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尾羽打ち枯らす
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ザアザアと激しい雨が屋根瓦を強く叩き、人々は皆、雨宿りを余儀なくさせられている。
当然、兵士たちも訓練を中断して、軒先に集っていた雨が止むのを待っていた。
そんな中、忠山と勇豪は空を仰ぎながらのんびりと話していた。
「ながなが止まねぁね」
「そうだな。夕立にしちゃ長いな」
「んだども、晴れ間近づいでらね」
「お、じゃあ暗くなり切る前には帰れるかな」
「良がった良がった」
ほっと息をつく忠山。勇豪もどこか安堵した表情だ。
二人が話していると、同じく雨宿りしていた兵士たちが勇豪を囲む。
「お久し振りです護衛ち「おい」
一人が言い始めた言葉を、勇豪が遮る。
「名前で呼べって言っただろ」
「あ、そうでした」
彼が頬を掻くと、別の兵士も口を出す。
「でもなあ、何年も呼んでるから慣れないよな」
「そうそう。それくらい許してくださいよ」
他の兵士も口を揃える。
だが勇豪も引かない。
「それが駄目なんだって。ちゃんと切り替えろ」
勇豪が眼光鋭く言うと、兵士らは首を竦める。
「分かりました勇豪さん」
「それでいい」
腕を組んで頷いた勇豪は、一転して満面の笑みを浮かべる。
「けど、まさか数か月で出戻りするとは思わなかったぜ。あんなに派手に見送ってもらったのにな」
「あのときは今生の別れになると思ったんですけどね」
「もう一度会えるなんて夢みたいだな。こればかりは戦がなきゃ叶わなかったな」
「戦も悪いことばっかりじゃない、のか?」
そんな風に兵らが話すと、勇豪は叱責する。
「馬鹿。戦が良い訳ないだろ」
勇豪は言い募る。
「元から兵士の奴はいい。志願兵だって覚悟はあろうさ。けどな、徴兵で来た奴らはどうだ?家族の元から引き離されて、慣れない武器持たされて命の危険に晒されるんだぞ?ンなの、理不尽以外の何物でもないじゃないか」
その剣幕にかつての部下たちは戸惑う。
「勇豪さんどうしたんですか?前はそんなこと言わなかったじゃないですか」
「徴兵だろうがなんだろうが、武器を持ったらそんなの関係ないって」
「確かに。昔はそう思ってたさ」
と言って、ちらりと忠山を見やる。
「でもなあ、成り下がってみて分かったのさ。“平和”ってのがどれ程貴重なモンなのか」
“ま、俺も丸くなってたってことだな”と勇豪は豪快に笑う。
――――いつの間にか雨は止んでいた。
雲間から赤く染まった空が覗いている。
兵舎からは訓練を終えた男たちがぞろぞろと吐き出され、都城へ散らばっていく。
忠山と勇豪も二人一緒に帰路に就いていた。
「……勇豪様が護衛長だどは思ってもまねぁでした」
きょどきょどとしながら忠山は言う。
それに勇豪はしれっと返す。
「言ってなかったからな」
「なんで隠してだんだが?」
「昼間も言っただろ。もう過去のことだ。言ったところで意味ねぇよ」
忠山は眉尻を下げる。
「そうは言っても……「勇豪様ー!忠山ー!」
彼の言葉は軽い足取りと共に打ち消された。忠山は呼ばれた方に向いて、わずかに頬を染める。
「明花。しょしぇがら迎えに来ねぁでえっつったべ」
「あだのこど迎えに来だんでねぁ」
明花はぴしゃりと言うと、勇豪のことを見上げる。
「勇豪様、雨は大丈夫でしたが?着物はあまり濡れでなさそうんだども……」
「おう。兵舎で雨宿りしてたから無事さ。心配かけたな」
勇豪が明花の頭を撫でる。と、忠山がむっとした。それに気づいた勇豪はすぐさま手を離す。
「悪い悪い。人妻にすることじゃなかったな」
するとすかさず明花が言う。
「勇豪様は別だよ。忠山だってそんたの気にする器でねぁもんね?」
にこり、と微笑まれた忠山は、何も言えなくなった。
そんなとき、別の声が三人の会話に混じる。
「勇豪さん。それに忠山さんも……その方は?」
「お、浩源。そういやお前もこっち方面だったな」
“ええ”と答えた浩源の目はじっと明花に据えられていた。
「おっと、明花のことだったな。こいつには路頭に迷ってたときに助けてもらってな。村でも色々と世話になって、そっからの縁ってやつさ」
そう言うと、勇豪と明花は軽く見つめ合う。
「へぇ。そうなんですね」
