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猫の額にあるものを鼠が窺う
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紺色の空に満月がぽっかりと浮いている。
そよそよと吹く風は、桃色の花弁と甘い香りを伴って一人の男の元を訪れる。
窓の外からやってきた一枚の花弁に気付くと、男はそっと掌に乗せてやり、じっと見つめる。すると不意に、部屋の外から忍んだ足音がする。
「王。夜分遅くに訪れる御無礼を御許しください。確認していただきことがあるのですが、今御時間宜しいでしょうか?」
囁くように伺う男の声に、文生はぶっきらぼうに応える。
「……良い。入れ」
「ありがとうございます」
部屋に入ってきた官吏は、窓辺に座っている文生の傍に寄って拱手する。そこでふと気付く。
「珍しゅうございますね。王が酒を召し上がるなど」
しかし文生は何も言わない。男は慌てて頭を下げる。
「し、失礼致しました。御不快にさせてしまったなら申し訳ございません」
文生は彼の旋毛に一瞥をくれ、再び窓の外に目を向ける。
「其方は事実を述べただけだ。気にするでない」
そう言いつつ、文生は杯に残っていた酒を一息に呷る。
「……それで? 何用で参った」
「! こ、こちらなのですが……」
官吏は懐から数枚の木簡を取り出す。
「今年の桃の宴の列席者の一覧になります。宴まで残り一週間ですので……差し出がましいかと思いましたが、こちらで簡単に纏めておきました。御一助になれば幸いでございます」
彼は恭しく木簡を捧げる。が、文生は無言で見つめるだけだ。
「あの……? 如何されましたか?」
官吏は不安そうに仰ぎ見た。が、文生はそれを無視して立ち上がり、侍女に杯を渡す。そして冷然と彼に言う。
「今年の桃の宴はない」
「え」
文生の言葉に官吏は呆気にとられ、口が閉まらなくなる。
「り、理由は……?」
「……其方は、最近の民の動向は聞き及んでおるか?」
「は、はい。何やら剛が攻めてくるのではないか、と、噂されておるようですね」
文生は静かに頷く。と、官吏がほっと息を吐き出しながら、言葉を続ける。
「しかし我々には講和条約がございます。幾ら剛とはいえ、条約を破って戦を仕掛けるような真似はしないでしょう」
「……戦だけが攻めてくる手段ではないがな」
「戦だけではない……? ま、まさか⁈」
「ああ。内部から崩そうという算段らしい」
「そんな……! そんな卑劣な行いをしてくるなど! 言語道断!」
「うむ。このような暴挙を許し続ける訳にはいかん。それに〝立て続けに〟事件が起こっていれば、民に不満が溜まってもおかしくなかろう」
「では如何なさるおつもりで」
「…………〝民を安心させるため〟にも、戦を起こし、叩き伏せねばならん」
そう言って文生は、掌の花弁を握り締めるのであった。
そよそよと吹く風は、桃色の花弁と甘い香りを伴って一人の男の元を訪れる。
窓の外からやってきた一枚の花弁に気付くと、男はそっと掌に乗せてやり、じっと見つめる。すると不意に、部屋の外から忍んだ足音がする。
「王。夜分遅くに訪れる御無礼を御許しください。確認していただきことがあるのですが、今御時間宜しいでしょうか?」
囁くように伺う男の声に、文生はぶっきらぼうに応える。
「……良い。入れ」
「ありがとうございます」
部屋に入ってきた官吏は、窓辺に座っている文生の傍に寄って拱手する。そこでふと気付く。
「珍しゅうございますね。王が酒を召し上がるなど」
しかし文生は何も言わない。男は慌てて頭を下げる。
「し、失礼致しました。御不快にさせてしまったなら申し訳ございません」
文生は彼の旋毛に一瞥をくれ、再び窓の外に目を向ける。
「其方は事実を述べただけだ。気にするでない」
そう言いつつ、文生は杯に残っていた酒を一息に呷る。
「……それで? 何用で参った」
「! こ、こちらなのですが……」
官吏は懐から数枚の木簡を取り出す。
「今年の桃の宴の列席者の一覧になります。宴まで残り一週間ですので……差し出がましいかと思いましたが、こちらで簡単に纏めておきました。御一助になれば幸いでございます」
彼は恭しく木簡を捧げる。が、文生は無言で見つめるだけだ。
「あの……? 如何されましたか?」
官吏は不安そうに仰ぎ見た。が、文生はそれを無視して立ち上がり、侍女に杯を渡す。そして冷然と彼に言う。
「今年の桃の宴はない」
「え」
文生の言葉に官吏は呆気にとられ、口が閉まらなくなる。
「り、理由は……?」
「……其方は、最近の民の動向は聞き及んでおるか?」
「は、はい。何やら剛が攻めてくるのではないか、と、噂されておるようですね」
文生は静かに頷く。と、官吏がほっと息を吐き出しながら、言葉を続ける。
「しかし我々には講和条約がございます。幾ら剛とはいえ、条約を破って戦を仕掛けるような真似はしないでしょう」
「……戦だけが攻めてくる手段ではないがな」
「戦だけではない……? ま、まさか⁈」
「ああ。内部から崩そうという算段らしい」
「そんな……! そんな卑劣な行いをしてくるなど! 言語道断!」
「うむ。このような暴挙を許し続ける訳にはいかん。それに〝立て続けに〟事件が起こっていれば、民に不満が溜まってもおかしくなかろう」
「では如何なさるおつもりで」
「…………〝民を安心させるため〟にも、戦を起こし、叩き伏せねばならん」
そう言って文生は、掌の花弁を握り締めるのであった。
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