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本編
本編ー13
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北方にある、クレティアで一番目に大きな大陸、ロディッキ大陸。
西方にある、クレティアで二番目に大きな大陸、ソグルロナ大陸。
南方にある、クレティアで三番目に大きな大陸、チェルシェニー大陸。
東方にある、クレティアで四番目に大きな大陸、ジョサニア大陸。
そして、それらの大陸の大体中間に位置する五番目に大きな大陸、グラナディール大陸。
ナギト、ユヅキ、ルカナの出身大陸でもあり、ベル・オブ・ウォッキング魔法学園が建っているのも、この大陸だ。
まさか、そんな大陸の統括大精霊が現れるなんて、流石のミナギも想定外。ユヅキの規格外っぷりは理解していたつもりだが、完全に理解出来ていなかったのだと知るには十分。
信じられないと思いつつ、けれど、一メートル程しかない小さなグラールから感じる、圧力みたいなものは、変わらず。めちゃくちゃ大きなものを強引に小さくしたものが目の前にある、と言う感覚は、消えない。
穏やかにグラールが笑いかけているのに、とてもじゃないが笑い返す気になれなくて。
耐え切れず、申し訳ないとは思うが、少し距離を取らせてもらうミナギ。出来れば隠れたいのだが、近くに遮蔽物がない為叶わぬ願い。せめてここが薬草栽培区画でなければと思ってしまうミナギ。
落ち着かない様子でそわそわとするミナギに、緩く苦笑して。グラールが一度袖で顔を隠した後、大きく両腕を振り、ばさり、着ているコートを大きく揺らす。
「うん。このくらいなら良いか?」
「……う、わ……っ」
一瞬。本当に一瞬だった。文字通りの、瞬き一つ分。その間に、グラールの姿が一変。
ユヅキやミナギよりも小さな一メートル程しかなかった筈の身長が、ナギトをゆうに越える背丈に伸びる。見下ろしていた筈の視線が、一気に上へ。
あ、ちょっと首痛い。
およそ二メートル程にまで伸びたグラールの体には、オーバーサイズだった筈のコートが丁度良くいくらいになっていた。
ずっとミナギが感じていたあの違和感も、あまり感じない。
全く感じない、と言う訳ではないけれど。
「やっぱおっきいねぇ、グラール」
「そうさなぁ。もう少し小さくとも良かったが……。まあ、それよりも、だ」
自分の体を見下ろして、まだ何か言おうとしていたグラール。だが、途中で軌道修正。
少しゆっくりとした動作で、目を移す。ミナギから、ルカナへ。
ピクッとルカナの肩が跳ねたのは、内気な性格ゆえに。ただでさえ、ナギトやユヅキのペースについて行けず混乱しているのに、そこに突如、自分が今立っている大陸を統括する地の精霊とする者の登場。これで緊張するなと言う方が無理な話だ。
精霊の事は、そう言う存在が居て、精霊の力を使う精霊術師が存在する、程度の知識でしかないルカナにとって、もはや未知の領域だ、目の前の状況は。
そもそも、自分はグラナディールだと語る精霊が、本物なのかもわからない。多分、話の流れから本物なのだとは思うけれど。
「さぁて……欲しいのは、プシュークロムの栽培場所だったな?」
「ひゃひっ!おおおっ、お願いしまひゅっ!」
「はは、そんな緊張せずとも良い良い。取って食ったりせぬし。それに、ナギトより目付き悪いつもりはないからのー」
「一言多いんだよ。顔面は母親譲りなんだわ」
ほわほわと笑うグラールの尻辺りを、ナギトが蹴り飛ばす。蹴り飛ばすとは言っても力はそんなに入っていないし、蹴られたグラールも特に痛みを感じていない為、じゃれ合いに似たものだろう事がわかる。
見ている側としては、この大陸を司る地の統括大精霊相手になんて事をと、真っ青になる場面だ。
軽い調子ですまん許せと返し、グラールがゆっくりと振り返るのは今回ルカナが使用を許可された栽培区画。グラールが登場した時点で、その区画で遊んでいた地の精霊達はパッと蜘蛛の子を散らすように離れた後。
ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達と同じサイズの精霊達に至っては、まるで超有名人にでもあったかのような反応を見せている。
否まあ、ド平民がいきなり国王に遭遇するようなものと考えると、そう言う反応にもなるか。
「ただ言うておくが、我はあくまでも『栽培するのに最適な場所を創り整えるだけ』であり、『栽培には手を貸さぬ』よ」
「はっ……は、い!栽培方法、は……自分がっ、けんぎゅっ!研究、します……っ!」
勢い余って少し言葉を噛んでしまたが、それでもルカナの返答は力強く。満足げにグラールは目を細めて微笑み、そして頷く。
流れるような動作でルカナの担当する栽培区画からユヅキへと視線を移せば、力強い笑顔と共にサムズアップ。すぅっと短く息を吸うと、歌い始める。人の耳では理解出来ない言葉で――精霊の言葉で、語り掛ける。
恐らく、プシュークロムを育てる為に力を貸してほしいと、お願いする為に。
未契約の精霊を見る力を持っているミナギだからこそ、見える世界。グラールの登場に驚き、遠巻きに見ていた地の精霊達が、一人、また一人とユヅキへと駆け寄って行く。人間の大人ほどの背丈を持つ精霊達は微笑み、人間の子供から手のひらサイズに至るまでの小さな精霊達は無邪気に。
まあ中には、自分も良いかなと遠慮がちに近寄って来る精霊も居れば、恐れ多いと恐縮している精霊も居たが、そう言う精霊は大抵他の精霊に背中をぐいぐい押されて集合するしかなくて。
本当に、ユヅキの声に精霊達はたった一つの例外を除いて全て集まって来るらしい。
唯一の例外は、ベル・オブ・ウォッキングだけ。
ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達に関しては、最初からユヅキが声を掛けていない為、今回集まる事はなかった。彼等は、ミナギの為に力を使いたいと、既にユヅキに宣言しており、ユヅキ自身も了承しているから。
「精霊達に任せたら確実なんじゃない?」
「確かに精霊の力を借りれば確実に育てられるだろうな。けど、それじゃぁ何も進歩しねぇよ。必要なのは、安定的に栽培できる方法だ。そこは人間がやらなきゃな」
言っている事は正しい。それはミナギもわかっている。わかっているけれど、なんだろう、この胸のもやもやは。
なんと言うか、都合良く精霊の力を利用しているような、そんな感じ。否、実際そうなのだけれど。本当にこれで良いのだろうかと思ってしまうのは、精霊との関わり方が変わって来たから。
ユヅキと、ミナギの目にだけ映る、集まって来た地の精霊達。
統括大精霊であるグラールを中心に立ち、中には空中にふわふわと浮かび、次の指示を待っている。集まって来た地の精霊達に向かって、更にユヅキが歌う。
声に応えるようにして現れた、風の統括大精霊であるシエロの、手の中。そこにあるのは、この間ナギト達がルオーダ採掘場で岩盤ごと採取して来たプシュークロム数本。精霊に預けていたせいか、はたまた岩盤ごと採取していたせいか、特に萎れている様子はない。
ホッと胸を撫で下ろすのは、当然ルカナ。
だが、それもほんの数秒。次の瞬間には、スッとグラールがルカナの担当する栽培区画に向けて手をかざす。
すると現れるのは、大きな岩――ではなく、岩盤。それも、栽培区画の一区画を埋める程の、大きな大きな岩盤だ。高さはゆうに五メートルはあろう高さで、プシュークロムが自生する崖となんら変わりない、本物の崖が一瞬で生み出されてしまった。
しかも、栽培しやすいようにか、ご丁寧に段々畑のように階段状になっている岩盤だ。
「わ、ぁ……」
「まだまだ、驚くにはちと早いな。このままでは、観察する時に苦労するじゃろうて」
あっと言う間に出来上がった岩盤の段々畑を見上げ、言葉を失うルカナに対して、ふふっとグラールは柔らかく微笑む。
岩盤に歩み寄り、なんの躊躇いもなく一歩、岩盤に向けて足を進める。
爪先が固い岩肌で削れる、と言う事もなく。グラールが進めた足は、トンッと岩肌に突然出来た段の上に降りた。次の足、次の足と踏み出せば、出来上がるのは階段。高さ五メートルの岩盤の段々畑を両断するように、中央に出来る階段だ。流石は地の精霊と言うべきか、歩く度に階段を形成して、ルカナがプシュークロムの観察や栽培をする時に登りやすくしているらしい。
四段くらい階段を創ったところで、振り返るグラールが見るのは、ルカナ。
「来い来い。このくらいの段差なら登れるか?」
「へっ?あっ、はいっ!」
呼ばれて、一瞬首を傾げ、なぜ呼ばれたのかを理解して、慌ててグラール達が創り出した岩盤へと駆け寄る。ルカナが軽く片手の拳を胸に押し当てているのは、緊張にドクドクと跳ねる心臓を、必死に宥めているから。
そろそろと、ルカナが階段に向けて足を伸ばす。
彼女は見えていないが、階段を登ろうとするルカナの周りには大小様々な地の精霊が居て、階段の段差が高くないか、低くないか、じっと見守っている。見えていたらきっと、内気な彼女の事だ、その状況にびっくりして固まってしまっているかもしれない。
ルカナが、段々畑の中央に出来た階段を登って行く。うん、どうやら段差は問題ないらしい。良かったとグラールが微笑み、自分から見て一番近い段の畑に移動。
プシュークロムを一本、シエロから受け取り、植え付ける。
器用に植え付けられる大きさの穴を創り、一つ。階段を挟んで反対側の棚にも、また一つ。一つの棚に一本の割合で、プシュークロムを植え付ける。採取して来たプシュークロムがそこまで多くないのだから、これで良いか。
穴を開け、プシュークロムを植え付けるまではグラールの仕事。植え付けられたプシュークロムが、創り上げた岩盤となじむように調整するのは、集まって来た未契約の地の精霊達。
「へぇ、精霊同士って、仲良いんだ」
「感覚的には、兄弟であり親であり子供同士って感じだから、基本的には仲良しだよ。ただ、精霊によって個人差とか性格があるから、喧嘩する事はあるよー?」
「そうそ。ミナギんトコにいるチビたちも、実はケンカ多いんだぞー。ミナギの前じゃイイコちゃんしてるからバレないけどさー、そのチビども、自分の力使ってまでケンカする事何度もあってー。だからそのチビたち五人の中じゃ、攻撃系の力の使い方がうまいんだよなー。なー?そこで隠れてるチビどもっ!」
ミナギの独り言を拾ったのは、それまで地の精霊達に話しかけていたユヅキ。と、シエロ。
人間同士の話はわからないけれど、自分達と同じ風の精霊の統括大精霊が側に来た事で、話に巻き込まれまい、シエロの視界に映るまいとミナギの足元に隠れていた、小さな風の精霊コンビ。
突然視界に飛び込んで来たシエロの姿に驚き、ぎゃあああっと驚愕の悲鳴を上げてあっちこっちへと飛び回る。
勿論、未契約の精霊の声はミナギには聞き取れないが、今の顔は誰がどう見ても悲鳴を上げた顔だった、断言出来る。
しかし、どれだけ逃げ回っても、あっと言う間にシエロが操る風に捕らえられて終了。
「おーまーえーらー、ぼくから逃げられるわけないんだから、大人しくしーなーよー」
腹を抱えながらケラケラと笑うシエロの前で、シエロの操る風に捕縛された小さな風の精霊コンビがじたばたと両手両足を振り回して必死の抵抗。まあ、効果のほどはお察しなのだけども。
涙目になった小さな風の精霊コンビが、助けを求めるような視線をミナギに投げかける。が、即座に無理無理とミナギは首を横に振って。
ショックを受けた二人は、ついにガックリ肩を落としてしまう。
なんだろう、この罪悪感。
まるで助けなかった自分が悪いみたいではないか。
しかし、それを読み取ったアルバが先回りして、「どうせぇ、次の瞬間には笑い始めるわよぉ」なんて言うのだから、全ての言葉を呑み込む。
そんなバカな話があるか、と思うのだが――あった、実際に。
さっきまでがっくりと項垂れていた筈の二人が、今は何が楽しいのかきゃっきゃと笑い始めているではないか。風の精霊は気まぐれや気分屋な気質が多いとは聞くが、どうやら彼等もそれに当てはまるらしい。
