少落ちるかもしれない。それでも……悲劇が起こるよりはまだいい」
その決断にお母様が我慢できなくなって声を張りあげたけれど、お父様の決意は固かった。お母様ももう変えられないと悟ったのか、がっくり肩を落とす。
……ごめんなさいお父様、お母様。不肖の娘で。
「陛下には近いうちに申し出るとしよう」
「いえ、それには及びません。明日私が登城して謁見を賜り、直接願い出ようと考えています。王妃様も分かってくださるでしょう」
女の子に恵まれなかった王妃様は、私を実の娘のように可愛がってくれる。そんな私が、アルフォンソ様の仕打ちによって憔悴する様は王妃様にとって衝撃だったらしく、心身ともに大いに迷惑をかけてしまった。
きっと王妃様なら私の決断を分かってくださる……って信じたい。
私はビビアナの方に振り向いた。彼女はまさかの展開に追いつけていないみたいでしきりに何かを呟いている。
まあ認めようが認めまいが、これから彼女の身に降りかかる運命とやらは容赦なんてしないでしょうよ。
「ビビアナ」
「……っ!? な、何よ?」
私が取ってつけたような朗らかな笑みと眼差しを向けて語りかけると、彼女は面白いぐらいにびくつきながら虚勢を張る。
「私では駄目だったけれど、貴女ならきっとアルフォンソ様の力になれるわ。どうかよろしくお願いね」
「私が、殿下の……」
できる限り優しく言葉を送ったけれど、内心では嘲笑を浮かべていた。
ふっ、せいぜい芋女への対応で悩むが良いわ。
これで大きな厄介払いが済んで私はもう気分爽快よ。
□前日二十時半
「――お姉様、一体どういうつもりなの?」
「……もう夜なのに、いきなり部屋に入ってくるなり言うのがそれ?」
晩餐を終えて部屋に戻った私は、明日の朝方に国王陛下と王妃様への謁見を願い出るべく手紙をしたためていた。
いくらアルフォンソ様の婚約者だからといって、おいそれとお会いできる方ではないので、重大な用件なんだと大袈裟に書いている。
封蝋でぎゅ、ぽんと封をしてセナイダに手渡し、公爵家の馬車を使ってもいいので王宮に今すぐ行ってきなさいと命じた。それから別の用事もあるので帰りがけに寄り道してこいとも。とある所への先触れってやつね。
そして、セナイダを見送って一息ついた頃だ。ビビアナが私の部屋に突入してきたのは。
渋々招き入れた途端、我が妹は真っ先に私を疑ってきましたよ。
「どうして王太子殿下の婚約者の座を降りるの?」
「理由はさっき説明したでしょう。私はもうあの方の隣に相応しくなくなってしまったからよ」
「嘘よ。お姉様がそんな潔く身を退くなんて信じられない。あれだけルシアに嫌がらせをして散々、王太子殿下に迷惑をかけてきたじゃないの」
「時期が時期だからもう時間がないのよ。分かるでしょう?」
『どきエデ』の舞台になるのは、タラコネンシス王国中の貴族の子息や令嬢が集う王立学園。子供が大人になりかけの時期に、親族や教育係から学ぶ以外の幅広い知識を身に付けるために設立された場所だ。学園を卒業すれば大人の仲間入り、それが王国での認識。婚約から婚姻へ進むのもその時期ね。
そして、アルフォンソ様方攻略対象者のほとんどは、最上級生。婚約破棄騒動は明日開かれる卒業を間近に控えた最後の学園交流会で行われる。
つまり令嬢がアルフォンソ様の婚約者でいられるのもあと少し。アルフォンソ様が学園を卒業されれば正式に婚姻となり、婚約者は王太子妃の座に収まるってわけ。
なら私が自分から身を退くことは、もうこの時期にしか許されない。分かるでしょう?