浩源は明花に向かって笑顔を浮かべる。
「私は浩源と申します。以後お見知りおきを」
見事なまでに綺麗な笑顔。だが明花は背筋が凍ったような気がした。彼の瞳から仄暗い何かが垣間見えたからだ。
「は、はい」
ぶるりと身を震わせた明花は小さな声で返事をし、勇豪の大きな体の陰に隠れる。
「ん?どうした」
「き、貴族様ど何話せばえのが分がらねで……」
勇豪は明花の怯えた様子に首を傾げながらも、話題を変える。
「そうだ。お前子供が生まれたらしいじゃねえか。あいつらから聞いたぞ?良かったな」
「ああ……ありがとうございます」
浩源が淡々と礼を述べたので、勇豪は片方の眉毛を持ち上げる。
「なんだ。もうちっと嬉しそうにしたらどうだ?今が可愛い盛りなんだろ?」
「そうですね。無事に家を継ぐ子が出来てほっとしています」
勇豪はその言葉に怪訝そうにしたが、ふと夕暮れが終わりそうなのに気づき慌てる。
「時間切れだな。まだ戦まで時間もあることだし、明日にでもゆっくり話そうや」
「ええ。私も色々と聞きたいことがあるので、そうしましょうか」
“それではお休みなさい”と言って浩源は三人それぞれに小さく頭を下げる。明花に向けては、特に丁寧に。
忠山も勇豪もにこやかに挨拶を返した。が、一人明花は強張った表情で目線をそらすのであった。
三人は歩きながら浩源が暗がりに消えるのを見送った。すると不意に明花が口を開く。
「あの方ってどんたふとだが?」
その言葉に勇豪は悩みつつ答える。
「どんな……って、言われてもな。基本はあんな感じだが……怒らせると怖い奴だな」
“俺もよく怒られてたわ”と勇豪は肩を竦める。
「ごしゃぐどおっかなぇ……なんとなぐ分がる気がします」
忠山も頷く。
「昼間に部下の……確か君保様……?を叱ってらどぎの浩源様、しったげおっかながったもんな」
「ああ、あの犬っころか」
「犬っころって……ひどぇね」
「犬みたいなもんだろあれ。けど、あんくらい序の口さ。あいつの本気は……やばいからな」
遠い目をする勇豪に二人は同情を禁じ得なかった。
(んだども、あれはごしゃいでらのどは違った気がする)
明花は心の中で一人ごちる。
(あのまなぐ。あれはぎっと……)
「どうした明花?」
ハッと明花は顔を上げる。
どうやら思い耽っていたせいで足が止まっていたらしい。
「ううん。なんでもねぁ」
首を振ると、家路を急ぐのであった。
当然、兵士たちも訓練を中断して、軒先に集っていた雨が止むのを待っていた。
そんな中、忠山と勇豪は空を仰ぎながらのんびりと話していた。
「ながなが止まねぁね」
「そうだな。夕立にしちゃ長いな」
「んだども、晴れ間近づいでらね」
「お、じゃあ暗くなり切る前には帰れるかな」
「良がった良がった」
ほっと息をつく忠山。勇豪もどこか安堵した表情だ。
二人が話していると、同じく雨宿りしていた兵士たちが勇豪を囲む。
「お久し振りです護衛ち「おい」
一人が言い始めた言葉を、勇豪が遮る。
「名前で呼べって言っただろ」
「あ、そうでした」
彼が頬を掻くと、別の兵士も口を出す。
「でもなあ、何年も呼んでるから慣れないよな」
「そうそう。それくらい許してくださいよ」
他の兵士も口を揃える。
だが勇豪も引かない。
「それが駄目なんだって。ちゃんと切り替えろ」
勇豪が眼光鋭く言うと、兵士らは首を竦める。
「分かりました勇豪さん」
「それでいい」
腕を組んで頷いた勇豪は、一転して満面の笑みを浮かべる。
「けど、まさか数か月で出戻りするとは思わなかったぜ。あんなに派手に見送ってもらったのにな」
「あのときは今生の別れになると思ったんですけどね」
「もう一度会えるなんて夢みたいだな。こればかりは戦がなきゃ叶わなかったな」
「戦も悪いことばっかりじゃない、のか?」
そんな風に兵らが話すと、勇豪は叱責する。
「馬鹿。戦が良い訳ないだろ」
勇豪は言い募る。
「元から兵士の奴はいい。志願兵だって覚悟はあろうさ。けどな、徴兵で来た奴らはどうだ?家族の元から引き離されて、慣れない武器持たされて命の危険に晒されるんだぞ?ンなの、理不尽以外の何物でもないじゃないか」
その剣幕にかつての部下たちは戸惑う。
「勇豪さんどうしたんですか?前はそんなこと言わなかったじゃないですか」
「徴兵だろうがなんだろうが、武器を持ったらそんなの関係ないって」
「確かに。昔はそう思ってたさ」
