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二羽は木陰で羽を休める
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思えば、あの日から狂い始めていたのかもしれない。
あのときの自分はあまりの衝撃に打ちひしがれていた。酸鼻の極みたるあの場所に彼女一人向かわせ、自分はただ待っていただなんて。
彼女はあんなにも頑張っていてくれたのに、なんて愚かなのだろう。けれどあれ程の劣勢を覆せたのだ。きっと彼女一人抜けても大丈夫なはず。
だからもう、彼女を傍に置いても許されるよね?
いつかあの恐ろしいところに行かなければならないのならば。せめてそれまでは、好いた人と過ごしても良いよね?
――そんな馬鹿げたことを思っていた時期もあった。
なんと幼稚で、浅はかな思考。根拠の無い安心感と、若さ故の焦燥感。
そんなもので動かされてはいけない存在だというのに。穴があったら入りたい、とはまさにこのこと。過去に戻れるならば今すぐあの若造を殴りに行きたい。
ああ、でも。
そもそもが間違っていたのだろうか?
――――その問いに答える者は、もうどこにもいない。
「支度は整ったか? …………ンンッ、それでは。これより報告会を始める!」
「はッ!」
その号令に男たちの野太い声が応じる。と同時に、洗練された衣擦れの音たちが揃って動く。
この日は、大勢の上級官吏と一部の軍人が、宮殿の最上階にある大広間に集まっていた。彼らは整然と居並び、皆一様に拱手して頭を垂れている。それ故広間は常よりも窮屈で重苦しい空間になっており、厳かな雰囲気が漲っていた。そしてその場にいる全員が緊張感を漂わせていた。
「まずは此度の戦果から述べていきます」
先程開始を告げた官吏が、木簡片手に広間の隅まで聞こえる大きな声で話し出す。すると一堂に会した人々は皆、彼の話に真摯な態度で耳を傾け始めるのであった。
そんな中、一人上の空な者がいた。
(あーあ。早く俺の番にならないかなぁ……)
始まって早々、その少年は落ち着きがなかった。一応、彼も形だけは拱手の礼を構えている。が、その顔には緊張感の〝き〟の字もない。
それもそのはず。今日は少年が待ちに待った日なのだから――――
遡ること数日。
修軍は剛と鳳の合同軍から奇跡の逆転勝利をもぎ取り、兵士たちは華々しく凱旋した。しかし彼らは皆疲労困憊の体で、足元も覚束ない有様であった。反面、その顔にそんな素振りは一切無かった。あの死線を乗り超えて都城に戻れたのだ。疲れなど忘れ、肩を叩いて喜びを分かち合いながら、都城の大通りを足取り進み、それぞれの帰路に就いていく。
家族がいる者は嬉々として家に帰り、独身連中は兵舎に戻ってささやかな宴会を開いた。
一方で彼らは、家族を亡くした妻や子らを訪ねた。過酷な戦場でも最後まで諦めなかった彼らの雄姿を伝え、愛する人を亡くした彼女らの傷に寄り添い慰めた。
そんな風にして雑兵たちは、勝ち取った命を寿ぎ、露と消えた命に祈りを捧げ、戦が終わったのをしみじみと噛み締めていた。
翻って軍上層部。
彼らの様相は〝忙殺〟の一言に尽きた。
軍幹部の者たちは戦で起きたことを王城へつぶさに報告せねばならず、事後処理に奔走していた。
先の戦と比べて今回は圧倒的に死傷者が多く、生存者の確認だけでも一日がかりであった。その上、兵士一人一人の功績を精査して、下級貴族である〝士〟に推薦出来る者を決めるのも並行して行わなければならなかった。
