【R18】Gentle rain

日下奈緒

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求めあう気持ち

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階堂さんと会った次の日、私は携帯の番号を新しいものにした。


こうすれば、階堂さんからの連絡は来ない。

いつか、階堂さんの事を忘れる事ができるようになる。


「なあ、美雨。」

夕食を食べている兄さんが、携帯を見ている。

「携帯の番号、変えた?」

「うん。」

「ええ!?教えろよ、そう言うことは。」

「メール送っておいたよ。」


素直に答える私に、兄さんは急にメールを探し出す。

「ああ、あった。これか。」

滑らかに携帯の画面を、指で滑らせていく。

「なあ、美雨。何かあったか?」

兄さんの何気ない質問には、いつもドキッとさせられる。

「何かって?」

「いや、ずっと考え事しているから。」


考え事……


「ううん。何でもないよ。」

「そうか?」

兄さんに言ったって、ただ心配をさせるだけ。


そう。

兄さんが言ったとおり、私はずっと考え事をしている。

ずっと、階堂さんのことばかりを考えている。


その時、兄さんの携帯が鳴った。

「階堂?珍しいな。こんな時間に架けてくるなんて。」


階堂さん?

箸を持つ手が止まった。


「美雨?ああ、元気だよ。替わろうか?」

兄さんが携帯を差し出そうとする。


ダメ。

絶対に出れない。

でもその焦りは、すぐに必要なくなった。


「替わらなくてもいい?そうか?」

兄さんは携帯を耳元に戻した。

よかった。

階堂さんと話さなくて。

もし今、階堂さんの声を聞いたら、兄さんの前で泣き崩れてしまうもの。



あの日。

階堂さんの元を訪れた時。


アルバイト先のレジの金額が合わなくて、少しだけ時間を押してしまった。

それでも行きたかった。

『美雨ちゃんが来るまで、俺、待っているから。』

そう私に言ってくれた階堂さん。

もしかしたら、もしかしたら……

私たちはお互いを必要としているのかもしれない。

そんな気持ちが、私の心をどこまでも、逸らせた。

だけどあのビルの中に入って、階堂さんの待つエレベーターに乗った時だ。


「ねえ、聞いた?社長の噂。」

「ああ、聞いた聞いた。」

おそらく階堂さんの会社の人だ。



「森川社長のお嬢様と、結婚するんでしょう?」



私は持っていたバッグを、落としそうになった。

何?

何、結婚って……


「でもまだ、式の日取りも決まってないんでしょう?」

「だとしても、すぐよ。得意先のお嬢様よ?」

私が今から、その社長に会うことも知らずに、そのOLさん達は、私にショックを残したまま、エレベーターを去って行った。

森川社長のお嬢様って、誰?

本当にそんな人と結婚するの?

私が今から、あなたに会いに行くのは、何の為?

頭が痛くなるほど、いろんな考えが駆け巡る。

もしかしたら、ただ単にこの前のお礼なのかもしれない。


そうよ。

そうだと言い聞かせても、心は晴れない。

会えば、階堂さんとの“これから”を望んでしまう。

それは明白だったからだ。


エレベーターを降りても気が重い。

少し歩いては、また戻って。

でも“来るまで待ってるから”と言ってくれた、階堂さんの真剣な顔を思い出すと、後ろ髪を引かれるように振り返って、また彼のいる場所に近づいてしまう。

そして、あのエレベーターの中で聞いた話を思い出しては、また戻って。

そんな事を2、3度繰り返した時だった。

突然、ドアが開いて……

そこには、私を見て動かない階堂さんがいた。


「あの、私……」


どうしよう

どうしよう!

