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尾羽打ち枯らす
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刷毛で塗ったように滑らかな青空に、巨大な積乱雲が沸き上がっている。瞼の裏を赤く染める程強い陽射しに、茹だるような暑さ。
ただ立っているだけでも汗が滴り落ちる。だのに、腰を折って地面に向かい続けなければならないのは、武器を振り続けるのとはまた違った辛さがあった。
「勇豪様。そぢらの調子はどうだが?」
「ん? おお明花か。そこそこ進んだぞ」
勇豪は、籠を持って近寄ってきた明花に気付くと、〝よっこらせ〟と言いながら腰を反らす。
「うわぁ、流石勇豪様。もうでらっと綺麗になってら」
そう言った彼女の目の前には刈りつくされた雑草の山があった。
「今日は忠山と約束してるからな、早めに終わらせておかんと」
勇豪は首に掛けてあった綌から汗を絞る。
「それにしたって凄ぇ。本当に野良仕事したごどねぁんだが?」
「嘘吐いてどうすんだよ」
優しく笑う勇豪。
「さて……。あとはどこをやればいいんだ?」
ぐるりと辺りを見回しながら明花に尋ねた。が、返ってきたのはコロコロとした笑い声だけだった。
「もう勇豪様の分は終わってしまったよ」
「む? そうなのか。じゃあ忠山の様子でも見てくるか」
「んだが。あ、くれぐれも手伝ってはいげねぁよ。忠山が付け上がってしまうがら」
「分かってるって。まったく……。明花は口煩い姑みたいだな」
「しゅッ……!」
明花は目を見開き、顔を真っ赤にする。
「おいはまだ嫁いだごどもねぁのに、それは酷ぇでねぁが」
「ああ、どっちかというと忠山の奥さんか」
「えぇ……あんた奴の妻なんて嫌だぁ」
そう言った明花は心底嫌そうである。まるで嫌いな虫に出くわしたように。
その表情に勇豪は思わず吹き出す。
「ふッ、ははははは! そんなに忠山のかがは嫌か!」
腹を抱えて豪快に笑う勇豪に対し、明花は頬を膨らませる。
「あいづの妻になるぐらいなら、独り身の方がよっぽどえ! それに……」
そこに来て急に言い渋る明花。もじもじと手を弄くりながらぼそぼそと小さな声で呟く。
「お、おいはあだの妻の方が「おーい!」
突然、明花の言葉に大声が割り込んでくる。
「勇豪様ー! 稽古づげでください!」
同時に、二本の長い木の棒を抱えた青年が、勇豪に向かって叫びながら駆けてきた。
「おお、忠山。そっちも終わったのか?」
「んだ! 今日は*けっぱったよ!」
大粒の汗を流しながら忠山がえくぼをへこませる。
「じゃあ木陰にでも行ってやるか」
勇豪も笑みを浮かべながら、後ろにある森を親指で指す。
「分がった。んだども、先さ川で汗流してもえが?」
「いいぞ。俺もそうしてぇ」
勇豪は絞ったばかりの綌で汗を拭う。と、すぐに濡れそぼった。
男二人は談笑しながら小川に向かっていった。そんな彼らを、明花は呆然と見送る他なかった。
「……聞がれねで良がったがもしれねぁな」
明花は拳を胸元で握る。
「きっと、勇豪様は身分の高ぇ人だもんな」
小さくなっていく彼の背中を見つめるその瞳には、憧れ以外の色も滲んでいる。
「…………さて、おいも行ぐべがな」
重い足を奮い立たせて、明花は彼らを追うのだった。
青々と茂った森の中に、やや開けた場所がある。木陰に包まれたその薄暗い空間は、肌に纏わりつく熱気はまだあるものの、日差しの下にいるよりは遥かに涼しい。その場所から歯切れの良いかけ声と、木と木を打ち合う音が軽やかに鳴り響いてくる。
音の正体は勇豪と忠山であった。二人は木の棒を手戟に見立てて、汗を飛ばしながら縦横無尽に動き回っていた。