一応、この業務に明確な締切りは定められていなかった。が、早ければ早い程に越したことはない、というのが宮殿側の態度である。
そうなると、必然的に上官たちは草臥れた体に鞭打って、馬馬車のように働かざるを得なかった。
やっとの思いで書類を仕上げると、上官たちは木簡の束を王城に提出する。と、上級官吏たちはその報告書を元に正誤の確認や決定事項を擦り合わせ、最終的に定まった情報をこの報告会で共有することになっていた。
つまり、この場で初めて。士に取り立てられる庶人が判明するのである。
――だが本来、宮殿に貴族以外が立ち入ることはあり得ない。故に、庶人である少年がこの場に呼び出されている時点で、何が起こるかなど自明の理なのである。
「次は……。士の位を与える庶人を読み上げる。呼ばれた者は一歩前に出よ!」
官吏がその言葉を発した途端、少年の瞳が爛々と輝く。
「――! ――!」
連続で挙げられていく名前に合わせて、彼の横で一列に並んでいる兵士仲間たちが次々に進み出る。
「最後に……む?」
突然、官吏の言葉が止まる。
小さな異変にその場にいる全員が身じろぐ。
「おい、これは誤謬ではないのか?」
不意に読み上げていた官吏が隣に控えていた別の官吏に囁く。
「え? 少しお借りしても宜しいですか?」
と、小さな声で答えた彼は問題の木簡を覗き見て〝ああ〟と納得する。
「これで間違いないですよ。たしかこの者は田舎の出身で……。その村では逆の名前にするのが風習だとかなんとか」
「ふむ? そのような村は初耳だが……。これで合っているならば仕方ない」
〝ンンッ〟と咳払いをすると、最後の名前を呼ぶ。
「では最後に……美琳!」
ざわ、と広間に動揺が走った。
戦の功労者が呼ばれたはずなのに、何故ここで女の名が。
名付けの事情など知るべくもない官吏たちは、誰か何か知らないのか、と隣同士目配せし合う。だが、どの目も答えを持ち合わせておらず、ざわめきは増していった。
そんな騒動の最中、話題の中心である人物が一歩足を踏み出して深く長揖する。そして彼は袖を合わせて顔の前に掲げ、直角に腰を曲げた顔を隠す。頭を深く垂れたことで、白く細い首筋が露わになり、結髪からはほつれた黒髪が艶めかしく流れ落ちた。兵士にしては小綺麗な上に小柄である。その頼りない体付きからはとても屈強な兵士とは思えない。しかし最後に読み上げられたということは、此度の戦で最大の戦績を上げたことを意味していた。
官吏たちは正体不明の兵士を見定めんと食い入るように盗み見た。
「前に出た者たちよ。拝謁することを許可する。面を上げよ!」
会を進行していた官吏が合図を送る。と、兵らがそっと長揖の構えを解いた。
庶人から貴族に成り上がれただけある。偉丈夫がずらりと立ち並んでいた。が、件の兵士はまるで少女のような美貌であった。
いよいよ騒然となる。
「なんと、あのような者が紛れ込んでおるとは」
「もしや彼の者が噂の〝少年〟か?」
「しかしあれでは……。本当に〝少女〟なのではあるまいか?」
官吏たちは好き勝手に騒ぎ始める。と、進行役の官吏が大声を上げる。
「静粛に! 静粛になされよ!」
だが一度広がった波紋が簡単に収まるわけがない。男の制止など意味を成さず揺らぎ続ける広間であった。が。
「……!」
あることを契機にぴた、とすべての声が静まり返った。
沈黙させたのはたった一つの行為であった。
それを行った人物は部屋の最奥にある大きな椅子に鎮座している。