心配して損した、なんてミナギが思ってしまうのは仕方ないか。
「さて、こんなものだろう。プシュークロムはこの岩盤に根付いた状態じゃ、後は、お前さんの仕事じゃな」
「っ!は、はいっ!がんっ、ばります……っ!」
地面の方で、そんな愉快なやり取りが繰り広げられているとは知らない、ルカナ。
こちらは、グラールの後を続いて岩盤に出来た階段を登り、全てのプシュークロムの植え付けを見守っていた。まるで最初からそこに生えていたかの如く、綺麗に植え付けられたプシュークロムに、数秒言葉を失った。
少なくともルカナは、ここまで綺麗に植え付けられた栽培用のプシュークロムを見た事がなかった。知っている範囲では、根が途切れていたり、茎や葉が千切れていたり、酷いものだと再起不能に近い状態だったりするのに。精霊の力を借りるだけで、ここまで変わるのだろうか。
否まあ、あくまでも精霊達が手伝うのはここまでで、後はルカナ自身が頑張る必要があるのだが。
だが、最大の難関である、根付かないプシュークロムの問題は解決した。
後はもう、やるだけだ。そう、自分に言い聞かせるルカナは、ぐっと拳を握る。内気な性格であっても、薬草に関わる事となると、少し変わって来るらしい。抱えていた書類とは別に、新品のノートを取り出し、万年筆で細かく記していく。
好奇心だろう。グラールを筆頭にした精霊達がルカナの手元を覗き込むが、皆揃って首を傾げたり、眉を顰めたり。人間の文字は、少し難しい。
ナギト達が採取して来たプシュークロムは、全部で七本。
一本も枯らしたくない、と願うのは――強欲だろうか。
ゆっくり階段を降りて、地上に居るナギト達の元へと戻る。顔が少し紅く見えるのは多分、きっと、高揚しているから。頭の中では、ああでもないこうでもないと、でもこうしたら、こんな方法もあるかもしれない、などと色々考えているのだろう事は、その表情だけで充分読み取れた。ユヅキには。
なぜユヅキにわかったのは、いつも同じ顔をしている人を見ているから。それは誰かなんて、考える間でもない、ナギトである。
≪グラール、みんなも!ありがとう!≫
≪気にしないでお姫様≫
≪このくらい、お安い御用でさぁ!≫
≪あのおねぇちゃんが、かんりするひとなんだよね?≫
≪育てるコレ、貴重聞いた。奪われる可能性、ない、言いきれない≫
≪んじゃ、ウチらは何人かここに居て、他のヤツがちょっかい出そうとしたら邪魔してやろうか≫
≪おっ!たんのしそー!≫
≪僕もやるー!≫
≪人間がプシュークロムって名前つけてるコレ、育てるのに闇の子も必要だよね?≫
≪友達呼んで来るー!≫
力を貸す為に手伝ってくれた精霊達に声を掛ければ、次々返される声、声、声、声、沢山の声。同時に話し掛けられても全ての声を聞き取れるのは、精霊術師としての素養の一つである、話す力のお陰だろうか。
精霊達からの言葉で、重要な部分をかいつまんで通訳。
プシュークロムを植え付ける岩盤を創り出しただけで終わりだと、思っていたのに。どうやらルカナの予想に反して、精霊達は今後も手伝ってくれるそうな。だがあくまでも育てるのはルカナで、精霊達はプシュークロムには直接手を出さず。環境を整え、他人が手を出そうとするのを阻むのが目的。それでも、普通に考えれば有り得ないぐらいの好待遇。
精霊に関して知識が疎いルカナも流石にそれは理解出来るらしく、驚きながら顔を蒼くさせると言う、器用な姿を見せている。
次に出て来た言葉は、あのナギトですら想定外だった。
「あっ、あの!お礼のお、お菓子!用意するの、なんでもいいんですかっ!?」
何を言っているのかと片眉を跳ね上げるミナギに対して、これは予想外と驚いた顔をして見せるのはナギトとユヅキ――だけではなく、アルバ、グラール、シエロの契約済み精霊達も、だ。
セラータだけは唯一、長い尻尾をゆらゆらと揺らし、すぅっと目を細めるだけ。
ルカナの言葉の意味を理解出来ず、眉を顰めたミナギが見上げるのは、当然ながらナギト。その後には、ユヅキへと目を向けて。無言の瞳で求める答え。
すると返される、満面の笑顔と頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる手。笑顔はユヅキの、頭を撫でる手はナギトのもの。
「へぇ、チェルシェニー大陸出身か」
「えっ?い、いいえっ。私は、グラナディールで……父が、チェルシェニー大陸の出身、です……」
「だからかぁ!」
「チェルシェニー大陸にはぁ、『妖精さんにお礼をする時はぁ、お菓子をカーテンや物陰に隠しなさぁい』ってぇ、風習があるのよぉ」
感心したようにナギトが呟く。すると、即座にルカナは首を横に振ってこれを否定。だが、父親がチェルシェニー大陸出身だと語られた瞬間、ユヅキは目を輝かせなるほど納得。
話に取り残されたミナギへの説明は、アルバが担当。
存在する五つの大陸。大陸周辺にいくつも存在する大小様々な島々には、それぞれにそれぞれの風習や文化が存在する。
精霊の言葉が実在する存在だと広まる以前は、妖精と言われる事もあり、中には神様だの、モンスターの一種扱いもあれば、存在は物語を面白くする為の要素扱いされている大陸もあったと聞く。
チェルシェニー大陸はその中でも、妖精扱いをしていた大陸で、妖精に何かお願いした時は、お礼のお菓子をカーテンや物陰に隠すと言う風習があった大陸だ。どうやってお願いを聞いてもらったかはわからないが、そう言う話が今も残っているのだから、もしかしたら子供向けの話として語られているのかもしれない。
お菓子を隠すだけならそれまでだが、実際にお菓子が減っていれば、ただの物語でもなくなる。
そのせいか、シエロいわく、チェルシェニー大陸は精霊への理解が進みやすい、とか。
まあ、あくまでも進みやすい状態なだけで、完全に広まっている訳ではないけれど。
父親がチェルシェニー大陸出身であり、その話を聞いていたルカナならではの言葉だったのだ、さっきのは。
一応、精霊術師はチェルシェニー大陸にも存在するが、一度根付いた妖精文化を全て変えるのは難しく、妖精へのお礼の方法が、精霊へのお礼の方法として形を変えたらしい。
どうしてそこまで詳しいのか気になるが、きっと多分、ナギトが研究者だからと返される気がして、閉口するミナギ。
「お菓子も間違いないけど……精霊達って好み色々だから、お菓子じゃなくてもいいよ?」
「えぇっ?!」
「人間だって、お菓子好きなヤツばっかじゃねぇだろ。その時その時で用意するモン変えとけ。お菓子って一口に言っても、色々あるしな」
「それに、ここじゃカーテンも物陰もないけど、どこに置くの?屋外だしさ」
驚きの事実一つ、的確な指摘とアドバイス一つ、冷静なツッコミ一つ。
これにルカナが上手く言葉を返せる筈もなく、誰の言葉に最初に返すべきかと迷うのもあって、なかなか言葉が出て来ない。えっと、あの、を何度も繰り返して、戸惑うルカナの姿に、とりあえず落ち着けと見かねたグラールが声を掛ける。アルバやシエロは、戸惑う様子が面白かったのか、それぞれ楽しそうに笑っていた。
「無理に用意しろなどと誰も言わぬよ。それに、お前さんは我等の声が聞こえぬ身。日に色々用意するのも面倒じゃろうて」
「それこそさー、昼ご飯?晩ご飯?の時にでもさー、おかずとかデザートを一つ追加しといてー、これ食べてーってしてくれりゃいーんじゃないかなー?」
「食べていいものを決めておいてぇ、『これ食べていいわよぉ』の合図決めておけばぁ、食べたい子が食べると思うわよぉ?」
グラールが気遣う声を掛ける横で、遠慮なくああだこうだと語るのはシエロとアルバ。この違いは、本人達の性格の違いか。
軽く聞き流せば良い話だろうが、これから精霊達には世話になるからと、彼等の言葉をノートにメモを取って行くルカナ。その姿を真面目だなぁと眺めるのはミナギだ。とは言え、ミナギもなんだかんだ、五人の小さな精霊達に毎日当然のように自分のご飯のおかずやお菓子を分けているのだから、面白い話。
それこそ、購買に行った時には、五人の小さな精霊達が欲しいものを一個だけ買う、なんて約束までしている始末。最初は選ぶ事を躊躇っていた精霊達も、今ではあれが良いこれが良いと遠慮なく主張するようになっている。
これが少し前の、それこそナギト達とパーティを組む前のミナギであれば、話を聞いた時点で信じられないと言った表情を見せているところ。
慣れれば変わって来るものだ、人も、精霊も。
「……あ、あのっ!えっと、ホヅミさ」
「ユヅキでいーよっ!何かな?」
「その……精霊さん達との通訳を、頼みたい時……」
「いつでも来てっ!通訳なんて日常茶飯事だしっ!」
遠慮がちに語るルカナの言葉の続きを的確に読み取り、両手を腰に当てて満面笑顔を見せるユヅキ。頼もし過ぎる言葉に、一瞬ぱちくりと瞬いた後、ほっと安堵の笑みを見せるルカナ。
シエロが通訳すれば良いのでは、なんて思いも多少は浮かんだものの、少なくともルカナはユヅキと同じパーティではないからとシエロ本人から断られた。
今回、プシュークロムを預かっていたのも、ルカナの為ではなくユヅキに頼まれたからと、そう言う理由。
協力的ではあるが、そこは厳密らしい。
あくまでも、ユヅキの頼みだからであって、ナギトやミナギの頼みでも聞くけれど、それ以外の頼みを聞くつもりは全くない。他の精霊術師であっても、頼みを聞くかどうかは気分と報酬次第。
まあ、気分屋気質の多い風の精霊の中にあって、統括大精霊のシエロは、超気分屋。他の誰かの頼みを聞く事はあっても、実際に叶えるかどうかはまた別の話。
更に言えば、ユヅキはいつでもどうぞと言っているが、その実、誰でも通訳を許可する事はない――ナギトが。来る者拒まず一から十まで通訳をしていたらキリがないからと、ストッパーの役割を果たしているそうだ。
普段集合場所としている東屋の場所をルカナに伝え、この場は一度解散。
「あっ、あの!本当にっ、ありがとうございましたっ!!頑張って、プシュークロムの栽培方法っ!見付けます!!」
「ん。ある程度論文まとまったら見せて。知り合いに見てもらって、再現性研究してもらう。信頼出来るヤツ等だから、研究奪われるとかナイ。そこは安心しとけ」
「今回グラールの力も借りたから、ナギトも論文書かなきゃね」
「そーれー。たいぎいけど、まあ……仕方ないな」
最後に、ルカナが丁寧に頭を下げ、力強く語る意気込み。その瞳には内気な弱さはなく、薬師見習いとしてのやる気に満ちていた。これなら大丈夫だろうと、そう思わせる強さだ。
栽培論文の件をもう一度伝えるナギトを見上げ、にっこり笑顔のユヅキ。
さり気なく忘れたかった事を言われ、思わずナギトは苦い顔。表情からもたいぎいと訴えているところから見て、あまり気は進まないらしい。が、それでも仕方ないかと諦めるのは、いつもの事だから。
一つの疑問が解決しても、次、また次と疑問が浮かぶ。疑問だけでなく、ユヅキや精霊達を見ていると、どうして、と気になる事もまた増えて。終わりが見付からない。
まだ昔よりは疑問は解決しているけれど、幼い子供の頃よりも物事を理解出来るようになったからこそ、新しい疑問や気になる事が増えて来る。何も知らないまま、目の前にあるものをただ受け入れるだけがどれだけ倖せで危険だったのか、よくわかる。
ハアやれやれと大きなため息を吐き、一度肩を落とす。けれど、既にナギトの頭の中では、今回のプシュークロム栽培に関して精霊の助力を得た事をどうやって纏めるべきか、という思考が始まっている。
参考資料は、情報は、ジョサニア大陸の話も引っ張り出す必要が――と、小さくぶつぶつと呟きながら、くるりと背中を向けて歩き出すナギトの背中を見送る、ユヅキ、ミナギ、ルカナ、アルバの三人と一匹。セラータはいつの間にかナギトの肩の上に居て、シエロは既に姿を消した後で、グラールは自分の周りに居る他の地の精霊達と何か話していて。
少しの間ナギトの背中を見送っていたルカナも、もう一度ユヅキ達に頭を下げた後、すぐにまた岩盤の階段を登り、プシュークロムの観察に向かう。
「……ねえ、ユヅキさん」
「はーい?」
