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二羽は木陰で羽を休める
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寝室を出て少し歩いたところで、嗅ぎ慣れぬ匂いが漂ってきた。
松明の明かりを頼りに匂いの元を辿ると、小さな部屋が発生源であることが分かった。その部屋に静端が入っていったので、美琳も中を覗き見る。
部屋の四隅には小皿が置かれていて、皿の上では何かが燃えて煙っている。更には数人の侍女たちが待ち構えていて、奇妙な圧迫感が漲っていた。
「さ、こちらへどうぞ」
静端が美琳を中へ誘う。しかし美琳は戸口から動かない。
「如何なされましたか?」
「え、えっと……〝もくよく〟ってなんですか……?」
美琳の戸惑う声に、静端は一瞬ぽかんとする。が、すぐに得心する。
「美琳様はご存じないですよね。後宮では〝香木〟を使って沐浴――身を清めるのです」
「こうぼく……」
静端は腕捲りをしながら淡々と話す。
「貴族の方々はこのように香木……芳香がする木を焚いた部屋で沐浴を行います」
そう言うと静端は、美琳が羽織っていた寝間着を脱がせ、それを傍に控えていた侍女に渡す。
「こちらにお座りください」
彼女は部屋に据えてあった木の椅子に美琳を促す。全裸になった美琳はおずおずとそこに腰を下ろす。と、すかさず静端が美琳の下ろし髪を上に結い直す。
「務めを終えられましたら、毎度必ず沐浴します」
静端は後ろに控えていた侍女から水が含ませてある*絺を受け取ると、美琳の首筋や背中を拭いていく。それを甘受しながら美琳は不思議そうに尋ねる。
「なんで必ずするんですか?」
「お体を穢れたままに致しますとお子にも影響がある場合があるからです」
「ふぅん、そうなんですね」
「それと……。美琳様、私共にそのような言葉遣いをなさらなくて宜しいのですよ」
「あ、なんだ、そうなのね。じゃあそうさせてもらうわ」
静端の言葉に、美琳は一気に素の話し方に戻る。すると静端が優しく微笑む。
「ああでも、あのような話し方を王になさるのは感心致しませんね」
「……?」
こてん、と美琳は小首を傾げた。その拍子に結髪が乱れる。
静端は笑顔から一転して、渋い顔を作る。彼女は美琳を椅子から立たせると、静かに頭を振る。
「高貴なる身である王にあのように砕けて話すなど……。これからは重々お気を付けあそばせ」
幼い子供に言い聞かせるような口調で諫める。が。
「なんで?」
「は……?」
予想だにしなかった問いに静端は呆気に取られる。それを無視して美琳は話し続ける。
「だって夫婦なんでしょう? なんで普通に話しちゃダメなの?」
美琳は尚も首を捻ったままだ。静端は慌てて言い募る。
「お、王族の婚姻は普通の夫婦とは違うのです。王と軽々しく接しては「でも」
話を遮られた静端は、じっと美琳に見つめられる。
「でも、同じ『人』でしょう?」
彼女の瞳はどこまでも遠く、そして底の見えない悲しみを湛《たた》えていた。その姿は、遥か昔を見やる老人を想起させた。
「それ、は…………」
静端は言葉に窮する。と、美琳が口を開く。
「……まあでも『そういうもの』なのでしょう? 王城ではちゃんと話すわね」
ぱっと年相応の笑みを美琳は浮かべてみせた。静端もほっと息を吐く。
「え、ええ。そうしてくださいませ」
「うん。分かったわ」
子犬のように可愛らしく頷いた彼女からは、先程の老齢な空気は微塵もなかった。
静端は動揺しながらも、自分の職務を全うすることにした。
手にしていた絺で静端が美琳の瑞々しい肌を拭い始めると、併せて周りにいた侍女たちも手伝い出す。美琳はその手に大人しく身を委ねる。
下腹部を拭き終えた静端は〝失礼致します〟と言って陰部に手を伸ばす。と同時に、美琳の顔を仰ぎ見る。
気付いた美琳も静端と目線を合わせた。しかしその顔にはなんの感情も浮かんでいない。
(若い乙女なら恥じらいの一つもあるでしょうに)
美琳の秘部から滴る子種を拭き取りながら、静端は独りごちる。
「随分と不思議な方が来てしまったものね……」
「え? 何? どうかしたの?」
「いいえ。なんでもございません」
静端は聞き返されたのをきっぱりと撥ねつける。
「そっか」
美琳も大して気にする風ではない。
「さて。これで終わりですわ」
陰裂から透明な粘液が垂れてこなくなったのを確認すると、静端は他の侍女に目配せする。彼女たちは小さく頷くとテキパキと後処理をする。その内の一人が新しい寝間着を持ってくる。
それを静端は美琳に着付け、戸口に向かって手を差し出す。
