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グランディ帝国編-第二章
第五話 「さよなら、ベラちゃん」
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「キャロライン、やめて!!!————」
玉座の上のベレーラは、魂を引き裂くような悲鳴を上げた。彼女は本能に突き動かされ、もがきながら玉座からその身を乗り出し、キャロラインへと手を伸ばした——しかし、毒に蝕まれた体は言うことを聞かず、足を踏み外した!
「ああ……ぐっ……!」
かつて帝国の威厳を象徴したその体は、今や、まるでぼろぼろの布人形のように、一切の尊厳なく、高い白玉の階段を転がり落ちていった!
その無様な光景を背景に、魔族の統帥、先程まで冷酷に勝利を宣告したはずの王者が、今、血溜まりの中に片膝をつき、信じられぬほど優しい手つきで、血塗れの好敵手を、その腕に固く抱きしめていた。彼女の顔から全ての落ち着きと威厳は消え失せ、代わりに、純粋な焦燥と痛惜の念が浮かんでいる。
「早く!彼女に応急手当を!早く!!!」
勝利した君主が、敗れた敵のために、泣いている……。この光景は、赤熱した鉄印のように、ベレーラの、苦痛に歪む視界の奥へと、深く、焼き付けられた。
「……やめて……ください……」
しかし、キャロラインの、血に染まったその手が、心を砕くほどゆっくりと、しかし確固たる動きで持ち上がり、傷口を押さえるセリーヌの手を掴んだ。その声は、風に揺れる蝋燭の灯火のように弱々しい。
その無言の拒絶が、セリーヌの感情の堰を決壊させた。涙が、糸の切れた真珠のように、あの刃のように鋭かったはずの瞳から、とめどなく滑り落ちる。
魔導師たちは全力を尽くし、眩いばかりの生命の緑光が、津波のように、キャロラインの、骨まで達する傷口へと殺到した。
キャロラインの呼吸は、次第に弱くなっていく。だが、その視線は、最後まで、ずっと、セリーヌの、涙に濡れたその顔から、離れることはなかった。
「私は……ただの、無力な……守護者だった……」
「私は……分かっていたのだ……己が国が……どれほど、腐りきっているかを……。だが……私には……何も……変えられなかった……」
「かはっ……ごほっ……」
更に多くの血が、命の最後の息吹と共に、彼女の口から溢れ出る。血の泡が口元から漏れ、その呼吸は更に乱れ、生命の灯火は、今にも消え入りそうに揺らめいていた。
「……なぜ……こんな、馬鹿な真似を……?」
セリーヌはもはや、泣き声さえ上げることができなかった。
キャロラインの、血に染まった指先が、優しく、ほとんど力なく、セリーヌの涙に濡れた頬をそっと撫でた。
「セリーヌ……」
その声は風の中の囁きのようだ。
「貴女は……偉大な、統帥だ……。貴女と、あの……信頼に足る仲間たちがいれば……この国は……あるいは……本当に、救われるやもしれぬ……」
彼女の視線が、僅かに彷徨う。
「ただ……あの方には……誰かが……あの世で……お守りする者が、必要なのだ……」
彼女の視線が、再びセリーヌの顔にぴたりと合った。その瞳には、最後の懇願と期待が宿っていた。
「……頼む……どうか……我が女王を……苦しめないで……彼女に……ひと思いに……名誉ある、最期を……約束……して、くれるか……?」
セリーヌの心は、その言葉と、腕の中の、今まさに消えゆく高潔な魂に、固く鷲掴みにされていた。
彼女はキャロラインの、冷たくなっていくその手を固く握り返した。涙が紺碧の瞳を滲ませるが、そこに宿る光は、いつにも増して固い決意を帯びていた。
「約束する」
セリーヌの声は嗄れていたが、この上なく荘厳だった。その一言一句が、まるで魂で刻みつけられるかのようだ。
「私、セリーヌ・シルウィードは、アルタナス連邦最高統帥の名において、そなたの忠魂に誓おう――」
「――決して、女王ベレーラを、苦しめはしない!必ずや、彼女の身分に相応しい、名誉ある、最期を与えよう!」
その誓いを聞き、キャロラインの眼差しは、ついに完全に和らいだ。まるで、長年の重荷がようやく下ろされたかのようだ。
彼女は最後の力を振り絞り、困難に顔を上げた。その視線は、セリーヌの肩を越え、あの……生涯をかけて守り抜いた、孤独な女王の姿へと注がれた。
キャロラインの口元に、ゆっくりと、最後の、そして全てから解き放たれたかのような微笑が浮かんだ。
「……さよなら……ベラちゃん……」
彼女は、命の最後の微かな光を使い果たし、あの二度と戻ることのない子供時代への愛惜を込めて、最も優しく、最も懐かしい声で、ただ二人だけの、愛称を呼びかけた。
熱い涙が一筋、その冷たい目尻を伝い落ちる。
「……ごめんね……もう……そばに、いてあげられない……」
その長い金色の睫毛が、蝶の翅のように最後にもう一度微かに震え、やがて、動かなくなった。
セリーヌの頬に触れていたその手もまた、最後の感触を残し、力なく、ゆっくりと、滑り落ちていった。
「キャロライン————!!!」
玉座の下、ベレーラの、麻痺と苦痛に久しく囚われていた悲鳴が、キャロラインの命の気配が完全に消え失せたその瞬間、ついに、全ての枷を打ち破った。
それは、もはや一人の女王が、その最も忠実な護衛に捧げる哀悼ではない。それは、ベレーラという名の、一人の女が、その生涯において唯一無二の親友を失ったことに対する、果てなき後悔と永遠の喪失を孕んだ、魂を引き裂く、慟哭だった。
玉座の上のベレーラは、魂を引き裂くような悲鳴を上げた。彼女は本能に突き動かされ、もがきながら玉座からその身を乗り出し、キャロラインへと手を伸ばした——しかし、毒に蝕まれた体は言うことを聞かず、足を踏み外した!
