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第3章 16歳:出生

第62話 「エリアス、ネクタイは?」

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 えっ、なんで私、エリアスの上にいるの?

 何が起こったのか分からずに固まっていると、エリアスの手が私の頭を撫でる。

「ごめん、遅れて」
「……忙しいの?」

 エリアスはお父様の手伝いをしている。
 今日、門前払いに遭ったことを思い出した。

 そういえば最近、お父様とも会えていない。朝食の席でさえも。

 元々、夕食は一緒に食べられないことは多かったけど。その分、朝食は一緒に取るようにしてくれていた。
 忙しい時でも、無理をしているのが分かるほどに。

「いや。来る前に、ニナさんに捕まっていたんだ」
「ニナが? なんで」
「どうもこれにおかんむりらしい」

 そう言って私の鎖骨の下を触った。思わずエリアスの手から逃れるように、体をさらに上げる。

 そこは昨日、キスマークを付けられた場所。

「た、確かに今朝、お小言こごとは聞いたけど……」

 注意しに行くほどだとは思わなかった。

「基本、ニナさんもマリアンヌに甘いからな」
「否定はしないわ。私もニナが大好きだから」
「俺は?」
「ふふふっ。今日はエリアスから聞きたいわ」

 こんなにやきもきさせられたんだもの。いいでしょう?

 エリアスの頬に触れると、私と同じように目を細めた。

「マリアンヌ」

 私の腰にあった腕が背中に回る。ゆっくり押される感覚に、私は身を委ねた。

 近づく距離。唇が触れるか触れないかのところでエリアスは、私が求める言葉を口にした。


 ***


 しばらくエリアスの腕の中にいた私は、あることに気がついた。

「エリアス、ネクタイは?」
「……この体勢でそれを聞くのか?」

 この、体勢……。あ、うん。確かに聞くのは野暮やぼだったかな。

 私は、いや私たちは今、ベッドの上にいる。けして、やましいことはしていないけど……。

「やっぱりない方が良かっただろう?」
「……折角、買ってきたのに」

 いらないと言われるのは悲しい。

 思わず顔を埋めて、シャツを握り締めた。

「えっ、本当に?」

 エリアスは私ごと体を起こした。

「……昨日、用意するって言ったじゃない。ちゃんと品物から品定めまで、全部私が選んだんだから」

 ちょっと嫌味だったかな。それともケヴィンから聞いたことだから、嫌な顔をするかしら。
 そっと顔を上げると、口元を手で隠すエリアスの姿が目に入った。

 もしかしてその下はゆるんでいるの?

 途端、伝染でもしたのか、私まで気恥ずかしくなった。

『エリアスはお嬢さんが選んだものなら何だって喜びそうな気がしますけどね』

 思わず、ケヴィンの言葉が頭を過るほどに。

「と、取ってくるから、ちょっと待っていて」

 ベッドから降りて、足早に向かった。
 深緑色の箱は、机の引き出しの中。それを取り出した瞬間、お腹に腕を回された。
 誰に? 勿論、相手は一人しかいない。

「エリアスっ!」
「腕が塞がっているから、マリアンヌが開けて」
「えぇぇぇ」

 私を放してくれれば済むことでしょう!

 振り向こうにも、首元に顔を埋められていてできない。反論する機会を奪われてしまった。

 仕方がなく包装紙を丁寧に外して、ふたを開ける。

「ネクタイ、つけてもらいたくて買ったんだけど。エリアスはしたくないんだよね」
「したいさ。マリアンヌがくれる物なら。でも、この時間はしたくないだけだ」
「……屁理屈へりくつっていうのよ、そういうの」

 エリアスはクククっと笑いながら、私越しに箱から黄色いネクタイを取り出した。

 まるで私に見せるかのように、ネクタイを広げる。

「だから、ニナさんが忠告してきたのか」
「え?」

 振り向くと、苦笑したエリアスの顔が目に入った。すぐに柔らかい表情に戻り、そっと私の額にキスを落とす。

「何でもない。それより、付けてもいい?」
「……ネクタイのこと? それならいいわよ」
「そんな風に警戒しなくてもいいだろう」
「するわよ。昨日のことなんだから」

 鎖骨の辺りを触る。引いたはずの熱が再び込み上げてきたような錯覚を覚えた。

 その間エリアスは、器用に片手で襟元を直して、黄色いネクタイを首にかける。すぐに巻くのかと思ったら、先端を手に取って、まるで宝物を見るかのような視線を注いでいる。

 そんな姿でも絵になるのが攻略対象者らしいなぁ、と思う。黄色が似合うのも含めて。

 ふと、ネクタイを巻くエリアスの袖に目がいった。

「これ……」

 思わず腕を掴む。

 銀色の四角いカフス……。確かに目立たない物にしたけど、すぐに気がつかなかったなんて。

 エリアスの安堵した表情に、心が痛んだ。

「いつから?」
「勿論、朝からずっと付けている」
「誰かに何か言われなかった?」
「マリアンヌが気を遣って選んでくれたお陰で、誰にも言われなかったよ」

 そう。良かった。

 私が腕から手を放すと、エリアスはカフスを愛おしそうに見つめる。

「お父様も?」

 巻きかけのネクタイに手を伸ばす。あとは絞めるだけなら、私でもできる行為だ。

「旦那様は……いや、旦那様も気づいていなかったよ」
「そんな。目ざといお父様が?」
「……忙しくされているから」
「エリアスが手伝っているのに?」

 それにさっき、忙しいのか聞いたら、否定しなかった?

「俺ができるのは、限られているからな。仕方がないだろう。最終的なものは旦那様にしかできないものが多い」
「そうだね」

 いくらエリアスが次期伯爵でも、今は使用人。むしろできないものの方が多いと思う。

「ごめんなさい。変なことを言って」
「いや。それよりも、ネクタイから手を離してほしいんだが」
「え?」

 気がつくと、私はエリアスの顔を引き寄せていた。ネクタイを引っ張っていたらしい。

「やっぱりネクタイは、ない方がいいんじゃないか。色々な意味で」
「……そうしたら、付ける場面がないでしょう」
「普段は?」
「ダメよ。黄色は目立つわ」

 そもそも、黄色いネクタイをしている使用人なんて、見たことがない。

「今更だと思うが」
「それでもダメ! ニナに注意されたんでしょう」
「マリアンヌ、論点が違う。注意を受けたのは手を出さないことで――……」
「く、口に出さなくていいから!」

 咄嗟にエリアスの口を手で塞いだ。けれど、目は不満そうだった。

 こ、これはお父様に注意してもらわなければならない案件かも。
 それにニナだって、別のことを注意したんだと思うけど、カフスやネクタイのことは知っている。

「ニナはこれも込みで注意したのよ」
「それは絶対に違う。断言してもいい」

 腕を掴まれ、エリアスの顔から離された。

「とにかく普段はダメ。ここに来る時にしてきて」
「……分かった」

 渋々返事をするエリアスを見て、私は決心した。明日、お父様に言いに行こうと。
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