「ナギトさんがジョサニア大陸って言ってたけど……」
「あぁらぁ、お勉強の時間ねぇ?」
気になる事をすぐに訊くのは自分の悪い癖かもしれない。
そうは思うものの、やっぱり気になるものは気になる訳で。自分で調べる事も大事だと、これまでのやり取りでわかっているけれど、自力で調べるには情報が足りなくて。ここは訊くしかない。
からかい口調で語るアルバにムッとしつつも、それでも訊いたのは自分だからと、諸々の不満を呑み込むミナギ。
栽培区画を後にして、向かうのは集合場所として使っている東屋。
先に栽培区画から消えたナギトの姿はなく、どうやら別の場所に行ったらしい事が、そこからわかる。もしかしたら、例の鍵を貰った特別禁止書庫に行ったのかもしれない。
東屋の中、中央のテーブルを挟んで向かい合う形でユヅキとミナギが座ると、アルバは東屋の屋根の上へ。
「ジョサニア大陸って、大陸の周りの海流が激しくて、結構最近まで他の大陸と交流がなかったのね。大体……そーだなぁ、六十年くらい?」
「うわ、ホントに結構最近じゃん。魔法銃が広がり始めるのが先か後かクラス」
「あの大陸ぅ、他の大陸と交流がなかったからぁ、精霊に関する知識もぉ、広まってないのよねぇ」
チェルシェニー大陸で、精霊が妖精と言われていたように、それはジョサニア大陸でも似た状況らしい。
でもだからと言って、精霊を神様として捉えているだなんて、流石にちょっと話が突飛過ぎて驚きを通り越した。理解が追い付かず、ミナギが眉を顰めて何言ってんだと表情で訴えれば、わかるわかると頷くユヅキ。屋根の上で、アルバが笑っているのが聞こえた。
そもそも、今も古い習慣やしきたり、文化を守り続けていて、他大陸から見ても暮らしぶりが古風なのが、ジョサニア大陸だ。
「精霊がカミサマ認識……えぇ……?」
「そこら辺に転がってる小石とか、雨粒一滴にも神様が居る、て考えらしいよ。アタシ達からしたらビックリな話だけど、ジョサニア大陸はそれがずーっとだったから、それが普通なんだって。ナギトママがジョサニア大陸出身で、初めて聞いた時ビックリした」
そう語るユヅキの表情から見て、この話は嘘や冗談ではない事は明白。まあ、ユヅキがミナギに嘘を教えるメリットなんてないのだから、当然かもしれないけれど。
八百万。独自の文化や風習が長く続いているジョサニア大陸だからこその考え方は、正直かなりビックリだが、少し、新鮮だった。だからこその、好奇心。
精霊を神として捉えているなら、どんな接し方になるのだろう、と。
ユヅキ達のような、ごくごく自然な友人関係とも違う。チェルシェニー大陸のような、妖精との間接的な付き合いとも違うのは、わかる。
訊けば、独自の祭壇を建て、神々の姿を見て対話が出来る特殊な力を持った自然神子と呼ばれる人が、時に神の声を聞き、神にこちら側の望みを聞いてもらえるように交渉するらしい。つまり、自然神子とは精霊術師。
精霊が神として崇められているなら、精霊術師も特別視されている可能性は高い。
とは言え、少なくともジョサニア大陸出身だと言うナギトの母は、身近に自然神子が居なかった為、置かれている状況がどんなものかは情報として知らないそうだ。
他大陸との交流が始まり、ある程度近代化した都市部もあって、ナギトの母はそう言う都市部の出身らしいから。
時に東屋の屋根の上からアルバが、風の中に姿を隠したままシエロが、時々ユヅキの話に補足を入れる。
とは言え、未契約だった頃は人の言葉がわからない為、あくまでも自分達が精霊術師と契約していた頃――つまりは、ユヅキと契約してから今に至るまでに知った話と、他の契約精霊達から聞いた話でしかないけれど。
そうだとしても、かなり新鮮で、衝撃的な話だ。
「ハー……大陸?国?が変わると、ホント違うんだなぁ……」
「うん。もっと細かい事言い始めると、大陸以外の周りの島によっても違うんだよ。似てるけどちょっと違う、なんてパターンもあるから。だからナギトがすーーーーーっごいたいぎいって顔して特別禁止書庫で精霊に関わる色んなところの資料集めてた!」
ちなみに資料の厚さはこれっくらい。そう言ってユヅキが片手で示すのは、東屋のテーブルから軽く五十センチくらい上の辺り。仮にそれが大陸以外の精霊に関する事だけを集めたとして、資料を集めるだけで相当の労力がかかった事は、ミナギにだってわかる。
だって、精霊を精霊と記しておらず、妖精やら神と書いているなら、まずそれが精霊だと読み解くところから始めるのだから。
もしかしてナギトって、実は思った以上に結構大変な事をしているのかもしれない。なんてミナギが思うのも、当然か。
詳しくは聞いていないが、精霊に関する研究者なのかな、程度の認識で。
気にはなるけれど、それよりも今の自分には優先するべき問題があるからと、自分の中でミナギは順番を決めている。
とりあえず、今は――。
「あの結界の練習……もだけど、次受けるクエストは?」
「あ、ナギトが資料探すのに忙しいから、二人で受けたいの決めていいって言ってたよ。手続きはコッチがするからって。行ってみる?」
パッとミナギの目が輝いたのが、何よりの答え。
今頃特別禁止書庫で研究しているだろうナギトを思い、予想が当たったよと心の中で呟くユヅキ。
これまでユヅキ達が受けたクエストと、予想外の遭遇。出待ち賊との対人戦。どれだけ準備していても想定外は起きる事、その危険性や注意点と、対処法等。それらの経験からある程度ミナギも学べただろうからと、そう言うナギトの判断だ。
色々学んだ今なら、無茶なクエスト受けないから、自分達で――と言うよりも、ミナギが選んでも良い、と。
まあ、最初から身の丈に合わないクエスト受けるタイプでない事はわかっていたけれど、ミナギには経験がなかったから。
最初からクエストを選ばせる荒療治も出来たが、少なくともナギトはその部類ではない。
荒療治がどれだけ精神的にきついか、ナギトは経験からよく知っている。
「アルバー、総合職員室行くよー」
「はぁいぃ」
「オレ達が受けられそうなクエストあると良いけど……」
「あるっしょー。なんならさー、ぼくがクエスト取られそうになったらちょーっと邪魔するってのはどう?面白くね?」
「……シエロ、それバレたらオレ達が怒られるから止めて。それ以前に、シエロって人間の文字読めるの?」
シエロと初めて逢ってすぐの頃は、突然耳元で彼の声がする事に驚いていたミナギだが、流石にもう慣れたらしい。冷静にツッコミを入れる余裕すらある。
突っ込まれたシエロはと言えば――そう言えば人間の文字読めないや、と元も子もない言葉。精霊の中には人間の言葉が読める者もいるらしいが、少なくとも気分屋気質の風の精霊は、真面目に集中して勉強しようと思う事なんてまずなくて。
もし風の精霊で人間の文字が読める者が居れば、むしろ変わり者判定を受けるレベル、と言うのだから、相当なのだろう。
とりあえず、二人と一匹で総合職員室へ移動。
勿論ミナギの周りには五人の小さな精霊達も居るが、人の目には映らないので割愛。
「意外とクエストボードに貼られるクエストって、ごちゃごちゃしてるよね」
「空いてるスペースに次々別のクエストが書かれた紙が貼られるからね。ちゃんとしようと思えば出来るけど、学外のクエストボードもこんな感じだから、違いが出ないようにしてるんだって」
「ふぅん……。討伐、採取、採掘、護衛、モンスターの素材採取……悩むなぁ」
「なんでもまっかせなぁさいぃ?前みたいなぁ、遅れはとらないわよぉ……!!」
クエストボードを見上げるユヅキとミナギの頭上で、気合十分な様子でアルバが羽ばたく。
その言動から、以前の出待ち賊との戦いが気になっているのは明白。あの一件で怪我らしい怪我を負ったのはナギトだけだが、だとしても、ユヅキやミナギも危険に陥った現実は変わらない。
鳥の姿である為、表情は読めない。でもきっと、今のアルバが人の姿であれば、不満混じりの表情をしている筈だ。
無言だが、二人の周りで風が少し乱暴にくるくると渦巻いているところから見て、シエロもアルバに同意らしい。気にするなと言ったところで、この二人には響かないだろう。
とりあえず、比較的な安全なクエストを見付けよう、と決意したのはミナギ。
まあ、安全なクエストを選んだつもりでもアクシデントは起こるものだと、身をもって知っているから、あくまでも比較的安全な、である。
「……あ、中央魔研技師研究所からも依頼入るんだ、ここ」
「うん?どこって?」
いつの間にか、少し離れたところのクエストボードを見上げていたユヅキから零れた、言葉。上手く聞き取れず、ユヅキの傍まで歩み寄り、視線を辿って見上げるクエストボード。
するとそこには、他のクエストが書かれている紙よりも高級そうな紙で、豪華な装飾が施された紙が数枚貼り出されていて。受注可能なパーティランクはAからと、少し高難度である事が見て取れた。
内容は、採取や、モンスターの素材回収が主だった内容だ。だが中には、調査と書かれたものもあって。
ユヅキいわく、生態調査や地形および地質調査らしい。
クエスト発行元には、グラナディール中央魔研技師研究所の文字。
【グラナディール中央魔研技師研究所】
名前の通り、グラナディール大陸のほぼ中央に位置する魔研技師研究所だ。
大陸内には他にもいくつか研究所は存在するが、その中でも最高峰が、グラナディール中央魔研技師研究所とされていて、多くの魔研技師が様々な分野の研究が日夜進めているそうだ。
この大陸出身ではないミナギでも名前を知っている程の、有名施設。そんなところからも依頼が来るのか、と驚く気持ちもあるが、ミナギが気になるのは、なぜユヅキがわざわざそこを気にしたか、である。
外部から受けたクエストは他にも色々あって、改めてこのベル・オブ・ウォッキング魔法学園は凄いなぁとしみじみ思う。
「なんでユヅキさん、あの研究所のクエストが気になったの?」
「え?ああ、えっとね、例えばこの採掘クエなんだけど、中央魔研技師研究所は大陸王家直轄になるから、素材は優先的に入って来るはずなのね。でもうちの学園に依頼するって事は、資材が足りてないって事だから」
「へぇ……。欲しい素材は、白の魔鉱石、黒の魔鉱石、それから魔鉄。石材もいくつか……集めるの大変そうだ」
知識でしか知らないが、見付けにくいと言われている素材が多い。だからこその受注可能ランクがAからなのだろうが、学園の生徒でも見付けるのが難しい気がするのは、絶対気のせいではない。
後からナギトに訊いてわかった事だが、稀少な素材だからこそ幅広く募集を出して数を集めようとしているらしい。
大陸王家直轄とは言え、結局素材はクエストを発行して集まるものだから。
そんな話をしながらユヅキ達が選んだのは、受注可能ランクFで最低ランクのクエスト、学園近郊にある農村部周辺のゴブリン退治。初歩中の初歩、駆け出し冒険者パーティが受けるクエストではあるが、大事な仕事である事は確か。
クエストが書かれた紙を手に、クエストボードの前から移動。
パルス・ウォークスを使い、次に受けるクエストを決めた事をナギトに伝え、一度東屋に集合と連絡。集中していて聞こえていない可能性も考えて、一応シエロにも伝言を頼んでおく。
「ヴェルメリオ使わずに終わりそうなクエだから、ナギトさん不満ありそう……。怒られないかな……」
「だいっじょーぶ!ゴブリン退治って、討伐数で周りにゴブリンの集落とか巣が出来てないかって調査する為の情報収集も兼ねてるんだよね。で、数が多いなーってなったら、周辺調査依頼が発行される。だからぁ……ゴブリン探す時にちょーっと遠回りしちゃえばいいんじゃない?」
「…………そう言うトコ、ユヅキさんもナギトさんに似てるよね」
少しだけ悪い顔をして語るユヅキは、どことなくナギトによく似ている。流石は幼馴染兼兄妹兼ソキウスだ。
若干引き気味のミナギの周りでは、似たような顔をしている生徒が何人か。
彼等はクエストボードを見に来た生徒で、偶然ユヅキとミナギの会話が聞こえて来た者達。恐らく一年生。わかるわかると頷いている者も何人か居て、恐らく彼等は上級生だろう。一部睨んでいる生徒達も居るが、あえて無視。
