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誘いの果実 Ⅰ
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ぐぅー。
静かな部屋の中で響いた音に河合結愛は、思わずお腹を押さえた。
「お腹空いちゃった。そういえば朝ごはん食べてないもんね」
時計を見ると、すでに十時を回っていた。
大学進学のため、昨日このマンションに引っ越してきたばかりだった。
遅く寝たにもかかわらず、いつもの習慣で早くに目が覚めてしまった結愛は、手持ち無沙汰で段ボールを開けたが最後、そのまま、時間も忘れて本格的な片付けモードに突入してしまったのだ。
結愛は、うーんと背筋を伸ばす。それから部屋の中を見回した。
三階の日当たりのよい1LDKの部屋は広いとは言えなかったが、希望通りの間取りだった。
あらかた荷物は片付いたが、まだこまごまとした整理は残っている。
昨日はコンビニの弁当で済ませたが、自炊のための鍋や食器なども買い揃えてあるので、今日から料理をしたい。
初めての場所でまだ右も左もわからないが、コンビニとスーパーの場所だけは昨日確認しておいた。幸い歩いてでも行ける距離にあったので、食べ物と日用品に関しては心配しなくてすむ。
「スーパーに行って必要なのも買わなきゃね。散歩がてら歩いていくと色んなところも覚えるよね」
一人きりの部屋で自分に言い聞かせるように声に出すと、急いで身支度を整えた。
外に出ると暖かな陽射しが結愛に降り注ぐ。
三月も終わりの頃、うららかな春の日和。
花冷えと呼ばれるこの時季、いつもならコートの一枚も羽織るところだったが、今日は必要なさそうだった。
マンションを出ると、車二台がかろうじて、すれ違えるくらいの狭い道が広がっている。街中から外れたここはとても静かだった。
大学の近くに借りてもよかったのだが、車の往来の激しい騒々しい場所は落ち着かない。街中の住み慣れない場所よりも、実家に近い静かな環境を選んだのだ。
電車やバスの本数も多いため、通学の便もよかったことも幸いした。
「外をのんびり歩くのも久しぶり」
受験までの一年間、勉強一筋で遊びに行く暇もなく、受験が終わってからも、発表まで気が気ではなく、周りの友達のように終わった解放感も持てなかった。
合格したらすぐに、住居の手配、荷造りなどの準備に追われ、ゆっくりとする時間はなかったのだ。
ちらほらと花びらをのぞかせる桜並木の遊歩道に出ると、どこからか鶯の鳴き声も聞こえた。天気の良い日が続けば、咲き始めた桜も満開になる日も近いだろう。
「お花見するのもいいなあ」
結愛は桜を見上げた。
入学式まであと一週間ほどだが、桜の花は待ってくれるだろうか。
一人っ子の結愛は両親から愛情いっぱいに育てられた。
大学進学も地元でと父親は切望していたが、一度親元を離れ自立してみたいと思ったのだ。
両親のそばは幸せで何の苦労をすることもない。一人娘だから嫁ぐこともないだろう。婿養子を取るということは、両親から聞かされていることだ。
進学先を考えているうちに思ったことは、今後家を出る機会はほとんどないということだった。ぬくぬくとした生活は楽かもしれないが、一度だけでいいから、自活というものをしてみたかった。
大学を決め、両親に話した時、父親は反対したが、母親はあっさりと賛成してくれた。
『一人暮らしもいい経験になるわよ。一人っ子だし、結愛を甘やかして育てちゃったかもしれないから、いろいろと勉強をしてくるといいわ。ただし、学生らしく節度は守ってね。あなたは女の子なんだから、ちゃんと自覚を持たないとだめよ。それから、卒業したら家に帰ってくること。それを守るのであれば許可するわ』
父親の反対も虚しく、母親の一言で親離れが決まったのだった。
これからの四年間は、一生のうちで忘れられない思い出になるかもしれない。友達も作って、勉強も一生懸命頑張って、資格を取って、有意義な大学生活を送る。これが目標だった。
知る者のいない初めての一人暮らし。不安はいっぱいだったが、自分で決めたこと。何もかもこれからだった。
「今年は無理でも、来年は友達とお花見したいな」
きっと楽しいはず。自らを奮い立たせるように、もう一度桜を仰ぎ見た。桜の花びらが春の風に靡いて、その様子が自分を応援してくれているような感じがして、自然と笑みがこぼれた。
遊歩道から外れた道に入ると、目的のスーパーまであと少しだった。
長い塀が続く道を歩いていると、どこからかいい香りが漂ってくる。何かしらの果実を思わせるような甘い芳しい香り。結愛は思わず足を止めて、くんくんと鼻を嗅いで、その香りの出所を探した。
「どこからだろう? とても美味しそうな甘い匂い。果物? それとも花?」
香りの正体を見てみたい。