まあ、本音を言うと『どきエデ』の婚約破棄騒動前に役を放棄したいだけなんだけれど。そうすれば、断罪の大義名分が失われる。
「ビビアナだって私に言っていたじゃないの。お姉様は王太子殿下の婚約者に相応しくない、ってね。喜びなさい、貴女の願いはもうじき叶うわ」
「だから、何を企んでいるの? お姉様はアレだけ王太子殿下のことばかりだったじゃないの。気が変わったなんて、お姉様に限って絶対にないわ。殊勝な心がけ? あり得ないわね」
「ビビアナがなんと思おうと私は辞退を申し出る。事実があれば過程なんてどうでもいいじゃないの。それとも自分が私の代わりになるのは不満?」
「……っ。いえ、別にそうは言っては……」
悪役令嬢アレクサンドラの妹ビビアナはヒロインの芋女と同級生。初めは身分の差が二人を隔てていたけれど、『どきエデ』後半でのビビアナはヒロインの友達、良き理解者になる。真実の愛を古いしきたりが阻むのなら飛び越えるまで、って考えに賛同していたわよね。
「アルフォンソ様があの芋女とどうしようがもう私には関係ないし、百歩譲ってあの芋女が王太子妃になったって構わない。けれど王家の血筋は三大公爵との結びつきで残さなければいけないのよ。それが三大公爵家に生まれた娘に課せられる第一の使命。忘れたとは言わせないわ」
「それくらい、分かっているわよ……っ」
「ならこの私を蹴落とした代償は自分で払いなさい。それともビビアナは、この家の評判に泥を塗るつもり? 王太子の婚約者を断罪したあげくにその役目を放棄して、あまつさえ王家に俗物の血を混ぜ込んだ、ってね」
「わ、私はそんなつもりじゃあ……!」
「そんなつもりでしょうよ! アンタ達がしようとしているのはッ!」
だんっ、と大きな音が出た。
いけない、やっちゃったわね。思わずテーブルを思いっきり叩いちゃったじゃないの。
癇癪で芋女を驚かせたとかアルフォンソ様に難癖つけられたこともあったのに、私ったら懲りない女ね。
「いい? アンタ達が何を企んでいるかは、この際問わないわ。けれどお父様が私一人に責任をなすり付けたとしても、限度があるのよ。アルフォンソ様におとりなししていただく? 末代まで返せない、山よりも高い借りになりそうね」
「……っ。だから、代わりに私に最低限の役目を果たせって?」
「アンタが散々あの芋女達を焚きつけたんだから当然でしょう? 嫌なら私が他の公爵家のご令嬢に泣いて代役をお願いしたっていいのよ」
「それは……!」
ちなみに王妃になる三大公爵家の娘に順番はない。三代続けて同じ家から輩出されたこともある。現代の王妃様も王太后様も、うち出身じゃない。
うちからの王妃の誕生は久しぶりで、私がアルフォンソ様の婚約者と決まった時、お父様はご先祖様のお墓の前で泣いてご報告なさったんだとか。
ビビアナ、アンタは芋女の真実の愛とやらが成就すれば良かったんでしょうね。でも私は多くの期待を背負っているわ。それを肩代わりして責務を果たすくらいやってもらわないと。
貴女は公爵令嬢なんだから――!
「何をためらっているの? ビビアナは次に繋がる子を産めばいい。夜の営みなんて愛がなくたってできるでしょうよ」
「でも、それじゃあ私がルシアを裏切るみたいじゃないの!」
「アンタの個人的感情なんて知ったことじゃないわ。まだ分からないようだからハッキリと言ってあげる」
私は椅子から立ち上がってビビアナを指差す。それで軽く迫ったものだから、気圧された妹は悲鳴をあげて一歩後ろに退いた。
ふっ、この程度でビビるなんてまだまだね。
「アンタは三大公爵家の娘でアルフォンソ様は王太子! その前提が覆らない限り、この宿命からは逃れられないわよ!」
そう、これが現実。どんな理想論を唱えたって、貴族たる者、伝統は守っていかなきゃ駄目よ。
「だったら……ルシアを三大公爵家のどこかの養子にしたらどう?」
ビビアナは我が妹ながら浅知恵を絞って反論してきた。
「血筋の話であって身分の問題じゃないでしょうよ。それが分からないビビアナでもないと思っていたけれど?」
「ルシアと添い遂げたいって願う王太子殿下のお気持ちを蔑ろにしろって?」
「別にいいのよ。アルフォンソ様が生涯あの芋女と添い遂げて、他の女性は抱きませんって公言したって。けれど、国王陛下や三大公爵家の当主、多勢の貴族たちが芋女の子を次の王だって認めると思っているの?」
「……っ!?」
ったく、ここまで頭が回らないなんて。
この国において王権は絶対ではない。王太子のアルフォンソ様が白だって言えば黒も白になるとばかり考えていたら大間違いよ。
芋女が王妃になっても、彼女が生んだ男子に王位継承権は発生しないわ。アルフォンソ様が独裁政治を成して三大公爵家や先王を無視してしきたりを変えるなら話は別だけれど、そこまですれば三大公爵家を筆頭とする貴族から酷く反発されるでしょうね。
「アルフォンソ様には弟君が二人いらっしゃる。そのどちらかが三大公爵家の娘を妻に迎えて子を生せば、継承権はそちらに移る。アルフォンソ様や芋女がどう考えていようが、そうなるのがこの王国の正当な王位継承よ」
「私を脅す気……!? 私が王太子殿下とルシアとの恋の邪魔をしないと、悲惨な未来が待っているって!」
「あら、私言ったわよね。前提が覆らないとそうなるって。ビビアナが二人を説得してその前提をひっくり返すって手もあるわよ」
「前提、ですって?」
ええそうよ。貴女も察しが付いているでしょう?
