永遠の伴侶

白藤桜空

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白き羽を抱く濡烏

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 まだ薄闇が世界を覆っている頃。寝ぼけ眼の山がもやで顔を隠している。その足元に、息を潜めて身を隠している者たちがいた。
「ほ、本当にこれで良かったのだな?」
 耳を澄ましてやっと聞こえるかすかな声が、木々の狭間はざま彷徨さまよう。それは顔を真っ青にした子佑ジヨウが隣に座す勇豪ヨンハオに問いかけた声だった。一方の勇豪は毅然きぜんと答える。
「もう後戻りは出来ん。ここで退けばあいつらの思うがままだ」
「だが……」
「子佑殿。最後に決めたのは貴殿だ。それに……。俺も責任・・は取る。あとは、祈るしかない」
 勇豪は落ち着き払った顔で遠く向こうを眺めている。
「そう、だな。……これしか我らには残っておらんよな…………」
 子佑が唇を固く結んだ、そのとき。朝陽がこうべを上げ、人々を見定めんと世を照らし始める。
 戦が始まってから、四日目の朝だった。

 日の出と共に三か国すべての兵たちが雄叫びを上げて平野を駆けていく。
 未だ圧倒的な兵数を維持しているフェンガンの合同軍は、シュウ兵を山に追い詰めるための陣形を展開していた。さすれば、残り少ない修兵らは後退せざるを得ず、そこを押し込めていけば完全に封じ込められる、という寸法であった。それが功を奏して修兵らは苦戦を強いられていた。にも関わらず、剛兵は取り立てて修兵らを追撃せずに、ある一か所へと集まり、輪を成し始めていた。
 その輪の中心に美琳メイリンがいた。
 剛兵の攻撃はすべて美琳に向けられていた。少年はその集中攻撃を剣と盾でなしながら、自身の体が届く範囲の弓矢を味方の分まで引き受けていた。肩代わりした分、美琳の体には無数の矢が突き刺さる。しかしそれを気にすることなく少年は動き続ける。いや、気にするだけ無駄なのだ。どうせ動いている内には折れ、やじりだけが残る。その鏃も傷が治り始めると自然に弾き出され、後に残るのは着物の穴だけだった。
 不意に美琳を囲んでいる人垣が割れる。
 美琳は横目でその穴を視認する。と、どことなく見覚えのある人物がいる。そう、頭が認識した瞬間。
「ぐッ⁈」
 美琳は予想外の事態に息を詰まらせる。いや、正確に言えば封じられた・・・・・。美琳は慌ててその元凶を取り除こうともがいた。が、その隙に複数の兵士に押し倒される。
 完全に地面に縫い付けられた少年。その首には矛が突き立てられた。
 さしもの美琳も複数の男たちをける力はない。大の男たちの重みによってみしみしと骨がきしむのを甘受するしかなく、それ以上の抵抗を止めざるを得なかった。
 すっかり大人しくなった美琳の頭に影が落ちる。
「久方振りじゃのう? 美琳」
 頭上から声が降り注ぐ。
 美琳はわずかに首を反らす。すると見上げた先に四十頃と見受けられる髭面の男がいた。
「…………あんた誰」
 少年の声は常よりもか細い。気道をふさがれたせいで容易に声が出なかったのだ。
「おや、儂のことなど忘れてしまったか?」
〝悲しいのう〟と一寸も悲しんでない顔で男は言う。
「誰だか知らないけど。俺を殺そうってんなら、無駄だから諦めな」
 美琳は全身から殺気を放つ。と、突然男が笑いだした。
「ははは! そんなこと、とうに分かっておるわ!」
 腹を抱えて笑う男に、美琳は目を見開く。しかしすぐさま興味を無くしたようだ。
「じゃあ何」
 美琳がぶっきらぼうに答えると、男はしゃがみ、美琳の頬を掴んで無理やり目線を合わせる。
「いやな、お主を連れて帰ろうと思っての」
「はあ⁈ ……ッ!」
 叫んでしまったせいで喉に刺さっていた矛が荒ぶり、美琳の言葉を遮る。その凄惨せいさんたる姿を、それはそれは愉快そうに男は観察する。
「おお、おお。無理するでない」
「くッ……。俺はッ! どこにも行かない!」
「お主の意見など聞いておらんよ」
「ッふざけんな!」
 美琳はジタバタと暴れ出す。が、すぐさま兵たちに動きを封じられてしまう。
「やはりお主は威勢がいいのう。頑強な兵士とはそうでないといかんな。たとえ子供……であってもの」
 男は下卑げびた笑みを崩さずに、つと、頬から手を離した、その直後。
「~~ッ!」
 美琳の声にならない叫びがほとばしる。
 男の手によって喉の矛が揺り動かされ、美琳は呼吸すらままならなくなる。首元の傷口は塞がると同時に抉られ、皮膚は別の生き物が這いずり回っているようにうごめく。
 ここにきて初めて、美琳は『動揺』した。
『痛み』はまったく無い。だが、完全なる『悪意』をもって自分の体をもてあそばれる。そんな事は今まで一度も味わったことが無かった。
「ふむ」
 急激に静かになった美琳。男は満足そうに顎髭を撫でる。
「もう良い。連れていけ」
 そう兵士に指示する。兵らは慎重に少年の体を移動させようとした、その刹那。
 ――――うわあああぁぁぁッ!
 断末魔が騒がしい戦場を切り裂く。
 その声は、一つ聞こえたかと思えば次々に増えていく。やがて方々ほうぼうから絶えず聞こえるようになり、逃亡するガン兵が現れ始めた。
 男は慌てて部下に問う。
「何が起きた!」
 美琳を囲む人垣の外から返事が聞こえる。
「そ、それが、このもやで不明瞭でしてッ! な、やめろ、おまッ、うわあぁぁ!」
 だがその声すらも悲鳴の一員になる。
「くッ! これは一体なんなのだ……⁈」
 男は急ぎ立ち上がり、状況を把握せんと戦場を見回すのであった――――

