金懐花を竜に

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第4章

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 事態が収束するのに、三日かかった。
 すべての竜が暴走したわけではなかったのが、唯一の救いと言えば救いだ。年老いた竜や、特に人懐っこかった竜なんかは、混乱の最中でも竜笛の指示が通った。
 幸いにして、ワーゴも翌日には自力で中央基地にたどり着き、ジーグエとトーラは休み休み北部に戻ることができた。カラリナは無事病院へと運ばれ、治療を受けている。まだ意識は戻らないという。
 しかし、大多数の竜は消えた。人を威嚇し、人を襲い、人から離れた。人々は皆怯え、建物から極力出てこなくなった。いつ、上空や水辺から、狙われるか分からない。不安は極限に達し、町からは金懐花が消えた。豹変した竜に効かないとわかっていても、持っていないと不安なのだろう。
 リリューシェは人を寄せ付けない竜だが、金懐花を苦手としていたこともあって、特に変わったことはないようだった。彼女にジーグエが、またワーゴにエンユウが乗り、町民の避難誘導や、龍の追い払いにあたった。
 焼け落ちる鉄球みたいな太陽に背を向けて竜舎にリリューシェを戻し、餌も食べずに眠り込んだ大きな身体を、簡単に清めて引き上げる。仮眠は取っていたものの、目がかすんで仕方なかった。北部基地で残っている隊竜は、十分の一もいない。そのうちもっとも身体が大きく、能力も高いリリューシェはあちこちに駆り出され、ジーグエも当然そのすべてに騎乗した。麻酔銃と威嚇弾の撃ち過ぎで、鼓膜に水を落としたみたいに聴覚がぼんやりしている。
 だから何度か呼ばれてもすぐには気づけなかった。
「ジーグエ隊長!」
 肩をつかまれて驚く。エンユウが固まった翼油のように白い顔で立っていた。
「フチ団長がお呼びです」

 応接室のソファで、フチはぴんと背筋を伸ばして待っていた。
「遅くなり申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ。こちらこそ、任務後にすまない」
 活躍は聞いている、という労いに軽く頭を下げるので精いっぱいだった。フチはその整った眉をわずかにひそめ、「席に座りなさい」と向かいのソファを指した。
「そういう訳には」
「構わない。疲れ切った部下を立たせて話す趣味はない」
 少しだけ迷って、結局座る。やわらかい座面に腰を下ろすと、どっと疲労が下腹部に落ち、もう二度と立ち上がれないんじゃないかと思う。
「今回の件、北部は特に被害が甚大だと報告を聞いた。あらためて尽力に感謝する」
「任務を果たしたまでです」
「貴殿はあの日、現場にいたと聞いているが」
「事実です」
「報告を」
 ジーグエは話した。おそらく、トーラからも報告は上がっているだろう。王子とミスミの反乱を事前に阻止しようとしたとして、彼の身分は復権となった。
「本当に、あの一輪の花がこんな事態を引き起こしたのでしょうか?」
 疲れ切ってよく回らない頭で、ジーグエは訊ねた。フチは組み合わせた両手の指先を見つめながら、「おそらく」とつぶやく。
「我々も情報不足だが――竜士からも同じ報告が上がっている。金懐花には『本物』が存在しているが、生育が難しいため、簡単に育つ黄色い花を『金懐花』として認識するよう刷り込んでいたと」
「でも、それだけで」
「それだけ、金懐花という存在が、彼らにとって大切だ、ということだろう」
 口をつぐんだ。散々傷つけられてきたリリューシェの、出会ったばかりのことを思い出す。人間から見れば、ただ花をちぎっただけ。それだけで彼女は、人を信じることを辞めた。
「王竜を狙ったのも小賢しい」
 ぐ、と指先が白くなる。小さい手だ、と思った。フチは決して小柄ではないが、それでもときおり、性別による体格差を感じてどきりとする。
「中央はもちろん、北の長竜も、南の長竜も、王竜には敵わない。あの竜がこれまでのものは『金懐花』ではない、と気づいてしまった。王の声は、すぐに広まる」
 エイジーンの竜舎に、彼女の雲竜は一頭も残っていなかった。あのとき中央にいた彼らの主から、どんな伝言を受け取ったのか人間にはわからない。けれど、まるでつむじ風のように突然、一斉に空に飛びあがり、どこかへ消えたと聞く。消えたエイジーンのもとに向かったのだろう。
「竜にとっては、僥倖だったのかもしれないな」
 フチは低く呟いた。
「なにがですか?」
「人間の支配から解放されたことだよ」
 支配、と繰り返す。少し前、哨戒終わりに第四部隊全員で、並走飛行したことを思い出した。夕暮れの光は鱗を金に縁どっていて、風がまだほんのり暖かくて、ワーゴが歌って、リリが呆れたように鼻息を吹いて、エイジーンが珍しくくるりと身体を回して、隊長が落ちかけて。
 みんな笑って。
「ご用件は以上でしょうか」
 ジーグエは痛むこめかみを親指で押しながら訊いた。「自分から報告すべきことはもうありません」
 フチは丸まっていた背筋をすっと伸ばし、膝の上で両手をにぎった。
「貴官の責任を問う声が上がっている。『特別任務』の件だ」
 ぐ、と胃が痛んだ。
「今回の最終実行者であるミスミ元竜医師官について、『見守り』をお願いしていたが」
「……はい」
「兆候は、なかったのか」
 知らない。叫びたいのを必死でこらえた。知らない、あんな、男のことなど。何も。でも、隊はそうと思わないだろう。あれだけのことをしでかした男、その一番近くにいて、何の兆候も見つからないわけがない。わざと黙っていたのなら共犯だし、本当に気づいていなかったのならあまりにも愚鈍だ。いずれにせよ、処分される。
 黙したまま答えないジーグエに、ふと目の前の上官は雰囲気を和らげた。
「ジーグエ殿、一度しかいいません」
 角の取れた口調にはっとする。フチは波立つ心を整えるように一度目を閉じ、そして口を開いた。
「私と結婚しなさい」
 何を言われたか、すぐには理解できなかった。噛んで含めるようにフチは続ける。
「いまの私では、あなたを救えません。でも、あなたが私を――衛国竜団を裏切ったわけではないこと、承知しています。根も葉もない憶測からあなたを守るためには、私とつながりを作ってしまえばいい。あなたにとっても、悪い話ではないと思いますが」
 最後のひと言に、思わずうつむく。例え婚姻関係を結んでも、非難の声は消えないだろう。むしろ矛先は彼女に向く。それをわかっていてなお、彼女はいま提案したのだ。裏も打算もない純粋な気持ちひとつで。歓喜や感動より、畏れ多さのようなものを感じてしまう。
 一方で、団長である彼女の夫となれば、少なくともウォーグ運輸との契約を切られることは無くなるだろう。それはきっとギルドへの、妹への何よりの献身となる。
「もちろんすぐに決めろとは申しません。ですが、そう待てる話でもない。王子とミスミ殿はいま行方をくらませています。そう簡単に捕まるとも思えない。けれど竜団として、どこかで誰かが責任を取らなければならない」
 ぎ、と布の軋む音がして、高い所から声が降ってくる。
「十日後、遣いを出します。よいお返事を期待します」
 かつかつと軍靴を鳴らして出て行く上官に、立ち上がって礼をすることはできなかった。
 こんなときばかり、部屋も外も恐ろしく静かだった。日のくれた窓から、藍色の光が差し込んでいる。その静寂におぼれてしまえればいいのにと思った。
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