その椅子は三段重ねの台座に載せられている。そのため外からの日差しは座している者の顔まで届かず、影となっている。
顔の見えない黄色の着物の男はただ無言で片手を挙げているだけだった。だが全員の視線を集めるのには十分であったようだ。
そのとき〝少年〟を見ている者など誰もいなかった。
「続けよ」
一言、落ち着いた男の声がする。
「は、はッ!」
進行役の官吏が慌てて昇格する兵らに目線を戻す。
「御前まで歩み出よ」
数人の兵たちが動きをずらさないように注意を払いながら、するすると広間の奥に進んでいく。わざわざ動いては止まって、また動く。これは宮殿で行う辞儀のしきたりであり、守れぬ者は粗野な無礼者として処断されるので、彼らは皆、致し方なく粛々と行う。
「止まれ」
官吏が合図を送ると、彼らは再び長揖する。
椅子に腰かけた男がゆっくりと口を開く。
「此度の働き。大儀であった」
「恐悦至極でございます」
兵らは揃って同じ言葉を発する。
「うむ」
影に身を包んでいる男は肘かけで頬杖を突くと、もう片方の手の指をつと動かす。
「そこの者。近う寄れ」
そう言って男が指し示したのは〝美琳〟であった。すると椅子近くに控えていた官吏が慌てて止めた。
「成りませぬ。士に上がったとはいえ、まだ王の御傍には……」
「聞こえなかったのか?」
男は美琳に問いかけた。それでいて言外に官吏を牽制する響きがあった。
「ッ! ……そこの。仰っている通りにしろ」
傍仕えの官吏が美琳に顎をしゃくって許可を下す。
掲げた袖の隙間から成り行きを見守っていた〝少年〟は、低頭の姿勢を崩すことなく慎重に歩み出る。
低く優しい男の声が〝彼〟に声をかける。
「其方が敵を引きつけたことも勝利の要因であったと聞き及んでいる」
ぴく、とその言葉に反応した者がいた。しかし男がそれに気付くことなく言葉を続ける。
「あれ程の……」
と、不意に男の言葉が止まる。
影に隠れていても男の顔がわずかに引き攣ったのが分かった。されどそれは一瞬の内に掻き消えた。
「あれ程の激戦を駆けていた様はこちらからでも見て取れた。褒めて遣わす。よって、其方に何か褒美を取らせようと思う」
がば、と大きな音を立てて〝少年〟が顔をあげ、けれどすぐさま頭を元に戻す。
よく見ると〝少年〟の着物の袖は戦慄いている。
「……なんでも良いぞ。好きに申せ」
男の言葉は柔く、そして張り詰めていた。
「俺……わ、私の欲しいものは……」
変声前特有の、幼げで、男女の区別のつかない声が答える。その声も、男の声と同じくかすかに緊張を孕んでいた。
ごくり、と誰かが生唾を呑み込む音が聞こえた。〝少年〟もわずかに喉を上下させると、意を決する。
「あなたが、欲しいです」
あのときの自分はあまりの衝撃に打ちひしがれていた。酸鼻の極みたるあの場所に彼女一人向かわせ、自分はただ待っていただなんて。
彼女はあんなにも頑張っていてくれたのに、なんて愚かなのだろう。けれどあれ程の劣勢を覆せたのだ。きっと彼女一人抜けても大丈夫なはず。
だからもう、彼女を傍に置いても許されるよね?
いつかあの恐ろしいところに行かなければならないのならば。せめてそれまでは、好いた人と過ごしても良いよね?
――そんな馬鹿げたことを思っていた時期もあった。
なんと幼稚で、浅はかな思考。根拠の無い安心感と、若さ故の焦燥感。
そんなもので動かされてはいけない存在だというのに。穴があったら入りたい、とはまさにこのこと。過去に戻れるならば今すぐあの若造を殴りに行きたい。
ああ、でも。
そもそもが間違っていたのだろうか?