大体ここまで大事になるのは、私が公爵令嬢でアルフォンソ様が王太子で、かつ芋女が男爵令嬢風情だから。身分だとか血統が問題なら、そんなものはかなぐり捨ててしまえばいい。はい、万事解決、と。
「アルフォンソ様が王太子の座を返上して、一介の王族になればいいわ。これで芋女を妻にしようがうるさい連中も黙るでしょうよ」
「な……んですって……!?」
「あら、どうして驚くの? アルフォンソ様は身分なんて関係ない本当の愛とやらに目覚めたんでしょう? どう足掻いても王太子の座が愛の邪魔になるなら、それを捨てることも厭わないと思うのだけれど?」
「それ、は……」
あら意外。ビビアナったら薄々は勘付いていたのね。認めたくないだけで。
芋女は逆ハーまで達成しようとする女よ。そんな彼女が王太子でなくなったアルフォンソ様と添い遂げたいと思う?
彼女が見ているのは『どきエデ』の王太子であって、一個人のアルフォンソ様でも王太子って身分でもない。
ずれが生じれば恋焦がれる気持ちも冷める。その類ね。
「お嬢様、出立の準備が整いました」
「ご苦労様、セナイダ」
ビビアナが言葉に詰まってしばしの沈黙が部屋を支配した後、用事を済ませたセナイダが戻ってくる。音を立てずに部屋に入ると一礼し、報告を述べた。
私はイシドロに売り払わなかった上着を肩にかけて部屋の出口へ足を進める。
ビビアナは私が部屋を出るまで黙って俯いたままだった。
□前日二十一時
町はそろそろ寝静まる時刻になった。
私は友人のもとへ馬車を走らせた。
セナイダに先触れを出してもらっていたので、友人は私を若干迷惑がりながらも受け入れてくれる。応接室に通されるかと思ったら彼女の私室まで案内された。
「驚きましたわ……。まさかアレクサンドラ様がこんな時間にこのわたくしをお訪ねになるなんて」
「カロリーナ様。こんな夜遅くの訪問にも拘わらず応対していただき、誠にありがとうございます」
「いえ、火急の用事と伺いましたので今夜は特別ですわ。さあ、まだ外は寒いでしょうし早く中へお入りくださいませ」
公爵令嬢カロリーナ。三大公爵家の一つに生を享け、現王妃マリアネア様の姪にあたる。私と同じ年なので、もしかしたらアルフォンソ様の婚約者はこのカロリーナ様だったかもと言われていた。実際、僅差だったと後から聞いている。
私はそんなカロリーナと友人関係を築いていた。
人によっては悪友とか好敵手だって表現もするんでしょう。とにかく、他の貴族令嬢が私を敬ったり讃えたりする中で、彼女は唯一対等に接してくれる。なので気さくな仲でもあるわ。
彼女は侍女に命じて私に温かい飲み物を用意してくれた。それを一口だけ飲んで、私はカロリーナを見据える。
「それでアレクサンドラ様、とうとうこのわたくしに王太子殿下の婚約者の座を譲り渡す気になりましたの?」
「それも一つの手ではないかと考えています」
「ちょっと、本気で言っていますの?」
「ええ。悩みに悩みましたが、私は王太子様の婚約者の座から退こうと思います」
私はついさっき家族に話した決意を繰り返した。
カロリーナが驚愕する。それは、私がアルフォンソ様に入れ込んでいた証だ。カロリーナ付きの侍女まで驚きを露わにしていて、それだけ今までの私の在り方が身にしみた。
「……あの女狐に殿下をお譲りすると?」
「その表現では、私があの芋女に屈したって聞こえますね。違います。私が殿下に愛想を尽かして見限るんです」
