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夢のような1月1日(1)
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(結局、あまり眠れなかった……)
翌朝、美雲は眠気に勝てず、ぼんやりとした顔でベッドに横になったまま、織也の背中を眺めていた。
織也は美雲からスマホを借りて、どこかへ電話をかけていた。その表情は緊張に染まっている。相手が電話に出るまでの間、視線がさまよっていた。
通話が開始された瞬間、少しだけ息を止めたのが見ていて分かった。
「三間坂か? うん。仙河織也、本人だよ。あ、ちょっと待って! まだ誰にも言わないで! ……今から伝える住所に来てほしい。違う、人質とかそう言うんじゃないから。俺を保護してくれた人の家だ」
織也は美雲をチラリと見て、微笑を浮かべた。
「すごく、優しい人に助けられた。……あぁ、うん。そうだな。命の恩人だ」
美雲もつられて口元に微笑みを宿すと、織也は目だけで応えて、視線を窓の外へと移した。
「コートと靴、持ってきてくれると助かる。聞きたいことは山ほどあるだろうけど、それは警察に直接話すから。今はとにかく迎えにきて欲しい」
織也の手には、美雲の家の住所が書かれたメモが握られていた。それから、三間坂という人物と十分ほどやり取りをして、通話を切った。
「はぁ~」
織也は崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
くしゃくしゃと髪を掻き撫でる織也に、美雲は穏やかに声をかけた。
「お疲れ様です。すごく緊張されてましたね」
「そりゃあね」
電話の相手とはどういう関係なのか気になるが、立ち入っていいものか判断がつかない。
あくまで、自分は保護しただけの人間だ。そこまで聞く必要はない。
でも、気になる。
「ははっ」
「なんですか急に」
「顔に出てるよ」
「えっ?」
「誰に電話したか気になってるんだろ? いいよ。別に隠すことじゃないから」
言って、織也はベッドに腰掛けた。
「三間坂は、俺の実家で執事をやってる爺さん。聡明で、相手を思いやれる人で、俺が最も信頼している人だよ。実の親よりずっと、俺のことを分かってくれているんだ」
さらりと、しかし決して軽くはない話を聞かされて、美雲はなにも言えなくなった。
織也は咳払いをすると、気を取り直したように立ち上がった。
「腹減ったな。三間坂が来るまで一時間以上もあるし、なにか作って」
「もうっ、最後まで我が道を行くんですね」
「最後……」
織也の小さな呟きは、美雲に届かなかった。
美雲は勢いよく身を起こし、ふんと鼻を鳴らした。
「オムライスでも作りましょうか? おぼっちゃま」
精いっぱいの皮肉を込めて言うと、織也は"効かない"とばかりに鼻で笑った。
そして、首をわずかに傾けると、美雲の顔を至近距離で覗き込んだ。
「それはまた今度でいいよ」
「なっ」
美雲は顔の近さにのけぞって、目を丸めた。
「また今度って。食べに来るんですか?!」
「言ったろ? アンタに借りを返すまで、縁は切らないって。そうだなぁ、今はお味噌汁の気分かな」
「はぁ……一流シェフと比べないでくださいね」
三間坂という老齢の男性は、いかにも執事然とした格好で現れた。
老齢の男性の、黒い猫耳姿には見慣れぬものがあり、なんとも言えない気持ちになった。
美雲の口から、織也を助け、看病したこれまでのことを話すと、三間坂は深々と頭を下げてお礼を言った。
更には、織也にかかった診療費と服飾費を支払ってもらえた。
「それじゃあ、気を付けて帰ってくださいね」
美雲は、玄関で織也を見送った。
だが、織也は「は?」と不思議そうに振り返る。
「何言ってんの。美雲も来るんだよ」
「え? なんで?」
「なんでじゃないよ。警察に俺を見つけた場所とか、経緯とか色々話さなきゃならないだろ。それにまだ離れ……じゃなくて、その。い、いいから、出かける準備してこい!」
「えぇ……」
織也の言うことも一理あると納得し、渋々ではあるが出かける用意をして、仙河家の高級車に乗り込んだ。
運転手に軽く挨拶をして、後部座席に織也と並んで座った。助手席には三間坂が座っている。
高級車がゆっくりと走り出した。
三間坂は織也を説得し、彼の両親に電話をしていた。織也が見つかり、今から連れ帰ることを説明し始める。
その会話の様子を見ている織也は、初めこそ顔を強張らせていたが、三間坂の配慮ある言葉選びを耳にして、徐々に表情を和らげた。
織也は「ふぅ……」と深くため息をついて、美雲へと視線を向けた。
「眠いんだろ? 寝てろよ。実家に着くまで時間かかるし」
「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えて」
この状況で本当に眠れるかは分からないが、まぶたに重くのしかかる眠気には抗えそうにない。
美雲はシートにもたれて目を閉じた。
三間坂の通話が終わり、それから十分くらい経った頃に、美雲は眠りに落ちた。
「美雲。美雲、起きろって」
頭から降ってくる織也の声。美雲は、くっくと身体を揺すられてまぶたを持ち上げた。頭を巡らせると、織也の顔がすぐそこにあった。その近さにぎょっとして勢いよく離れる。
「言っておくけど、もたれかかってきたのはアンタだからな」
「いや、でも。最初座ったときは、もうちょっと距離があったような」
「気のせいだろ。ほら、降りるぞ」
窓の外を見て、美雲は言葉を失う。
視界に収まりきらない白壁の住宅に、広々とした道。
格差を目の当たりにし、虚しさが沸き起こった。
(見たくなかった……見たくなかったよ……)
「頭抱えてないで、早く降りてくれる?」
車のドアを開けて、手を差し出してくれる織也。
美雲はぎこちなくその手を取って、車から降りたのだった。
「あぁ、織也だわ! お父さん、織也が生きて帰って来てくれたわ」
「無事か? どこも怪我はしてないか?」
織也を出迎えた、おそらく彼の両親と思われる夫婦は、安堵に満ちた表情をしていた。
「大丈夫です。……ご心配を、おかけしました……」
(えっ?! 敬語使えたの?!)
美雲は驚いた顔で、織也の背中を見た。
初対面の美雲にはタメ口なのに、なぜこの人たちには敬語なのか。
母親と思わしき女性が涙ぐんで、織也に腕を伸ばしながら近づいてきた。
だが、織也はすっと身を引いた。
「お客様の前なので……」
硬い調子で織也が言うと、女性は切なげに沈黙し、やがて頷いた。
「そうね。ごめんなさい。それで、そちらの方が例の?」
「初めまして。神山美雲と申します」
「織也の母です。この度は息子を助けていただき、本当にありがとうございました」
女性は深く頭を下げた。
女性の後ろに立つ男性は、織也の父親だろう。安堵した顔をしたのは一瞬のことで、すぐに険しい顔をしていた。
「ご迷惑をおかけしました。立ち話もなんですから、どうぞお入りください。もうすぐ警察も来ますので」
先に行く夫婦に織也が続き、美雲はおどおどしながらもついて行った。
織也は目に見えて口数が少なくなった。
美雲が心配そうに見つめても、視線をちらりともよこさなかった。
感情が消えたように無表情で、時間が過ぎるのを耐えているかのようだった。
(私もこんな感じなのかな)
実家に帰ったときの自分を見ているようだ。
リビングで出された紅茶をすすり、織也を盗み見る。
両親は警察への対応で席を外していた。
「あの、織也さん」
「なに?」
冷たくなった声音が、彼の心の内を表していた。
「また、ギュッてした方がいいですか?」
「はぁ?!」
織也は素っ頓狂な声を上げた。
やっとこっちを見てくれた。
嬉しいような、くすぐったいような気持ちに、美雲は照れた顔で笑った。
「冗談です」
「僕いま冗談に付き合える余裕ないんだけどっ」
ものすごい早口だ。いや、そんなことよりも。
「僕?」
「あ、いや違う! 忘れて」
美雲はクスクスと肩を揺らした。
「あーもう……格好つかないな……」
「つけなくていいですよ」
「子供扱いするな」
「したことないですよ?」
「嘘だね。俺がオムライス食べたいって言ったら旗つけただろ」
「あぁ、あれは」
静かな言い合いが談笑に変わっていく。