一年ながら学内ランクでS認定をされたナギトとユヅキに、稀少な結界術師のミナギの所属するパーティ。同時に、なんだかんだと話題になる事が多いパーティだ、妬みや僻みを持つ生徒が出て来たっておかしくない。
パーティに入りたいと勇気を出して言って来たものの、ナギトに無理の一言で断られている生徒がいる事は、二人も知っている。
物好きか、自分も話題の一員になりたい目立ちたがりか、クエスト報酬狙いで甘い蜜を吸おうと考えているか、その真意はわからないけれど。でも、だからこそその存在が妬ましいと思う者も、少なくなくて。
「だぁいじょーぶよぉ。二人に何かしようとするならぁ……わたし達が許さないからぁ」
「ぼくもねー」
「光と闇と風の統括大精霊を敵に回すとか、考えただけでもこっわ」
セラータはともかく、ミナギの知る限り、アルバとシエロ、この二人は似た者同士。ユヅキは勿論、ナギトやミナギに手を出せば、即敵とみなす。そうなればきっと、精霊ならではの嫌がらせをされる筈だ。どんな嫌がらせが起こるかは、考えたくないけれど。
しかし、次にシエロに語られた言葉に、ミナギは上には上が居ると思い知るのだった。
「えぇーっ?ぼくたちで怖いとか言うんならさー、タラッサなんてもっと大変じゃん?タラッサ、『ユヅキの敵は例外なく処す!!』なーんてよく言ってっしー。ぼくもアルバもまだまだ優しいよねー」
え、こわ。思わず真顔で零すミナギの耳に届く、シエロの笑い声。話を聞いていたアルバも笑っていて、残るユヅキだけは無言。
ちらり盗み見た横顔は、いつも通り――に見えて、何やら微妙な表情を浮かべていて。
否定したいけどタラッサはやる。そんな表情に見えるのは、気のせいだろうか。断言は出来ないが、多分、そう言う気持ちでいる事はなんとなく読み取れた。
とりあえず、タラッサの名前は覚えておいた方が良さそうだ。ここで名前が出ると言う事は、ユヅキの契約精霊である可能性が高いから。今まで逢った事があるのは、光、闇、風、地の統括大精霊の四人。となると残るは、水か火の精霊の二人。きっと絶対、残る二人も統括大精霊。
もし水の精霊だとしたら、司る場所はどこだろう。
風の統括大精霊のシエロが空を司るなら、それと似た広大さを考えると、浮かぶのは――海。
「……ハハッ、まさかね……」
乾いた笑いと共に零れる、ミナギの声。
それは隣を歩いていたユヅキやアルバ、シエロはミナギの声を聞いていたが、それが何を意味するかわかる筈もなく、揃って首を傾げるばかり。シエロだけは、相変わらず姿を消していてわからないけれど。
とりあえずこの話は終わろう、考えるだけで怖くて仕方ない。
「ゴブリン退治なら、ミナギくんのあの結界の実戦練習やるにも丁度いいんじゃないかな」
「……アレなぁ……」
「ねっ、ナギトもそう思うよねっ?」
≪ん?んー、ランク高いと、ミナギがまともに戦えないしな。ランク低い敵で余裕ある状態の方が、あの結界の研究にはなるだろ≫
「あ、ナギトさん出て来た」
耳に着けていたパルス・ウォークスから響く声に、ナギトが特別禁止書庫から出て来た事を知るには十分。
やはり研究に集中していたらしい。シエロが呼んでくれて初めて気付いたとナギトが語る。
東屋に向かいながら、ミナギが対出待ち賊戦で見せた結界について、わかっている事を纏めて行く。
≪根本的な話、結界としてはなんも違いはないんだよな≫
「色々やってみたけど……多分そう。結界術って、結界を出す場所、大きさ、強度を考えて発動するんだよね。で、あの時、ナギトさんがやられそうになってて焦ってて……攻撃を『防ぐ』ってより、『止めないと』って思ってたから、結界を出す場所が『ズレた』んだ」
麻痺毒で動けなくなっていたナギトに向けて振り下ろされそうになっていた、バスタード・ソード。
ナギトに脅威を覚えたバスタード・ソード使いは、手加減を考えず、殺すつもりで自分の剣を振り下ろそうとしていたように思えた、ミナギには。良くても大怪我、悪ければ死ぬ。戦闘経験の少なくても、それくらいの判断は出来て。
冷静さなんて皆無。ただただ、なんとかしようとして、結界を使った。
今振り返れば、焦ったからこそ結界を創る位置がズレたと考えるのが一番ぴったり来る。
強度も、大きさも、考える余裕がなかった。だからもし位置がズレてなくて、バスタード・ソードの一撃を受けたとしたら、どうなっていたか。防げたかどうかはわからない。
結界術師としては失敗。でも時として、失敗は新たな発見を生むわけで。
「他にわかってるのは、物理的なダメージはないってこと。岩とか木の枝とかで試してみたけど、あの出待ち賊の腕みたいに、結界消した後も変化なしだった」
≪腕を分断するみたいに結界出して、消した後もダメージなし。完全に『止めてた』から……意識の問題か?≫
「投げた小石も止めたよね」
「うん。空中でピタッと止まった。で、結界消したら落ちて来た」
総合職員室を出て、屋外へ。
パルス・ウォークスで話しながらミナギは近くに転がっていた小石を拾い上げる。ミナギの握りこぶしよりも少し小さい小石だ。握った小石を、周りに人が居ない事を確認してから、軽く前方に向かって放り投げる。
その小石の動きを、ユヅキ、ミナギ、アルバが見つめる。
「トリアングロ・バレッラ」
ミナギの創り出した三角形の結界が、緩い弧を描いて落ち始めた小石を空中に縫い留める。
おおーっと上がるのは、ユヅキ、アルバの感嘆の声。
速足で空中に固定された小石に駆け寄ったユヅキが、面白そうにつんつんと小石を突き、アルバが羽ばたきながら小石を蹴り飛ばす。が、やっぱり動かない。小石は結界に空中で止められたまま、びくともしない。
それならばと、今度はアルバが細く小さい光の矢を創り、小石を射抜く――が、小石の中ほどまで来たところで停止。
光の矢が止まった理由は、当然、ミナギの結界だ。
ミナギが、結界を消す。ほぼ同時にアルバも、小石に刺した光の矢を消す。空中に留まる事が出来なくなった小石が地面に落ちる前に、パッとユヅキがキャッチ。見れば、アルバが創り出した光の矢で出来た穴が確かにあった。
けれどやっぱり、三角形の結界があった筈の場所には、傷一つない。
結界を張って小石が空中に止まる瞬間や、結界が消えて落下してくる瞬間を見ていなければ、本当に結界を張っていたのかすらわからない程だ。
「物理的なダメージはやっぱないんだよね……」
「でもぉ、さっきのわたしの力は止めてたからぁ、結界としての効力はちゃんとあるのよねぇ」
≪やっぱ人体使った実験必要だなぁ≫
「だからってナギトさんの体使うのは絶対イヤだからね?!何かの間違いで腕とか足が結界で止めてた先が千切れたりしたらオレほんっとヤだから!!」
人体を使った実験と言われ、即座にミナギは叫ぶ。
既に一度、バスタード・ソード使いに使っているとは言え、次もまた人体に何の影響もないとは断言出来ない。岩や木の枝、木の幹等で検証するのとは全く話が違う。しかもそれがナギトの体となると、過剰反応もやむなし。
光の統括大精霊であるアルバが居るから、仮に腕が千切れてもすぐに治療すれば大丈夫と説得されかけたが、断固拒否。仮に治るとしても、そんな場面を見たくないから。
モンスターと戦う中で、今後そう言う場面に遭遇する可能性がある事は、ミナギだって知っている。知っているけれど、頭で理解しているのと、実際に目にするのは、全くの別物。しかもそれがナギトとなれば、絶望なんて簡単な言葉では言い表せない程の、心臓が潰れるような恐怖を味わう気がして。
それに何より、すぐ治療されるとしても、痛いものは痛い。自分の力で痛い思いをさせるなんて、死んでもご免だとミナギは思うから。
≪しゃーない。ゴブリン退治の時に結界の実験だな≫
「なんっで仕方ないになるんだよ……っ!!」
本気で仕方ないと訴えるナギトの声がパルス・ウォークスから響き、思わず本気でミナギは頭を抱えて叫んだ。
近くに居た生徒達や、精霊達がビクッと驚いていたが、構っていられない。
まるで自分が我儘を言っているみたいではないか、と言うミナギの声は、軽く無視されて終了。頭を抱えるミナギの隣では、楽しそうに笑うユヅキがいて。ちょっとした普段通りと言えば普段通りの展開だけど、本当勘弁してほしいと言うのがミナギの心の声。
仮に口に出したとしても、どうにもならないが。
≪ついでに、結界をどこまで同時に展開出来るかやっとけ。一枚だけじゃないんだろ≫
「えぇ?……強度と大きさによるけど……まあ、複数展開は、出来るけど……」
「ナギトパパがね、『自分の限界を知る事も大事。そしたら、その限界値を越えてやろうって思うよね』って言うから」
≪「あの限界知らずの規格外に言われても説得力ねぇんだわ」≫
うんざりした声が、ダブって聞こえたのは――気のせいではない。
集合場所の東屋に向かう途中、歩道を歩いているユヅキ、ミナギ、アルバの前に、最短ルートを取っていたらしいナギトが庭園を横切って現れる。
だからパルス・ウォークスからと、それとは別に耳にナギトの声が響いて来たのだとわかる。
セラータはと言えば、ナギトの右肩の上に器用に立ってユヅキ達を見下ろしていた。
パーティが揃ったからと、ナギトがパルス・ウォークスを外して、ズボンのポケットの中へ。続けて、ユヅキ、ミナギも。直接話せるのだから、パルス・ウォークスを着けている必要もないと、そう言う判断。
「結界が強度と大きさで変わって来るなら、動きを止めるやつも、もしかしたらその強度とかで、モンスターの動きをどれだけ封じられるか変わって来る可能性あると考えると……」
左からナギト、ユヅキ、ミナギの順で並びながら、東屋へと向かって歩く。
少し前屈みになってユヅキが覗き込んだ先では、ナギトがいくつもの付箋を貼った本数冊と、文字をびっしり書いた紙十数枚が左手で抱えているのが見えた。
特別禁止書庫の本を持ち出して良いのかな。そんなユヅキの疑問は、次の瞬間にはまあナギトだからの一言で片付いてしまう。
ナギトが特別禁止書庫に出入りしている事を知っている生徒は居ないし、仮に知っていてもナギトが持ち出した本を読もうと思う生徒も居ないだろうから。教師陣でも、まず居ないだろう。
何か考え込んでいたナギトが、顔を上げる。そして見るのは、隣に立っているユヅキ――を通り越して、ミナギだ。
「ミナギ、お前には複数同時展開と、結界の強度や大きさでどのくらい動きを止められるかの検証が宿題な」
「しれっとめちゃくちゃな宿題出さないでくれる?」
即座にツッコミを入れられる辺り、実にミナギらしい。実にミナギらしいが、そのこめかみに青筋が浮かんでいるのを見逃してはいけない。
両親にスパルタで育てられたせいだろうか。ナギトはたまに平然と無茶を言う。
間にユヅキを挟んでいて良かった。ユヅキを挟んでいなかったら、相手がナギトであっても殴りかかっていたかもしれない。まあ殴りかかったところで、簡単に止められてしまう未来は見えているけれど。
それでも怒りは納まらず、とりあえず精一杯の気持ちを込めて睨み付けるが、ナギトには全く効果なし。
むしろ、のほほんとしたマイペース発言が響き、一気にミナギは毒気を抜かれてしまった。
「アタシの宿題はー?」
「わたしはぁ?」
「なーう?」
はーいと片手を挙げて首を傾げるユヅキに続き、上空からアルバが、ナギトの左目の視界に入り込むように体を前に乗り出したセラータが、順々に問いかける。
一瞬で毒気を抜かれ、むしろその場で脱力してへたり込む勢いのミナギの気持ちは推して知るべし。
もうヤダこの人達。
だが、ナギトは流石に慣れたもので、まずセラータを見て、次にアルバを見上げ、最後にユヅキを見下ろして。
うーんとわざとらしく考え込む振りをしてから、口を開く。
「お前等は基本、ミナギのフォローな。戦闘慣れしてないヤツが、いきなり複数体同時に相手にする戦いなんてハイリスクだ。ゴブリンだからって、油断出来ないんだよ」
「つまりぃ、ミナギくんの子守りをすれば良いのねぇ?」
「言い方ぁ!!言い方に悪意しかない!!」
せめてそこはナギトさんみたいにフォローって言って。そんなミナギの叫びに、アルバの笑い声が重なって響いた。
クエスト:ゴブリン討伐、危険度Fランク。
討伐確認:ゴブリンの右耳の納品。右耳一つにつき、一体撃破と認定。また、ゴブリンと遭遇したポイントの情報提供にも報酬の支払いを許容する。
西方にある、クレティアで二番目に大きな大陸、ソグルロナ大陸。
南方にある、クレティアで三番目に大きな大陸、チェルシェニー大陸。
東方にある、クレティアで四番目に大きな大陸、ジョサニア大陸。
そして、それらの大陸の大体中間に位置する五番目に大きな大陸、グラナディール大陸。
ナギト、ユヅキ、ルカナの出身大陸でもあり、ベル・オブ・ウォッキング魔法学園が建っているのも、この大陸だ。
まさか、そんな大陸の統括大精霊が現れるなんて、流石のミナギも想定外。ユヅキの規格外っぷりは理解していたつもりだが、完全に理解出来ていなかったのだと知るには十分。
信じられないと思いつつ、けれど、一メートル程しかない小さなグラールから感じる、圧力みたいなものは、変わらず。めちゃくちゃ大きなものを強引に小さくしたものが目の前にある、と言う感覚は、消えない。
穏やかにグラールが笑いかけているのに、とてもじゃないが笑い返す気になれなくて。
耐え切れず、申し訳ないとは思うが、少し距離を取らせてもらうミナギ。出来れば隠れたいのだが、近くに遮蔽物がない為叶わぬ願い。せめてここが薬草栽培区画でなければと思ってしまうミナギ。
落ち着かない様子でそわそわとするミナギに、緩く苦笑して。グラールが一度袖で顔を隠した後、大きく両腕を振り、ばさり、着ているコートを大きく揺らす。
「うん。このくらいなら良いか?」
「……う、わ……っ」
一瞬。本当に一瞬だった。文字通りの、瞬き一つ分。その間に、グラールの姿が一変。
ユヅキやミナギよりも小さな一メートル程しかなかった筈の身長が、ナギトをゆうに越える背丈に伸びる。見下ろしていた筈の視線が、一気に上へ。
あ、ちょっと首痛い。
およそ二メートル程にまで伸びたグラールの体には、オーバーサイズだった筈のコートが丁度良くいくらいになっていた。
ずっとミナギが感じていたあの違和感も、あまり感じない。
全く感じない、と言う訳ではないけれど。
「やっぱおっきいねぇ、グラール」
「そうさなぁ。もう少し小さくとも良かったが……。まあ、それよりも、だ」
自分の体を見下ろして、まだ何か言おうとしていたグラール。だが、途中で軌道修正。
少しゆっくりとした動作で、目を移す。ミナギから、ルカナへ。
ピクッとルカナの肩が跳ねたのは、内気な性格ゆえに。ただでさえ、ナギトやユヅキのペースについて行けず混乱しているのに、そこに突如、自分が今立っている大陸を統括する地の精霊とする者の登場。これで緊張するなと言う方が無理な話だ。
精霊の事は、そう言う存在が居て、精霊の力を使う精霊術師が存在する、程度の知識でしかないルカナにとって、もはや未知の領域だ、目の前の状況は。
そもそも、自分はグラナディールだと語る精霊が、本物なのかもわからない。多分、話の流れから本物なのだとは思うけれど。
「さぁて……欲しいのは、プシュークロムの栽培場所だったな?」
「ひゃひっ!おおおっ、お願いしまひゅっ!」
「はは、そんな緊張せずとも良い良い。取って食ったりせぬし。それに、ナギトより目付き悪いつもりはないからのー」
「一言多いんだよ。顔面は母親譲りなんだわ」
ほわほわと笑うグラールの尻辺りを、ナギトが蹴り飛ばす。蹴り飛ばすとは言っても力はそんなに入っていないし、蹴られたグラールも特に痛みを感じていない為、じゃれ合いに似たものだろう事がわかる。
見ている側としては、この大陸を司る地の統括大精霊相手になんて事をと、真っ青になる場面だ。
軽い調子ですまん許せと返し、グラールがゆっくりと振り返るのは今回ルカナが使用を許可された栽培区画。グラールが登場した時点で、その区画で遊んでいた地の精霊達はパッと蜘蛛の子を散らすように離れた後。
ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達と同じサイズの精霊達に至っては、まるで超有名人にでもあったかのような反応を見せている。
否まあ、ド平民がいきなり国王に遭遇するようなものと考えると、そう言う反応にもなるか。
「ただ言うておくが、我はあくまでも『栽培するのに最適な場所を創り整えるだけ』であり、『栽培には手を貸さぬ』よ」
「はっ……は、い!栽培方法、は……自分がっ、けんぎゅっ!研究、します……っ!」
勢い余って少し言葉を噛んでしまたが、それでもルカナの返答は力強く。満足げにグラールは目を細めて微笑み、そして頷く。
流れるような動作でルカナの担当する栽培区画からユヅキへと視線を移せば、力強い笑顔と共にサムズアップ。すぅっと短く息を吸うと、歌い始める。人の耳では理解出来ない言葉で――精霊の言葉で、語り掛ける。
恐らく、プシュークロムを育てる為に力を貸してほしいと、お願いする為に。
未契約の精霊を見る力を持っているミナギだからこそ、見える世界。グラールの登場に驚き、遠巻きに見ていた地の精霊達が、一人、また一人とユヅキへと駆け寄って行く。人間の大人ほどの背丈を持つ精霊達は微笑み、人間の子供から手のひらサイズに至るまでの小さな精霊達は無邪気に。
まあ中には、自分も良いかなと遠慮がちに近寄って来る精霊も居れば、恐れ多いと恐縮している精霊も居たが、そう言う精霊は大抵他の精霊に背中をぐいぐい押されて集合するしかなくて。
本当に、ユヅキの声に精霊達はたった一つの例外を除いて全て集まって来るらしい。
唯一の例外は、ベル・オブ・ウォッキングだけ。
ミナギの傍に居る五人の小さな精霊達に関しては、最初からユヅキが声を掛けていない為、今回集まる事はなかった。彼等は、ミナギの為に力を使いたいと、既にユヅキに宣言しており、ユヅキ自身も了承しているから。
「精霊達に任せたら確実なんじゃない?」
「確かに精霊の力を借りれば確実に育てられるだろうな。けど、それじゃぁ何も進歩しねぇよ。必要なのは、安定的に栽培できる方法だ。そこは人間がやらなきゃな」
言っている事は正しい。それはミナギもわかっている。わかっているけれど、なんだろう、この胸のもやもやは。
なんと言うか、都合良く精霊の力を利用しているような、そんな感じ。否、実際そうなのだけれど。本当にこれで良いのだろうかと思ってしまうのは、精霊との関わり方が変わって来たから。
ユヅキと、ミナギの目にだけ映る、集まって来た地の精霊達。
統括大精霊であるグラールを中心に立ち、中には空中にふわふわと浮かび、次の指示を待っている。集まって来た地の精霊達に向かって、更にユヅキが歌う。
声に応えるようにして現れた、風の統括大精霊であるシエロの、手の中。そこにあるのは、この間ナギト達がルオーダ採掘場で岩盤ごと採取して来たプシュークロム数本。精霊に預けていたせいか、はたまた岩盤ごと採取していたせいか、特に萎れている様子はない。
ホッと胸を撫で下ろすのは、当然ルカナ。
だが、それもほんの数秒。次の瞬間には、スッとグラールがルカナの担当する栽培区画に向けて手をかざす。
すると現れるのは、大きな岩――ではなく、岩盤。それも、栽培区画の一区画を埋める程の、大きな大きな岩盤だ。高さはゆうに五メートルはあろう高さで、プシュークロムが自生する崖となんら変わりない、本物の崖が一瞬で生み出されてしまった。
しかも、栽培しやすいようにか、ご丁寧に段々畑のように階段状になっている岩盤だ。
「わ、ぁ……」
「まだまだ、驚くにはちと早いな。このままでは、観察する時に苦労するじゃろうて」
あっと言う間に出来上がった岩盤の段々畑を見上げ、言葉を失うルカナに対して、ふふっとグラールは柔らかく微笑む。
岩盤に歩み寄り、なんの躊躇いもなく一歩、岩盤に向けて足を進める。
爪先が固い岩肌で削れる、と言う事もなく。グラールが進めた足は、トンッと岩肌に突然出来た段の上に降りた。次の足、次の足と踏み出せば、出来上がるのは階段。高さ五メートルの岩盤の段々畑を両断するように、中央に出来る階段だ。流石は地の精霊と言うべきか、歩く度に階段を形成して、ルカナがプシュークロムの観察や栽培をする時に登りやすくしているらしい。
四段くらい階段を創ったところで、振り返るグラールが見るのは、ルカナ。
「来い来い。このくらいの段差なら登れるか?」
「へっ?あっ、はいっ!」
呼ばれて、一瞬首を傾げ、なぜ呼ばれたのかを理解して、慌ててグラール達が創り出した岩盤へと駆け寄る。ルカナが軽く片手の拳を胸に押し当てているのは、緊張にドクドクと跳ねる心臓を、必死に宥めているから。
そろそろと、ルカナが階段に向けて足を伸ばす。
彼女は見えていないが、階段を登ろうとするルカナの周りには大小様々な地の精霊が居て、階段の段差が高くないか、低くないか、じっと見守っている。見えていたらきっと、内気な彼女の事だ、その状況にびっくりして固まってしまっているかもしれない。
ルカナが、段々畑の中央に出来た階段を登って行く。うん、どうやら段差は問題ないらしい。良かったとグラールが微笑み、自分から見て一番近い段の畑に移動。
プシュークロムを一本、シエロから受け取り、植え付ける。
器用に植え付けられる大きさの穴を創り、一つ。階段を挟んで反対側の棚にも、また一つ。一つの棚に一本の割合で、プシュークロムを植え付ける。採取して来たプシュークロムがそこまで多くないのだから、これで良いか。
穴を開け、プシュークロムを植え付けるまではグラールの仕事。植え付けられたプシュークロムが、創り上げた岩盤となじむように調整するのは、集まって来た未契約の地の精霊達。
「へぇ、精霊同士って、仲良いんだ」
「感覚的には、兄弟であり親であり子供同士って感じだから、基本的には仲良しだよ。ただ、精霊によって個人差とか性格があるから、喧嘩する事はあるよー?」
「そうそ。ミナギんトコにいるチビたちも、実はケンカ多いんだぞー。ミナギの前じゃイイコちゃんしてるからバレないけどさー、そのチビども、自分の力使ってまでケンカする事何度もあってー。だからそのチビたち五人の中じゃ、攻撃系の力の使い方がうまいんだよなー。なー?そこで隠れてるチビどもっ!」
ミナギの独り言を拾ったのは、それまで地の精霊達に話しかけていたユヅキ。と、シエロ。
人間同士の話はわからないけれど、自分達と同じ風の精霊の統括大精霊が側に来た事で、話に巻き込まれまい、シエロの視界に映るまいとミナギの足元に隠れていた、小さな風の精霊コンビ。
突然視界に飛び込んで来たシエロの姿に驚き、ぎゃあああっと驚愕の悲鳴を上げてあっちこっちへと飛び回る。
勿論、未契約の精霊の声はミナギには聞き取れないが、今の顔は誰がどう見ても悲鳴を上げた顔だった、断言出来る。
しかし、どれだけ逃げ回っても、あっと言う間にシエロが操る風に捕らえられて終了。
「おーまーえーらー、ぼくから逃げられるわけないんだから、大人しくしーなーよー」
腹を抱えながらケラケラと笑うシエロの前で、シエロの操る風に捕縛された小さな風の精霊コンビがじたばたと両手両足を振り回して必死の抵抗。まあ、効果のほどはお察しなのだけども。
涙目になった小さな風の精霊コンビが、助けを求めるような視線をミナギに投げかける。が、即座に無理無理とミナギは首を横に振って。
ショックを受けた二人は、ついにガックリ肩を落としてしまう。
なんだろう、この罪悪感。
まるで助けなかった自分が悪いみたいではないか。
しかし、それを読み取ったアルバが先回りして、「どうせぇ、次の瞬間には笑い始めるわよぉ」なんて言うのだから、全ての言葉を呑み込む。
そんなバカな話があるか、と思うのだが――あった、実際に。
さっきまでがっくりと項垂れていた筈の二人が、今は何が楽しいのかきゃっきゃと笑い始めているではないか。風の精霊は気まぐれや気分屋な気質が多いとは聞くが、どうやら彼等もそれに当てはまるらしい。
心配して損した、なんてミナギが思ってしまうのは仕方ないか。
「さて、こんなものだろう。プシュークロムはこの岩盤に根付いた状態じゃ、後は、お前さんの仕事じゃな」