「ああ……ぐっ……!」
かつて帝国の威厳を象徴したその体は、今や、まるでぼろぼろの布人形のように、一切の尊厳なく、高い白玉の階段を転がり落ちていった!
その無様な光景を背景に、魔族の統帥、先程まで冷酷に勝利を宣告したはずの王者が、今、血溜まりの中に片膝をつき、信じられぬほど優しい手つきで、血塗れの好敵手を、その腕に固く抱きしめていた。彼女の顔から全ての落ち着きと威厳は消え失せ、代わりに、純粋な焦燥と痛惜の念が浮かんでいる。
「早く!彼女に応急手当を!早く!!!」
勝利した君主が、敗れた敵のために、泣いている……。この光景は、赤熱した鉄印のように、ベレーラの、苦痛に歪む視界の奥へと、深く、焼き付けられた。
「……やめて……ください……」
しかし、キャロラインの、血に染まったその手が、心を砕くほどゆっくりと、しかし確固たる動きで持ち上がり、傷口を押さえるセリーヌの手を掴んだ。その声は、風に揺れる蝋燭の灯火のように弱々しい。
その無言の拒絶が、セリーヌの感情の堰を決壊させた。涙が、糸の切れた真珠のように、あの刃のように鋭かったはずの瞳から、とめどなく滑り落ちる。
魔導師たちは全力を尽くし、眩いばかりの生命の緑光が、津波のように、キャロラインの、骨まで達する傷口へと殺到した。
キャロラインの呼吸は、次第に弱くなっていく。だが、その視線は、最後まで、ずっと、セリーヌの、涙に濡れたその顔から、離れることはなかった。
「私は……ただの、無力な……守護者だった……」
「私は……分かっていたのだ……己が国が……どれほど、腐りきっているかを……。だが……私には……何も……変えられなかった……」
「かはっ……ごほっ……」
更に多くの血が、命の最後の息吹と共に、彼女の口から溢れ出る。血の泡が口元から漏れ、その呼吸は更に乱れ、生命の灯火は、今にも消え入りそうに揺らめいていた。
「……なぜ……こんな、馬鹿な真似を……?」
セリーヌはもはや、泣き声さえ上げることができなかった。
キャロラインの、血に染まった指先が、優しく、ほとんど力なく、セリーヌの涙に濡れた頬をそっと撫でた。
「セリーヌ……」
その声は風の中の囁きのようだ。
「貴女は……偉大な、統帥だ……。貴女と、あの……信頼に足る仲間たちがいれば……この国は……あるいは……本当に、救われるやもしれぬ……」
彼女の視線が、僅かに彷徨う。
「ただ……あの方には……誰かが……あの世で……お守りする者が、必要なのだ……」
彼女の視線が、再びセリーヌの顔にぴたりと合った。その瞳には、最後の懇願と期待が宿っていた。
「……頼む……どうか……我が女王を……苦しめないで……彼女に……ひと思いに……名誉ある、最期を……約束……して、くれるか……?」
セリーヌの心は、その言葉と、腕の中の、今まさに消えゆく高潔な魂に、固く鷲掴みにされていた。
彼女はキャロラインの、冷たくなっていくその手を固く握り返した。涙が紺碧の瞳を滲ませるが、そこに宿る光は、いつにも増して固い決意を帯びていた。
「約束する」
セリーヌの声は嗄れていたが、この上なく荘厳だった。その一言一句が、まるで魂で刻みつけられるかのようだ。
「私、セリーヌ・シルウィードは、アルタナス連邦最高統帥の名において、そなたの忠魂に誓おう――」
「――決して、女王ベレーラを、苦しめはしない!必ずや、彼女の身分に相応しい、名誉ある、最期を与えよう!」
その誓いを聞き、キャロラインの眼差しは、ついに完全に和らいだ。まるで、長年の重荷がようやく下ろされたかのようだ。
彼女は最後の力を振り絞り、困難に顔を上げた。その視線は、セリーヌの肩を越え、あの……生涯をかけて守り抜いた、孤独な女王の姿へと注がれた。
キャロラインの口元に、ゆっくりと、最後の、そして全てから解き放たれたかのような微笑が浮かんだ。
「……さよなら……ベラちゃん……」
彼女は、命の最後の微かな光を使い果たし、あの二度と戻ることのない子供時代への愛惜を込めて、最も優しく、最も懐かしい声で、ただ二人だけの、愛称を呼びかけた。
熱い涙が一筋、その冷たい目尻を伝い落ちる。
「……ごめんね……もう……そばに、いてあげられない……」
その長い金色の睫毛が、蝶の翅のように最後にもう一度微かに震え、やがて、動かなくなった。
セリーヌの頬に触れていたその手もまた、最後の感触を残し、力なく、ゆっくりと、滑り落ちていった。
「キャロライン————!!!」
玉座の下、ベレーラの、麻痺と苦痛に久しく囚われていた悲鳴が、キャロラインの命の気配が完全に消え失せたその瞬間、ついに、全ての枷を打ち破った。
それは、もはや一人の女王が、その最も忠実な護衛に捧げる哀悼ではない。それは、ベレーラという名の、一人の女が、その生涯において唯一無二の親友を失ったことに対する、果てなき後悔と永遠の喪失を孕んだ、魂を引き裂く、慟哭だった。
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