と言って、ちらりと忠山を見やる。
「でもなあ、成り下がってみて分かったのさ。“平和”ってのがどれ程貴重なモンなのか」
“ま、俺も丸くなってたってことだな”と勇豪は豪快に笑う。
――――いつの間にか雨は止んでいた。
雲間から赤く染まった空が覗いている。
兵舎からは訓練を終えた男たちがぞろぞろと吐き出され、都城へ散らばっていく。
忠山と勇豪も二人一緒に帰路に就いていた。
「……勇豪様が護衛長だどは思ってもまねぁでした」
きょどきょどとしながら忠山は言う。
それに勇豪はしれっと返す。
「言ってなかったからな」
「なんで隠してだんだが?」
「昼間も言っただろ。もう過去のことだ。言ったところで意味ねぇよ」
忠山は眉尻を下げる。
「そうは言っても……「勇豪様ー!忠山ー!」
彼の言葉は軽い足取りと共に打ち消された。忠山は呼ばれた方に向いて、わずかに頬を染める。
「明花。しょしぇがら迎えに来ねぁでえっつったべ」
「あだのこど迎えに来だんでねぁ」
明花はぴしゃりと言うと、勇豪のことを見上げる。
「勇豪様、雨は大丈夫でしたが?着物はあまり濡れでなさそうんだども……」
「おう。兵舎で雨宿りしてたから無事さ。心配かけたな」
勇豪が明花の頭を撫でる。と、忠山がむっとした。それに気づいた勇豪はすぐさま手を離す。
「悪い悪い。人妻にすることじゃなかったな」
するとすかさず明花が言う。
「勇豪様は別だよ。忠山だってそんたの気にする器でねぁもんね?」
にこり、と微笑まれた忠山は、何も言えなくなった。
そんなとき、別の声が三人の会話に混じる。
「勇豪さん。それに忠山さんも……その方は?」
「お、浩源。そういやお前もこっち方面だったな」
“ええ”と答えた浩源の目はじっと明花に据えられていた。
「おっと、明花のことだったな。こいつには路頭に迷ってたときに助けてもらってな。村でも色々と世話になって、そっからの縁ってやつさ」
そう言うと、勇豪と明花は軽く見つめ合う。
「へぇ。そうなんですね」
浩源は明花に向かって笑顔を浮かべる。
「私は浩源と申します。以後お見知りおきを」
見事なまでに綺麗な笑顔。だが明花は背筋が凍ったような気がした。彼の瞳から仄暗い何かが垣間見えたからだ。
「は、はい」
ぶるりと身を震わせた明花は小さな声で返事をし、勇豪の大きな体の陰に隠れる。
「ん?どうした」
「き、貴族様ど何話せばえのが分がらねで……」
勇豪は明花の怯えた様子に首を傾げながらも、話題を変える。
「そうだ。お前子供が生まれたらしいじゃねえか。あいつらから聞いたぞ?良かったな」
「ああ……ありがとうございます」
浩源が淡々と礼を述べたので、勇豪は片方の眉毛を持ち上げる。
「なんだ。もうちっと嬉しそうにしたらどうだ?今が可愛い盛りなんだろ?」
「そうですね。無事に家を継ぐ子が出来てほっとしています」
勇豪はその言葉に怪訝そうにしたが、ふと夕暮れが終わりそうなのに気づき慌てる。
「時間切れだな。まだ戦まで時間もあることだし、明日にでもゆっくり話そうや」
「ええ。私も色々と聞きたいことがあるので、そうしましょうか」
“それではお休みなさい”と言って浩源は三人それぞれに小さく頭を下げる。明花に向けては、特に丁寧に。
忠山も勇豪もにこやかに挨拶を返した。が、一人明花は強張った表情で目線をそらすのであった。
三人は歩きながら浩源が暗がりに消えるのを見送った。すると不意に明花が口を開く。
「あの方ってどんたふとだが?」
その言葉に勇豪は悩みつつ答える。
「どんな……って、言われてもな。基本はあんな感じだが……怒らせると怖い奴だな」
“俺もよく怒られてたわ”と勇豪は肩を竦める。
「ごしゃぐどおっかなぇ……なんとなぐ分がる気がします」
忠山も頷く。
「昼間に部下の……確か君保様……?を叱ってらどぎの浩源様、しったげおっかながったもんな」
「ああ、あの犬っころか」
「犬っころって……ひどぇね」
「犬みたいなもんだろあれ。けど、あんくらい序の口さ。あいつの本気は……やばいからな」
遠い目をする勇豪に二人は同情を禁じ得なかった。
(んだども、あれはごしゃいでらのどは違った気がする)
明花は心の中で一人ごちる。
(あのまなぐ。あれはぎっと……)
「どうした明花?」
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