2 / 13
壱の一
しおりを挟む「父上、何か御用でしょうか」
母屋に向かい、父親が待つ居間へと足を進ませた壮真は、閉じられた襖の前に正座して声をかけた。
「ああ、休みのところ悪いな。入れ」
待っていたのだろう、間髪入れず返答がある。壮真はふすまを開け、一礼して部屋に入る。半身になり丁寧に閉めた。
父の頼政は落ち着いた色の着流しを身に着け、床の間を背にぴしりと座っていた。床の間には父直筆の掛け軸が飾られ、母が生けた白い菊がしんと静まった場を作っている。壮真は父の前に進むと、神妙な態で膝を折り座した。壮真を見る父の眼光は常に鋭い。壮真は顔を上げるのもはばかられ、膝の少し前、畳の縁に視線を定めた。
「少し奇妙な事件が起こってな。おまえに任すことになった」
「はい。承知いたしました」
視線はそのまま、腰から体を折る。
「奉行直々から頼まれた件だ。心してかかるように」
「はい……お奉行殿直々とは……それならば定町廻りのほうがよろしいのでは? 成親には話されたのでしょうか」
首を上げ、やや傾げながら壮真は尋ねる。別に不満はないのだが、奉行直々となれば大きな手柄にもなる。そういうのは大体、表がやりたがるのだが……。
「馬鹿者っ!」
だが、それは父親の逆鱗に触れたようだ。何となく思ったことを口にしてはならなかった。
「成親は表の仕事で手一杯だ。奴には風見家当主として危ない仕事はさせられん。おまえはそういう時のために離れにいると、わかっているだろうっ」
――――そういうことだったか。これは俺も間抜けだな。
「はっ。失礼いたしました」
再び頭を、しかし今度は深く下げた。
風見成親。彼は風見家の次期当主である。嫡男の壮真を跡継ぎにはさせられない。そう知った時、父の仕事は早かった。唯一風見家に残っていた末娘、壮真の妹、鈴に婿を取ることにしたのだ。それが成親。
さる関東在藩の旗本三男坊だが、礼儀正しく頭も良い。父に気に入られ、晴れて婿入りとなった。現在町奉行所の吟味方同心。ゆくゆくは頼政の跡を継ぐ。今現在は父の元、その責を全うできるよう日々努力している。
壮真は成親と距離を置いてはいたが、嫌いではなかった。気持ちのいい男だったし、なにより自分が放棄した重荷を背負ってくれたのだ。感謝こそすれ憎む筋合いはない。妹とも仲良くやっているようで安堵しているところだ。
というより、成親は元々、鈴が見初めた相手だった。壮真が優勝した撃剣試合で、三番手になった成親に鈴が一目ぼれした。
しかし、成親の実家は旗本と言っても名ばかりの貧乏旗本。しかも三男坊では嫁に行けないだろうと諦めていたところに、出来の悪い兄のおかげで婿取りの機会に恵まれた。鈴は、母を使って上手に成親との縁談を進めさせたのである。
さて、風見家の居間。父、頼政の小言は続く。
「おまえが臨時同心として残れたのは、奉行殿のお力添えあってのことだ。それを努々忘れるでない」
「仰せの通り、精進いたします」
壮真は元々定町廻り同心だった。成親を同心として奉行所にねじ込んだことで、壮真ははみ出した格好になったのだ。壮真としてはそれも覚悟のうえで父親に歯向かったのだから、さもありなんと諦念の心境。
だが、本来同心としての手腕を高く評価されていた彼は、奉行らの計らいで臨時同心の任に就くことを許された。臨時といっても忙しい時だけ駆り出されるばかりではない。表では探れない厄介な事件を密命として預かるのが本来の職務だ。
命の危険もあるが、壮真はありがたく受け取った。彼もまた、この仕事が好きだったのだ。裏の仕事は、闇に蠢く猛者たちと刃を突きつけ合うも珍しくない。一刀流の使い手でもある壮真は、そんなヒリヒリした現場を実は求めていた。
「ところで、翔一郎とはうまくいってるのか」
一通り、事件について説明した頼政は、退室しようとした壮真に声をかけた。地声がでかい頼政にしては遠慮がちな声だ。
「ああ、はい。お陰様で。ありがとうございます」
襖の後ろで壮真は笑みを作る。それから一礼し、引き手に手をかけ静かに敷居の上を滑らした。閉じるや否や、壮真は自分の父親が深くため息を吐くのを襖越しに聞いた。
1
あなたにおすすめの小説
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
クロワッサン物語
コダーマ
歴史・時代
1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。
第二次ウィーン包囲である。
戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。
彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。
敵の数は三十万。
戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。
ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。
内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。
彼らをウィーンの切り札とするのだ。
戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。
そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。
オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。
そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。
もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。
戦闘、策略、裏切り、絶望──。
シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。
第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる