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第2章 14歳:嫉妬

第44話 「馬車を用意して」

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 カルヴェ伯爵邸の朝は、今日も忙しかった。お父様が乗った馬車が襲われた、という一報いっぽうが入ったからだ。

「そんな……」
「お嬢様!?」

 お父様のことをニナから聞いた私は、足元が崩れるような感覚を味わった。

 昨日、ネグリジェから服に着替えてからお父様の執務室に行くと、すでに邸宅を出た後だった。
 私もすぐに領地に向かうため、馬車の準備をするように言ったが、ポールに止められてしまった。時間はすでに夜の八時を回っていたことを知らなかったのだ。

「明日にしましょう。お嬢様を危険な目に遭わせるわけにはいきませんし、旦那様にも叱られてしまいます」
「でも、お父様が……」

 危ないのに、とは言えなかった。なぜそう思うのかと聞かれたら、答えられないからだ。
 仮に答えたとしても、頭のおかしな子だと判断されて、さらに身動きが取れなくなる。なら、今は黙っているのが得策だと思った。

 けれど、お父様が襲われたと聞いた時は、やっぱり無理を押してでも行くべきだったと後悔した。

「ニナ、馬車を用意して」

 鏡台の前で身支度を整えてもらいながら、後ろにいるニナに話しかけた。前を向いていても、鏡を通してニナの驚く顔が目に入る。

「いけません、お嬢様。領地に向かわれては、旦那様の二の舞になってしまいます。そうなったら……」

 私の専属メイドであっても、今のニナはユーグ付きのメイドであるため、一緒に領地へ行くことはできない。例えユーグも行くことになっても、同じ馬車には乗れないのだ。

「でも、このまま残っている方が怖いの。次に何が起こるか分からないし。だったら、お父様の安否を確かめに行かせて。じっとしていたくないの」
「……お嬢様のお気持ちは分かります。ですが、病み上がりでもあるんですよ」
「別に運動するわけじゃないわ。馬車に座っているだけで」
「領地まで三時間。領主館に着くまでを計算すると四時間近くになるんですよ。その間じっと座り続けなければなりません。我慢できますか?」

 えっ、そんなに?

 私は転生してから二年間、領地に一度も行ったことがなかったから、まさかそんなにかかるなんて思わなかった。
 まぁゲームだと、ボタン一つで背景画像が邸宅から領主館に変わるだけで関係なかったけど。現実はさすがにそうはいかないよね。
 今ここで、私が選択肢を出してパッと行けたらいいのに。本当に役に立たない選択肢。

 あぁぁぁ、そのシステムだけは残しておいてほしかった!

「我慢できるよ!」

 中身十四歳じゃないんだから。子ども扱いしないで!

「だから馬車を用意してもらえる?」

 私は直接ニナに向き合った。お願いする時は、目を合わせるに限る。ニナはお父様と同じで、私に甘いところがあるから。
 けれど、すぐに首を縦に振ってはくれなかった。
 さすがに無理なのかな、と思った途端、扉がノックされた。

「どうぞ」
「ニナさん、すみません。すでに馬車を用意したので、マリアンヌの旅支度をお願いしてもいいですか? あとのことは……」

 なぜかそうっと部屋に入って来たエリアスは、ニナに近づくと、遠慮がちに私の方を見た。

「もう身支度は終わっているわ。けど、どうして馬車を」
「これには訳があるんです。とりあえず、詳しい説明はユーグ様に聞いてもらえますか」

 抗議するニナに、エリアスは紙を手渡す。

「お嬢様。私は納得できていませんが、準備のため失礼します」
「うん。ごめんね、ニナ」

 私は意味もなく謝った。

「エリアス。私にはないの?」

 ニナが出て行くのを見届けた後、何も言わないエリアスに私は尋ねた。勿論、ニナに渡した紙のことだ。
 まるで駄々をこねた子供のような質問に、エリアスは私の頬をなだめるように撫でて、額にキスをした。

「大丈夫。あとで説明するから」
「……分かったわ。けど、エリアスはニナみたいに反対しないの? 昨日のポールもそうだったけど」
「マリアンヌは行きたいんだろう。なら、俺はそれを叶えてあげたいんだ」