「うおぉぉ!」
「フンッ!」
「わッ!」
ドサッ、と派手な音を立てて忠山が尻餅をつく。
「まだまだ動きがなっちゃねぇな」
勇豪は肩を木の棒で叩きながら忠山を見下ろす。
「そんたごど言っても、始めで一が月だんて無理だぁ」
「ま、それもそうだな」
「だべ?」
「でもお前は一か月にしちゃ上出来な方だ。筋肉の付きは悪くないし、覚えも遅い訳じゃねぇ。もっと鍛錬すればどんどん上達するだろうな」
「本当だが? 嬉しぇなぁ。おい、もっとけっぱります」
「じゃあ、もうちょっとやれるな」
「え……? や、休み休みやってもえでねぁが?」
「そんな甘っちょろいこと言うな。ほら、立て立て」
勇豪は忠山の腕を引いて立たせると、構え直す。その顔は少年のように輝き、生き生きとしていた。反して忠山の口角は引き攣り強張る。
「せぇい!」
という勇豪の奮起する声と共に、ますます激しくなる二人の仕合を、明花が冷やかす。
「勇豪様! もっと厳しくてえよ!」
すると〝任せろ!〟という力強い返事と、〝止めでぐれぇ〟という悲痛な声が返ってきた。
明花はくすくすと笑いながら、籠に入れていた葛布で縫物を始める。
そこには長閑な時間が流れていた。誰もが戦などとは無縁で、ただ毎日を倹しく過ごしている。ただただ平穏な日常がそこにはあった。
――森が茜色に色付く頃。
とうとう忠山が音を上げた。
「もう無理だぁ」
忠山は肩で息をしながらへたり込むと、そのまま大の字になる。
「なんだ? もう終いか?」
一方の勇豪は、汗は滴っているものの、呼吸は乱れていない。そんな勇豪を、忠山は憧れとも呆れともつかない顔で見上げる。
「どさそんた体力があるんだが? おいと同じように、昼間働いでだのに。ていうが、勇豪様なら畑仕事やらねでもえのに……」
「ははは! 穀潰しだけにはなりたかないからな。やって当然だろ?」
「んでねぁ、勇豪様は殻潰しでねぁよ」
いつの間にか明花が傍近くにやってきていた。気付いた忠山は上体を起こし、胡坐をかく。その姿を興味無さそうに見る明花。一転して勇豪に笑みを向ける。
「夕方に見廻りしてぐれるだげで安心して眠れるんだんて。それで充分だ」
「それはそれ、これはこれ、ってやつだよ」
明花の言葉を軽く受け流す勇豪。彼も忠山の隣に座って胡坐をかき、つと遠くを見やる。
「ああ、でも…………俺も昔は、人よりちょっと体力がある、って程度だったんだぜ?」
その言葉に忠山と明花は顔を見合わせる。
「さっとな訳ねぁだべ」
「んだよ。嘘吐ぐんじゃねぁ」
二人は同時に首を横に振る。すると珍しく勇豪の眉尻が下がった。
「本当だって。こんだけ動いてりゃ普通に疲れてたさ」
〝でもなあ〟と言って腕を組む。
「あいつの体力がやたらあり余っててな。それに付き合ってる内に俺まで、な」
朗らかに話す勇豪。だがその目は二人を捉えてない。
「年の割にこうして動けてるのはあいつのおかげだな……。もう会うこともないだろうが」
「へえ……凄ぇ人なんだね」
「凄いっちゃ、凄いかもな。女だとは思えなッ……」
そこまで言ったところで慌てて口を噤んだ。が、時すでに遅し。
「え! その人、女の人なんだが⁈」
明花は耳聡く拾い、目を輝かせてはしゃぐ。
「まるで噂の〝ご夫人様〟みだいだね! 性別隠して軍さ入って、しかも男以上さ強がった、っていう噂の! ね、勇豪様の*おべでら女の人はどんた人だが?」
「あー……」
勇豪は目を泳がせ、口籠る。明花は夢中になっているあまり、勇豪の困惑に気付かない。熱視線を送り続けて続きを待った。が、それ以上勇豪の言葉が続くことはなかった。
パシン、と軽く膝を叩いた勇豪は、のそりと立ち上がる。
「……大分暗くなってきたな。明花、家まで送ってやるよ」
明花は口を尖らせる。
「勇豪様、もっと話聞がせでください」
それを忠山がぴしゃりと叱りつける。
「我儘言うんでねぁ明花。おいももっと話してゃけれど、そうもいがねぁ。勇豪様はこれがら見廻りだってあるんだんて」
「あ……」
明花は忠山と勇豪を見比べると、気恥ずかしそうに後れ毛を耳に掛け、大きな体を縮こまらせる。
「ん、んだな、年甲斐もなぐ*しょしぇ」
「はは。そこまで気に病まなくていいさ。ほれ、暗くなり切る前に出ないと危ないからな。さっさと行こう」
勇豪が帰路に就くように促すと、明花と忠山は後ろを付いていくのだった――――
「とごろで、勇豪様はどごがら来だんだが? 何時まで経っても教えでぐれねぁね。おい、ずっと気になってで」
忠山が無邪気に尋ねれば、勇豪は訥々と答える。
「……そんな、大したとこじゃないさ」
「でも〝ご夫人様〟の噂ぐらいは聞いだごどありますよね?」
明花が二人に割り込む。と、勇豪は複雑そうな顔をする。
「……ああ、知ってるさ」
明花は夕焼けの光を眩しそうに見つめながら嬉々として話す。
「ご夫人様は庶人出身なのに、戦で活躍して貴族になって、そいだげじゃなぐで褒章までもらって、その褒章で後宮さ入る……なんて、凄ぇなあ」
すると忠山が小馬鹿にする。
「そんた夢物語、ある訳ねぁ」
「ならなんでこんた田舎にまで届ぐんだが?」
「噂が噂を呼んだんだべ。どうせ何がしらが作り話だ」
「何言うのが! 行商のおじさんどご信じねぁのが?」
「今はそんた話でねぁ!」
忠山と明花の会話は熱を帯びていく。と、
「お前らそんくらいにしておけ。もう家に着いたんだし、続きは明日にでもやれ」
勇豪の言葉に二人はハッとし、揃って頬を染める。
明花は勇豪を仰ぎ、面映ゆそうに笑みを浮かべる。
「送ってぐれでどうも」
「おう。じゃあまた明日」
勇豪は明花の頭を軽く撫で、その場を後にする。
薄闇を背負って去っていくその背中は、庶人のものとは到底思えなかった。
「明花、おいももう行ぐな」
勇豪の消えていった方を見やっていた忠山が、明花に振り向く。と、明花は小さく頷く。
「うん……。おやすみ忠山」
「おやすみ。……ッてうお!」
そう言って立ち去ろうとした瞬間、忠山は強い力で着物を引っ張られる。見れば、明花が俯きながら袖を掴んでいた。
「ど、どうしたんだが?」
「………………」
だが明花は答えない。
「ん? 言わねぁど分がらねぁぞ?」
子供に問いかけるような優しい声音で聞く。と、ぽつり、と零れる。
「今度、都城で徴兵があるって噂だげど……」
「ああ、あれがぁ。実は……おいがだ男衆には話来でらんだ」
「……ッ!」
明花は顔を上げる。刹那、涙が転げ落ちる。
「じゃあッ、勇豪様も行ってしまうんだべが……?」
「え、それは知らねぁげど……」
忠山は生まれて初めて見た彼女の涙にたじろぐ。
「あだは、どう思う……?」
「おいは……」
ごくり、と忠山は唾を呑む。
「行ぐで、思う」
それを聞いた瞬間、彼女の感情が決壊する。
「やっぱり、あいだげ強ぇ人が行がねぁわげねぁよね」
彼女の目からポロポロと涙が溢れ続ける。
「あだも……あだも行ぐんだべ? あれは村守るだめでねぁよね?」
忠山は無言で頷くと、明花の顔が引き攣った。
「おい一人、残るんだね」
「……すまねぁ」
じっと忠山は明花を見据える。と、明花がぎこちない笑みを浮かべる。
「えんだよ。おいのこどは気にしねぁで」
〝でも〟と彼女は言って涙を拭く。
「必ず無事さ戻ってね?」
その言葉を聞いた忠山は息が詰まる。そして、震えた声で彼女を呼ぶ。
「明花」
「ん?」
明花は小首を傾げる。と、忠山が大きく息を吸い込んだ。
