永遠の伴侶

白藤桜空

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刀折れ矢尽きる

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 その日はやたらと風が強かった。
 窓の外の木が大きく揺れ動き、屋根の瓦もがれされていく。次第に降り始めた雨足はどんどん強まり、窓から室内へと侵入してくる。
 今までに類を見ない程の強烈な嵐に、シュウ国の人々は皆、これ以上酷くならないように祈りながら、ただただ家にもるしかなかった。
 ――だがその願い虚しく、激しさは増す一方だった。

「荒れているな」
 ぽつり、と文生ウェンシェンが呟く。すると政務室にいた官吏かんりも窓の外を不安そうに見つめた。
「そうですね。農作物は大丈夫でしょうか」
 眉根を寄せる官吏。彼が文生に新しい木簡もっかんを差し出すと、文生は一読し、顔をしかめる。
「この天気じゃ厳しかろう。……来月の税は少なめにしよう」
 官吏は数度またたく。しかしすぐにこうべを垂れる。
「承知致しました」
 その言葉に文生は頷くと、難しい顔でしたため出す。そして書類を仕上げると、官吏に渡す。
其方そちらはこれを元に予算案を組むが良い。それから、もしこの天気が続くようなら神事を行うと神官たちに伝えよ」
「承りました」
 そう言って官吏は木簡をうやうやしく受け取り、急ぎ足で部屋を出ていくのであった。

 彼を見送った文生は、深く皺の刻まれた眉間を揉む。そして大きな溜息をくと、部屋にいる他の官吏たちにも目で合図して出ていかせる。
「……ようやっとガンと決着したのに、今度は嵐か」
 一人残った文生は椅子の背もたれに体を預けて脱力し切り、皺だらけの手で豪奢な装飾が施された肘掛けを撫でる。と、不意に、遠い昔の幸せだった記憶がよみがえってくる。
 見渡す限りに広がる田園に、苔生こけむした藁葺わらぶきの家。貧しいけれど、明日のことだけを考えていれば良い生活のなんと気楽なこと。
 子供の頃は老婆に色んなことを教わった。田んぼの耕し方、山菜の採り方、季節の巡り方。例え母を殺した相手でも、自分を育ててくれた事実は変わらない。
 そして、神の森で出会った少女の、花のような笑顔――――
「ふ……」
 思わず笑いが零れる。
 もっと鮮明に覚えているつもりだった。だが今はもう霞がかったように、おぼろげにしか思い出せない。
「寄る年波には勝てぬか」
 文生は様々な調度品の置かれた部屋を見やり、頬杖を突く。
「ここの方が長いのだ。当然か」
 ごうごうと風の音が鳴り響く。
「……出会わなければ、良かったのかの」
 文生は手で顔を覆うと、うめくように呟く。
 ――その問いに答える者はもういなかった。
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