 胸がギュッとなった。
 抱き締めたくて、私は手を伸ばす。けれど、そんなことをしなくても思いが通じたのか、エリアスの方から近づいてきた。
 だからそのまま抱き締めようとしたら、なぜかエリアスが腰を落とした。

 頭を傾げる私に向かって、エリアスは逆に頭を差し出してきた。
 撫でてほしいのかな、と思ってすると、頭を横に振るわれる。それでも差し出したままだ。

「エリアス」

 分かんないよ、と訴えかけると、私の両腕を掴んで自分の肩に乗せた。
 前かがみになり、自然とエリアスの首の後ろで腕を交差させた。
 どうやらそれを待っていたのか、エリアスはゆっくりと私を抱き上げると、そのまま鏡台の丸椅子に腰かけた。

 そういえば、前にもこんな風にされたような。エリアスは好きなのかな、この体勢。私は恥ずかしいんだけど。

「その、嬉しいけど、こんな風に私を部屋に閉じ込めようとしていたわりに、物分かりがいいんじゃない?」
「事情が変わったんだ」
「お父様が襲われたから?」

 だったら、ニナたちのように反対するんじゃないのかな、と思っていると耳元に顔を近づかれた。

 ま、まさか噛まないよね。

「そうだ。屋敷にいる方が逆に危なくなったから、出ることにしたんだ。とりあえず、ポールに気をつけることと俺から離れないこと。これだけは絶対に守ってくれ」
「……分かったわ」

 エリアスは顔を離し、私をじっと見つめた。

「マリアンヌの分かった、はあまり信用できないな。『平気』とか『大丈夫』と同じで。リュカに気をつけろ、って言ったのにのこのこ行くんだから」
「……そのことだけど、いくら思い出しても、言われた記憶がないんだけど」
「そうか?」
「そうよ。いつ、言ったか思い出せる?」

 もしかしたら、私の思い違いかもしれないから。

「オレリアに、マリアンヌを俺のものにしたくないか、って誘われて……同じことをリュカにも言ったって聞いて……だからその後、言ったつもりだったんだけど……」
「オレリアの話も含めて聞いていないわ。つまり、どういうこと? ううん。そもそもいつ、そんなことを言われたの」

 顔を背けるエリアスの首に手を回す。

「誘われたのは、一緒に領地に行くだけじゃなかったの? エリアスのものってどういうこと?」
「それは……えっと……」
「リュカにも言ったってことは、私は何を飲まされようとしていたの? 毒じゃなくて」

 まさか媚薬とか? リュカがそんな誘惑に負けて、あんなことをしたっていうの? それほど私はリュカを追い詰めてしまったの?

「もしかして、エリアスもオレリアの誘いを受けようと考えていたんじゃ――……」
「それはない! いや、その、あの日マリアンヌが俺の気持ちに答えてくれなかったら、分からなかったけど」
「えっ」

 あの日って、オレリアにエリアスを取られちゃった日……だよね。
 リュカに久しぶりに会って、ユーグとお茶をした後、エリアスが慌てて部屋にやって来た日で。
 ……私とエリアスが恋人同士になった日。

 そっか。リュカと二人きりだったから心配したんだ。媚薬を飲まされたんじゃないかって。
 私はてっきり、リュカと一緒にいたのが気に喰わないのかなと思っていた。
 エリアスはリュカのことが嫌いだから。

「マリアンヌの気持ちは知っていたから、オレリアに誘われても無視できた。でもリュカが先に仕掛けて来たら、どうしようもないだろう。マリアンヌは無防備だから」

 エリアスが顔を近づけて、軽く唇に触れる。

「こんな簡単にキスができてしまうほどに」
「そ、それは相手がエリアスだからだよ」

 私はエリアスに抱き着いて、顔が見えないようにした。胸がドキドキ鳴っている。

「じゃ、約束して。俺以外の前では、こんな可愛い姿は見せないって」
「か、可愛いって……」

 少し体を離した瞬間、エリアスに顔を掴まれてキスされた。先ほどとは違い、長くて深いキスを。
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