「おいと……結婚しねぁが」
*けっぱる…頑張る。
*おべでら…知っている。
*しょしぇ…恥ずかしい。
ただ立っているだけでも汗が滴り落ちる。だのに、腰を折って地面に向かい続けなければならないのは、武器を振り続けるのとはまた違った辛さがあった。
「勇豪様。そぢらの調子はどうだが?」
「ん? おお明花か。そこそこ進んだぞ」
勇豪は、籠を持って近寄ってきた明花に気付くと、〝よっこらせ〟と言いながら腰を反らす。
「うわぁ、流石勇豪様。もうでらっと綺麗になってら」
そう言った彼女の目の前には刈りつくされた雑草の山があった。
「今日は忠山と約束してるからな、早めに終わらせておかんと」
勇豪は首に掛けてあった綌から汗を絞る。
「それにしたって凄ぇ。本当に野良仕事したごどねぁんだが?」
「嘘吐いてどうすんだよ」
優しく笑う勇豪。
「さて……。あとはどこをやればいいんだ?」
ぐるりと辺りを見回しながら明花に尋ねた。が、返ってきたのはコロコロとした笑い声だけだった。
「もう勇豪様の分は終わってしまったよ」
「む? そうなのか。じゃあ忠山の様子でも見てくるか」
「んだが。あ、くれぐれも手伝ってはいげねぁよ。忠山が付け上がってしまうがら」
「分かってるって。まったく……。明花は口煩い姑みたいだな」
「しゅッ……!」
明花は目を見開き、顔を真っ赤にする。
「おいはまだ嫁いだごどもねぁのに、それは酷ぇでねぁが」
「ああ、どっちかというと忠山の奥さんか」
「えぇ……あんた奴の妻なんて嫌だぁ」
そう言った明花は心底嫌そうである。まるで嫌いな虫に出くわしたように。
その表情に勇豪は思わず吹き出す。
「ふッ、ははははは! そんなに忠山のかがは嫌か!」
腹を抱えて豪快に笑う勇豪に対し、明花は頬を膨らませる。
「あいづの妻になるぐらいなら、独り身の方がよっぽどえ! それに……」
そこに来て急に言い渋る明花。もじもじと手を弄くりながらぼそぼそと小さな声で呟く。
「お、おいはあだの妻の方が「おーい!」
突然、明花の言葉に大声が割り込んでくる。
「勇豪様ー! 稽古づげでください!」
同時に、二本の長い木の棒を抱えた青年が、勇豪に向かって叫びながら駆けてきた。
「おお、忠山。そっちも終わったのか?」
「んだ! 今日は*けっぱったよ!」
大粒の汗を流しながら忠山がえくぼをへこませる。
「じゃあ木陰にでも行ってやるか」
勇豪も笑みを浮かべながら、後ろにある森を親指で指す。
「分がった。んだども、先さ川で汗流してもえが?」
「いいぞ。俺もそうしてぇ」
勇豪は絞ったばかりの綌で汗を拭う。と、すぐに濡れそぼった。
男二人は談笑しながら小川に向かっていった。そんな彼らを、明花は呆然と見送る他なかった。
「……聞がれねで良がったがもしれねぁな」
明花は拳を胸元で握る。
「きっと、勇豪様は身分の高ぇ人だもんな」
小さくなっていく彼の背中を見つめるその瞳には、憧れ以外の色も滲んでいる。
「…………さて、おいも行ぐべがな」
重い足を奮い立たせて、明花は彼らを追うのだった。
青々と茂った森の中に、やや開けた場所がある。木陰に包まれたその薄暗い空間は、肌に纏わりつく熱気はまだあるものの、日差しの下にいるよりは遥かに涼しい。その場所から歯切れの良いかけ声と、木と木を打ち合う音が軽やかに鳴り響いてくる。
音の正体は勇豪と忠山であった。二人は木の棒を手戟に見立てて、汗を飛ばしながら縦横無尽に動き回っていた。
「うおぉぉ!」
「フンッ!」
「わッ!」
ドサッ、と派手な音を立てて忠山が尻餅をつく。
「まだまだ動きがなっちゃねぇな」
勇豪は肩を木の棒で叩きながら忠山を見下ろす。