「ものは言い様ですわね。ですが、きっと多くの方が貴女様を敗北者だと揶揄するでしょう」
「覚悟の上ですよ。最後の最後まで気高くあろうとする強さは……私にはありませんでした」
そう殊勝に述べておく。
カロリーナも私の豹変ぶりが信じられない様子で私の顔をじっくりと眺めていたものの、やがて決意は固いと受け取ったらしい。肩から力を抜いて大きくため息を漏らした。そして、座っていたソファーにもたれかかる。
「そうですのね。つまり、アレクサンドラ様に苦渋の決断をさせるほど、もう取り返しがつかなくなっていると?」
「多分、殿下は私がこれまで犯してきた罪を口実にして、婚約破棄を迫ってくるでしょう。もはや私には抗う術がありません」
「あり得ますわね……。あの聡明だった王太子殿下は今や女狐の虜。王家と公爵家が取り交わした婚約の破棄がいかに問題か、判別がつかなくなっているのかもしれませんわ」
「恋は盲目とはよく言ったものです」
さて、私は何も友人に愚痴を漏らしに来たわけじゃない。当然、彼女もそれを分かっているらしく、黙したまま私に続きを促してきた。
「明日私は王宮へ赴き、両陛下に意を伝えようと思います」
「破棄を言いわたされる前に先手を打つのですね。では明日は学園にはいらっしゃらないのですか?」
「いえ、夕方の交流会には参加します。ですが、何もカロリーナ様に私の欠席を伝えていただきたいわけではございません」
「勿論ですわ。その程度の用件でしたら、家の者を使いに出しなさいと追い払っていますもの」
『どきエデ』でのカロリーナの立ち位置は流動的。時にはヒロインの助けになり、時には悪役令嬢と結託して立ちはだかる。そして、私とアルフォンソ様との諍いには巻き込まれないよう距離を置いているキャラだ。まあ、そのせいで作中の彼女は影が薄いんだけれどさ。
だが現実では、公爵家のご令嬢だけあって彼女のもとに集う貴族令嬢の派閥は、学園内で侮れない。私の派閥が、日々私のせいで肩身の狭い思いをしているのとは大違いなのよ。
「おそらく殿下と芋女は、私が全面的に悪いように吹聴するものと想定しています。カロリーナ様には、どうか私が一方的に悪いといった雰囲気となるのを防いでいただきたいのです」
よってカロリーナにしてほしいのは、学園内の女性陣の取りまとめよ。
「……それは、アレクサンドラ様を庇い立てしろと仰っているのですの?」
「いえ。私は私のやってしまった罪を糾弾されたら、素直に認めるつもりです。問題なのはどさくさに紛れてやっていない悪行まで、さも私の仕業だと言われかねないことです」
「あぁ。女狐がアレクサンドラ様を追い落とすために罪を捏造すると?」
婚約破棄に端を発する悪役令嬢断罪イベントは、これまで悪役令嬢がしでかした悪行の数々を公にするというもの。フラグ立てが充分じゃなかったり選択肢を誤ると、言い逃れをされて悪役令嬢を追い込めなくなる。
勿論そのほとんどが悪役令嬢の犯した罪。けれど、そんなゲームの都合上か、中には明らかに言いがかりのものも含まれていた。本当は他の貴族令嬢の仕業なのに彼女が私を慕っていたからと難癖を付けられるなど、悪役に仕立て上げるためなら何でもござれなのよね。
カロリーナには中立の立場でしっかりと見ていただく。これで私が一方的に悪者扱いはされなくなるはずよ。
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