――――その問いに答える者は、もうどこにもいない。
「支度は整ったか? …………ンンッ、それでは。これより報告会を始める!」
「はッ!」
その号令に男たちの野太い声が応じる。と同時に、洗練された衣擦れの音たちが揃って動く。
この日は、大勢の上級官吏と一部の軍人が、宮殿の最上階にある大広間に集まっていた。彼らは整然と居並び、皆一様に拱手して頭を垂れている。それ故広間は常よりも窮屈で重苦しい空間になっており、厳かな雰囲気が漲っていた。そしてその場にいる全員が緊張感を漂わせていた。
「まずは此度の戦果から述べていきます」
先程開始を告げた官吏が、木簡片手に広間の隅まで聞こえる大きな声で話し出す。すると一堂に会した人々は皆、彼の話に真摯な態度で耳を傾け始めるのであった。
そんな中、一人上の空な者がいた。
(あーあ。早く俺の番にならないかなぁ……)
始まって早々、その少年は落ち着きがなかった。一応、彼も形だけは拱手の礼を構えている。が、その顔には緊張感の〝き〟の字もない。
それもそのはず。今日は少年が待ちに待った日なのだから――――
遡ること数日。
修軍は剛と鳳の合同軍から奇跡の逆転勝利をもぎ取り、兵士たちは華々しく凱旋した。しかし彼らは皆疲労困憊の体で、足元も覚束ない有様であった。反面、その顔にそんな素振りは一切無かった。あの死線を乗り超えて都城に戻れたのだ。疲れなど忘れ、肩を叩いて喜びを分かち合いながら、都城の大通りを足取り進み、それぞれの帰路に就いていく。
家族がいる者は嬉々として家に帰り、独身連中は兵舎に戻ってささやかな宴会を開いた。
一方で彼らは、家族を亡くした妻や子らを訪ねた。過酷な戦場でも最後まで諦めなかった彼らの雄姿を伝え、愛する人を亡くした彼女らの傷に寄り添い慰めた。
そんな風にして雑兵たちは、勝ち取った命を寿ぎ、露と消えた命に祈りを捧げ、戦が終わったのをしみじみと噛み締めていた。
翻って軍上層部。
彼らの様相は〝忙殺〟の一言に尽きた。
軍幹部の者たちは戦で起きたことを王城へつぶさに報告せねばならず、事後処理に奔走していた。
先の戦と比べて今回は圧倒的に死傷者が多く、生存者の確認だけでも一日がかりであった。その上、兵士一人一人の功績を精査して、下級貴族である〝士〟に推薦出来る者を決めるのも並行して行わなければならなかった。
一応、この業務に明確な締切りは定められていなかった。が、早ければ早い程に越したことはない、というのが宮殿側の態度である。
そうなると、必然的に上官たちは草臥れた体に鞭打って、馬馬車のように働かざるを得なかった。
やっとの思いで書類を仕上げると、上官たちは木簡の束を王城に提出する。と、上級官吏たちはその報告書を元に正誤の確認や決定事項を擦り合わせ、最終的に定まった情報をこの報告会で共有することになっていた。
つまり、この場で初めて。士に取り立てられる庶人が判明するのである。
――だが本来、宮殿に貴族以外が立ち入ることはあり得ない。故に、庶人である少年がこの場に呼び出されている時点で、何が起こるかなど自明の理なのである。
「次は……。士の位を与える庶人を読み上げる。呼ばれた者は一歩前に出よ!」
官吏がその言葉を発した途端、少年の瞳が爛々と輝く。
「――! ――!」
連続で挙げられていく名前に合わせて、彼の横で一列に並んでいる兵士仲間たちが次々に進み出る。
「最後に……む?」
突然、官吏の言葉が止まる。
小さな異変にその場にいる全員が身じろぐ。
「おい、これは誤謬ではないのか?」
不意に読み上げていた官吏が隣に控えていた別の官吏に囁く。
「え? 少しお借りしても宜しいですか?」
と、小さな声で答えた彼は問題の木簡を覗き見て〝ああ〟と納得する。
「これで間違いないですよ。たしかこの者は田舎の出身で……。その村では逆の名前にするのが風習だとかなんとか」
「ふむ? そのような村は初耳だが……。これで合っているならば仕方ない」
〝ンンッ〟と咳払いをすると、最後の名前を呼ぶ。
「では最後に……美琳!」
ざわ、と広間に動揺が走った。
戦の功労者が呼ばれたはずなのに、何故ここで女の名が。
名付けの事情など知るべくもない官吏たちは、誰か何か知らないのか、と隣同士目配せし合う。だが、どの目も答えを持ち合わせておらず、ざわめきは増していった。