 戦の只中、剛兵たちにあることが起きていた。
 彼らは隊列を組んで敵を追いかけていた。たった一人の兵士に、五人掛かりで。多勢に無勢。それはまさに狩り。向かうところ敵なしだった・・・
 ――異変は静かに始まった。
 余裕よゆう綽々しゃくしゃくで走る剛兵。ふと違和感を覚え、隣を見る。すると味方がいなくなっているではないか。
 彼は困惑する。倒されたなら悲鳴が聞こえるはず。けれど間近でそれは聞こえなかった。ならばいつの間にか置いてきたのか。いや、それならば後ろにいるはず。
 そんな風に首を傾げている内に、また一人消え、二人、三人と消えていく。
 気付けばこの場にいるのは自分だけ。
 何故? 何時いつ? どうやって? そもそもこれは敵のせいなのか? 自分たちは一体、何と戦っているのか?
 まるで神隠しのような事態に兵士たちは狼狽うろたえ、はたと思い至る。
 もしや、あれ・・が原因なのではないか?
 この戦で剛兵は化生・・の捕獲命令が下されていた。
 それが理由で彼らは通常の戦闘だけでなく、それらしき人物を探しながら動かないといけなかった。そんな器用なことを、緊迫した状況下でまともにこなせる者は少ない。加えて彼らは疲弊していた。気もそぞろになっても仕方ない。
 そこに起きたこの騒動は、彼らの精神に多大な影響を与えた。
 何故ならこれは、剛兵だけに起きているのだ・・・・・・・・・・・・。 
 少し離れたところにいる鳳兵は、普通に・・・倒されることはあれど、自分たちのように助けを呼ぶ暇も与えられずに消される様子はなかった。
 つまり自分たちは、化生・・の怒りを買ってしまったのではないのか?
 そんな思考が剛兵たちを襲い、次第に彼らは恐慌状態に陥り始める。
 次は自分の番かもしれない。
 自分はどこ・・に連れていかれてしまうのか。
 目の前の敵に構っていて良いのだろうか。
 早く逃げないと、今度は…………。
 恐怖に支配された剛兵たちは、気が触れたように森から飛び出した。敵味方など関係なく、押し合いし合いの狂乱状態。
 それは剛兵だけでなく、鳳兵にも徐々に伝播でんぱした。譫言うわごとのような言葉を呟きながら走り去っていく剛兵に巻き込まれている内に修兵にられる。いざ修兵を倒そうとしても剛兵に阻まれ、間違えて同士討ちをしてしまう。
 一度崩れた優勢は、たとえ洗練された軍隊でも簡単に持ち直せない。
 戦場は混乱の極みに達していた――――

「お主らッ! 何をしている! 戻れ! 戻らぬか!」
 男は吠える。だが彼の言葉に耳を傾ける者はもういない。
「くそッ! ここまで追い詰めたのに……!」
 男は唇を噛み締める。
 動揺は美琳を囲む兵にも訪れる。
 折角標的を捕まえたのに、負けては元も子もない。それは雑兵ぞうひょうでも分かることだ。
 人垣を形成していた兵も、美琳を取り押さえている兵以外は事態の収拾を図るために駆けだした。
 ――――神隠し・・・の正体は修兵であった。
 勇豪はこの三日間で剛兵の様子が常とは違うのを感じ取っていた。
 美琳にやたらとつどう剛兵。だがその動きは明らかに〝倒す〟ためのものではなかった。
 戦場において〝倒す〟のは、ある意味で最も簡単な行為である。逆に言えば、それ以外の行動は兵士に余分な疲れを蓄積させる。
 勇豪はこれを利用する策――〝闇討ち〟を思いついた。
 修兵たちは、剛兵が美琳に集中している間に山の裾野すそので敵をだまし討ちしていたのである。
 彼らはもやで視界が悪いのを利用して森に身を隠し、一人の兵を二人掛かりで確実に仕留めた。他の敵兵に悟られないように、なるべく静かに、迅速に。さすればきっと混乱を巻き起こせる。その一心で、一糸乱れぬ連携を発揮し続けていた。
 けれど実行には躊躇ちゅうちょした。
 実のところ、闇討ちは*教えに反する行為であった。
 それをせば〝蛮国〟としての烙印らくいんを押され、周辺諸外国との軋轢あつれきが生まれやすい。されど背に腹を代えられない状況なのもまた事実であった。
 勇豪は子佑に相談した。貴族としての体面を優先する子佑は当然反対した。が、最早もはやそれしか道は残されていないのは彼にも分かっていた。
 このまま剛と鳳にしてやられる訳にはいかない。負けてしまえばそのまま侵略される可能性もあるのだ。しかし意地汚く勝ち取った勝利の代償として、二人は宮殿から爪弾つまはじきにされるだろう。国の権威をおとしめた者として。
 子佑は悩みに悩んだ。
 王族の分家筋である〝公〟は、王が健在のときにはないがしろにされやすい。
 たとえ此度の作戦が成功し、勝ちを収めたとしても、彼の地位がちるのは間違いないだろう。されど、それもこれもすべて国を守るため。そこは貴族として逃れられない責務があった。
 結局は決行することにした。
 そうと決まれば修軍は一丸となって準備に奔走ほんそうした。
 森の地形を頭に叩き込み、夜闇に紛れて戦場に落ちていた武器を回収した。
 たった一日で行うにはかなりの重労働だったが、不思議と・・・・気にならなかった。
 運はきっとこちらに付いているはず。
 何せこちらには、あいつ・・・がいるのだから。
 それを後押しするように、作戦当日は靄が彼らの姿をくらませ、森の木々のさざめきは彼らの足音を掻き消した。
 確実に風向きはこちらに吹いていた。
 謎の高揚感に包まれた彼らに、怖いものなどなかった――――

「ここまでなのか⁈」
 男は愕然がくぜんとする。
 昨日までは、いや、先程までは、こちらの勝ちは決まっていた。だのに、この有様はなんなのか。
(……ッ! せめてこやつだけは!)
 キッ、と男は美琳に振り返る。
「こやつを連れていけ!」
「はッ!」
 美琳を押さえつけていた兵らは、彼の体を起こさせるために退き、自然と力を弱める。
 その好機を逃す美琳ではなかった。
 美琳は渾身こんしんの力を込めて拘束を振り解く。
 予想外の動きに兵らは驚く。何せ首を縫い留めているのだ。そんな馬鹿なことなどしないだろうと高をくくっていたのだ。
 面食らう彼らを無視して、美琳は凄まじく暴れて自分を取り巻くすべての手を弾くと、ぐッと足に力を入れる。と。
 ぶち。ぐちゃ。
 みにくい音がした。
 ぼき。ごき。
 砕ける音がした。
 ごろん。
 重いものが、転がる音がした。
「あ、あ、あ…………」
 剛兵はへたり込む。
 目の前で起きた尋常ならざる光景に口がふさがらなくなる。
 たった今、美琳の首が真っ二つ・・・・に裂かれた。頭と胴体は完全に離れ、斬れた反動で頭は転がっていった。
 だのに。
 動いている・・・・・
 はすっくと立ち上がるとを拾う。そのまま頭を持ち上げて首の上に据える。裂け目はまたたく間に繋がり、先程の様子が夢幻のようだった。
「…………」
 美琳は無言で彼らを睥睨へいげいする。しかしすぐさま自陣に向けて走り出そうとする。すると、
「美琳!」
 男が叫ぶ。つと美琳は動きを止めて、次の言葉を待つ。
「儂は諦めんからな! その、絶対に手に入れてみせよう!」
 吠えたける男。けれど美琳は振り返らない。
〝ふぅん〟
 ただそれだけを呟いて、その場を後にするのであった。

「は、はははははは! まさかあれ程とはの!」
 永祥ヨンシャンは天を仰ぎながら大笑する。
「永祥殿! もうこれではどうしようもない! 退却の号令を出せ!」
 息を荒げた雪峰シェンフォンが永祥のところに走りやってきた。どうやらこの混戦での馬車の使用は諦めたようだ。切羽詰まった表情で永祥の肩を掴む。しかし永祥は振り返ることなく雪峰に問う。
「雪峰殿。お主もあれを見たか?」
「? なんのことだ」
「そうか。見ておらなんだか。それは惜しいことをしたのう」
 くっくっくっと永祥は口角を上げる。そんな彼に雪峰は眉をひそめる。
「そんな悠長に笑っている暇などないんだぞ! く切り上げねば更に被害が広まる」
「おお、そうか、そうであったな」
 永祥は大きく息を吸い込む。
「全軍! 退却ッ!」
 その声は、虚しく戦場に響くのであった――――






 *教え…国に脈々と受け継がれている倫理観。
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