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花は根に、鳥は古巣に帰る
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すっかり日が暮れ、松明が灯され始めた頃。
修陣営の外れに都城から来た荷馬車が集まっていた。
大量の馬車たちはそれぞれ頑丈さを優先した、飾り気などどこにも無いものばかりであった。が、そんな中、一台だけ。他とは異なる趣の馬車があった。
その馬車には牡丹の花と浅葱斑の絵があしらわれており、周囲は王城の護衛兵たちに取り囲まれている。その空間だけ物々しい雰囲気が醸し出されており、馬車を確認しに来ていた君保は気圧される他なかった。
「な、なんだ? 何が来たんだ……?」
呆然と見ていたら、青銅の鎧を着込んだ小太りの男が近付いてきた。
「おい、お前」
「へ? 俺のこと…………あ」
その人物が誰なのか分かった瞬間、君保は目を見張る。
男はそれに気付かぬように、尊大な口振りで聞く。
「そう、そこのお前だ。お前が責任者か?」
「え、いや、俺は何が届いているのか確認に来ただけです。この後大尉が来るはずなの
で、それからすべて受け取る手筈になっていて……」
「フン。ただの下っ端か。ならそいつに早く来いと伝えに行け」
「あ、えっと、はい!」
君保は姿勢を正し、そして立ち去ろうと構えたそのとき。反対側から浩源がやってくるのが見えた。
「大尉! ちょうど来られたんですね!」
君保は安堵の表情を浮かべる。
「はぁ、遅くなってッ、すみません。やっと、落ち着きまし、て…………」
息を切らしつつ話そうとする浩源。しかし君保の隣にいる男を見た瞬間、絶句する。
「なんだ、お前が大尉になっていたのか。随分と成り上がったものだな」
男は忌々し気に言い、浩源も顔を顰める。
「子佑公……」
「はッ! どいつもこいつも……皮肉のつもりか?」
かつての身分で呼ばれた子佑は、小憎らしそうに浩源を睨む。それに対して浩源はフッと表情を緩める。
「ああ、そうでした。今はただの伝令兵でしたね。……子佑さん」
ピクリ、と子佑の眉根が動く。が、浩源はそれを無視して話を進める。
「ところでそちらの荷物は……どういうことですか?」
その言葉に子佑は眉間に深い皺を刻む。
「誰に向かって言っているのか分かっておるのか? この馬車には「あら、浩源さん」
突然、少女の声が二人に割り込む。
声は馬車から聞こえてきた。その中から一人の少女が兵の手を借りて降りてくる。ゆっくりと彼女が降り立つと、周囲にいた者たちが皆一様に拱手し膝を折る。
悠然と佇む少女が浩源に話しかける。
「浩源さん……ああ、今は大尉と呼ばないとね。お久し振りです。それから昇進、おめでとうございます」
賛辞を贈られた浩源は深く頭を下げる。
「勿体無きお言葉です。美琳様」
「ふふ。貴方にそう呼ばれるとなんだかむずむずするわね」
ころころと笑う美琳を、浩源はちらりと盗み見る。
白い肌に切れ長の目。形の整った小鼻と、真っ赤に色付いている艶やかな唇。
美琳は少女然とした姿であるというのに、不思議な色香を放っている。そして気品ある立ち振る舞いは〝絶世の美女〟の名を欲しいままにしていた。されどそんな彼女が身に纏っているのは、豪奢な刺繍の施された男物の着物と、青銅の鎧であった。
浩源は小さな溜息を吐きつつ訊ねる。
「そのお姿……。もしや出陣なさるおつもりですか?」
「ええそうよ」
「……左様ですか。けれど夫人である貴女様にそんなことは……」
「これは王命よ」
「!」
その言葉に浩源は思わず顔を上げる。
「それは、真でございますか」
美琳は当然といった風に頷く。
浩源は呆けたようになる。
「確かに増援は依頼しましたが、まさか」
「ええ。残念ながらもう都城から送り出せる兵がほとんどいないの。これ以上は都城の警備が破綻してしまうわ」
「…………やはりそうでしたか」
浩源は沈痛な面持ちになる。
「でも大丈夫。私が来たからには負けさせないわ」
「は……?」
困惑する浩源。
「だから盾として上手く使ってちょうだいね?」
「そのようなことは流石に「いいのよ」
美琳はうっとりした笑みを浮かべる。
「すべては王の御身のため。貴方は何も気にする必要はないわ」
「…………」
彼女の、ここにはいない者を慕って恍惚としているその姿は、浩源を黙らせるのに充分であった。
ポン、と両手を合わせる美琳。
「さて。ひとまず私はどうすればいいのかしら」
すると子佑が君保を顎で指す。
「おい。美琳様専用の天幕を用意せよ」
ぼうっと頬を染めて美琳を見つめていた君保は、瞬時に反応出来なかった。が、脳にその言葉が届くと、声を裏返して返事する。
「あ、は、はいッ! 分かりました!」
よろけながら立ち上がると、ばたばたと走り去る。
それを合図に数人の護衛兵たちも動き出し、その場は慌ただしい空気に包まれるのであった。
その最中、浩源は一人思い耽っていた。
(王命と言っていましたが……十中八九、仁顺丞相の判断でしょう)
浩源は険しい顔で腕を組む。
(彼女を差し向けたということは、彼の目的を察した、ということですかね)
