14 / 97
荊棘の道
14
しおりを挟む
勇豪は文生が宮殿へ入っていったのを見送ると、階段を降っていく。そして下まで降り切ると、振り返って宮殿を仰ぎ見る。
自分の仕事は彼を警護することまで。文生の苦悩に寄り添う、なんてことは今後二度と起こりえない。それどころか今後は気軽に話すことすら叶わないだろう。
もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなったのだから。
だが自分が職務を全うすることこそ彼の助けになるだろう。そう信じて自分なりに努力するしかない。
勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、今度は振り返ることなく兵舎へと向かうのであった。
兵舎に戻ると何やらいつもの空気感と違っていた。全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
それに対して兵士はぶっきらぼうに答える。
「どうしたもこうしたも、なんかやたら綺麗な女の子が来てて……。誰かの連れなんじゃねぇかって噂なんだよ。ほら、あんたも覗いてみ、ッてうおわ!」
覗き見に誘おうとして後ろを向いた兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「ご、大尉! 今のは間違えてッ!」
なんとか取り繕うとする兵士。だが勇豪は特に咎めることなく、遠くにいる少女を見やる。
「あー……。あいつのことか。そういや、ああいうのが世間じゃ受けがいいんだっけか」
「え、大尉の知り合いですか? も、もしかして……?」
兵士がにやけながら小指を立てて示す。と、勇豪が彼の頭を叩《はた》く。
「痛ッ! なんなんですか大尉~」
兵士が頭頂部を摩りながら不満を言うと、勇豪は呆れる。
「お前がふざけたこと言うからだろうが。誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
「あんな女って……。じゃあどういうお知り合いで?」
その問いに、勇豪は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは王の昔の連れだ。未練たらしく王城に連れて行けと煩くてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」
勇豪の言葉に兵士は溜息を吐く。
「一番大事なとこ省かないでくださいよ、大尉。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きっていうか……」
勇豪は頭を掻き毟りながらかったるそうに経緯を話そうと試みる。が。
「あぁもう面倒くせぇ!」
一声叫ぶと勇豪は、ずかずかと廊下を進んでいく。巨躯を有する彼が荒々しく歩いていくと、地面が揺さぶられ、兵舎にいる兵士たちに彼の到来が伝わっていく。
勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせるようになっていた。
「おい、女!」
と勇豪が呼ぶと、美琳が振り返る。そしてその横にいた案内役の兵士が、肩を小さく跳ねて美琳に懇願の目を向けた。そんな彼に美琳はちらりと目線を流す。直後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「なんですか? 勇豪さん。というか、あたしには『美琳』っていう名前があるので、ちゃんと呼んでもらえますか?」
「あ?」
そのとき勇豪は、美琳が敬語を使っていることに引っかかった。が、特に気に留めることなく話を続ける。
「そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。すると勇豪が左手で美琳の右腕を掴み、右手で腰に下げていた青銅製の短剣を抜く。
大人しく見守っていた兵士たちは何が行われるのか一瞬で悟り、勇豪を止めるために慌てて躍り出た。だが一歩間に合わなかった。
少女の掌に、短剣が振り下ろされ、深く突き刺さる。
刹那、二人を囲んでいた兵らは目を見開く。
たった今、目の前で行われた残虐な行い。普通ならば少女は泣き叫んだりするだろう。だのに、勇豪も少女も平然としている。
兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつ、二人が動じない理由も察した。
少女の右手からは一滴の血も流れていない。勇豪が短剣を抜き取れば、見る間に傷が治っていく。後はもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、柔く可愛らしい手があるばかりであった。
「ま、こういうこった」
勇豪は顎をしゃくる。
「こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違っても慰めのためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」
兵士たちは唖然とし、ただ頷くしかなかった。
案内役の兵士も瞠目し、急いで美琳の顔を見る。するとそこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした頬しかなかった。
兵士は自分の行いがバレないという安堵から肩の力が抜ける。すると、美琳と目が合った。
彼は気まずさと、戸惑いで目を逸らす。翻って美琳は無表情で見つめていた。が、数瞬後、興味を無くした顔で勇豪の方を向く。
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。この後はどうすればいいんですか?」
「ん? そうだな……。とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらうからな」
「分かりました」
慎ましやかに首肯する美琳。そんな彼女を勇豪は気味悪がる。
「……さっきから気になってたんだが。お前、やろうと思えばちゃんと話せんだな。急にどうした?」
「あぁ……」
と、美琳は零し、そして勇豪を見上げる。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、って」
そう言って彼女が顔を綻ばせた瞬間、周囲にいた兵たちの空気が緩む。少女のあどけない笑顔は、むさくるしい男ばかりの兵舎に咲いた一輪の花のようであった。誰も少女の特異な体など気にならなくなり、あとはもう可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気だけが残った。
だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
まず、美琳を殴ってしまった兵士。彼は完全に怯えていた。
彼にとって女を殴ることは躾であった。確かに殴った瞬間は動揺したが、その行為自体に後悔をしている訳ではなかった。一方で王の旧知の仲だったらしいのも問題ないだろう。ここにいる時点で彼女が関わる可能性は低いのだろうから。おそらく自分に罰が下ることもないだろうから、それもどうでもいい。
そんなことよりも、笑顔で話すことの方が信じられなかった。
殴った直後でも少女が気にしてない素振りだったのは、自分の正当性を認めてくれたからだと兵士は思っていた。しかしそれは違う。
彼女は本当に気にしていないのだ。
兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。そしてなるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
そしてもう片方の勇豪。彼は閉口していた。
美琳とは数日しか行動していない。が、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのは把握していた。そんな彼女が他人の指導如きで素直に自分を曲げることはない。ならば何故大人しく従ったのか。美琳を見れば一目瞭然だった。
弧を描いた彼女の目には焔が燃え盛っている。自分に向けて、まっすぐに。これはきっと、案内役が俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。間違いなく文生様絡みのことで。
「チッ……面倒くせぇな」
勇豪は辟易した。確かに美琳はこうやって王城まで付いてくるのは叶った。しかし二人の運命が変わる由もない。彼女がどう足掻こうと、庶人と王が一緒になる未来は起こりえないのだから。
そんな風に勇豪が内心で独りごちていると、美琳の目線がより険しくなっていた。
しかし勇豪も慣れてきていた。
こんな小娘に何度も怯んでいられない……と、睨み返す。するとふと気になった。
(こいつ、何歳だ……? あいつの娘、って言ってたんだから……あいつが子供を産める頃の子だよな?)
勇豪は怪訝な顔をする。と、急に美琳は目を泳がせ始め、誤魔化すように周囲の兵たちと話し始めた。その挙動はまるで勇豪の睨みに負けたようであった。勇豪は彼女のその姿に満悦すると、何故だか彼女の歳など気にならなくなった。
わいわいと兵士たちが歓談していると、いつの間にか夕陽が沈みかけていた。勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら! そろそろ夕餉の時間だ、早く食堂に行け!」
途端、ざわめきが止まり、兵士たちは慌てて訓練場近くの食堂に向かう。
夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
夏の生温い風で美琳の濡れ羽色の髪がなびく。彼女の髪は黄昏色を吸い込み、黒にも茜にも変化する。後れ毛が少女の白い肌をくすぐり、睫毛は影を落として瞳を覆う。そしてその栗色の瞳はどこまでも澄み渡っていた。
神々しいようでいて、儚くもある少女のその姿は、掻き抱いて、どんな脅威からも守りたくなるような趣があった。
しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
「勇豪さん」
美琳が乱れた髪を耳に掛けながら呼びかける。
「む……あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
勇豪は指で指し示しながら話した。それに対し美琳は頭を振った。
「場所は分かりますよ。皆さんが向かって行った場所でしょう? そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。軍の『仕組み』を。勇豪さん、嘘吐いてましたね?」
「ッ……!」
刹那、勇豪の体が強張る。
美琳には遅かれ早かれバレるであろう、と思っていた。そして彼女が怒りを募らせるであろうことも。だからこの反応は予想の範囲内であった。
――だが一人の少女の眼差しに竦むことになるとは思わなかった。
彼女の殺気は戦場の兵と匹敵する程だった。蛇のように鋭い目が勇豪を詰り、今にも飛び掛からんとしているようだった。その鬼気迫る姿に威圧された勇豪の額からは脂汗がだらだらと溢れた。
その一方で、美琳の声はひどく静かだった。
「でもね、そんなことはどうでもいいの。だってあたしが文生と『生きられるか』が大事なんだもの。だから……あり得ないことは壊せばいいんでしょう?」
そう言って美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つんだって証明して、文生といるのに相応しい『人』になります。だから、勇豪さんも力を貸してくださいね?」
ひくり、と勇豪の喉が動く。そして勇豪はごくり、と大きな音を立てて生唾を呑んだ。
勇豪は彼女の美貌が文生への執念を隠すために在るような気がしてならなかった。しかもそれを上手く扱い始めるようになった。それが文生のためになるからと勇豪が話したからだ。
想像よりも遥かに強い少女の想い――泥沼のような、汚く、淀んだ執念を肌で感じた勇豪は、自分の手に負えない、と直感した。そしてもう己が出来ることは一つだけだとも理解した。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
美琳は可愛らしく微笑んで礼を述べ、つと、食堂の方に顔を向ける。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。
「思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな」
勇豪は凝り固まってしまった体を解しながら自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けて、あっけらかんと呟いた。
「ま、なるようにしかならんだろ」
勇豪の背に薄暮れの空が広がっていく。
そこに一つ、金色の星が輝いていた。
自分の仕事は彼を警護することまで。文生の苦悩に寄り添う、なんてことは今後二度と起こりえない。それどころか今後は気軽に話すことすら叶わないだろう。
もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなったのだから。
だが自分が職務を全うすることこそ彼の助けになるだろう。そう信じて自分なりに努力するしかない。
勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、今度は振り返ることなく兵舎へと向かうのであった。
兵舎に戻ると何やらいつもの空気感と違っていた。全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
それに対して兵士はぶっきらぼうに答える。
「どうしたもこうしたも、なんかやたら綺麗な女の子が来てて……。誰かの連れなんじゃねぇかって噂なんだよ。ほら、あんたも覗いてみ、ッてうおわ!」
覗き見に誘おうとして後ろを向いた兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「ご、大尉! 今のは間違えてッ!」
なんとか取り繕うとする兵士。だが勇豪は特に咎めることなく、遠くにいる少女を見やる。
「あー……。あいつのことか。そういや、ああいうのが世間じゃ受けがいいんだっけか」
「え、大尉の知り合いですか? も、もしかして……?」
兵士がにやけながら小指を立てて示す。と、勇豪が彼の頭を叩《はた》く。
「痛ッ! なんなんですか大尉~」
兵士が頭頂部を摩りながら不満を言うと、勇豪は呆れる。
「お前がふざけたこと言うからだろうが。誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
「あんな女って……。じゃあどういうお知り合いで?」
その問いに、勇豪は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは王の昔の連れだ。未練たらしく王城に連れて行けと煩くてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」
勇豪の言葉に兵士は溜息を吐く。
「一番大事なとこ省かないでくださいよ、大尉。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きっていうか……」
勇豪は頭を掻き毟りながらかったるそうに経緯を話そうと試みる。が。
「あぁもう面倒くせぇ!」
一声叫ぶと勇豪は、ずかずかと廊下を進んでいく。巨躯を有する彼が荒々しく歩いていくと、地面が揺さぶられ、兵舎にいる兵士たちに彼の到来が伝わっていく。
勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせるようになっていた。
「おい、女!」
と勇豪が呼ぶと、美琳が振り返る。そしてその横にいた案内役の兵士が、肩を小さく跳ねて美琳に懇願の目を向けた。そんな彼に美琳はちらりと目線を流す。直後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「なんですか? 勇豪さん。というか、あたしには『美琳』っていう名前があるので、ちゃんと呼んでもらえますか?」
「あ?」
そのとき勇豪は、美琳が敬語を使っていることに引っかかった。が、特に気に留めることなく話を続ける。
「そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。すると勇豪が左手で美琳の右腕を掴み、右手で腰に下げていた青銅製の短剣を抜く。
大人しく見守っていた兵士たちは何が行われるのか一瞬で悟り、勇豪を止めるために慌てて躍り出た。だが一歩間に合わなかった。
少女の掌に、短剣が振り下ろされ、深く突き刺さる。
刹那、二人を囲んでいた兵らは目を見開く。
たった今、目の前で行われた残虐な行い。普通ならば少女は泣き叫んだりするだろう。だのに、勇豪も少女も平然としている。
兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつ、二人が動じない理由も察した。
少女の右手からは一滴の血も流れていない。勇豪が短剣を抜き取れば、見る間に傷が治っていく。後はもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、柔く可愛らしい手があるばかりであった。
「ま、こういうこった」
勇豪は顎をしゃくる。
「こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違っても慰めのためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」
兵士たちは唖然とし、ただ頷くしかなかった。
案内役の兵士も瞠目し、急いで美琳の顔を見る。するとそこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした頬しかなかった。
兵士は自分の行いがバレないという安堵から肩の力が抜ける。すると、美琳と目が合った。
彼は気まずさと、戸惑いで目を逸らす。翻って美琳は無表情で見つめていた。が、数瞬後、興味を無くした顔で勇豪の方を向く。
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。この後はどうすればいいんですか?」
「ん? そうだな……。とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらうからな」
「分かりました」
慎ましやかに首肯する美琳。そんな彼女を勇豪は気味悪がる。
「……さっきから気になってたんだが。お前、やろうと思えばちゃんと話せんだな。急にどうした?」
「あぁ……」
と、美琳は零し、そして勇豪を見上げる。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、って」
そう言って彼女が顔を綻ばせた瞬間、周囲にいた兵たちの空気が緩む。少女のあどけない笑顔は、むさくるしい男ばかりの兵舎に咲いた一輪の花のようであった。誰も少女の特異な体など気にならなくなり、あとはもう可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気だけが残った。
だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
まず、美琳を殴ってしまった兵士。彼は完全に怯えていた。
彼にとって女を殴ることは躾であった。確かに殴った瞬間は動揺したが、その行為自体に後悔をしている訳ではなかった。一方で王の旧知の仲だったらしいのも問題ないだろう。ここにいる時点で彼女が関わる可能性は低いのだろうから。おそらく自分に罰が下ることもないだろうから、それもどうでもいい。
そんなことよりも、笑顔で話すことの方が信じられなかった。
殴った直後でも少女が気にしてない素振りだったのは、自分の正当性を認めてくれたからだと兵士は思っていた。しかしそれは違う。