「それでは王の元へ戻りましょうか」
*絺…葛で織られた目の細かい布。同じく葛製の布で、目の粗いものを綌という。
松明の明かりを頼りに匂いの元を辿ると、小さな部屋が発生源であることが分かった。その部屋に静端が入っていったので、美琳も中を覗き見る。
部屋の四隅には小皿が置かれていて、皿の上では何かが燃えて煙っている。更には数人の侍女たちが待ち構えていて、奇妙な圧迫感が漲っていた。
「さ、こちらへどうぞ」
静端が美琳を中へ誘う。しかし美琳は戸口から動かない。
「如何なされましたか?」
「え、えっと……〝もくよく〟ってなんですか……?」
美琳の戸惑う声に、静端は一瞬ぽかんとする。が、すぐに得心する。
「美琳様はご存じないですよね。後宮では〝香木〟を使って沐浴――身を清めるのです」
「こうぼく……」
静端は腕捲りをしながら淡々と話す。
「貴族の方々はこのように香木……芳香がする木を焚いた部屋で沐浴を行います」
そう言うと静端は、美琳が羽織っていた寝間着を脱がせ、それを傍に控えていた侍女に渡す。
「こちらにお座りください」
彼女は部屋に据えてあった木の椅子に美琳を促す。全裸になった美琳はおずおずとそこに腰を下ろす。と、すかさず静端が美琳の下ろし髪を上に結い直す。
「務めを終えられましたら、毎度必ず沐浴します」
静端は後ろに控えていた侍女から水が含ませてある*絺を受け取ると、美琳の首筋や背中を拭いていく。それを甘受しながら美琳は不思議そうに尋ねる。
「なんで必ずするんですか?」
「お体を穢れたままに致しますとお子にも影響がある場合があるからです」
「ふぅん、そうなんですね」
「それと……。美琳様、私共にそのような言葉遣いをなさらなくて宜しいのですよ」
「あ、なんだ、そうなのね。じゃあそうさせてもらうわ」
静端の言葉に、美琳は一気に素の話し方に戻る。すると静端が優しく微笑む。
「ああでも、あのような話し方を王になさるのは感心致しませんね」
「……?」
こてん、と美琳は小首を傾げた。その拍子に結髪が乱れる。
静端は笑顔から一転して、渋い顔を作る。彼女は美琳を椅子から立たせると、静かに頭を振る。
「高貴なる身である王にあのように砕けて話すなど……。これからは重々お気を付けあそばせ」
幼い子供に言い聞かせるような口調で諫める。が。
「なんで?」
「は……?」
予想だにしなかった問いに静端は呆気に取られる。それを無視して美琳は話し続ける。
「だって夫婦なんでしょう? なんで普通に話しちゃダメなの?」
美琳は尚も首を捻ったままだ。静端は慌てて言い募る。
「お、王族の婚姻は普通の夫婦とは違うのです。王と軽々しく接しては「でも」
話を遮られた静端は、じっと美琳に見つめられる。
「でも、同じ『人』でしょう?」
彼女の瞳はどこまでも遠く、そして底の見えない悲しみを湛《たた》えていた。その姿は、遥か昔を見やる老人を想起させた。
「それ、は…………」
静端は言葉に窮する。と、美琳が口を開く。
「……まあでも『そういうもの』なのでしょう? 王城ではちゃんと話すわね」
ぱっと年相応の笑みを美琳は浮かべてみせた。静端もほっと息を吐く。
「え、ええ。そうしてくださいませ」
「うん。分かったわ」
子犬のように可愛らしく頷いた彼女からは、先程の老齢な空気は微塵もなかった。
静端は動揺しながらも、自分の職務を全うすることにした。
手にしていた絺で静端が美琳の瑞々しい肌を拭い始めると、併せて周りにいた侍女たちも手伝い出す。美琳はその手に大人しく身を委ねる。
下腹部を拭き終えた静端は〝失礼致します〟と言って陰部に手を伸ばす。と同時に、美琳の顔を仰ぎ見る。
気付いた美琳も静端と目線を合わせた。しかしその顔にはなんの感情も浮かんでいない。
(若い乙女なら恥じらいの一つもあるでしょうに)
美琳の秘部から滴る子種を拭き取りながら、静端は独りごちる。
「随分と不思議な方が来てしまったものね……」
「え? 何? どうかしたの?」
「いいえ。なんでもございません」
静端は聞き返されたのをきっぱりと撥ねつける。
「そっか」
美琳も大して気にする風ではない。
「さて。これで終わりですわ」
陰裂から透明な粘液が垂れてこなくなったのを確認すると、静端は他の侍女に目配せする。彼女たちは小さく頷くとテキパキと後処理をする。その内の一人が新しい寝間着を持ってくる。
それを静端は美琳に着付け、戸口に向かって手を差し出す。
「それでは王の元へ戻りましょうか」
*絺…葛で織られた目の細かい布。同じく葛製の布で、目の粗いものを綌という。
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