愛する婚約者は、今日も王女様の手にキスをする。

古堂すいう

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始まりの前

虚無

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 その日は珍しく、ガブリエルから公爵邸を訪ねるという連絡が入った。一体彼が何の用で訪ねてくるのかは皆目見当もつかなかったけれど、それでもロメリアは嬉しくてたまらなかった。

(ついにガブリエルも、私の魅力に気づいたのかしら?)

 ロメリアは頬を薔薇色に染めながら、わくわくとした気持ちで彼の訪れを待った。

 しかし、ロメリアの予想は見事に打ち砕かれる。彼は公爵邸を訪れると、用意された茶も飲まず開口一番に「王都にある軍の宿舎に入ることになった。だからしばらく会えない」と淡々とそれだけを告げた。

「軍の宿舎?」

ロメリアがきょとんと首を傾げると、ガブリエルは冷ややかな表情で頷いた。

(……ガブリエルはいずれ彼のお父様である騎士団長様の後を継ぐ。それは分かっていたけど……)

「いつから行くの?」
「明日から」
「明日!?」

ロメリアは衝撃のあまり固まってしまった。あまりに急すぎる知らせだった。

「し、しばらくって、どれくらい会えないの?」
「2年だ」
「……」

 ロメリアは今度こそ絶句した。ガブリエルは、平然としている。

 普通こんなにも急に軍の宿舎へ入ることになるだろうか。しかも2年間は会えないという。

 そんなこと、あるだろうか。

 本当はもっと前から決まっていたことではないのか。それなのに、ガブリエルはロメリアに言わなかった。それは一体、なぜ……?

(……いいえ、考えなくても分かる。彼は……本当に、私に関心がないのよ。言う必要がないって考えたに違いないわね。だから2年間も離れるのにこんな平然とした顔をしていられる)

 ロメリアは白く小さな手をぎゅうと強く握りしめた。彼の無関心を思い知らされたような気がした。心のどこかで彼は自分のことを好きでいてくれて、だけど寡黙だからそれを伝えないだけなのだと考えていた。

 けれど、そうではないのだ。

 そもそも、伝えることが、ロメリアに対する感情が彼には何もないのだ。ただ淡々と、婚約者としての務めを果たしている。それだけ。

「……っ!」

 ロメリアは歯を食いしばった。

 なんだろう。この一生かかっても登り切れないほど大きな壁を目の前にした時のような……どうにもならない気持ち。抗えない何かに、押さえつけられているような息苦しい圧迫感。

──……彼は絶対に、私のことを好きにならない。

そんな、誰の声とも知れない声が脳裏に響く。

「ロメリア?」

戸惑うような彼の声。

 ロメリアはハッとして顔を挙げた。目に飛び込むのは相変わらず何の感情も移さないガブリエルの瞳。深海の奥に潜む闇。そこにあるのは一体何なのか。それはもしかしたら、ロメリアには知る事の出来ないものなのかもしれない。

「……そう、分かった。じゃあ、お父様にも伝えておくわ」
「ああ」

ガブリエルは短く返事をして、ほんの少しだけをメリアの表情を伺い、結局は何も言わずに踵を返した。
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