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尾羽打ち枯らす
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窓の外から朝ぼらけの光がやってくる。
床の上では文生が胡坐をかき、朝陽は美琳の寝顔を照らしている。その清廉な輝きは彼女の頬を神々しく描き出し、惹きこまれた文生は思わずその形をなぞる。
「……文生?」
突然名を呼ばれた文生は、パッ、と手を離す。すると美琳が、目をこすりつつ、気怠そうに首だけ起こす。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「ううん……。気にしないで。ちょうど『起きる』時間でしょう?」
「そうだね。今日は早めに支度しないと」
文生が床を出ようとする。と、美琳の手が腰に回り、文生は眉尻を下げる。
「美琳? そんな時間ないよ?」
窘める文生。しかしその口元は脂下がっている。
「んー……。もう少しだけ、一緒に……」
美琳の小さく甘えた手が文生を捉えて離さない。その手に文生はそっと手を重ね、宥めるように優しく撫でる。
「今日は駄目だよ」
「……んゃ」
「ほら、僕の好きなのを着てくれるんでしょう? 早く見たいな」
文生が手を撫で続けていると、美琳もやっと納得する。
「ん……分かったわ……」
美琳は渋々といった様子で文生を解放し、起き上がる。その拍子に濡れ羽色の髪が白い肌の上をさらりと流れた。
「うん、いい子」
文生は美琳の髪を取ると優しく口付けをし、素早くその場を離れる。それに併せて壁際に控えていた侍女たちが出で、歩く文生の身支度を整えていく。
「また後で」
と美琳が言うと、文生は慇懃に頷き、部屋を出ていくのであった。
ひらひらと手を振って見送った美琳。その瞳には眠気の一欠片も無い。
「美琳様。こちらも支度致しましょうか」
「ええ。そうしましょう、静端」
するりと美琳は床から降りると、裸体のまま侍女たちの前に進み出る。
静端は軽く膝を曲げて辞儀をし、口を開く。
「……昨夜お話しされていた件ですが」
美琳は空を見て考える。
「どれ?」
「お召し物の話でございます」
「ああ」
合点した、という顔になった美琳は、静端に命じる。
「王の言っていた物を持ってきてちょうだい」
途端、静端は歯切れ悪くなる。
「実は……王が御指名なさった着物は、本日の見送りの儀には相応しくない物でして……こちらで別の物を用意致しました」
そう言って静端が見せたのは、桃の宴のときの物よりぐっと色味が抑えられ、刺繍もより簡素な着物であった。
「……何よこれ。違ったら意味がないじゃない」
「ですが、あれは華やか過ぎます。此度のように兵に寄り添っていることを示す場には」
「煩いわね」
苛立ちを露わにする美琳。
「どうせ兵からは遠くてほとんど見えないんでしょう? だったら王が喜ぶ物の方がいいじゃない」
「そう、ではございますが……。官吏らがなんと申しましょうか」
「そんなの適当に言わせておけばいいのよ。ほら、早くあれを持ってきて。早くしないと始まっちゃうじゃない」
「……承りました」
静端は傍にいる他の侍女に目配せすると、美琳の要望通りの格好にしてやるのだった。
夏と秋の気配が混ざった澄清に、宮殿の紅い屋根が映えている。都城にはいつもと同じ朝の太鼓が鳴り響き、町の人々が起き出す。
だが常と違って、より低く、重く、勇壮な音色が空気を震わせた。その音に屋根で休んでいた鳥たちが驚き、一斉に羽ばたいて飛び去っていった。
その外の景色を、美琳はぼうっと眺めていた。
「美琳よ。如何した?」
と、文生が問いかける。質素で慎ましい装飾品と、鮮やかに染められた黄色の絹の着物を身に付けている彼は、右隣に立っている美琳の顔を心配そうに覗き込んだ。
「あ、いえ……。なんでもございません」
そう答えた美琳は、浅葱斑の豪奢な刺繍が施された紅い絹織物を身に纏い、頭上には金簪が煌めかせていた。
「そうか。ならば良い」
淡々と答えた文生。だがその目はどこか恍惚としていた。
「そろそろ御時間でございます」
傍にいた官吏が外に繋がる戸布を捲り上げる。
「うむ」
文生は小さく頷くと、美琳たちを引き連れて外に出た。
――わッ!
瞬間、野太い歓声が沸く。
王城の宮殿前広場。そこには武装した大勢の兵士たちがひしめき宮殿を見上げ、一様に雄叫びを上げている。
そんな彼らを文生は宮殿の二階から見回し、軽く片手を挙げてやる。するとそれだけで歓声は増し、王城の外まで轟いた。
「な、なんて勇ましいのでしょう」
気圧されたように震えた声が文生の耳に届く。すると文生は、階下から目を逸らさずにその声の主を咎める。
「……夫人である其方がそのように怯えていてどうするのだ、淑蘭よ。もっと堂々とせよ」
「は、はい……! 以後、気を付けますわ」
すかさず姿勢を直した淑蘭。必要最低限の装飾品と、紺に近い青の着物を身に付けた彼女は、彼の冷たい声にますます怯え、戦慄く手で衣の袖を握り締める。
翻って美琳は、悠然と微笑んで兵たちに手を振る。そのたおやかで美しい姿に、兵士らはますます興奮し、咆哮じみた声になっていく。
「美琳のこの姿を見よ。見習うが良い」
文生は美琳に振り返って見つめると、美琳もにこり、と微笑み返す。
「…………」
淑蘭は唇を噛みながら〝承知致しました〟と答えるのであった。
――ドン、ドン。
再び太鼓が強く掻き鳴らされる。鼓動のような重低音が兵たちを鼓舞し、その音色に合わせて男たちは手にしていた武器で地面を叩いて大地を揺すり、鬨の声を上げる。
その喧騒に呑み込まれないように、文生は声を張り上げる。
「誇りある修兵よ! 此度も剛より宣戦布告がなされた!」
文生は固く拳を握る。
「幾度も我が国に負けたのにも関わらず、だ。あやつらは懲りないようだ」
すると兵たちから笑いが起こる。と、文生が片手で彼らを制す。途端、彼らは静まり返って、文生の言葉に耳を傾け始める。
「そう、諦めの悪い奴らだ。確かに……我々も何度も劣勢に立たされ、辛く苦しい戦いを強いられてきた。大勢の犠牲も出た」
ちらほらと兵の目に涙が浮かび、彼らは一心に文生を見つめる。その視線に応えるように、文生も熱く語る。
「だが如何に剛であろうと、我ら修の魂を打ち砕くことは出来ない! 犠牲となった者たちのことを決して忘れるな! そして彼らの命が無駄でなかったことを示すため……今度こそ殲滅してくれよう!」
「うおおッ!」
場の空気は最高潮に達す。
熱狂の渦に巻き込まれた三万の兵たちは意気揚々と王城の外に出で、大通りを闊歩し始めるのであった。
文生ら三人はその雄々しい背中を見送る。美琳も、かつての仲間たちの出立をじっと見つめ、ふと気付く。
「あ……」
それはよく知った人影。他の人よりも頭一つ飛び出ていて、誰よりも大きな背中。自分をここに立たせるために、身分を捨ててくれた人。
「大尉……」
ぽそり、と呟いた美琳の言葉を文生は聞き逃さなかった。
「ん? どうした」
「! いいえ。なんでもありませんわ」
不思議そうに小首を傾げる文生。だが彼女の目線の先を追って納得する。
「勇豪か」
「……ええ。大尉……あの者が何故この場にいるのか気になりまして」
文生は顎に手を当てる。
「此度の戦は大規模だ。戦える者なら誰でも良い、と貴賤も、罪の有無も問わずに搔き集めたのだ」
「そう、なのですね」
美琳は、なんとも言えない『感情』が湧くのを感じた。
そのまま勇豪を見つめ続けていると、向こうも気付いたのだろう。遠目からでもこちらを見ているのが分かった。
「…………」
ちらり、と美琳は文生を盗み見て確認すると、勇豪に小さく手を振る。すると彼も小さく片手を挙げ、そしてすぐに背を向けてしまう。
「美琳。我はそろそろ仕事に戻る故、淑蘭と共に残ってくれ」
「あ……はい。分かりました」
美琳は文生に振り返って答える。その横で、淑蘭も〝承りました〟と頭を垂れて、軽く膝を折り曲げた。
彼女らが兵を見送っているその後ろ。繊細な彫刻の施された柱の陰で、二人の官吏がひそひそと話していた。
「……美琳様は〝相変わらず〟ですな」
「そうですな。まったく……静端はちゃんと教育しておるのか?」
「そもそもあのような態度を御許しになる王の気が知れません」
「あの美貌に骨抜きにされてしまっておるのだろう」
「確かに美しい。けれどそれだけではありませんか。あれ程の寵愛を受けておりながらお子も身籠らず、その上夫人として相応しくない振る舞いばかり」
「ええ、ええ。あのように華美な服装をこのような場に着てくるなど、王族の権威を貶めるおつもりか?」
「それに比べて淑蘭様は素晴らしい。質素でありながら気品のある装い。ゆくゆくはあの方に后になっていただかなければ」
「となると、やはりどちらが先にお子を……」
「何。万が一美琳様の方が早くとも」
「おお、そうでした。貴殿は薬に精通しておりましたな」
「仰る通り。そのときは私にお任せくだされ」
二人はくつくつと笑う。と、不意に日差しを遮る人影が現れ、彼らは慌てて口を噤む。
「ご歓談中のところ失礼致します。大変興味深い話が聞こえてきましたもので……。そのお話、私にもお聞かせ願えますか?」
その言葉と共に、静端が丁寧な辞儀をする。すると一人がしどろもどろに話す。
「あ、いやいや、女には退屈な話であろう」
「ご心配には及びませんわ。私も薬学は少しばかり聞きかじっております故、見聞を広げたいのですが……」
「さ、流石は静端。やはり卿の出は違うな」
一人が静端にへつらう。と、静端はにこり、と柔和に微笑む。
「お褒めいただきありがとうございます。それで、我が主人がどうしましたか?」
「……!」
二人は息を呑む。
「た、大した話ではない。ただ彼の美貌の秘訣が薬にあるのではないか、と思ったまでよ」
「そうそう。浮世離れした美しさでございますからな。何か知ることが出来れば妻にも教えたいなどと話して……」
二人は目配せを交わし、そして静端を見やる。と、
「そうでございましたか……。私共は特別なお世話はしておりませんよ」
静端が笑顔を貼りつけ、二人をじっと見据えていた。その完璧過ぎる笑みに、二人は鳥肌が立った。
「そ、そろそろ式典が終わりますな」
「あ、ああ。そうですな。では静端殿。我々はこれにて失礼する」
と言って二人は立ち去ろうと後ろを向いた。が、つと一人が振り返る。
「美琳様のことを話していたことは王には言うでないぞ。横恋慕したなどと思われては堪らんからな。良いな?」
「……承知致しました」
静端が頭を下げたのを確認した二人は、今度こそその場を後にするのであった。
一人残った静端は大きな溜息を吐く。
(〝疚しいことがある〟などと、わざわざ明言して行かなくても良いものを)
静端は、後宮に戻ろうとしている自分の主人を世話するべく、持ち場に戻るのであった。
床の上では文生が胡坐をかき、朝陽は美琳の寝顔を照らしている。その清廉な輝きは彼女の頬を神々しく描き出し、惹きこまれた文生は思わずその形をなぞる。
「……文生?」
突然名を呼ばれた文生は、パッ、と手を離す。すると美琳が、目をこすりつつ、気怠そうに首だけ起こす。
「ごめんね。起こしちゃった?」
「ううん……。気にしないで。ちょうど『起きる』時間でしょう?」
「そうだね。今日は早めに支度しないと」
文生が床を出ようとする。と、美琳の手が腰に回り、文生は眉尻を下げる。
「美琳? そんな時間ないよ?」
窘める文生。しかしその口元は脂下がっている。
「んー……。もう少しだけ、一緒に……」
美琳の小さく甘えた手が文生を捉えて離さない。その手に文生はそっと手を重ね、宥めるように優しく撫でる。
「今日は駄目だよ」
「……んゃ」
「ほら、僕の好きなのを着てくれるんでしょう? 早く見たいな」
文生が手を撫で続けていると、美琳もやっと納得する。
「ん……分かったわ……」
美琳は渋々といった様子で文生を解放し、起き上がる。その拍子に濡れ羽色の髪が白い肌の上をさらりと流れた。
「うん、いい子」
文生は美琳の髪を取ると優しく口付けをし、素早くその場を離れる。それに併せて壁際に控えていた侍女たちが出で、歩く文生の身支度を整えていく。
「また後で」
と美琳が言うと、文生は慇懃に頷き、部屋を出ていくのであった。
ひらひらと手を振って見送った美琳。その瞳には眠気の一欠片も無い。
「美琳様。こちらも支度致しましょうか」
「ええ。そうしましょう、静端」
するりと美琳は床から降りると、裸体のまま侍女たちの前に進み出る。
静端は軽く膝を曲げて辞儀をし、口を開く。
「……昨夜お話しされていた件ですが」
美琳は空を見て考える。
「どれ?」
「お召し物の話でございます」
「ああ」
合点した、という顔になった美琳は、静端に命じる。
「王の言っていた物を持ってきてちょうだい」
途端、静端は歯切れ悪くなる。
「実は……王が御指名なさった着物は、本日の見送りの儀には相応しくない物でして……こちらで別の物を用意致しました」
そう言って静端が見せたのは、桃の宴のときの物よりぐっと色味が抑えられ、刺繍もより簡素な着物であった。
「……何よこれ。違ったら意味がないじゃない」
「ですが、あれは華やか過ぎます。此度のように兵に寄り添っていることを示す場には」
「煩いわね」
苛立ちを露わにする美琳。
「どうせ兵からは遠くてほとんど見えないんでしょう? だったら王が喜ぶ物の方がいいじゃない」
「そう、ではございますが……。官吏らがなんと申しましょうか」
「そんなの適当に言わせておけばいいのよ。ほら、早くあれを持ってきて。早くしないと始まっちゃうじゃない」
「……承りました」
静端は傍にいる他の侍女に目配せすると、美琳の要望通りの格好にしてやるのだった。
夏と秋の気配が混ざった澄清に、宮殿の紅い屋根が映えている。都城にはいつもと同じ朝の太鼓が鳴り響き、町の人々が起き出す。
だが常と違って、より低く、重く、勇壮な音色が空気を震わせた。その音に屋根で休んでいた鳥たちが驚き、一斉に羽ばたいて飛び去っていった。
その外の景色を、美琳はぼうっと眺めていた。
「美琳よ。如何した?」
と、文生が問いかける。質素で慎ましい装飾品と、鮮やかに染められた黄色の絹の着物を身に付けている彼は、右隣に立っている美琳の顔を心配そうに覗き込んだ。
「あ、いえ……。なんでもございません」
そう答えた美琳は、浅葱斑の豪奢な刺繍が施された紅い絹織物を身に纏い、頭上には金簪が煌めかせていた。
「そうか。ならば良い」
淡々と答えた文生。だがその目はどこか恍惚としていた。
「そろそろ御時間でございます」
傍にいた官吏が外に繋がる戸布を捲り上げる。
「うむ」
文生は小さく頷くと、美琳たちを引き連れて外に出た。
――わッ!
瞬間、野太い歓声が沸く。
王城の宮殿前広場。そこには武装した大勢の兵士たちがひしめき宮殿を見上げ、一様に雄叫びを上げている。
そんな彼らを文生は宮殿の二階から見回し、軽く片手を挙げてやる。するとそれだけで歓声は増し、王城の外まで轟いた。
「な、なんて勇ましいのでしょう」
気圧されたように震えた声が文生の耳に届く。すると文生は、階下から目を逸らさずにその声の主を咎める。
「……夫人である其方がそのように怯えていてどうするのだ、淑蘭よ。もっと堂々とせよ」
「は、はい……! 以後、気を付けますわ」
すかさず姿勢を直した淑蘭。必要最低限の装飾品と、紺に近い青の着物を身に付けた彼女は、彼の冷たい声にますます怯え、戦慄く手で衣の袖を握り締める。
翻って美琳は、悠然と微笑んで兵たちに手を振る。そのたおやかで美しい姿に、兵士らはますます興奮し、咆哮じみた声になっていく。
「美琳のこの姿を見よ。見習うが良い」
文生は美琳に振り返って見つめると、美琳もにこり、と微笑み返す。
「…………」
淑蘭は唇を噛みながら〝承知致しました〟と答えるのであった。
――ドン、ドン。
再び太鼓が強く掻き鳴らされる。鼓動のような重低音が兵たちを鼓舞し、その音色に合わせて男たちは手にしていた武器で地面を叩いて大地を揺すり、鬨の声を上げる。
その喧騒に呑み込まれないように、文生は声を張り上げる。
「誇りある修兵よ! 此度も剛より宣戦布告がなされた!」
文生は固く拳を握る。
「幾度も我が国に負けたのにも関わらず、だ。あやつらは懲りないようだ」
すると兵たちから笑いが起こる。と、文生が片手で彼らを制す。途端、彼らは静まり返って、文生の言葉に耳を傾け始める。
「そう、諦めの悪い奴らだ。確かに……我々も何度も劣勢に立たされ、辛く苦しい戦いを強いられてきた。大勢の犠牲も出た」
ちらほらと兵の目に涙が浮かび、彼らは一心に文生を見つめる。その視線に応えるように、文生も熱く語る。
「だが如何に剛であろうと、我ら修の魂を打ち砕くことは出来ない! 犠牲となった者たちのことを決して忘れるな! そして彼らの命が無駄でなかったことを示すため……今度こそ殲滅してくれよう!」
「うおおッ!」
場の空気は最高潮に達す。
熱狂の渦に巻き込まれた三万の兵たちは意気揚々と王城の外に出で、大通りを闊歩し始めるのであった。
文生ら三人はその雄々しい背中を見送る。美琳も、かつての仲間たちの出立をじっと見つめ、ふと気付く。
「あ……」
それはよく知った人影。他の人よりも頭一つ飛び出ていて、誰よりも大きな背中。自分をここに立たせるために、身分を捨ててくれた人。
「大尉……」
ぽそり、と呟いた美琳の言葉を文生は聞き逃さなかった。
「ん? どうした」
「! いいえ。なんでもありませんわ」
不思議そうに小首を傾げる文生。だが彼女の目線の先を追って納得する。
「勇豪か」
「……ええ。大尉……あの者が何故この場にいるのか気になりまして」
文生は顎に手を当てる。
「此度の戦は大規模だ。戦える者なら誰でも良い、と貴賤も、罪の有無も問わずに搔き集めたのだ」
「そう、なのですね」
美琳は、なんとも言えない『感情』が湧くのを感じた。
そのまま勇豪を見つめ続けていると、向こうも気付いたのだろう。遠目からでもこちらを見ているのが分かった。
「…………」
ちらり、と美琳は文生を盗み見て確認すると、勇豪に小さく手を振る。すると彼も小さく片手を挙げ、そしてすぐに背を向けてしまう。
「美琳。我はそろそろ仕事に戻る故、淑蘭と共に残ってくれ」
「あ……はい。分かりました」
美琳は文生に振り返って答える。その横で、淑蘭も〝承りました〟と頭を垂れて、軽く膝を折り曲げた。
彼女らが兵を見送っているその後ろ。繊細な彫刻の施された柱の陰で、二人の官吏がひそひそと話していた。
「……美琳様は〝相変わらず〟ですな」
「そうですな。まったく……静端はちゃんと教育しておるのか?」
「そもそもあのような態度を御許しになる王の気が知れません」
「あの美貌に骨抜きにされてしまっておるのだろう」
「確かに美しい。けれどそれだけではありませんか。あれ程の寵愛を受けておりながらお子も身籠らず、その上夫人として相応しくない振る舞いばかり」
「ええ、ええ。あのように華美な服装をこのような場に着てくるなど、王族の権威を貶めるおつもりか?」
「それに比べて淑蘭様は素晴らしい。質素でありながら気品のある装い。ゆくゆくはあの方に后になっていただかなければ」
「となると、やはりどちらが先にお子を……」
「何。万が一美琳様の方が早くとも」
「おお、そうでした。貴殿は薬に精通しておりましたな」
「仰る通り。そのときは私にお任せくだされ」
二人はくつくつと笑う。と、不意に日差しを遮る人影が現れ、彼らは慌てて口を噤む。
「ご歓談中のところ失礼致します。大変興味深い話が聞こえてきましたもので……。そのお話、私にもお聞かせ願えますか?」
その言葉と共に、静端が丁寧な辞儀をする。すると一人がしどろもどろに話す。
「あ、いやいや、女には退屈な話であろう」
「ご心配には及びませんわ。私も薬学は少しばかり聞きかじっております故、見聞を広げたいのですが……」
「さ、流石は静端。やはり卿の出は違うな」
一人が静端にへつらう。と、静端はにこり、と柔和に微笑む。
「お褒めいただきありがとうございます。それで、我が主人がどうしましたか?」
「……!」
二人は息を呑む。
「た、大した話ではない。ただ彼の美貌の秘訣が薬にあるのではないか、と思ったまでよ」
「そうそう。浮世離れした美しさでございますからな。何か知ることが出来れば妻にも教えたいなどと話して……」
二人は目配せを交わし、そして静端を見やる。と、
「そうでございましたか……。私共は特別なお世話はしておりませんよ」
静端が笑顔を貼りつけ、二人をじっと見据えていた。その完璧過ぎる笑みに、二人は鳥肌が立った。
「そ、そろそろ式典が終わりますな」
「あ、ああ。そうですな。では静端殿。我々はこれにて失礼する」
と言って二人は立ち去ろうと後ろを向いた。が、つと一人が振り返る。
「美琳様のことを話していたことは王には言うでないぞ。横恋慕したなどと思われては堪らんからな。良いな?」
「……承知致しました」
静端が頭を下げたのを確認した二人は、今度こそその場を後にするのであった。
一人残った静端は大きな溜息を吐く。
(〝疚しいことがある〟などと、わざわざ明言して行かなくても良いものを)
静端は、後宮に戻ろうとしている自分の主人を世話するべく、持ち場に戻るのであった。
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