「そんたごど言っても、始めで一が月だんて無理だぁ」
「ま、それもそうだな」
「だべ?」
「でもお前は一か月にしちゃ上出来な方だ。筋肉の付きは悪くないし、覚えも遅い訳じゃねぇ。もっと鍛錬すればどんどん上達するだろうな」
「本当だが? 嬉しぇなぁ。おい、もっとけっぱります」
「じゃあ、もうちょっとやれるな」
「え……? や、休み休みやってもえでねぁが?」
「そんな甘っちょろいこと言うな。ほら、立て立て」
勇豪は忠山の腕を引いて立たせると、構え直す。その顔は少年のように輝き、生き生きとしていた。反して忠山の口角は引き攣り強張る。
「せぇい!」
という勇豪の奮起する声と共に、ますます激しくなる二人の仕合を、明花が冷やかす。
「勇豪様! もっと厳しくてえよ!」
すると〝任せろ!〟という力強い返事と、〝止めでぐれぇ〟という悲痛な声が返ってきた。
明花はくすくすと笑いながら、籠に入れていた葛布で縫物を始める。
そこには長閑な時間が流れていた。誰もが戦などとは無縁で、ただ毎日を倹しく過ごしている。ただただ平穏な日常がそこにはあった。
――森が茜色に色付く頃。
とうとう忠山が音を上げた。
「もう無理だぁ」
忠山は肩で息をしながらへたり込むと、そのまま大の字になる。
「なんだ? もう終いか?」
一方の勇豪は、汗は滴っているものの、呼吸は乱れていない。そんな勇豪を、忠山は憧れとも呆れともつかない顔で見上げる。
「どさそんた体力があるんだが? おいと同じように、昼間働いでだのに。ていうが、勇豪様なら畑仕事やらねでもえのに……」
「ははは! 穀潰しだけにはなりたかないからな。やって当然だろ?」
「んでねぁ、勇豪様は殻潰しでねぁよ」
いつの間にか明花が傍近くにやってきていた。気付いた忠山は上体を起こし、胡坐をかく。その姿を興味無さそうに見る明花。一転して勇豪に笑みを向ける。
「夕方に見廻りしてぐれるだげで安心して眠れるんだんて。それで充分だ」
「それはそれ、これはこれ、ってやつだよ」
明花の言葉を軽く受け流す勇豪。彼も忠山の隣に座って胡坐をかき、つと遠くを見やる。
「ああ、でも…………俺も昔は、人よりちょっと体力がある、って程度だったんだぜ?」
その言葉に忠山と明花は顔を見合わせる。
「さっとな訳ねぁだべ」
「んだよ。嘘吐ぐんじゃねぁ」
二人は同時に首を横に振る。すると珍しく勇豪の眉尻が下がった。
「本当だって。こんだけ動いてりゃ普通に疲れてたさ」
〝でもなあ〟と言って腕を組む。
「あいつの体力がやたらあり余っててな。それに付き合ってる内に俺まで、な」
朗らかに話す勇豪。だがその目は二人を捉えてない。
「年の割にこうして動けてるのはあいつのおかげだな……。もう会うこともないだろうが」
「へえ……凄ぇ人なんだね」
「凄いっちゃ、凄いかもな。女だとは思えなッ……」
そこまで言ったところで慌てて口を噤んだ。が、時すでに遅し。
「え! その人、女の人なんだが⁈」
明花は耳聡く拾い、目を輝かせてはしゃぐ。
「まるで噂の〝ご夫人様〟みだいだね! 性別隠して軍さ入って、しかも男以上さ強がった、っていう噂の! ね、勇豪様の*おべでら女の人はどんた人だが?」
「あー……」
勇豪は目を泳がせ、口籠る。明花は夢中になっているあまり、勇豪の困惑に気付かない。熱視線を送り続けて続きを待った。が、それ以上勇豪の言葉が続くことはなかった。
パシン、と軽く膝を叩いた勇豪は、のそりと立ち上がる。
「……大分暗くなってきたな。明花、家まで送ってやるよ」
明花は口を尖らせる。
「勇豪様、もっと話聞がせでください」
それを忠山がぴしゃりと叱りつける。
「我儘言うんでねぁ明花。おいももっと話してゃけれど、そうもいがねぁ。勇豪様はこれがら見廻りだってあるんだんて」