じっと美琳を見つめ、呟く。
「長い戦いにならなければ良いのですが……」
修陣営の外れに都城から来た荷馬車が集まっていた。
大量の馬車たちはそれぞれ頑丈さを優先した、飾り気などどこにも無いものばかりであった。が、そんな中、一台だけ。他とは異なる趣の馬車があった。
その馬車には牡丹の花と浅葱斑の絵があしらわれており、周囲は王城の護衛兵たちに取り囲まれている。その空間だけ物々しい雰囲気が醸し出されており、馬車を確認しに来ていた君保は気圧される他なかった。
「な、なんだ? 何が来たんだ……?」
呆然と見ていたら、青銅の鎧を着込んだ小太りの男が近付いてきた。
「おい、お前」
「へ? 俺のこと…………あ」
その人物が誰なのか分かった瞬間、君保は目を見張る。
男はそれに気付かぬように、尊大な口振りで聞く。
「そう、そこのお前だ。お前が責任者か?」
「え、いや、俺は何が届いているのか確認に来ただけです。この後大尉が来るはずなの
で、それからすべて受け取る手筈になっていて……」
「フン。ただの下っ端か。ならそいつに早く来いと伝えに行け」
「あ、えっと、はい!」
君保は姿勢を正し、そして立ち去ろうと構えたそのとき。反対側から浩源がやってくるのが見えた。
「大尉! ちょうど来られたんですね!」
君保は安堵の表情を浮かべる。
「はぁ、遅くなってッ、すみません。やっと、落ち着きまし、て…………」
息を切らしつつ話そうとする浩源。しかし君保の隣にいる男を見た瞬間、絶句する。
「なんだ、お前が大尉になっていたのか。随分と成り上がったものだな」
男は忌々し気に言い、浩源も顔を顰める。
「子佑公……」
「はッ! どいつもこいつも……皮肉のつもりか?」
かつての身分で呼ばれた子佑は、小憎らしそうに浩源を睨む。それに対して浩源はフッと表情を緩める。
「ああ、そうでした。今はただの伝令兵でしたね。……子佑さん」
ピクリ、と子佑の眉根が動く。が、浩源はそれを無視して話を進める。
「ところでそちらの荷物は……どういうことですか?」
その言葉に子佑は眉間に深い皺を刻む。
「誰に向かって言っているのか分かっておるのか? この馬車には「あら、浩源さん」
突然、少女の声が二人に割り込む。
声は馬車から聞こえてきた。その中から一人の少女が兵の手を借りて降りてくる。ゆっくりと彼女が降り立つと、周囲にいた者たちが皆一様に拱手し膝を折る。
悠然と佇む少女が浩源に話しかける。
「浩源さん……ああ、今は大尉と呼ばないとね。お久し振りです。それから昇進、おめでとうございます」
賛辞を贈られた浩源は深く頭を下げる。
「勿体無きお言葉です。美琳様」
「ふふ。貴方にそう呼ばれるとなんだかむずむずするわね」
ころころと笑う美琳を、浩源はちらりと盗み見る。
白い肌に切れ長の目。形の整った小鼻と、真っ赤に色付いている艶やかな唇。
美琳は少女然とした姿であるというのに、不思議な色香を放っている。そして気品ある立ち振る舞いは〝絶世の美女〟の名を欲しいままにしていた。されどそんな彼女が身に纏っているのは、豪奢な刺繍の施された男物の着物と、青銅の鎧であった。
浩源は小さな溜息を吐きつつ訊ねる。
「そのお姿……。もしや出陣なさるおつもりですか?」
「ええそうよ」
「……左様ですか。けれど夫人である貴女様にそんなことは……」
「これは王命よ」
「!」
その言葉に浩源は思わず顔を上げる。
「それは、真でございますか」
美琳は当然といった風に頷く。
浩源は呆けたようになる。
「確かに増援は依頼しましたが、まさか」
「ええ。残念ながらもう都城から送り出せる兵がほとんどいないの。これ以上は都城の警備が破綻してしまうわ」
「…………やはりそうでしたか」
浩源は沈痛な面持ちになる。
「でも大丈夫。私が来たからには負けさせないわ」
「は……?」
困惑する浩源。
「だから盾として上手く使ってちょうだいね?」
「そのようなことは流石に「いいのよ」
美琳はうっとりした笑みを浮かべる。
「すべては王の御身のため。貴方は何も気にする必要はないわ」
「…………」
彼女の、ここにはいない者を慕って恍惚としているその姿は、浩源を黙らせるのに充分であった。
ポン、と両手を合わせる美琳。
「さて。ひとまず私はどうすればいいのかしら」
すると子佑が君保を顎で指す。
「おい。美琳様専用の天幕を用意せよ」
ぼうっと頬を染めて美琳を見つめていた君保は、瞬時に反応出来なかった。が、脳にその言葉が届くと、声を裏返して返事する。
「あ、は、はいッ! 分かりました!」
よろけながら立ち上がると、ばたばたと走り去る。
それを合図に数人の護衛兵たちも動き出し、その場は慌ただしい空気に包まれるのであった。
その最中、浩源は一人思い耽っていた。
(王命と言っていましたが……十中八九、仁顺丞相の判断でしょう)
浩源は険しい顔で腕を組む。
(彼女を差し向けたということは、彼の目的を察した、ということですかね)
じっと美琳を見つめ、呟く。
「長い戦いにならなければ良いのですが……」
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