そんな騒動の最中、話題の中心である人物が一歩足を踏み出して深く長揖する。そして彼は袖を合わせて顔の前に掲げ、直角に腰を曲げた顔を隠す。頭を深く垂れたことで、白く細い首筋が露わになり、結髪からはほつれた黒髪が艶めかしく流れ落ちた。兵士にしては小綺麗な上に小柄である。その頼りない体付きからはとても屈強な兵士とは思えない。しかし最後に読み上げられたということは、此度の戦で最大の戦績を上げたことを意味していた。
官吏たちは正体不明の兵士を見定めんと食い入るように盗み見た。
「前に出た者たちよ。拝謁することを許可する。面を上げよ!」
会を進行していた官吏が合図を送る。と、兵らがそっと長揖の構えを解いた。
庶人から貴族に成り上がれただけある。偉丈夫がずらりと立ち並んでいた。が、件の兵士はまるで少女のような美貌であった。
いよいよ騒然となる。
「なんと、あのような者が紛れ込んでおるとは」
「もしや彼の者が噂の〝少年〟か?」
「しかしあれでは……。本当に〝少女〟なのではあるまいか?」
官吏たちは好き勝手に騒ぎ始める。と、進行役の官吏が大声を上げる。
「静粛に! 静粛になされよ!」
だが一度広がった波紋が簡単に収まるわけがない。男の制止など意味を成さず揺らぎ続ける広間であった。が。
「……!」
あることを契機にぴた、とすべての声が静まり返った。
沈黙させたのはたった一つの行為であった。
それを行った人物は部屋の最奥にある大きな椅子に鎮座している。
その椅子は三段重ねの台座に載せられている。そのため外からの日差しは座している者の顔まで届かず、影となっている。
顔の見えない黄色の着物の男はただ無言で片手を挙げているだけだった。だが全員の視線を集めるのには十分であったようだ。
そのとき〝少年〟を見ている者など誰もいなかった。
「続けよ」
一言、落ち着いた男の声がする。
「は、はッ!」
進行役の官吏が慌てて昇格する兵らに目線を戻す。
「御前まで歩み出よ」
数人の兵たちが動きをずらさないように注意を払いながら、するすると広間の奥に進んでいく。わざわざ動いては止まって、また動く。これは宮殿で行う辞儀のしきたりであり、守れぬ者は粗野な無礼者として処断されるので、彼らは皆、致し方なく粛々と行う。
「止まれ」
官吏が合図を送ると、彼らは再び長揖する。
椅子に腰かけた男がゆっくりと口を開く。
「此度の働き。大儀であった」
「恐悦至極でございます」
兵らは揃って同じ言葉を発する。
「うむ」
影に身を包んでいる男は肘かけで頬杖を突くと、もう片方の手の指をつと動かす。
「そこの者。近う寄れ」
そう言って男が指し示したのは〝美琳〟であった。すると椅子近くに控えていた官吏が慌てて止めた。
「成りませぬ。士に上がったとはいえ、まだ王の御傍には……」
「聞こえなかったのか?」
男は美琳に問いかけた。それでいて言外に官吏を牽制する響きがあった。
「ッ! ……そこの。仰っている通りにしろ」
傍仕えの官吏が美琳に顎をしゃくって許可を下す。
掲げた袖の隙間から成り行きを見守っていた〝少年〟は、低頭の姿勢を崩すことなく慎重に歩み出る。
低く優しい男の声が〝彼〟に声をかける。
「其方が敵を引きつけたことも勝利の要因であったと聞き及んでいる」
ぴく、とその言葉に反応した者がいた。しかし男がそれに気付くことなく言葉を続ける。
「あれ程の……」
と、不意に男の言葉が止まる。
影に隠れていても男の顔がわずかに引き攣ったのが分かった。されどそれは一瞬の内に掻き消えた。
「あれ程の激戦を駆けていた様はこちらからでも見て取れた。褒めて遣わす。よって、其方に何か褒美を取らせようと思う」
がば、と大きな音を立てて〝少年〟が顔をあげ、けれどすぐさま頭を元に戻す。
よく見ると〝少年〟の着物の袖は戦慄いている。
「……なんでも良いぞ。好きに申せ」
男の言葉は柔く、そして張り詰めていた。
「俺……わ、私の欲しいものは……」
変声前特有の、幼げで、男女の区別のつかない声が答える。その声も、男の声と同じくかすかに緊張を孕んでいた。
ごくり、と誰かが生唾を呑み込む音が聞こえた。〝少年〟もわずかに喉を上下させると、意を決する。
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