桜散る、その前に

日下奈緒

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第3章 怒りと恥ずかしさ

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貧しい祖父母の家は、その日食べて行く事でさえ、困難な時があった。

そんな時、僕は成績優秀で、高校への進学ができた。

だけど祖父母にとっては、それでさえ、悩みの種だったらしい。

「どうしようかね、和弥ちゃんの学費。」

「借金しようにも、老人には金を貸してくれないからな。」

寝る前に、祖父母は毎晩考えていた。


それを知っていた僕は、中学の卒業式の前に、お世話になった黒岩先生という人に、それを相談した。

「そうか。学費が出せないと困っているのか。君のおじいさんおばあさんは。」

「はい。僕は、高校への進学を、諦めた方がいいんでしょうか。」

すると黒岩先生は、首を横に振った。

「調度、奨学金を受けたい生徒がいるかと、学校に相談がきていてね。君を推薦しよう。」

「本当ですか!」

僕は、奨学金という言葉に、心が躍った。

「もちろん、奨学金を受けるには、成績優秀でなければいけないが、高坂君なら、問題ないだろう。」

この時ばかりは、真面目に勉強をしていて、よかったと思ったよ。

「審査に時間はかかるが、まず受かると思ってていいだろう。」

「やったあ!」

僕は、喜びを全身で表現して、まずは高校に行ける事を、嬉しく思ったんだ。


嬉しさのあまり、審査もまだ通っていないと言うのに、祖父母へはその日のうちに、打ち明けてしまった。

「僕、奨学金を受ける事になったよ。」

「えっ!?」

ぽかんと口を開いている祖父母を前にして、僕は意気揚々としていた。


そして、数日後。

黒岩先生は、奨学金の審査が通ったと、わざわざ家にまで、知らせに来てくれた。

「進学、おめでとう。」

「ありがとうございます。」

僕は黒岩先生に、深く頭を下げた。

「ところで、制服はご準備できましたかな。」

そこで、僕と祖母は顔を見合わせた。

そうなんだ。

学費の他に、入学するには、諸費用がかかる。

学費の事で頭がいっぱいで、そこまで気持ちが届かなかった。


「お恥ずかしい話、これからで。」

祖母が、小さな声で言うと、黒岩先生は風呂敷を開けた。

「それはよかった。これは同じ学校を今年卒業した息子の制服なんですが、よかったら、使って下さい。」

僕と祖母は、目を大きくしながら驚いた。

「もちろん、和弥君がよければ話なんだが。」

「そんな、勿体ない話です。有難うございます。」

僕は、心から黒岩先生に感謝した。

「よかったね、和弥ちゃん。」

祖母も喜んでくれて、何度も何度も、黒岩先生に頭を下げていた。


その日、内職の仕事を納めに行っていた祖父も、その話をすると喜んでいた。

「黒岩先生には、感謝しても感謝しきれないな。和弥。このご恩は、忘れちゃあなんねえぞ。」

「うん。」

僕は、黒岩先生に貰った制服を見ながら、新しい学校生活を夢見ていた。


だけど、上手くいかなかったのは、偏に僕の家が貧乏だったからに違いない。

毎日の弁当も、おかずも少なく、それを気にしてか、友人もまずできなかった。

近所の奴で、同じ高校に入学した奴らからは、『あいつの家は、貧乏だ。』と、馬鹿にされる毎日だった。

それでも僕は、勉強を頑張った。

頑張る事で、未来が切り開かれると、思っていたからだ。

その想いが届いたのか、僕は高校を卒業して、大学の医学部への進学を決めた。

一番に喜んでくれたのは、祖父母と誰でもない、黒岩先生だった。

「奨学金は、大学にでもあるはずだ。申請してみるといい。」

「はい。」

通るかどうか分からなかったけれど、通りそうな気はしていた。

この時は、自分が貧乏かどうかなんて、関係なかった。

嫌、考えようとしなかったんだと思う。

自分が惨めにならない為にね。


それが否応なしに、自分が貧乏だと思い知らされた時があった。

それは、高校の卒業式だった。

貰いものの制服は、卒業の頃には、ボロボロになっていた。

僕は気にしていなかったけれど、それをなじる者もいてね。

あの、卒業式でもそうだった。


卒業式が終わって、一人帰る時だった。

祖父母はもう老体で、卒業式に出席できないでいた。

一人で卒業アルバムを持って、歩いていた時だ。


「和弥。」

ふいに聞き慣れた声と、化粧品の甘い香りがした。

顔を上げると僕は、茫然とした。

あの、僕を捨てた母親が、目の前にいたからだ。

「久しぶり。卒業おめでとうね。」

そんな言葉を掛けられたけれど、僕はうつむくばかりだった。


「やい、高坂の奴。制服がボロボロだぞ。」

「貧乏やーい!」

いつもは、無視するヤジも、この時ばかりは癇に障った。

「うるさい!黙れ!」

その大きな声に、母親も驚いていた。


久しぶりにあった母親の前で、貧乏だとやじられたから?

それもあった。

でももっと、癇に障ったのは、母親が着ている衣装だった。


薄黄色の綺麗な和服。

それは、化粧をしていて、口紅を塗っていた母親に、とっても似合っていたんだ。

さぞかし、家が裕福なんだろうな。

そんな綺麗な着物を着て。


一方で僕は、僕は……

学費も出せずに、人の手を借りて。

みんなが新しく新調してもらった制服でさえ、お下がりで。


なぜ、そんな裕福な家庭なら、僕を連れて行ってくれなかったのか。

連れて行ってくれたのなら、僕は学費にも制服にも、困らなかったのに。

僕は、歯ぎしりをしながら、母が次に何て言うか、待っていた。

「和弥。どうしたの?お母さんが来ること、あんまりよくなかった?」

「ああ。」

僕は即答した。

答えを待っていたのに、それを否定したんだ。

「捨てた息子だったら、そのまま捨てておいてほしかったね。」


そう言って僕は、泣き崩れる母親を置いて、学校を後にした。

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