ほんの少しの好奇心……
これが結愛の運命を変える出来事になるとは、この時は夢にも思わなかった。
静かな部屋の中で響いた音に河合結愛は、思わずお腹を押さえた。
「お腹空いちゃった。そういえば朝ごはん食べてないもんね」
時計を見ると、すでに十時を回っていた。
大学進学のため、昨日このマンションに引っ越してきたばかりだった。
遅く寝たにもかかわらず、いつもの習慣で早くに目が覚めてしまった結愛は、手持ち無沙汰で段ボールを開けたが最後、そのまま、時間も忘れて本格的な片付けモードに突入してしまったのだ。
結愛は、うーんと背筋を伸ばす。それから部屋の中を見回した。
三階の日当たりのよい1LDKの部屋は広いとは言えなかったが、希望通りの間取りだった。
あらかた荷物は片付いたが、まだこまごまとした整理は残っている。
昨日はコンビニの弁当で済ませたが、自炊のための鍋や食器なども買い揃えてあるので、今日から料理をしたい。
初めての場所でまだ右も左もわからないが、コンビニとスーパーの場所だけは昨日確認しておいた。幸い歩いてでも行ける距離にあったので、食べ物と日用品に関しては心配しなくてすむ。
「スーパーに行って必要なのも買わなきゃね。散歩がてら歩いていくと色んなところも覚えるよね」
一人きりの部屋で自分に言い聞かせるように声に出すと、急いで身支度を整えた。
外に出ると暖かな陽射しが結愛に降り注ぐ。
三月も終わりの頃、うららかな春の日和。
花冷えと呼ばれるこの時季、いつもならコートの一枚も羽織るところだったが、今日は必要なさそうだった。
マンションを出ると、車二台がかろうじて、すれ違えるくらいの狭い道が広がっている。街中から外れたここはとても静かだった。
大学の近くに借りてもよかったのだが、車の往来の激しい騒々しい場所は落ち着かない。街中の住み慣れない場所よりも、実家に近い静かな環境を選んだのだ。
電車やバスの本数も多いため、通学の便もよかったことも幸いした。
「外をのんびり歩くのも久しぶり」
受験までの一年間、勉強一筋で遊びに行く暇もなく、受験が終わってからも、発表まで気が気ではなく、周りの友達のように終わった解放感も持てなかった。
合格したらすぐに、住居の手配、荷造りなどの準備に追われ、ゆっくりとする時間はなかったのだ。
ちらほらと花びらをのぞかせる桜並木の遊歩道に出ると、どこからか鶯の鳴き声も聞こえた。天気の良い日が続けば、咲き始めた桜も満開になる日も近いだろう。
「お花見するのもいいなあ」
結愛は桜を見上げた。
入学式まであと一週間ほどだが、桜の花は待ってくれるだろうか。
一人っ子の結愛は両親から愛情いっぱいに育てられた。
大学進学も地元でと父親は切望していたが、一度親元を離れ自立してみたいと思ったのだ。
両親のそばは幸せで何の苦労をすることもない。一人娘だから嫁ぐこともないだろう。婿養子を取るということは、両親から聞かされていることだ。
進学先を考えているうちに思ったことは、今後家を出る機会はほとんどないということだった。ぬくぬくとした生活は楽かもしれないが、一度だけでいいから、自活というものをしてみたかった。
大学を決め、両親に話した時、父親は反対したが、母親はあっさりと賛成してくれた。
『一人暮らしもいい経験になるわよ。一人っ子だし、結愛を甘やかして育てちゃったかもしれないから、いろいろと勉強をしてくるといいわ。ただし、学生らしく節度は守ってね。あなたは女の子なんだから、ちゃんと自覚を持たないとだめよ。それから、卒業したら家に帰ってくること。それを守るのであれば許可するわ』
父親の反対も虚しく、母親の一言で親離れが決まったのだった。
これからの四年間は、一生のうちで忘れられない思い出になるかもしれない。友達も作って、勉強も一生懸命頑張って、資格を取って、有意義な大学生活を送る。これが目標だった。
知る者のいない初めての一人暮らし。不安はいっぱいだったが、自分で決めたこと。何もかもこれからだった。
「今年は無理でも、来年は友達とお花見したいな」
きっと楽しいはず。自らを奮い立たせるように、もう一度桜を仰ぎ見た。桜の花びらが春の風に靡いて、その様子が自分を応援してくれているような感じがして、自然と笑みがこぼれた。
遊歩道から外れた道に入ると、目的のスーパーまであと少しだった。
長い塀が続く道を歩いていると、どこからかいい香りが漂ってくる。何かしらの果実を思わせるような甘い芳しい香り。結愛は思わず足を止めて、くんくんと鼻を嗅いで、その香りの出所を探した。
「どこからだろう? とても美味しそうな甘い匂い。果物? それとも花?」
香りの正体を見てみたい。
ほんの少しの好奇心……
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