織也に笑顔が戻り、ほっとした。
「どうぞ、こちらへ」
織也の父親が警察を連れて戻ってきた。
翌朝、美雲は眠気に勝てず、ぼんやりとした顔でベッドに横になったまま、織也の背中を眺めていた。
織也は美雲からスマホを借りて、どこかへ電話をかけていた。その表情は緊張に染まっている。相手が電話に出るまでの間、視線がさまよっていた。
通話が開始された瞬間、少しだけ息を止めたのが見ていて分かった。
「三間坂か? うん。仙河織也、本人だよ。あ、ちょっと待って! まだ誰にも言わないで! ……今から伝える住所に来てほしい。違う、人質とかそう言うんじゃないから。俺を保護してくれた人の家だ」
織也は美雲をチラリと見て、微笑を浮かべた。
「すごく、優しい人に助けられた。……あぁ、うん。そうだな。命の恩人だ」
美雲もつられて口元に微笑みを宿すと、織也は目だけで応えて、視線を窓の外へと移した。
「コートと靴、持ってきてくれると助かる。聞きたいことは山ほどあるだろうけど、それは警察に直接話すから。今はとにかく迎えにきて欲しい」
織也の手には、美雲の家の住所が書かれたメモが握られていた。それから、三間坂という人物と十分ほどやり取りをして、通話を切った。
「はぁ~」
織也は崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
くしゃくしゃと髪を掻き撫でる織也に、美雲は穏やかに声をかけた。
「お疲れ様です。すごく緊張されてましたね」
「そりゃあね」
電話の相手とはどういう関係なのか気になるが、立ち入っていいものか判断がつかない。
あくまで、自分は保護しただけの人間だ。そこまで聞く必要はない。
でも、気になる。
「ははっ」
「なんですか急に」
「顔に出てるよ」
「えっ?」
「誰に電話したか気になってるんだろ? いいよ。別に隠すことじゃないから」
言って、織也はベッドに腰掛けた。
「三間坂は、俺の実家で執事をやってる爺さん。聡明で、相手を思いやれる人で、俺が最も信頼している人だよ。実の親よりずっと、俺のことを分かってくれているんだ」
さらりと、しかし決して軽くはない話を聞かされて、美雲はなにも言えなくなった。
織也は咳払いをすると、気を取り直したように立ち上がった。
「腹減ったな。三間坂が来るまで一時間以上もあるし、なにか作って」
「もうっ、最後まで我が道を行くんですね」
「最後……」
織也の小さな呟きは、美雲に届かなかった。
美雲は勢いよく身を起こし、ふんと鼻を鳴らした。
「オムライスでも作りましょうか? おぼっちゃま」
精いっぱいの皮肉を込めて言うと、織也は"効かない"とばかりに鼻で笑った。
そして、首をわずかに傾けると、美雲の顔を至近距離で覗き込んだ。
「それはまた今度でいいよ」
「なっ」
美雲は顔の近さにのけぞって、目を丸めた。
「また今度って。食べに来るんですか?!」
「言ったろ? アンタに借りを返すまで、縁は切らないって。そうだなぁ、今はお味噌汁の気分かな」
「はぁ……一流シェフと比べないでくださいね」
三間坂という老齢の男性は、いかにも執事然とした格好で現れた。
老齢の男性の、黒い猫耳姿には見慣れぬものがあり、なんとも言えない気持ちになった。
美雲の口から、織也を助け、看病したこれまでのことを話すと、三間坂は深々と頭を下げてお礼を言った。
更には、織也にかかった診療費と服飾費を支払ってもらえた。
「それじゃあ、気を付けて帰ってくださいね」
美雲は、玄関で織也を見送った。
だが、織也は「は?」と不思議そうに振り返る。
「何言ってんの。美雲も来るんだよ」
「え? なんで?」
「なんでじゃないよ。警察に俺を見つけた場所とか、経緯とか色々話さなきゃならないだろ。それにまだ離れ……じゃなくて、その。い、いいから、出かける準備してこい!」
「えぇ……」
織也の言うことも一理あると納得し、渋々ではあるが出かける用意をして、仙河家の高級車に乗り込んだ。
運転手に軽く挨拶をして、後部座席に織也と並んで座った。助手席には三間坂が座っている。
高級車がゆっくりと走り出した。
