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3 『世田谷区八幡山小二女児殺害事件』
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家の中にいた。遠くで雨の気配がしている。
どこかは知らない。見覚えもない。
起き上がろうとして、失敗した。体を動かせない。金縛りか。だとしたら、自分は今眠っているということになる。いや、目は開いているな。なぜなら天井が見えるから。
天井にはスイッチ紐の垂れ下がった和室用照明がぶらさがっていて、ちょっと眩しい。夜みたいだ。
山城は混乱しながらも、解ることをひとつひとつ確認した。現役警部補は冷静なのだ。
寝心地からして、庁舎の床ではない。クラウドのデスクの上でもない。というか、ここは庁舎内ではない。民家だな。
……あんまり解ることがないようだ。
「起きたか、結夢」
襖を開けて、入ってきた男が言った。山城よりは若いが、クラウドよりは年上に見えた。
だが、何かが妙なかんじがする。
「熱は下がったか?」
「うん」
布団のそばに座った男の問いに、女の子の声が応えた。
山城の体感では、返事をしたのは自分だった。が、聞こえた声は子供の、女の子のものだ。たぶん小学生くらいだ。
「真夏なのに冬みたいに冷たい雨が降ってたよ。風邪をひくのも仕方がないよ」
「パパは大丈夫?」
「大丈夫だ。ありがとな」
優しいパパと娘の会話だ。
何だ、これ。
金縛りで見る夢としては意味がわからない。そもそも、山城は女の子の役みたいだし。
何だ、これ?
山城が困惑している間にも親子の会話は進んでいく。
「おなかは空いてないか?」
「すいてない」
「そうか」
女の子が体を起こした。山城の視界が広くなって、部屋の様子がよく見えるようになった。
壁、少し開いた襖。襖の向こうは居間なのか、固定電話ののった電話台が見えた。その隣にテレビ。深夜帯のバラエティ番組は山城が学生時代に人気のあったものだ。再放送だろうか。
そう思ったら、女の子が男を見た。
男の着ている物も古い。古いというか、流行遅れ。それこそ山城が大学に入った頃の服装のように思える。ダメというわけではないが、なんとなく野暮ったく、古臭く感じた。
「もうすぐママに会えるんだよね」
「うん」
「うれしい。すごく楽しみ! 着替えるね」
「う、ん」
女の子の視線から逃れるように、男は俯いた。
「それなんだが……止めないか、やっぱり。よくないよ」
「よくないの?」
「……無理に会いに行ってもママは喜ばないかもしれない」
「パパ、うそついたの?」
「え?」
「会いに行ったらママがよろこぶって言ったじゃん」
女の子は不満そうに言って、立ち上がった。やや足元があぶなっかしいが、山城には何もできない。
女の子はタンスを開け、着替えを取り出した。かわいらしいワンピースだ。袖はなくて、肩口はレースが付いている。
「外は寒いんだ、今日はやめよう」
「夏だよ。すぐあつくなるよ」
女の子はてきぱき着替えた。
「結夢」
「パパはそのかっこうでいいの? ママに会うのにおしゃれしないの?」
「……あ、ああ、うん。そうだね」
男は押し切られるように頷いて、のろのろ動き出した。視線は迷いがちで、不安そうだ。
女の子のほうは落ち着いて着替えを済ませ、窓のそばにある学習デスクの上にあった紙袋を持った。
「何を持っていくんだ?」
「ママにプレゼントするの。ネコちゃんのマスコットだよ。わたしが作ったの」
女の子は紙袋を大切そうに両手で持った。
「パパ、行こう」
「……ああ」
父親は気が乗らない様子だったが、娘に押し切られてしまった。手早く戸締りして、二人は家を出た。
女の子は一度だけ、自分の家を振り返った。
郊外にある集合住宅の一階部分が自宅のようだ。手前は店舗で、奥が住まいになっている。店はクリーニング店だった。看板には『クリーニングHINO』と掲げてあった。
クリーニング屋、結夢。
どちらも、『世田谷区八幡山小二女児殺害事件』のファイルに記載があった。
日野結夢は被害者だ。とすると、これは事件被害者の夢か。
山城が考えている間に、日野親子は公園にたどり着いた。
「さむい」
女の子が言うと、父親が大袈裟にため息を吐いた。
「ほらな。言っただろ。雨が降ったから冷え込んでるんだ。……今日は帰ろう」
「イヤ」
女の子はそばにあったベンチに座り込んだ。
尻が濡れたのは、さっき止んだばかりの雨のせいだ。不快な感触だが、意地になった女の子は手強い。
「パパ、はやく」
「……結夢」
父親は渋々、女の子に水筒を渡した。
女の子は水筒を開け、蓋カップに中身を注いだ。オレンジジュースだ。
事件現場を見ているのだとしたら、オレンジジュースは除草剤入りだ。女の子の死因は窒息死だったが、遺体から除草剤が検出されていたはずだ。
息が苦しくなってきた。
喉と食道が痛い。胃も気持ち悪い。焼け付くような痛みだ。女の子は前屈みに体を折った。ヒューヒューと苦しい息の音で耳の中までいっぱいになる。
こりゃあ、やばい。死ぬ。
いや、死んだんだ。この子は。
この子が死んだら、一体化しているっぽい自分はどうなるのだろう。一緒に死ぬのか?
「パパ、く、るし……いよ、う」
「結夢、ゆめっ……!」
両手で首を支えるようにして苦しむ女の子を、男は抱き起こした。男は泣いていた。泣きながら、女の子の手に自分の手を重ねる。
ぐっと、喉が圧された。
小学生低学年の女の子の首だ。大の男が潰すのは難しいことではない。
男の腕の震えを感じつつ、気が遠くなっていく。息ができない。苦しい。痛い。
…………パパ、たすけて
それが最期。
× × ×
山城は息を飲み、思い切り吐き出した。
激しい咳でそれこそ息もできない。だが喉が焼ける痛みはなくなった気がした。
「山城君、大丈夫? 目を開けたまま寝てたんだよ?」
「く、くにえだ、さん?」
涙が出るほど咳き込んでいるのが大丈夫に見えるのか? と凄みたいところだが、まだ無理だ。
山城はなんとか息を整えた。
元の、埃っぽい部屋だ。資料室、いや、捜査8係。窓の外は明るいし、さっきからそれほど時間は経っていないようだ。
山城は椅子に座り込み、ひっくり返っていたようだ。国枝は左側から覗き込んでいて、クラウドは山城の足の間にかがみ込んでいる。イケメンがすごく近い。
「ほ、ほあぁっ?」
山城はのけぞり、キャスター付きの椅子ごと後ろにひっくり返った。
「元気そうですね、良かった」
立ち上がったクラウドの冷静な声に、山城はようやく全部を理解した。
理由はわからない。
だが、つい今見たこと、体験したことはクラウドの妙な術のせいだ。そうだ、たしか占い盤の上に手を突いて、痛かったのだ。
あれがきっときっかけで、山城は術にかかったのに違いない。
そう結論づけた山城は飛び上がって立ち上がり、クラウドの胸ぐらをつかんた。生意気にも高級ネクタイだ。陰陽師っていう仕事は儲かるのかもしれない。
「てめぇ! 俺に何したっ?」
「敢えて言うなら、あなたの目を覚まさせました。気分は?」
「最悪だ。なんて悪趣味なモンを見せるんだ。お前の術ってのは、悪夢を見せんのかよ」
「悪夢……?」
掴み掛かられているのに落ち着いて、クラウドは首を傾げた。
視線の先は占い盤だ。真ん中にあった鏡が割れている。手を突いた時に割ってしまったのかもしれない。
高いのかも。
山城はヒヤッとした気持ちを飲み込み、クラウドをさらに締め上げた。さすがに苦しかったのか、きれいな眉間に皺が寄った。それでもなんとなく艶かしいから、イケメンというのは度し難いのだ。
「……仮説なんですが」
クラウドが口を開いた。
「あなたが今、何かを見たのなら、占盤に出していた方の事件当日の様子ではないでしょうか」
「……は? え? そんなこと、できんの?」
陰陽術に知識なんかないが、可能ならとんでもないことだ。
事実かどうかはともかく、山城が見聞きした内容はしっかり覚えている。あれがクラウドに見せられた夢なのだとしても、すごい。自在に夢を見せられるというのは、超能力だ。
「できませんよ。……普通ならね」
驚きで緩んだ山城の手を解いたクラウドが涼しい顔で言った。
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