永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空

文字の大きさ
45 / 91
後宮に咲く華たち

45

しおりを挟む
「五万だとッ!それはまことか!」
 文生ウェンシェンの大声が松明の明かりを揺らす。
「ええ。儂も何度も確認したのですが……確かな情報のようでございます」
 仁顺レンシュンの額の皺は深く溝を作る。
「そんなの……我が国の男すべてを集めても太刀打ち出来ぬではないか!」
 ドン、と拳が文机ふづくえに叩きつけられる。
「なんだってガンはこんなに執着するのだ?!あそこだって豊かな国であろう?再びフェンまで駆り出すなどッ!」
 文生はこめかみに青筋を走らせる。
 つと老官吏かんりを見ると、何か物言いたげに眉尻を下げていた。
「なんだ。何か心当たりがあるのか」
「それは……儂の口からはなんとも」
「……お主がそのように言うのも珍しいな。事によっては大事になる。なんでも良いから申せ」
 だが仁顺は静かに首を振る。
「今をどうこう言っても変わりませぬ。それよりも対抗策を考えねばなりませぬ」
「…………それもそうだな。あちらが鳳を出すならこちらも……」
 二人は額を突き合わせて話し出す。
 議論を白熱させた彼らが政務室を出たのは、朝日が昇る頃であった。






美琳メイリン様。こちらにいらしたのですね」
「え……?ああ、淑蘭シュンラン様。こんにちは」
「あらわたくしとしたことが。ご機嫌よう、美琳様」
 薄曇りの下、美琳は花の散った桃園で散歩していた。そんな折に淑蘭がやってきた。
「花のない桃など見て楽しいのですか?」
 青い着物の質問にあかい着物は背を向けたまま答える。
「うーん。楽しくはないンだけど」
 青々と茂った木を見上げながら美琳は目を細める。
「宴のときはあんなに美しかったのに、こうなるとただ寂しいものなんだな、って」
「そう言われれば……たしかにもの悲しい風情ですわね」
 淑蘭も頭上を仰ぎ見る。
「でもわたくしはあまりそんな風に思ったことありませんわ。だって季節の移ろいとはそういうものなんですから嘆いても仕方ないかと。それよりも自然の美しさや恵みに感謝した方がよっぽど良い気がします」
「…………そうね」
 それが上の空の適当な相槌であるのは明白であった。
 美琳はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。
 枯れた花が敷き詰められた桃園で、漂うに佇む彼女の瞳は、淑蘭の存在などうに忘れていた。
 その姿は浮世離れした危うさと、香り立つ色香が共存し、ゾッとする美しさがあった。

 ギリ、と淑蘭は唇を噛み締める。が、すぐさまいつもと同じ、物腰の柔らかい微笑みを浮かべた。
「ところであのことはお聞きになりまして?」
「あのこと、ってなんですか?」
「その様子だとご存知ないのですね。今度大いくさがあるらしいんですの」
「ふぅん」
「あら、あまり驚かれませんのね?」
「だってこの間、王の御様子がおかしかったンですもの。だからそうかもなぁって思ってたの」
「……ふふふ、御二方は本当に仲睦まじくいらっしゃるのね」
 袖で口元を隠しながら淑蘭は笑う。
「やはり何度も渡られていると些細な変化でも気づけるものなのですね。わたくしも見習いたいですわ」
 美琳は素っ気なく返す。
「見習うも何も、夫婦として当たり前のことなんだから出来ない方がおかしいでしょう」
 淑蘭はにこにこと人当たりの良い笑顔で頷く。
「ええ、ええ、そうでございますね」
 そう言いつつ、桃の木に生っている青い果実に触れる。
「けれど、夫婦なのに御子がいないことはもっと不自然ではありませんか?」

 ここにきて初めて、美琳は淑蘭に振り返る。そして自分の腹に手を当てつつ答える。
「そればかりは時の運ですもの。神に祈って待つしかないでしょう」
 それを見た淑蘭は、まだ熟していない桃の実をもぎ取り捨てる。
「ああ、そういえば」
 その実が転がっていくのを目で追う。
「今夜はわたくしのところに渡られるそうですわ。のことなので緊張していますの。何か王のなどご教授頂けませんか?」



 刹那、しん、と桃園が静まり返る。
 木々のざわめきも、虫の囁き声も、風の音すらも。
 淑蘭シュンランは異変を察して桃色の地面から目を離し、美琳メイリンの顔を見たその瞬間。
 足は震え上がり、腰が砕けてへたり込む。

 鋭く光る眼光。凍てついた表情。
 先程までの様子は一変し、儚げだった女はもうどこにもいない。
 虎が獲物をめつけるような、そんな殺気みなぎる目が淑蘭を捉えて離さない。
 淑蘭はカタカタと歯の根が合わなくなり、尻餅をついたまま後ずさる。
「淑蘭様、どちらに行かれるのですか?」
 美琳が優しい声で尋ねる。表情は変えぬまま。
「あ、いえ、えっと…………」
 しどろもどろになった淑蘭に美琳は一歩近づく。
「ヒッ……!」
 淑蘭は思わず顔を隠した。が、予想していた衝撃はいつまでたっても来ない。
 彼女は恐る恐る長い袖の影から覗き見る。
 するとそこには眼前まで迫った美琳の顔があった。
「お、お許しくださいませ!お許しくださいませ!」
 恐怖に染まり切った淑蘭は、地に平伏ひれふす。
 そんな淑蘭の傍に美琳はしゃがんで肘を立てる。

「何を許すの?貴女は何かいけないことをした?」
「い、いいえ。でも……」
 こうべを垂れている淑蘭からはあかい着物しか見えない。
「そうよね?何もいけないことはしてないわよね?」
「は、はい!その通りでございます」
「ならいいのよ」
 そう言った途端、風がそよそよと流れ出す。
 美琳はそっと淑蘭の肩に触れる。
「ほら顔を上げて。貴女にそんな真似させてたら私が静端ジングウェンに怒られてしまう」
 淑蘭は震える体でなんとか顔を上げて見ると、いつもと変わらない美貌のきさきがいた。
「そういえば淑蘭様。王のを知りたいのよね?」
「え、ええ……」
 小さく首肯した淑蘭に美琳は極上の笑みを向ける。

「王が好むのはよ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...