「っ!は、はいっ!がんっ、ばります……っ!」
地面の方で、そんな愉快なやり取りが繰り広げられているとは知らない、ルカナ。
こちらは、グラールの後を続いて岩盤に出来た階段を登り、全てのプシュークロムの植え付けを見守っていた。まるで最初からそこに生えていたかの如く、綺麗に植え付けられたプシュークロムに、数秒言葉を失った。
少なくともルカナは、ここまで綺麗に植え付けられた栽培用のプシュークロムを見た事がなかった。知っている範囲では、根が途切れていたり、茎や葉が千切れていたり、酷いものだと再起不能に近い状態だったりするのに。精霊の力を借りるだけで、ここまで変わるのだろうか。
否まあ、あくまでも精霊達が手伝うのはここまでで、後はルカナ自身が頑張る必要があるのだが。
だが、最大の難関である、根付かないプシュークロムの問題は解決した。
後はもう、やるだけだ。そう、自分に言い聞かせるルカナは、ぐっと拳を握る。内気な性格であっても、薬草に関わる事となると、少し変わって来るらしい。抱えていた書類とは別に、新品のノートを取り出し、万年筆で細かく記していく。
好奇心だろう。グラールを筆頭にした精霊達がルカナの手元を覗き込むが、皆揃って首を傾げたり、眉を顰めたり。人間の文字は、少し難しい。
ナギト達が採取して来たプシュークロムは、全部で七本。
一本も枯らしたくない、と願うのは――強欲だろうか。
ゆっくり階段を降りて、地上に居るナギト達の元へと戻る。顔が少し紅く見えるのは多分、きっと、高揚しているから。頭の中では、ああでもないこうでもないと、でもこうしたら、こんな方法もあるかもしれない、などと色々考えているのだろう事は、その表情だけで充分読み取れた。ユヅキには。
なぜユヅキにわかったのは、いつも同じ顔をしている人を見ているから。それは誰かなんて、考える間でもない、ナギトである。
≪グラール、みんなも!ありがとう!≫
≪気にしないでお姫様≫
≪このくらい、お安い御用でさぁ!≫
≪あのおねぇちゃんが、かんりするひとなんだよね?≫
≪育てるコレ、貴重聞いた。奪われる可能性、ない、言いきれない≫
≪んじゃ、ウチらは何人かここに居て、他のヤツがちょっかい出そうとしたら邪魔してやろうか≫
≪おっ!たんのしそー!≫
≪僕もやるー!≫
≪人間がプシュークロムって名前つけてるコレ、育てるのに闇の子も必要だよね?≫
≪友達呼んで来るー!≫
力を貸す為に手伝ってくれた精霊達に声を掛ければ、次々返される声、声、声、声、沢山の声。同時に話し掛けられても全ての声を聞き取れるのは、精霊術師としての素養の一つである、話す力のお陰だろうか。
精霊達からの言葉で、重要な部分をかいつまんで通訳。
プシュークロムを植え付ける岩盤を創り出しただけで終わりだと、思っていたのに。どうやらルカナの予想に反して、精霊達は今後も手伝ってくれるそうな。だがあくまでも育てるのはルカナで、精霊達はプシュークロムには直接手を出さず。環境を整え、他人が手を出そうとするのを阻むのが目的。それでも、普通に考えれば有り得ないぐらいの好待遇。
精霊に関して知識が疎いルカナも流石にそれは理解出来るらしく、驚きながら顔を蒼くさせると言う、器用な姿を見せている。
次に出て来た言葉は、あのナギトですら想定外だった。
「あっ、あの!お礼のお、お菓子!用意するの、なんでもいいんですかっ!?」
何を言っているのかと片眉を跳ね上げるミナギに対して、これは予想外と驚いた顔をして見せるのはナギトとユヅキ――だけではなく、アルバ、グラール、シエロの契約済み精霊達も、だ。
セラータだけは唯一、長い尻尾をゆらゆらと揺らし、すぅっと目を細めるだけ。
ルカナの言葉の意味を理解出来ず、眉を顰めたミナギが見上げるのは、当然ながらナギト。その後には、ユヅキへと目を向けて。無言の瞳で求める答え。
すると返される、満面の笑顔と頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる手。笑顔はユヅキの、頭を撫でる手はナギトのもの。
「へぇ、チェルシェニー大陸出身か」
「えっ?い、いいえっ。私は、グラナディールで……父が、チェルシェニー大陸の出身、です……」
「だからかぁ!」
「チェルシェニー大陸にはぁ、『妖精さんにお礼をする時はぁ、お菓子をカーテンや物陰に隠しなさぁい』ってぇ、風習があるのよぉ」
感心したようにナギトが呟く。すると、即座にルカナは首を横に振ってこれを否定。だが、父親がチェルシェニー大陸出身だと語られた瞬間、ユヅキは目を輝かせなるほど納得。
話に取り残されたミナギへの説明は、アルバが担当。
存在する五つの大陸。大陸周辺にいくつも存在する大小様々な島々には、それぞれにそれぞれの風習や文化が存在する。
精霊の言葉が実在する存在だと広まる以前は、妖精と言われる事もあり、中には神様だの、モンスターの一種扱いもあれば、存在は物語を面白くする為の要素扱いされている大陸もあったと聞く。
チェルシェニー大陸はその中でも、妖精扱いをしていた大陸で、妖精に何かお願いした時は、お礼のお菓子をカーテンや物陰に隠すと言う風習があった大陸だ。どうやってお願いを聞いてもらったかはわからないが、そう言う話が今も残っているのだから、もしかしたら子供向けの話として語られているのかもしれない。
お菓子を隠すだけならそれまでだが、実際にお菓子が減っていれば、ただの物語でもなくなる。
そのせいか、シエロいわく、チェルシェニー大陸は精霊への理解が進みやすい、とか。
まあ、あくまでも進みやすい状態なだけで、完全に広まっている訳ではないけれど。
父親がチェルシェニー大陸出身であり、その話を聞いていたルカナならではの言葉だったのだ、さっきのは。
一応、精霊術師はチェルシェニー大陸にも存在するが、一度根付いた妖精文化を全て変えるのは難しく、妖精へのお礼の方法が、精霊へのお礼の方法として形を変えたらしい。
どうしてそこまで詳しいのか気になるが、きっと多分、ナギトが研究者だからと返される気がして、閉口するミナギ。
「お菓子も間違いないけど……精霊達って好み色々だから、お菓子じゃなくてもいいよ?」
「えぇっ?!」
「人間だって、お菓子好きなヤツばっかじゃねぇだろ。その時その時で用意するモン変えとけ。お菓子って一口に言っても、色々あるしな」
「それに、ここじゃカーテンも物陰もないけど、どこに置くの?屋外だしさ」
驚きの事実一つ、的確な指摘とアドバイス一つ、冷静なツッコミ一つ。
これにルカナが上手く言葉を返せる筈もなく、誰の言葉に最初に返すべきかと迷うのもあって、なかなか言葉が出て来ない。えっと、あの、を何度も繰り返して、戸惑うルカナの姿に、とりあえず落ち着けと見かねたグラールが声を掛ける。アルバやシエロは、戸惑う様子が面白かったのか、それぞれ楽しそうに笑っていた。
「無理に用意しろなどと誰も言わぬよ。それに、お前さんは我等の声が聞こえぬ身。日に色々用意するのも面倒じゃろうて」
「それこそさー、昼ご飯?晩ご飯?の時にでもさー、おかずとかデザートを一つ追加しといてー、これ食べてーってしてくれりゃいーんじゃないかなー?」
「食べていいものを決めておいてぇ、『これ食べていいわよぉ』の合図決めておけばぁ、食べたい子が食べると思うわよぉ?」
グラールが気遣う声を掛ける横で、遠慮なくああだこうだと語るのはシエロとアルバ。この違いは、本人達の性格の違いか。
軽く聞き流せば良い話だろうが、これから精霊達には世話になるからと、彼等の言葉をノートにメモを取って行くルカナ。その姿を真面目だなぁと眺めるのはミナギだ。とは言え、ミナギもなんだかんだ、五人の小さな精霊達に毎日当然のように自分のご飯のおかずやお菓子を分けているのだから、面白い話。
それこそ、購買に行った時には、五人の小さな精霊達が欲しいものを一個だけ買う、なんて約束までしている始末。最初は選ぶ事を躊躇っていた精霊達も、今ではあれが良いこれが良いと遠慮なく主張するようになっている。
これが少し前の、それこそナギト達とパーティを組む前のミナギであれば、話を聞いた時点で信じられないと言った表情を見せているところ。
慣れれば変わって来るものだ、人も、精霊も。
「……あ、あのっ!えっと、ホヅミさ」
「ユヅキでいーよっ!何かな?」
「その……精霊さん達との通訳を、頼みたい時……」
「いつでも来てっ!通訳なんて日常茶飯事だしっ!」
遠慮がちに語るルカナの言葉の続きを的確に読み取り、両手を腰に当てて満面笑顔を見せるユヅキ。頼もし過ぎる言葉に、一瞬ぱちくりと瞬いた後、ほっと安堵の笑みを見せるルカナ。
シエロが通訳すれば良いのでは、なんて思いも多少は浮かんだものの、少なくともルカナはユヅキと同じパーティではないからとシエロ本人から断られた。
今回、プシュークロムを預かっていたのも、ルカナの為ではなくユヅキに頼まれたからと、そう言う理由。
協力的ではあるが、そこは厳密らしい。
あくまでも、ユヅキの頼みだからであって、ナギトやミナギの頼みでも聞くけれど、それ以外の頼みを聞くつもりは全くない。他の精霊術師であっても、頼みを聞くかどうかは気分と報酬次第。
まあ、気分屋気質の多い風の精霊の中にあって、統括大精霊のシエロは、超気分屋。他の誰かの頼みを聞く事はあっても、実際に叶えるかどうかはまた別の話。
更に言えば、ユヅキはいつでもどうぞと言っているが、その実、誰でも通訳を許可する事はない――ナギトが。来る者拒まず一から十まで通訳をしていたらキリがないからと、ストッパーの役割を果たしているそうだ。
普段集合場所としている東屋の場所をルカナに伝え、この場は一度解散。
「あっ、あの!本当にっ、ありがとうございましたっ!!頑張って、プシュークロムの栽培方法っ!見付けます!!」
「ん。ある程度論文まとまったら見せて。知り合いに見てもらって、再現性研究してもらう。信頼出来るヤツ等だから、研究奪われるとかナイ。そこは安心しとけ」
「今回グラールの力も借りたから、ナギトも論文書かなきゃね」
「そーれー。たいぎいけど、まあ……仕方ないな」
最後に、ルカナが丁寧に頭を下げ、力強く語る意気込み。その瞳には内気な弱さはなく、薬師見習いとしてのやる気に満ちていた。これなら大丈夫だろうと、そう思わせる強さだ。
栽培論文の件をもう一度伝えるナギトを見上げ、にっこり笑顔のユヅキ。
さり気なく忘れたかった事を言われ、思わずナギトは苦い顔。表情からもたいぎいと訴えているところから見て、あまり気は進まないらしい。が、それでも仕方ないかと諦めるのは、いつもの事だから。
一つの疑問が解決しても、次、また次と疑問が浮かぶ。疑問だけでなく、ユヅキや精霊達を見ていると、どうして、と気になる事もまた増えて。終わりが見付からない。
まだ昔よりは疑問は解決しているけれど、幼い子供の頃よりも物事を理解出来るようになったからこそ、新しい疑問や気になる事が増えて来る。何も知らないまま、目の前にあるものをただ受け入れるだけがどれだけ倖せで危険だったのか、よくわかる。
ハアやれやれと大きなため息を吐き、一度肩を落とす。けれど、既にナギトの頭の中では、今回のプシュークロム栽培に関して精霊の助力を得た事をどうやって纏めるべきか、という思考が始まっている。
参考資料は、情報は、ジョサニア大陸の話も引っ張り出す必要が――と、小さくぶつぶつと呟きながら、くるりと背中を向けて歩き出すナギトの背中を見送る、ユヅキ、ミナギ、ルカナ、アルバの三人と一匹。セラータはいつの間にかナギトの肩の上に居て、シエロは既に姿を消した後で、グラールは自分の周りに居る他の地の精霊達と何か話していて。
少しの間ナギトの背中を見送っていたルカナも、もう一度ユヅキ達に頭を下げた後、すぐにまた岩盤の階段を登り、プシュークロムの観察に向かう。
「……ねえ、ユヅキさん」
「はーい?」
「ナギトさんがジョサニア大陸って言ってたけど……」
「あぁらぁ、お勉強の時間ねぇ?」
気になる事をすぐに訊くのは自分の悪い癖かもしれない。
