わたしたちはまだ、会っていない。

ゆらぎ

文字の大きさ
10 / 10

第10章「わたしたちはまだ、会っていない」

しおりを挟む
第10章「わたしたちはまだ、会っていない」

📘Scene 10-1|澄乃、“会ったのかもしれない”と呟く

──夜。通学カバンを机の横に置き、澄乃は静かにスマホの画面を指で撫でる。

何度も開かれ、閉じられたDMの履歴。
そこに残っていたのは、たった数十文字の“あなた”からの言葉。

「君の詩、すごく静かに泣いてて、好きだった。」

その言葉を、彼──伏見駿が口にしていた。
同じ言い回しで。イントネーションまで、重なっていた。

澄乃は小さく息をのむ。画面を閉じ、指先を胸にあてる。

「……あなたに、会ってないのに、あなたを知っている気がする」

自分でも信じられないほど、自然にその言葉が漏れた。

壁に立てかけたノート、そこに綴られていたいくつもの言葉たち。
消してきた詩、投稿、下書き。
そして、そのひとつひとつに反応をくれた“誰か”──

澄乃の視線は、窓の外へ向く。
暮れかけた空に、街灯が点り始める。

「私たち、いつから会っていたんだろうね──」

独白とも回想ともつかないその言葉は、
彼女の中で“記録”と“記憶”と“記名”を一つに束ねていた。

まだ名を呼んではいない。
でも、もう名前なんて、きっとどうでもよかった。

大事なのは、「わたしたちは、出会っていた」と確信できること。

📘Scene 10-2|駿、“名前”を言わずに見つめる

放課後の駅前。
人混みを避けるように、駿は改札の近くの柱に寄りかかっていた。

澄乃は、遠くから彼を見つけて歩み寄る。
けれどその歩幅は慎重で、言葉を探しているのが伝わってくる。

彼女がすぐ目の前まで来ても、駿は名前を呼ばなかった。
ただ、彼女を見て、ゆっくりと笑った。

澄乃も、何も言わずに笑い返す。

言葉は交わされなかった。
けれど、それで十分だった。

「──届いてたんだね、あのとき」

澄乃がようやく絞り出した声に、駿はうなずく。

「俺も、誰かに届いてたって……初めて思えたよ」

名前がなくても、顔を知らなくても、
DMの向こうにいた“誰か”が、いま目の前に立っている。

そしてその“誰か”が、自分の言葉を覚えてくれていた。

駿は何も言わず、そっとスマホをポケットにしまう。
それは、「もうDMはいらない」という意味だった。

──言葉は届いた。
だからもう、声にする必要はなかった。

“会う”ということは、きっと名前を呼び合うことじゃない。
言葉が、目線が、沈黙が交わされること。

そう確信できた瞬間、ふたりの距離は、もう“他人”ではなかった。

📘Scene 10-3|慧、“もう一度見てくれる?”と訊く

昼休み、図書室の片隅。
カーテン越しの光がぼんやりと差し込むその中で、慧は澄乃の机にそっと座る。

ふたりきりになったのは、久しぶりだった。
慧の手にはスマホがあった。画面には、あの鍵アカの詩のスクショ。

「……これさ。たぶん、前にRTしたことあるんだ。気づいてなかったけど」

澄乃は黙ってそれを見る。
確かに、それは彼女が投稿した詩だった。でももう、そのアカウントはない。

慧はスマホを置き、言った。

「もう一度、見てくれる?」

その言葉には、“あなたの言葉を、ちゃんと読み直したい”という祈りがあった。

澄乃は静かにうなずく。
「これは、昔のわたし。でも、今のわたしが書いたものでもある気がする」

慧は、わずかに息を呑んで、微笑む。

誰かの言葉を通じて、過去の自分と、今の自分を再会させる。
それはとても静かな儀式だった。

慧はそのとき初めて、“自分もまた誰かを見ていた”ということに気づいた。

彼女がずっと欲しかったもの──
それは「見られること」じゃなく、「見ていた自分が赦されること」だったのかもしれない。

そして、それはもう起きていた。

📘Scene 10-4|凛太郎、スクリーンを閉じる

午後の大学の構内。
人の声が遠くに霞むラウンジの片隅、凛太郎はひとり、スマホを見ていた。

画面には、澄乃の最新の詩。
“もう声にしなくてもいい”──そんな言葉が、淡く光っている。

彼は静かにスマホを伏せる。
通知を切り、アプリをすべて閉じ、電源を落とした。

代わりに、鞄から一枚の紙を取り出す。
便箋のようなその紙に、彼は手書きで、たった一行を書いていた。

「お前の言葉は、おれを助けた」

それは長いあいだ届かなかったDMの、アナログな返信だった。
スクリーンの中では語れなかった想いが、ようやく“触れる”形になった。

彼はその紙を封筒に入れ、実家のリビングの机にそっと置く。
誰にも言わず、何も説明せず。

ただ、残す。それだけでよかった。

凛太郎にとって、スクリーンの向こうにあった“関係”が、ようやく“物語”になった瞬間だった。

そして彼は、振り返らずに部屋を出た。

📘Scene 10-5|“わたしたちはまだ、会っていない”

夜。澄乃の部屋には灯りがひとつだけ灯っている。
机の上、ノートとペンが開いたまま。
彼女はスマホを脇に置いたまま、静かに考えている。

言葉にならないものを、言葉にしてきた。
けれど今は、もう言葉にしなくてもいいと思える。

独白が、内側から溢れ出す。

「言葉でつながるって、名前を呼ぶことじゃない。
声を交わすことでもない。
たぶん、“まだ会っていない”って思えることが、
いちばん、大事なことだった」

どこかにいる“あなた”へ。
そして、“まだ名を呼んでいないわたし”へ。

その瞬間、スマホがかすかに震えた。

画面には、ひとつの新着DM通知が浮かぶ。
──“「会っていない」の続き、読んでもいい?”

澄乃は、それを見つめたまま、指を動かさない。
タップもしない。開かない。

でも、それでいいのだと思った。

まだ会っていない。
けれど、それはもう、確かに“会った”ということと同じ。

画面は暗転する。

ラストナレーション:

「わたしたちはまだ、会っていない。
だけどいつか、あの言葉の続きを、
おたがいの声で、読める気がした──」

──完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...