三間坂は織也を説得し、彼の両親に電話をしていた。織也が見つかり、今から連れ帰ることを説明し始める。
その会話の様子を見ている織也は、初めこそ顔を強張らせていたが、三間坂の配慮ある言葉選びを耳にして、徐々に表情を和らげた。
織也は「ふぅ……」と深くため息をついて、美雲へと視線を向けた。
「眠いんだろ? 寝てろよ。実家に着くまで時間かかるし」
「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えて」
この状況で本当に眠れるかは分からないが、まぶたに重くのしかかる眠気には抗えそうにない。
美雲はシートにもたれて目を閉じた。
三間坂の通話が終わり、それから十分くらい経った頃に、美雲は眠りに落ちた。
「美雲。美雲、起きろって」
頭から降ってくる織也の声。美雲は、くっくと身体を揺すられてまぶたを持ち上げた。頭を巡らせると、織也の顔がすぐそこにあった。その近さにぎょっとして勢いよく離れる。
「言っておくけど、もたれかかってきたのはアンタだからな」
「いや、でも。最初座ったときは、もうちょっと距離があったような」
「気のせいだろ。ほら、降りるぞ」
窓の外を見て、美雲は言葉を失う。
視界に収まりきらない白壁の住宅に、広々とした道。
格差を目の当たりにし、虚しさが沸き起こった。
(見たくなかった……見たくなかったよ……)
「頭抱えてないで、早く降りてくれる?」
車のドアを開けて、手を差し出してくれる織也。
美雲はぎこちなくその手を取って、車から降りたのだった。
「あぁ、織也だわ! お父さん、織也が生きて帰って来てくれたわ」
「無事か? どこも怪我はしてないか?」
織也を出迎えた、おそらく彼の両親と思われる夫婦は、安堵に満ちた表情をしていた。
「大丈夫です。……ご心配を、おかけしました……」
(えっ?! 敬語使えたの?!)
美雲は驚いた顔で、織也の背中を見た。
初対面の美雲にはタメ口なのに、なぜこの人たちには敬語なのか。
母親と思わしき女性が涙ぐんで、織也に腕を伸ばしながら近づいてきた。
だが、織也はすっと身を引いた。
「お客様の前なので……」
硬い調子で織也が言うと、女性は切なげに沈黙し、やがて頷いた。
「そうね。ごめんなさい。それで、そちらの方が例の?」
「初めまして。神山美雲と申します」
「織也の母です。この度は息子を助けていただき、本当にありがとうございました」
女性は深く頭を下げた。
女性の後ろに立つ男性は、織也の父親だろう。安堵した顔をしたのは一瞬のことで、すぐに険しい顔をしていた。
「ご迷惑をおかけしました。立ち話もなんですから、どうぞお入りください。もうすぐ警察も来ますので」
先に行く夫婦に織也が続き、美雲はおどおどしながらもついて行った。
織也は目に見えて口数が少なくなった。
美雲が心配そうに見つめても、視線をちらりともよこさなかった。
感情が消えたように無表情で、時間が過ぎるのを耐えているかのようだった。
(私もこんな感じなのかな)
実家に帰ったときの自分を見ているようだ。
リビングで出された紅茶をすすり、織也を盗み見る。
両親は警察への対応で席を外していた。
「あの、織也さん」
「なに?」
冷たくなった声音が、彼の心の内を表していた。
「また、ギュッてした方がいいですか?」
「はぁ?!」
織也は素っ頓狂な声を上げた。
やっとこっちを見てくれた。
嬉しいような、くすぐったいような気持ちに、美雲は照れた顔で笑った。
「冗談です」
「僕いま冗談に付き合える余裕ないんだけどっ」
ものすごい早口だ。いや、そんなことよりも。
「僕?」
「あ、いや違う! 忘れて」
美雲はクスクスと肩を揺らした。
「あーもう……格好つかないな……」
「つけなくていいですよ」
「子供扱いするな」
「したことないですよ?」
「嘘だね。俺がオムライス食べたいって言ったら旗つけただろ」
「あぁ、あれは」
静かな言い合いが談笑に変わっていく。
織也に笑顔が戻り、ほっとした。
「どうぞ、こちらへ」
織也の父親が警察を連れて戻ってきた。
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