何を言ったらいいのか、わからない。


「バイトが長引いてしまって、階堂さんはもう待ってはいないと思ったのに…」

だけど、来てしまった。

あなたに会いに。

私をいつまでも待っていると言ってくれた、あなたに会いに。

「でも、階堂さんが私が来るまで待ってるって、言ってくれたから…私……」




そう

あの時のあなたの、真っ直ぐで真剣な眼差しが、私をここまで運んでくれたの。


「いいんだ。来てくれたんだから。」

そう言ってあなたは、私の頬に触れてくれた。

ねえ、階堂さん。

その時私は、“時間が止まってしまったのかしら”と思ったの。

悩んでいたこと全てが、あなたの温かい手で溶かされていくのがわかった。

なのに……


「階堂さん。」

振り絞って出した声に、あなたはハッとして、その温かい手を離してしまった。

「…ごめん。」

「いいえ。」


どうして謝るの?

私はもっと、触れていてほしかったのに。


「ここに来るまで、迷わなかった?」

「迷ったけれど、受付の近くにあった案内を見て、ここまで来ました。」

受付であなたのいる場所を聞いて、兄さんから会社の社長だと聞かされていたけれど、まさかこんな大きなビルを持つ社長さんだと、思わなくて。

案内を見ながら、もしかして場違いなところに来てしまったのかもって、不安で仕方がなかった。


「行こうか。」

「はい。」

階堂さんは、私をまたエレベーターに連れていく。

そしてまた蘇ってくるあなたの噂。

聞くに聞けずに、気づいたらお店の前に立っていた。

「素敵…」

まるで夢の世界にいるような、そんな感じだった。

一言二言、会話を交わして、通された場所はお店の中央だった。

不思議な感触。

初めて来るお店なのに、以前も同じような場所で、食事をした事がある?


「ワインは飲んだことある?」

ワイン?

そう聞かれて、一気に兄さんと一緒に飲んだワインを思い出す。

「はい、兄がたまに飲んでいるものを、飲ませて貰ったことがあります。」

そして運ばれてきたワインのボトル。

グラスに注がれるボルドー色の飲み物。


ああ、私。

前にもこの場面を見た事がある。


そして私の目の前のグラスにも、その飲み物はやってきた。

軽く乾杯をして、口の中にワインを含ませた。

喉元を通る、厚みのある味と、鼻を通る果実の爽やかな香り。


「飲める?」

「はい。」

朧げに見える同じような姿の人。


そして次に見せられた料理のメニューを見て、私の手は止まった。

知っている。

なぜか私は、この料理を知っている。


「フランス料理は、どこかで食べたことがあるの?」


階堂さんの一言で、私は確信を得た。

「フランス料理なんですか?あれ?」

ああ、そうだったのね。

まだ子供だった時に、両親と兄で毎年訪れていたフランス。

そこで食べた料理に似ているんだわ。

「前に父が食べさせてくれた物があったので、それを選んだのに。私が選んだ物、間違っていませんでした?」

「否。逆に大正解だったよ。」

それを聞いて、私は嬉しくなった。

突然帰らぬ人となってしまった父親が、私に残してくれた楽しい思い出を、階堂さんは何も言わずに受け入れてくれたから。

料理を食べている時も、階堂さんは私と父親の思い出に、気を使ってくれたわよね。

「美味しい?」

「はい、美味しいです。」

「お父さんと食べた料理、思い出した?」

あなたのその一言が、本当に本当に嬉しくて。

初めて会った時に感じた、瞳の奥の優しさは、間違いじゃなかったのだと気付いた。

「なんとなく。思い出しました。」

「それは…よかった。」


ねえ、階堂さん。

普通男の人って、あまり父親の話をされるのって、嫌じゃないの?

それとも私がまだ大学生だから、子供だと思って、一緒に感傷に浸ってくれているの?

どんなに聞きたくても、言葉に出して聞けない。


だってその後の会話も、大学の話ばかりだし。

階堂さんにとっては、私はただの知り合いの妹。

ずっと年下の大学生。

話を聞いてくれるのは、自分の大学生時代を懐かしく思うから?

やっぱり、私ではあなたの相手にはならない。
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