永遠の伴侶

白藤桜空

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二羽は木陰で羽を休める

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 ぴし、とその場が凍りついた。
 今しがた少年が放った言葉は、あまりにも衝撃的で、尚且つ理解の範疇はんちゅうを超えていた。一瞬にして大広間にいる人々の上を静寂が覆いかぶさり、誰もが周りの様子をうかがい合う。
 そんな中、男が椅子から降りてくる。
「…………」
 ゆっくりと、けれど速やかに男は少年の傍に近寄り手を取る。まるで少年と示し合わせたように。
 予想だにしなかった事態で足を縫い付けられていた官吏かんりたちは、彼の行動を即座に止めることが出来なかった。
「……ずっと待ってたよ。美琳メイリン
 男が少年だけに聞こえる声で呟く。
「ッ、待っててくれてありがとう、文生ウェンシェン
 少年は目を潤ませて男の名を呼ぶ。
「僕のために辛い思いをさせてごめん」
 文生は震える手で美琳の手を握る。それだけで美琳は、戦で何を見られたのか察した。
〝少年〟は静かに首を横に振る。
「いいの。貴方のためならちっとも辛くなかったから」
 美琳は男の目を見つめる。彼と目線を交えるためには、以前よりも高く顎を上げなければいけなくなっていた。
 文生と美琳はひそやかに微笑み合い、久方振りの再会を喜び合った。 文生が王となってから二人がまともに言葉を交わしたのは、これが初めてであった。
 そんな二人の様子に場にいる者は皆一様に唖然とした。が、進行役の官吏がなんとか声を振り絞る。
「お、王よ! そのような下賤げせんな者に御手を触れるなどッ! なりませぬ!」
 だが文生は、美琳から手を離すことなく穏やかな口調でたしなめる。
彼女・・は貴族になったのであろう? もう下賤な身分ではなかろう」
「…………は?」
 官吏の口がぽっかりと開く。
「今、なんと仰いました?」
「下賤な者ではなかろう」
「そこではなく…………。今、そやつを彼女・・と呼ばれましたか?」
 官吏が美琳を信じられないものを見る目で見る。
「王はそやつを……だと仰ったのですか?」
 その言葉に文生は何も答えない。だが彼から嘘の欠片かけらは見当たらず、その顔は言葉よりも雄弁に物語っていた。
 途端、静まり返っていた広間にざわめきが舞い戻った。
「そんな、馬鹿な……! 登録でははっきり〝男〟と書いてありましたぞ!」
 進行役のそばに控えていた官吏が裏返った声で叫ぶ。それを皮切りにあらゆるところから様々な話が飛び交う。
 美琳に程近いところでは官吏らの嘲笑ちょうしょうが波打つ。
「あの風貌にであろう?」
「あやつが噂のでもおかしくもなかろうて」
 反対側からは非難の嵐が巻き起こる。
「それがまことであれば大問題ですぞ?」
「そうです! 誰かが意図的に虚偽きょぎの登録をしたということではありませぬか!」
 他方からは下卑げびた笑いが美琳に纏わり付く。
「王はその年頃の色香に惑わされて言い間違えただけではありませぬか? いてみれば一目で分かりましょうぞ」
「そうですとも。ナニ・・を確かめてから話し合っては如何いかがかな?」
 にやけ顔の官吏たちが美琳に手を伸ばさんとしたそのとき。
「……そも、そのような褒章を欲したところでどうするというのじゃ。お主はなんのためにそれを求める?」
 周囲の状況とは正反対の、淡々としたしゃがれ声が大広間の空気を切り裂き、美琳に問う。美琳は一瞬考える素振りを見せたものの、きっぱりとその質問に答える。
「私は後宮に入りたいのです」
「ほう?」
 その大胆な発言に嗄れ声が愉快そうに返事した。
 声の主は尚も言葉を投げかける。
であるお主が後宮に入って何になる?」
「王の御身をお守りします」
 美琳少年は即座に答えた。
「ではであるお主は何が出来る?」
「……お子を、産めます」