「あ……」
明花は忠山と勇豪を見比べると、気恥ずかしそうに後れ毛を耳に掛け、大きな体を縮こまらせる。
「ん、んだな、年甲斐もなぐ*しょしぇ」
「はは。そこまで気に病まなくていいさ。ほれ、暗くなり切る前に出ないと危ないからな。さっさと行こう」
勇豪が帰路に就くように促すと、明花と忠山は後ろを付いていくのだった――――
「とごろで、勇豪様はどごがら来だんだが? 何時まで経っても教えでぐれねぁね。おい、ずっと気になってで」
忠山が無邪気に尋ねれば、勇豪は訥々と答える。
「……そんな、大したとこじゃないさ」
「でも〝ご夫人様〟の噂ぐらいは聞いだごどありますよね?」
明花が二人に割り込む。と、勇豪は複雑そうな顔をする。
「……ああ、知ってるさ」
明花は夕焼けの光を眩しそうに見つめながら嬉々として話す。
「ご夫人様は庶人出身なのに、戦で活躍して貴族になって、そいだげじゃなぐで褒章までもらって、その褒章で後宮さ入る……なんて、凄ぇなあ」
すると忠山が小馬鹿にする。
「そんた夢物語、ある訳ねぁ」
「ならなんでこんた田舎にまで届ぐんだが?」
「噂が噂を呼んだんだべ。どうせ何がしらが作り話だ」
「何言うのが! 行商のおじさんどご信じねぁのが?」
「今はそんた話でねぁ!」
忠山と明花の会話は熱を帯びていく。と、
「お前らそんくらいにしておけ。もう家に着いたんだし、続きは明日にでもやれ」
勇豪の言葉に二人はハッとし、揃って頬を染める。
明花は勇豪を仰ぎ、面映ゆそうに笑みを浮かべる。
「送ってぐれでどうも」
「おう。じゃあまた明日」
勇豪は明花の頭を軽く撫で、その場を後にする。
薄闇を背負って去っていくその背中は、庶人のものとは到底思えなかった。
「明花、おいももう行ぐな」
勇豪の消えていった方を見やっていた忠山が、明花に振り向く。と、明花は小さく頷く。
「うん……。おやすみ忠山」
「おやすみ。……ッてうお!」
そう言って立ち去ろうとした瞬間、忠山は強い力で着物を引っ張られる。見れば、明花が俯きながら袖を掴んでいた。
「ど、どうしたんだが?」
「………………」
だが明花は答えない。
「ん? 言わねぁど分がらねぁぞ?」
子供に問いかけるような優しい声音で聞く。と、ぽつり、と零れる。
「今度、都城で徴兵があるって噂だげど……」
「ああ、あれがぁ。実は……おいがだ男衆には話来でらんだ」
「……ッ!」
明花は顔を上げる。刹那、涙が転げ落ちる。
「じゃあッ、勇豪様も行ってしまうんだべが……?」
「え、それは知らねぁげど……」
忠山は生まれて初めて見た彼女の涙にたじろぐ。
「あだは、どう思う……?」
「おいは……」
ごくり、と忠山は唾を呑む。
「行ぐで、思う」
それを聞いた瞬間、彼女の感情が決壊する。
「やっぱり、あいだげ強ぇ人が行がねぁわげねぁよね」
彼女の目からポロポロと涙が溢れ続ける。
「あだも……あだも行ぐんだべ? あれは村守るだめでねぁよね?」
忠山は無言で頷くと、明花の顔が引き攣った。
「おい一人、残るんだね」
「……すまねぁ」
じっと忠山は明花を見据える。と、明花がぎこちない笑みを浮かべる。
「えんだよ。おいのこどは気にしねぁで」
〝でも〟と彼女は言って涙を拭く。
「必ず無事さ戻ってね?」
その言葉を聞いた忠山は息が詰まる。そして、震えた声で彼女を呼ぶ。
「明花」
「ん?」
明花は小首を傾げる。と、忠山が大きく息を吸い込んだ。
「おいと……結婚しねぁが」
*けっぱる…頑張る。
*おべでら…知っている。
*しょしぇ…恥ずかしい。
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