そうは思うものの、やっぱり気になるものは気になる訳で。自分で調べる事も大事だと、これまでのやり取りでわかっているけれど、自力で調べるには情報が足りなくて。ここは訊くしかない。
からかい口調で語るアルバにムッとしつつも、それでも訊いたのは自分だからと、諸々の不満を呑み込むミナギ。
栽培区画を後にして、向かうのは集合場所として使っている東屋。
先に栽培区画から消えたナギトの姿はなく、どうやら別の場所に行ったらしい事が、そこからわかる。もしかしたら、例の鍵を貰った特別禁止書庫に行ったのかもしれない。
東屋の中、中央のテーブルを挟んで向かい合う形でユヅキとミナギが座ると、アルバは東屋の屋根の上へ。
「ジョサニア大陸って、大陸の周りの海流が激しくて、結構最近まで他の大陸と交流がなかったのね。大体……そーだなぁ、六十年くらい?」
「うわ、ホントに結構最近じゃん。魔法銃が広がり始めるのが先か後かクラス」
「あの大陸ぅ、他の大陸と交流がなかったからぁ、精霊に関する知識もぉ、広まってないのよねぇ」
チェルシェニー大陸で、精霊が妖精と言われていたように、それはジョサニア大陸でも似た状況らしい。
でもだからと言って、精霊を神様として捉えているだなんて、流石にちょっと話が突飛過ぎて驚きを通り越した。理解が追い付かず、ミナギが眉を顰めて何言ってんだと表情で訴えれば、わかるわかると頷くユヅキ。屋根の上で、アルバが笑っているのが聞こえた。
そもそも、今も古い習慣やしきたり、文化を守り続けていて、他大陸から見ても暮らしぶりが古風なのが、ジョサニア大陸だ。
「精霊がカミサマ認識……えぇ……?」
「そこら辺に転がってる小石とか、雨粒一滴にも神様が居る、て考えらしいよ。アタシ達からしたらビックリな話だけど、ジョサニア大陸はそれがずーっとだったから、それが普通なんだって。ナギトママがジョサニア大陸出身で、初めて聞いた時ビックリした」
そう語るユヅキの表情から見て、この話は嘘や冗談ではない事は明白。まあ、ユヅキがミナギに嘘を教えるメリットなんてないのだから、当然かもしれないけれど。
八百万。独自の文化や風習が長く続いているジョサニア大陸だからこその考え方は、正直かなりビックリだが、少し、新鮮だった。だからこその、好奇心。
精霊を神として捉えているなら、どんな接し方になるのだろう、と。
ユヅキ達のような、ごくごく自然な友人関係とも違う。チェルシェニー大陸のような、妖精との間接的な付き合いとも違うのは、わかる。
訊けば、独自の祭壇を建て、神々の姿を見て対話が出来る特殊な力を持った自然神子と呼ばれる人が、時に神の声を聞き、神にこちら側の望みを聞いてもらえるように交渉するらしい。つまり、自然神子とは精霊術師。
精霊が神として崇められているなら、精霊術師も特別視されている可能性は高い。
とは言え、少なくともジョサニア大陸出身だと言うナギトの母は、身近に自然神子が居なかった為、置かれている状況がどんなものかは情報として知らないそうだ。
他大陸との交流が始まり、ある程度近代化した都市部もあって、ナギトの母はそう言う都市部の出身らしいから。
時に東屋の屋根の上からアルバが、風の中に姿を隠したままシエロが、時々ユヅキの話に補足を入れる。
とは言え、未契約だった頃は人の言葉がわからない為、あくまでも自分達が精霊術師と契約していた頃――つまりは、ユヅキと契約してから今に至るまでに知った話と、他の契約精霊達から聞いた話でしかないけれど。
そうだとしても、かなり新鮮で、衝撃的な話だ。
「ハー……大陸?国?が変わると、ホント違うんだなぁ……」
「うん。もっと細かい事言い始めると、大陸以外の周りの島によっても違うんだよ。似てるけどちょっと違う、なんてパターンもあるから。だからナギトがすーーーーーっごいたいぎいって顔して特別禁止書庫で精霊に関わる色んなところの資料集めてた!」
ちなみに資料の厚さはこれっくらい。そう言ってユヅキが片手で示すのは、東屋のテーブルから軽く五十センチくらい上の辺り。仮にそれが大陸以外の精霊に関する事だけを集めたとして、資料を集めるだけで相当の労力がかかった事は、ミナギにだってわかる。
だって、精霊を精霊と記しておらず、妖精やら神と書いているなら、まずそれが精霊だと読み解くところから始めるのだから。
もしかしてナギトって、実は思った以上に結構大変な事をしているのかもしれない。なんてミナギが思うのも、当然か。
詳しくは聞いていないが、精霊に関する研究者なのかな、程度の認識で。
気にはなるけれど、それよりも今の自分には優先するべき問題があるからと、自分の中でミナギは順番を決めている。
とりあえず、今は――。
「あの結界の練習……もだけど、次受けるクエストは?」
「あ、ナギトが資料探すのに忙しいから、二人で受けたいの決めていいって言ってたよ。手続きはコッチがするからって。行ってみる?」
パッとミナギの目が輝いたのが、何よりの答え。
今頃特別禁止書庫で研究しているだろうナギトを思い、予想が当たったよと心の中で呟くユヅキ。
これまでユヅキ達が受けたクエストと、予想外の遭遇。出待ち賊との対人戦。どれだけ準備していても想定外は起きる事、その危険性や注意点と、対処法等。それらの経験からある程度ミナギも学べただろうからと、そう言うナギトの判断だ。
色々学んだ今なら、無茶なクエスト受けないから、自分達で――と言うよりも、ミナギが選んでも良い、と。
まあ、最初から身の丈に合わないクエスト受けるタイプでない事はわかっていたけれど、ミナギには経験がなかったから。
最初からクエストを選ばせる荒療治も出来たが、少なくともナギトはその部類ではない。
荒療治がどれだけ精神的にきついか、ナギトは経験からよく知っている。
「アルバー、総合職員室行くよー」
「はぁいぃ」
「オレ達が受けられそうなクエストあると良いけど……」
「あるっしょー。なんならさー、ぼくがクエスト取られそうになったらちょーっと邪魔するってのはどう?面白くね?」
「……シエロ、それバレたらオレ達が怒られるから止めて。それ以前に、シエロって人間の文字読めるの?」
シエロと初めて逢ってすぐの頃は、突然耳元で彼の声がする事に驚いていたミナギだが、流石にもう慣れたらしい。冷静にツッコミを入れる余裕すらある。
突っ込まれたシエロはと言えば――そう言えば人間の文字読めないや、と元も子もない言葉。精霊の中には人間の言葉が読める者もいるらしいが、少なくとも気分屋気質の風の精霊は、真面目に集中して勉強しようと思う事なんてまずなくて。
もし風の精霊で人間の文字が読める者が居れば、むしろ変わり者判定を受けるレベル、と言うのだから、相当なのだろう。
とりあえず、二人と一匹で総合職員室へ移動。
勿論ミナギの周りには五人の小さな精霊達も居るが、人の目には映らないので割愛。
「意外とクエストボードに貼られるクエストって、ごちゃごちゃしてるよね」
「空いてるスペースに次々別のクエストが書かれた紙が貼られるからね。ちゃんとしようと思えば出来るけど、学外のクエストボードもこんな感じだから、違いが出ないようにしてるんだって」
「ふぅん……。討伐、採取、採掘、護衛、モンスターの素材採取……悩むなぁ」
「なんでもまっかせなぁさいぃ?前みたいなぁ、遅れはとらないわよぉ……!!」
クエストボードを見上げるユヅキとミナギの頭上で、気合十分な様子でアルバが羽ばたく。
その言動から、以前の出待ち賊との戦いが気になっているのは明白。あの一件で怪我らしい怪我を負ったのはナギトだけだが、だとしても、ユヅキやミナギも危険に陥った現実は変わらない。
鳥の姿である為、表情は読めない。でもきっと、今のアルバが人の姿であれば、不満混じりの表情をしている筈だ。
無言だが、二人の周りで風が少し乱暴にくるくると渦巻いているところから見て、シエロもアルバに同意らしい。気にするなと言ったところで、この二人には響かないだろう。
とりあえず、比較的な安全なクエストを見付けよう、と決意したのはミナギ。
まあ、安全なクエストを選んだつもりでもアクシデントは起こるものだと、身をもって知っているから、あくまでも比較的安全な、である。
「……あ、中央魔研技師研究所からも依頼入るんだ、ここ」
「うん?どこって?」
いつの間にか、少し離れたところのクエストボードを見上げていたユヅキから零れた、言葉。上手く聞き取れず、ユヅキの傍まで歩み寄り、視線を辿って見上げるクエストボード。
するとそこには、他のクエストが書かれている紙よりも高級そうな紙で、豪華な装飾が施された紙が数枚貼り出されていて。受注可能なパーティランクはAからと、少し高難度である事が見て取れた。
内容は、採取や、モンスターの素材回収が主だった内容だ。だが中には、調査と書かれたものもあって。
ユヅキいわく、生態調査や地形および地質調査らしい。
クエスト発行元には、グラナディール中央魔研技師研究所の文字。
【グラナディール中央魔研技師研究所】
名前の通り、グラナディール大陸のほぼ中央に位置する魔研技師研究所だ。
大陸内には他にもいくつか研究所は存在するが、その中でも最高峰が、グラナディール中央魔研技師研究所とされていて、多くの魔研技師が様々な分野の研究が日夜進めているそうだ。
この大陸出身ではないミナギでも名前を知っている程の、有名施設。そんなところからも依頼が来るのか、と驚く気持ちもあるが、ミナギが気になるのは、なぜユヅキがわざわざそこを気にしたか、である。
外部から受けたクエストは他にも色々あって、改めてこのベル・オブ・ウォッキング魔法学園は凄いなぁとしみじみ思う。
「なんでユヅキさん、あの研究所のクエストが気になったの?」
「え?ああ、えっとね、例えばこの採掘クエなんだけど、中央魔研技師研究所は大陸王家直轄になるから、素材は優先的に入って来るはずなのね。でもうちの学園に依頼するって事は、資材が足りてないって事だから」
「へぇ……。欲しい素材は、白の魔鉱石、黒の魔鉱石、それから魔鉄。石材もいくつか……集めるの大変そうだ」
知識でしか知らないが、見付けにくいと言われている素材が多い。だからこその受注可能ランクがAからなのだろうが、学園の生徒でも見付けるのが難しい気がするのは、絶対気のせいではない。
後からナギトに訊いてわかった事だが、稀少な素材だからこそ幅広く募集を出して数を集めようとしているらしい。
大陸王家直轄とは言え、結局素材はクエストを発行して集まるものだから。
そんな話をしながらユヅキ達が選んだのは、受注可能ランクFで最低ランクのクエスト、学園近郊にある農村部周辺のゴブリン退治。初歩中の初歩、駆け出し冒険者パーティが受けるクエストではあるが、大事な仕事である事は確か。
クエストが書かれた紙を手に、クエストボードの前から移動。
パルス・ウォークスを使い、次に受けるクエストを決めた事をナギトに伝え、一度東屋に集合と連絡。集中していて聞こえていない可能性も考えて、一応シエロにも伝言を頼んでおく。
「ヴェルメリオ使わずに終わりそうなクエだから、ナギトさん不満ありそう……。怒られないかな……」
「だいっじょーぶ!ゴブリン退治って、討伐数で周りにゴブリンの集落とか巣が出来てないかって調査する為の情報収集も兼ねてるんだよね。で、数が多いなーってなったら、周辺調査依頼が発行される。だからぁ……ゴブリン探す時にちょーっと遠回りしちゃえばいいんじゃない?」
「…………そう言うトコ、ユヅキさんもナギトさんに似てるよね」
少しだけ悪い顔をして語るユヅキは、どことなくナギトによく似ている。流石は幼馴染兼兄妹兼ソキウスだ。
若干引き気味のミナギの周りでは、似たような顔をしている生徒が何人か。
彼等はクエストボードを見に来た生徒で、偶然ユヅキとミナギの会話が聞こえて来た者達。恐らく一年生。わかるわかると頷いている者も何人か居て、恐らく彼等は上級生だろう。一部睨んでいる生徒達も居るが、あえて無視。
一年ながら学内ランクでS認定をされたナギトとユヅキに、稀少な結界術師のミナギの所属するパーティ。同時に、なんだかんだと話題になる事が多いパーティだ、妬みや僻みを持つ生徒が出て来たっておかしくない。
パーティに入りたいと勇気を出して言って来たものの、ナギトに無理の一言で断られている生徒がいる事は、二人も知っている。
物好きか、自分も話題の一員になりたい目立ちたがりか、クエスト報酬狙いで甘い蜜を吸おうと考えているか、その真意はわからないけれど。でも、だからこそその存在が妬ましいと思う者も、少なくなくて。
「だぁいじょーぶよぉ。二人に何かしようとするならぁ……わたし達が許さないからぁ」
「ぼくもねー」
「光と闇と風の統括大精霊を敵に回すとか、考えただけでもこっわ」
セラータはともかく、ミナギの知る限り、アルバとシエロ、この二人は似た者同士。ユヅキは勿論、ナギトやミナギに手を出せば、即敵とみなす。そうなればきっと、精霊ならではの嫌がらせをされる筈だ。どんな嫌がらせが起こるかは、考えたくないけれど。
しかし、次にシエロに語られた言葉に、ミナギは上には上が居ると思い知るのだった。
「えぇーっ?ぼくたちで怖いとか言うんならさー、タラッサなんてもっと大変じゃん?タラッサ、『ユヅキの敵は例外なく処す!!』なーんてよく言ってっしー。ぼくもアルバもまだまだ優しいよねー」
え、こわ。思わず真顔で零すミナギの耳に届く、シエロの笑い声。話を聞いていたアルバも笑っていて、残るユヅキだけは無言。
ちらり盗み見た横顔は、いつも通り――に見えて、何やら微妙な表情を浮かべていて。
否定したいけどタラッサはやる。そんな表情に見えるのは、気のせいだろうか。断言は出来ないが、多分、そう言う気持ちでいる事はなんとなく読み取れた。
とりあえず、タラッサの名前は覚えておいた方が良さそうだ。ここで名前が出ると言う事は、ユヅキの契約精霊である可能性が高いから。今まで逢った事があるのは、光、闇、風、地の統括大精霊の四人。となると残るは、水か火の精霊の二人。きっと絶対、残る二人も統括大精霊。
もし水の精霊だとしたら、司る場所はどこだろう。
風の統括大精霊のシエロが空を司るなら、それと似た広大さを考えると、浮かぶのは――海。
「……ハハッ、まさかね……」
乾いた笑いと共に零れる、ミナギの声。
それは隣を歩いていたユヅキやアルバ、シエロはミナギの声を聞いていたが、それが何を意味するかわかる筈もなく、揃って首を傾げるばかり。シエロだけは、相変わらず姿を消していてわからないけれど。
とりあえずこの話は終わろう、考えるだけで怖くて仕方ない。
「ゴブリン退治なら、ミナギくんのあの結界の実戦練習やるにも丁度いいんじゃないかな」
「……アレなぁ……」
「ねっ、ナギトもそう思うよねっ?」
≪ん?んー、ランク高いと、ミナギがまともに戦えないしな。ランク低い敵で余裕ある状態の方が、あの結界の研究にはなるだろ≫
「あ、ナギトさん出て来た」
耳に着けていたパルス・ウォークスから響く声に、ナギトが特別禁止書庫から出て来た事を知るには十分。
やはり研究に集中していたらしい。シエロが呼んでくれて初めて気付いたとナギトが語る。
東屋に向かいながら、ミナギが対出待ち賊戦で見せた結界について、わかっている事を纏めて行く。
≪根本的な話、結界としてはなんも違いはないんだよな≫
「色々やってみたけど……多分そう。結界術って、結界を出す場所、大きさ、強度を考えて発動するんだよね。で、あの時、ナギトさんがやられそうになってて焦ってて……攻撃を『防ぐ』ってより、『止めないと』って思ってたから、結界を出す場所が『ズレた』んだ」
麻痺毒で動けなくなっていたナギトに向けて振り下ろされそうになっていた、バスタード・ソード。
ナギトに脅威を覚えたバスタード・ソード使いは、手加減を考えず、殺すつもりで自分の剣を振り下ろそうとしていたように思えた、ミナギには。良くても大怪我、悪ければ死ぬ。戦闘経験の少なくても、それくらいの判断は出来て。
冷静さなんて皆無。ただただ、なんとかしようとして、結界を使った。
今振り返れば、焦ったからこそ結界を創る位置がズレたと考えるのが一番ぴったり来る。
強度も、大きさも、考える余裕がなかった。だからもし位置がズレてなくて、バスタード・ソードの一撃を受けたとしたら、どうなっていたか。防げたかどうかはわからない。
結界術師としては失敗。でも時として、失敗は新たな発見を生むわけで。
「他にわかってるのは、物理的なダメージはないってこと。岩とか木の枝とかで試してみたけど、あの出待ち賊の腕みたいに、結界消した後も変化なしだった」
≪腕を分断するみたいに結界出して、消した後もダメージなし。完全に『止めてた』から……意識の問題か?≫
「投げた小石も止めたよね」
「うん。空中でピタッと止まった。で、結界消したら落ちて来た」
総合職員室を出て、屋外へ。
パルス・ウォークスで話しながらミナギは近くに転がっていた小石を拾い上げる。ミナギの握りこぶしよりも少し小さい小石だ。握った小石を、周りに人が居ない事を確認してから、軽く前方に向かって放り投げる。
その小石の動きを、ユヅキ、ミナギ、アルバが見つめる。
「トリアングロ・バレッラ」
ミナギの創り出した三角形の結界が、緩い弧を描いて落ち始めた小石を空中に縫い留める。
おおーっと上がるのは、ユヅキ、アルバの感嘆の声。
速足で空中に固定された小石に駆け寄ったユヅキが、面白そうにつんつんと小石を突き、アルバが羽ばたきながら小石を蹴り飛ばす。が、やっぱり動かない。小石は結界に空中で止められたまま、びくともしない。
それならばと、今度はアルバが細く小さい光の矢を創り、小石を射抜く――が、小石の中ほどまで来たところで停止。
光の矢が止まった理由は、当然、ミナギの結界だ。
ミナギが、結界を消す。ほぼ同時にアルバも、小石に刺した光の矢を消す。空中に留まる事が出来なくなった小石が地面に落ちる前に、パッとユヅキがキャッチ。見れば、アルバが創り出した光の矢で出来た穴が確かにあった。
けれどやっぱり、三角形の結界があった筈の場所には、傷一つない。
結界を張って小石が空中に止まる瞬間や、結界が消えて落下してくる瞬間を見ていなければ、本当に結界を張っていたのかすらわからない程だ。
「物理的なダメージはやっぱないんだよね……」
「でもぉ、さっきのわたしの力は止めてたからぁ、結界としての効力はちゃんとあるのよねぇ」
≪やっぱ人体使った実験必要だなぁ≫
「だからってナギトさんの体使うのは絶対イヤだからね?!何かの間違いで腕とか足が結界で止めてた先が千切れたりしたらオレほんっとヤだから!!」
人体を使った実験と言われ、即座にミナギは叫ぶ。
既に一度、バスタード・ソード使いに使っているとは言え、次もまた人体に何の影響もないとは断言出来ない。岩や木の枝、木の幹等で検証するのとは全く話が違う。しかもそれがナギトの体となると、過剰反応もやむなし。
光の統括大精霊であるアルバが居るから、仮に腕が千切れてもすぐに治療すれば大丈夫と説得されかけたが、断固拒否。仮に治るとしても、そんな場面を見たくないから。
モンスターと戦う中で、今後そう言う場面に遭遇する可能性がある事は、ミナギだって知っている。知っているけれど、頭で理解しているのと、実際に目にするのは、全くの別物。しかもそれがナギトとなれば、絶望なんて簡単な言葉では言い表せない程の、心臓が潰れるような恐怖を味わう気がして。
それに何より、すぐ治療されるとしても、痛いものは痛い。自分の力で痛い思いをさせるなんて、死んでもご免だとミナギは思うから。
≪しゃーない。ゴブリン退治の時に結界の実験だな≫
「なんっで仕方ないになるんだよ……っ!!」
本気で仕方ないと訴えるナギトの声がパルス・ウォークスから響き、思わず本気でミナギは頭を抱えて叫んだ。
近くに居た生徒達や、精霊達がビクッと驚いていたが、構っていられない。
まるで自分が我儘を言っているみたいではないか、と言うミナギの声は、軽く無視されて終了。頭を抱えるミナギの隣では、楽しそうに笑うユヅキがいて。ちょっとした普段通りと言えば普段通りの展開だけど、本当勘弁してほしいと言うのがミナギの心の声。
仮に口に出したとしても、どうにもならないが。
≪ついでに、結界をどこまで同時に展開出来るかやっとけ。一枚だけじゃないんだろ≫
「えぇ?……強度と大きさによるけど……まあ、複数展開は、出来るけど……」
「ナギトパパがね、『自分の限界を知る事も大事。そしたら、その限界値を越えてやろうって思うよね』って言うから」
≪「あの限界知らずの規格外に言われても説得力ねぇんだわ」≫
うんざりした声が、ダブって聞こえたのは――気のせいではない。
集合場所の東屋に向かう途中、歩道を歩いているユヅキ、ミナギ、アルバの前に、最短ルートを取っていたらしいナギトが庭園を横切って現れる。
だからパルス・ウォークスからと、それとは別に耳にナギトの声が響いて来たのだとわかる。
セラータはと言えば、ナギトの右肩の上に器用に立ってユヅキ達を見下ろしていた。
パーティが揃ったからと、ナギトがパルス・ウォークスを外して、ズボンのポケットの中へ。続けて、ユヅキ、ミナギも。直接話せるのだから、パルス・ウォークスを着けている必要もないと、そう言う判断。
「結界が強度と大きさで変わって来るなら、動きを止めるやつも、もしかしたらその強度とかで、モンスターの動きをどれだけ封じられるか変わって来る可能性あると考えると……」
左からナギト、ユヅキ、ミナギの順で並びながら、東屋へと向かって歩く。
少し前屈みになってユヅキが覗き込んだ先では、ナギトがいくつもの付箋を貼った本数冊と、文字をびっしり書いた紙十数枚が左手で抱えているのが見えた。
特別禁止書庫の本を持ち出して良いのかな。そんなユヅキの疑問は、次の瞬間にはまあナギトだからの一言で片付いてしまう。
ナギトが特別禁止書庫に出入りしている事を知っている生徒は居ないし、仮に知っていてもナギトが持ち出した本を読もうと思う生徒も居ないだろうから。教師陣でも、まず居ないだろう。
何か考え込んでいたナギトが、顔を上げる。そして見るのは、隣に立っているユヅキ――を通り越して、ミナギだ。
「ミナギ、お前には複数同時展開と、結界の強度や大きさでどのくらい動きを止められるかの検証が宿題な」
「しれっとめちゃくちゃな宿題出さないでくれる?」
即座にツッコミを入れられる辺り、実にミナギらしい。実にミナギらしいが、そのこめかみに青筋が浮かんでいるのを見逃してはいけない。
両親にスパルタで育てられたせいだろうか。ナギトはたまに平然と無茶を言う。
間にユヅキを挟んでいて良かった。ユヅキを挟んでいなかったら、相手がナギトであっても殴りかかっていたかもしれない。まあ殴りかかったところで、簡単に止められてしまう未来は見えているけれど。
それでも怒りは納まらず、とりあえず精一杯の気持ちを込めて睨み付けるが、ナギトには全く効果なし。
むしろ、のほほんとしたマイペース発言が響き、一気にミナギは毒気を抜かれてしまった。
「アタシの宿題はー?」
「わたしはぁ?」
「なーう?」
はーいと片手を挙げて首を傾げるユヅキに続き、上空からアルバが、ナギトの左目の視界に入り込むように体を前に乗り出したセラータが、順々に問いかける。
一瞬で毒気を抜かれ、むしろその場で脱力してへたり込む勢いのミナギの気持ちは推して知るべし。
もうヤダこの人達。
だが、ナギトは流石に慣れたもので、まずセラータを見て、次にアルバを見上げ、最後にユヅキを見下ろして。
うーんとわざとらしく考え込む振りをしてから、口を開く。
「お前等は基本、ミナギのフォローな。戦闘慣れしてないヤツが、いきなり複数体同時に相手にする戦いなんてハイリスクだ。ゴブリンだからって、油断出来ないんだよ」
「つまりぃ、ミナギくんの子守りをすれば良いのねぇ?」
「言い方ぁ!!言い方に悪意しかない!!」
せめてそこはナギトさんみたいにフォローって言って。そんなミナギの叫びに、アルバの笑い声が重なって響いた。
クエスト:ゴブリン討伐、危険度Fランク。
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