 美琳少女が頬を染めながら答えた。
「ほっほっほ。その言い分だとお主はどちら・・・でもあると言っているように聞こえるのう」
 その言葉と共に一人の老人が玉座の影から出てきた。
仁顺レンシュン丞相じょうしょう。何が言いたい」
 文生が警戒心に満ちた声でその年老いた官吏の名を呼ぶと、仁顺は文生に向かって拱手きょうしゅする。
「儂はただ思うがままに訊ねたまででございます」
 そう述べて頭を上げると、にこにこと微笑みを浮かべて文生と美琳のそば近くに寄る。そして美琳の身体を上から下まで舐めるように検分する。
「……この者の褒章、儂は検討しても良いと思いますぞ」
 仁顺は顎髭を撫でる。
「年若い娘だ。お子もはらみやすかろう。それに護衛も出来るのであれば寝所も守れましょう。悪い話ではないと思いますぞ」
 文生は思わぬ助け船に顔を綻ばせかけた。が、軽く咳払いをして表情を引き締める。
其方そちは真っ先に反対すると思っておったが……。何故なにゆえそう考えた?」
「儂はいつだって御身をおもんばかるだけでございます」
「記憶が合っていれば、其方そちが家柄を重視してきさきめとれと進言していたはずだが」
「この歳になると物忘れが激しゅうて……。困ったものです」
 仁顺の笑顔は一寸も乱れない。文生は仁顺のその態度をいぶかしみながらも、心の奥底では安堵あんどしていた。
 正直、老官吏の申し出は何よりも有難いことであった。
 美琳が願い出てくれたことは二人の約束をかなえるために欠かせないものである。反面、それを押し切るのは年若い文生一人では難しいものがあった。そこへ丞相という、宮殿で最高位の官吏が後押しに参加してくれれば、美琳が輿こし入れするのに圧倒的に有利であった。
 数瞬、無言が続いた。が、再びその沈黙を破ったのは、仁顺だった。
「されどこの者が性別を詐称していた事実は大きゅうございます。そこに関しては言い逃れが出来ませぬ」
「う、む……。それもそうだな」
「何かしら処断を下すのも考えねばなりませんな」
 仁顺の言は至極真っ当であった。
 文生はぐるりと辺りを見回す。
「他の者はどう思う?」
 そう言った文生の顔に日頃の無気力さは無く、むしろ切羽詰まった色がにじんでいた。
 官吏らは二人の問いかけに答えあぐねた。
 確かに仁顺の言ったように不利益は生じないように思う。が、の身分、ましてや庶人出身が最初に輿入れするなど後宮の道理に反する。そもそも、女が軍に属していたなど前代未聞であるのだ。そこへ加えて更に、その女が後宮に入るなんて、前例がある訳もなかった。
 その場にいる者全員がお互いの顔色をうかがった。仁顺に追随ついずいするか、美琳の処遇にいなを唱えるか、どちらを選ぶべきなのか。
 彼らは明確な決定打を持ち合わせておらず、しばしの間、無為な時間が垂れ流していた。そのとき。
「俺ッ、私からも進言して良いでしょうか?」
 今度は良く響く低い声が割って入ってきた。
 新たな発言者の登場。必然、広場につどっている者たちの視線はその人物に集まる。と、そこには勇豪ヨンハオ拱手きょうしゅの姿勢で広場の隅に立ち構えていた。その姿を認識した瞬間、官吏たちの目付きが変わる。
 失望、軽蔑、嫌悪。
 突き刺すような視線が勇豪に注がれる。だが勇豪の顔付きはどこ吹く風といった様子で、ただ無言で文生からの発言の許可を待っている。
 文生はかつて旅路を共にした護衛の登場にほっと一息く。
 彼は美琳にきつい物言いであった。が、言葉の裏には王族への忠誠心が透けて見えていた。そんな彼ならば、自分たち二人の手助けをしてくれるのではないか、と淡く文生は期待した。
「勇豪、申してみよ」
「はッ!」
 先を促されると、勇豪は拱手を解いて大きく息を吸った。
「私は……こいつが女であることを把握しておりました」
 ざわ、とどよめきが広がる。仁顺は、白く太い眉を片側だけ持ち上げる。
「ほう。お主は、軍に紛れ込んでいたこやつを見逃していた、ということになるな?」
「いや、それは違う……います」
「と言うと?」
「私がこいつを軍に誘ったのです」
「ほほう」
 仁顺は顎に蓄えた白髭を撫で付ける。
棕熊ヒグマはこの女の何に惹きつけられて軍に招き入れたのだ?」
「こいつは……宮殿でも噂になっていたはずだが…………不死の身体を持っているのです」
 老官吏の白髭が愉快そうに揺れた。
「ほうほう。あれ・・まことであったか」
「ああ。軍でこいつの不死身を知らぬ者はおらん……です」
 するとそれまで沈黙を貫いていた周囲の兵たちが静かに頷いた。
「そして、俺が、こいつに女であることを隠すよう命じた」
 そう言った勇豪は異様な迫力を放ちながら語り始める。
「もともと美琳は王のために成せることを探していた」
 美琳がそっと文生を見つめる。
「ま、そんな庶人の大それた戯言ざれごと、初めは一蹴いっしゅうしてやったさ」
 勇豪がフン、と鼻息を荒く吐き出すと、一部の官吏たちからクスクスと笑い声が漏れ聞こえた。
「だが王もそれを――美琳が都城とじょうに来ることを望んでおられた」
「ふむ。つまり、王とこやつは顔見知りであったと?」
 仁顺の眼光が鋭く光った。
「ああそうだ。それに二人はッ」
 と、勇豪は一瞬口をつぐみ、突然話を変える。
「……美琳のは王を御迎えに上がったときに判明した。そして俺は思った」
 勇豪は顔前で拳を握る。
使える・・・ってな」
 文生の眉間にわずかに皺が寄り、老官吏は顎に手を当てる。
「成程。女であっても死なぬ体ならば戦の前線で役立つ、そういうことじゃな?」
「その通り、攻撃が出来なくとも盾くらいにはなるだろうってな」
「しかしここにおるということは、期待以上に使えた・・・ようじゃのう?」
「ははは! そういうこった!」
 豪快に笑った勇豪に対し、一人の官吏が〝口が過ぎるぞ!〟と声を上げた。が、仁顺が軽く片手を上げてその者を制する。一方で勇豪も気にする風はない。
「俺も女がここまでやるとは思わんかったし、こいつの腕を雑兵ぞうひょうとして腐らせるのは惜しくなった」
〝だから男として貴族にさせてやろう〟
「……そう思ったんだがなあ。まさか・・・こんな願望を抱いてたなんてな」
「え?」
 と、美琳は思わず零す。
 それを耳聡みみざとく聞きつけた勇豪は、素早く美琳に目配せして首を振る。
 美琳は意図が分からなかった。が、大人しく口を閉じる。
 勇豪はそれを確認すると、かすかに微笑み、そして腰を折り曲げて長揖ちょうゆうした。
「こいつに関する責任は俺にあります。こいつに関することは、すべて俺の独断で決めたことです」
「ほう? お主は此度の戦の責を負うだけでなく、こやつの分も引き受ける。……そう言うのじゃな?」
 仁顺が優し気な微笑みで勇豪の旋毛つむじを見下ろすと、勇豪もまた柔らかい表情を浮かべる。
「その通りです」
「なればお主は降格だけで済まなくなるが、良いのか?」
「構わんです。美琳は十分立ち働いてくれた。俺の身一つでこいつの望みが叶うなら、俺の身分など惜しくはない」
「それ程この者に惚れ込んでおるのか?」
「こいつの実力は俺……私が保証します。必ずや王の御身を守り通すでしょう」
「ふうむ。お主がそこまで言うとはのう」
 こうべを深く垂れる勇豪。美琳からはその表情はうかがい知れない。
 仁顺は勇豪の固い意志を受け止めると、大きく両腕を広げて周囲を見渡す。
「本来この者が受けねばならぬ刑罰は勇豪殿が請け負うようじゃ。それに棕熊ヒグマ殿が認めた腕前。これ程心強いこともなかろう」
 すると官吏の列からちらほらと賛同する声が聞こえ、場の雰囲気は徐々に固まっていった。
 老官吏は再び拱手すると、文生に向き直る。
「後は王の御心次第であります」
「……うむ。この者、美琳の褒賞は後宮入りと致す」
 王の決定にすべての者が長揖するのであった。
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