彼女は本当に気にしていないのだ。
兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。そしてなるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
そしてもう片方の勇豪。彼は閉口していた。
美琳とは数日しか行動していない。が、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのは把握していた。そんな彼女が他人の指導如きで素直に自分を曲げることはない。ならば何故大人しく従ったのか。美琳を見れば一目瞭然だった。
弧を描いた彼女の目には焔が燃え盛っている。自分に向けて、まっすぐに。これはきっと、案内役が俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。間違いなく文生様絡みのことで。
「チッ……面倒くせぇな」
勇豪は辟易した。確かに美琳はこうやって王城まで付いてくるのは叶った。しかし二人の運命が変わる由もない。彼女がどう足掻こうと、庶人と王が一緒になる未来は起こりえないのだから。
そんな風に勇豪が内心で独りごちていると、美琳の目線がより険しくなっていた。
しかし勇豪も慣れてきていた。
こんな小娘に何度も怯んでいられない……と、睨み返す。するとふと気になった。
(こいつ、何歳だ……? あいつの娘、って言ってたんだから……あいつが子供を産める頃の子だよな?)
勇豪は怪訝な顔をする。と、急に美琳は目を泳がせ始め、誤魔化すように周囲の兵たちと話し始めた。その挙動はまるで勇豪の睨みに負けたようであった。勇豪は彼女のその姿に満悦すると、何故だか彼女の歳など気にならなくなった。
わいわいと兵士たちが歓談していると、いつの間にか夕陽が沈みかけていた。勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら! そろそろ夕餉の時間だ、早く食堂に行け!」
途端、ざわめきが止まり、兵士たちは慌てて訓練場近くの食堂に向かう。
夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
夏の生温い風で美琳の濡れ羽色の髪がなびく。彼女の髪は黄昏色を吸い込み、黒にも茜にも変化する。後れ毛が少女の白い肌をくすぐり、睫毛は影を落として瞳を覆う。そしてその栗色の瞳はどこまでも澄み渡っていた。
神々しいようでいて、儚くもある少女のその姿は、掻き抱いて、どんな脅威からも守りたくなるような趣があった。
しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
「勇豪さん」
美琳が乱れた髪を耳に掛けながら呼びかける。
「む……あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
勇豪は指で指し示しながら話した。それに対し美琳は頭を振った。
「場所は分かりますよ。皆さんが向かって行った場所でしょう? そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。軍の『仕組み』を。勇豪さん、嘘吐いてましたね?」
「ッ……!」
刹那、勇豪の体が強張る。
美琳には遅かれ早かれバレるであろう、と思っていた。そして彼女が怒りを募らせるであろうことも。だからこの反応は予想の範囲内であった。
――だが一人の少女の眼差しに竦むことになるとは思わなかった。
彼女の殺気は戦場の兵と匹敵する程だった。蛇のように鋭い目が勇豪を詰り、今にも飛び掛からんとしているようだった。その鬼気迫る姿に威圧された勇豪の額からは脂汗がだらだらと溢れた。
その一方で、美琳の声はひどく静かだった。
「でもね、そんなことはどうでもいいの。だってあたしが文生と『生きられるか』が大事なんだもの。だから……あり得ないことは壊せばいいんでしょう?」
そう言って美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つんだって証明して、文生といるのに相応しい『人』になります。だから、勇豪さんも力を貸してくださいね?」
ひくり、と勇豪の喉が動く。そして勇豪はごくり、と大きな音を立てて生唾を呑んだ。
勇豪は彼女の美貌が文生への執念を隠すために在るような気がしてならなかった。しかもそれを上手く扱い始めるようになった。それが文生のためになるからと勇豪が話したからだ。
想像よりも遥かに強い少女の想い――泥沼のような、汚く、淀んだ執念を肌で感じた勇豪は、自分の手に負えない、と直感した。そしてもう己が出来ることは一つだけだとも理解した。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
美琳は可愛らしく微笑んで礼を述べ、つと、食堂の方に顔を向ける。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。
「思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな」
勇豪は凝り固まってしまった体を解しながら自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けて、あっけらかんと呟いた。
「ま、なるようにしかならんだろ」
勇豪の背に薄暮れの空が広がっていく。
そこに一つ、金色の星が輝いていた。
0
あなたにおすすめの小説
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。
飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。
大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。
愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。
だが、彼女は、立ち上がる!
人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。
奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ!
これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!
――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる