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第一章 千の剣帝、ゼロクラスの教師となる

第7話 クリスティア・ヴァン・レーヴァテイン

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 帝国の大通りの先には大きな丸い形をした広場が存在していた。その中心には泉があり、真ん中には翼の生えた女神を象った白い像が設置されている。
 その周囲ではまるでアートを作り出すように輝く小噴水が噴き出しており、水面みなもや細かな水飛沫みずしぶきが日光の光で煌びやかに反射していた。

 その大きな噴水を囲んでいる綺麗に研磨された石の上に座りながら、アルトは口いっぱいにパンを頬張っていた。


「もぐもぐもぐもぐ…………ッ!!」
「あ、あはは……。パンは逃げませんから、もっと落ち着いて食べて下さいね」


 先程まで空腹で気を失っていたハルトは一心不乱にパンを口の中に放り込む。そしてそのかたわらにはそんな青年の姿を見て、外套の中で笑っている大食いの少女が座っていた。

 あの騒動のあと、空腹で気絶したハルトはこの少女により広場まで運ばれて膝の上で介抱されていた。
 いわゆる膝枕というヤツである。

 それから時間が経たない内に目が覚めたハルト。少女が先程助けてくれたお礼としてフードファイトの景品である紙袋に入ったパンを差し出して今に至る。

 香ばしさを放っていた焼き立てのパンはみるみる間に無くなっていき、やがて最後の一つが口の中に消えた。
 ハルトは満足げに息を吐き、指に付いた油分までペロッと舐めとる。

 パンッと両手を小気味よく鳴らすと、少女に向き合った。―――少女の腰元には、魔剣精クラリスがある。しかしそれを視認するのも一瞬、ハルトはすぐに少女の顔を見つめた。


「ごちそうさんっ! いやーホントに助かった! 倒れた俺を運んでくれただけじゃなく、パンまで貰って……。うぅ、なんだかキミが女神さまに見えてきた……!」
「そ、そんな! 私がアテナー様に見えるだなんてとても、とっても恐れ多いですっ!」
「例えだよ例え。でも、俺にはそれだけ嬉しいことだったんだよ。今日までの三日間、あんまり親切にされた記憶が無いからな……」
「そ、そうだったんですか。あれだけお強いのに、かわいそうに…………」
「まぁ気にしてないから心配すんな」


 ハルトは思わず澄み渡った青空に遠い目を向ける。

 まったく気にしてないと言えば嘘になる。具体的に言えば、レイアに冷たく接されるわ、インテリ風オールバッククソメガネに門前で追い払われるわ、公園で野宿しようとしたらホームレスに間違えられるわで精神的に追い詰められる場面が多かった。

 唯一優しくしてくれたのは先程とは違う小さな店のパン屋のおっちゃん。陳列棚ちんれつだなに並んだ数少ないパンを物欲しそうに見ていたら気前よく一つだけタダでハルトにくれたのだ。さらに余ったパンの耳までくれるという懐の深さ。

 恩返しとして今後常連客になろうと決意しながら、改めてハルトは少女に話し掛ける。

 ―――この目の前の少女の正体に気が付かないフリをしながら。


「―――さて、助けて貰った命の恩人に名乗らないわけにはいかないよな。俺の名前はハルト・クレイドル。キミの名前、教えて貰ってもいいか?」
「……ッ、あぅ、えっと、そのぉ……!」


 外套の少女はその言葉の先を紡げず、小さな可愛らしい声で言い惑う。しばらく頭を抱えながら悩む素振りを見せる彼女だったが、ハッとした様子を見せると顔を上げた。


「ク、クリスです! た、ただの平民のクリスです!」
「ふぅん……そっか、クリスっていうのか。―――それにしても、ただの平民の女の子が魔剣精を所持してるなんて驚いたなぁ?」
「こ、こここれはそのぉ……ッ!」


 冷静にハルトが突っ込むと少女は分かり易くあわあわと動揺する。

 どうやら外套を被った姿の第三皇女クリスティア―――もといクリスは王族として帝王学、そして学院では優秀な成績を修めている割には咄嗟の応用力は皆無に等しいらしい。

 先日レイアから渡された資料では彼女の歳はレイアの3つ下、つまり14歳だ。レイアにもこういう時期があったと懐かしみながらクリスの歳相応な反応にふと笑みを溢すが、何かクリスが言いかけた直後広場中に大きい声が響き渡る。


「そ、それよりもハルトさん! 実はお願いしたいことが―――」
「クー様ーッ!! どこにいらっしゃるのですかクー様ーーッ!!!」
「こ、この声は……ッ!!」
「? ど、どうした? 急に背中に隠れて」
「お願いですハルトさん。このままやり過ごして下さい……っ!」


 凛とした女性の声が辺りに響く。広場で遊んでいた子供や老夫婦といった人々が何事かとその女性へ、レーヴァテイン帝国魔剣学院の制服を着た青髪の少女に視線を浴びせる。

 魔剣学院の制服は白を基調とした青色のラインが入ったデザインとともに胸元には金色で帝国の紋章が刺繍されている。
 彼女が履いているスカートもそのデザインと同様の色で、見る者に明るく健康的な印象を与えて、それでいて戦闘になったら機能的に動きやすい構成が為されていることがわかった。

 ほうほう、と静かにハルトが以前と変わらないその制服の役割を観察していると、脳内でシャルロットがハルトだけに聞こえるように話しかける。


『学院に通う年下の少女をいやらしい視線で見つめるこの色情魔、とシャルロットはハルトへ軽蔑の視線と共に罵声を浴びせます。ごごご』
『えぇ、じゃあシャルは良いのかよ? 今は剣の形してるが、人間の姿だったら見た目的に幼い少女の姿のシャルを常に見たり持ったりしてるんだけど。俺』
『シャルロットはハルトだけの契約魔剣精ですから。それに、シャルロットの場合は"合法ロリ"という言葉を用いて当て嵌めるのが最適かと。とシャルロットは密かにドヤります。どやぁ』
『そこドヤるとこ……?』


 ハルトとシャルロットが脳内でひそひそと話しながらも青髪の少女の動向を注視する。

 その少女は周りの視線をものともせず視線を彷徨わせると、やがてその切れ長の目をハルトの方へ向けてジッと焦点を合わせた。正しくは、その後ろのしがみついているクリスに。

 その青髪の少女はポニーテールを揺らしながら二人へつかつかと近づくと立ち止まる。そしてハルトの背中に隠れるようにしがみつくクリスに視線を向けると、はぁと溜息を吐きながら両手を腰に添えた。
 切れ長な瞳で見つめながらも、その凛とした表情には何処か焦燥感が漂っていた。

その腰元には、小さい藍色の魔剣がぶら下がっている。


「―――クー様、探しましたよ。駄目じゃないですか。いくら学院が長期休暇とて、従者である私をおいて一人で勝手に市井しせいに出向くなんて危険が高すぎます!! だいたい、クー様は第三皇女としての自覚が―――!」
「わーっ、わーっ!! ごご、ごめんなさいリーゼ……っ! 貴方とのお出掛け中に勝手に離れたのは謝るわっ。でも、どうしても我慢できなくて……」
「むぐぐっ!? ……っ、ぷはっ! はぁ、はぁ……まぁ、クー様のコレはいつものことですから今後私が気を付ければいい話です。……それで、この御方は?」


 慌てたクリスに力強く口元を覆われていたリーゼだったが、パッとすぐに解放される。すぐさま彼女は落ち着いた双眸でハルトを見つめるが、その瞳には警戒心がたっぷりと含まれていた。

 ハルトはその視線をものともせず口を開こうとするが、クリスの方が早かった。


「凄いんですよリーゼ、この方はハルト・クレイドルさん。フードファイトの直後、その相手に襲われそうになった私を助けて下さった御方です!」
「どうも、咄嗟のところで助けたハルト・クレイドルです」
「なるほど、これは失礼致しましたハルト様。クー様を助けて頂いた御方に不躾な視線を向けてしまい……今なんて言いました?」
「え?」
「私の耳が確かならば"襲われた"と聞こえたのですが私の空耳ですかね? それとも幻聴ですか?」
「いんや、正常だぞ。ついでに言えばクリスは殴られそうになってた」
「…………ッ!」


 ハルトのその言葉にリーゼはぷるぷると震えながら頭を抱える。そして勢い良くクリスの肩を掴むと、ぐらぐらと外套越しにその肩を揺らした。


「あーっ、もうだから私何度も言ったじゃないですかクー様! 今のクー様の状況は危ないので大人しくしてましょうって!」
「ま、待ってリーゼ、そんなに揺らしたら―――あっ」
「……やっぱり、か」


 肩を揺らした反動で目深に被っていたクリスのフードがぱさりと外れる。声を洩らしながらフードの中から露わになったのは、まだ幼さの残った少女の驚いたような顔。

 ふわりと腰元まで広がった金髪の長い髪に目を引く赤い瞳。綺麗、と表現するよりも可愛さが残ったあどけない表情しているクリス―――クリスティア第三皇女の整った顔立ちがハルトとリーゼの二人の視線に晒される。

 先程のハルトの呟きが聞こえていたのだろう。クリスティアは上目遣いでハルトを見つめながら訊ねる。


「やっぱりって……ハルトさんは、私の正体を御存じだったのですか?」
「んー……、フードで顔を隠している割には格好が小綺麗すぎるし、平民っていう割には魔剣精を持っているのも不自然。……まぁ確信を持ったのは、"第三皇女の自覚がー"ってリーゼが言った辺りからだな」
「「うぅ……っ!」」


 ハルトからの言葉に、二人は浅慮と口の軽さを自覚しながらそれぞれ目を逸らしたり俯く。

 実際はハルトはレイアから渡された第三皇女に関する資料の特徴と、何より魔剣精・クラリスを所持していた時点で素性を隠していたとしても目の前の少女が第三皇女ということは襲われていた時点から把握していたが、そこは敢えて口には出さない。

 そもそもこの任務を受ける際にレイアからは『正体を明かさず、秘密裏に第三皇女を護るように』と言われていた。

 ハルト自身もそのレイアの判断に納得している。自ら正体を打ち明けて護衛対象から無駄に固い態度をとられるよりも、教師として接触すれば警戒心を抱かれずに守れるだろうと考えた結果だ。

 そんな事情を思い出しながらも、表情にはおくびにも出さずハルトは口を開いた。


「ま、それよりもすこーしお願いがあるんだが、いいか?」
「え……?」
「なっ、なんですか……? ……ハッ! もしや貴方、脅迫状を送ったクー様のお命を狙う暗殺者なんじ―――」
「違げーよ! 物騒だからそれ以上言うなっ!」
「で、では、いったい何を……?」


 またもや口の軽さを発揮したリーゼは、猜疑心に満ち溢れた表情と声でハルトを見つめる。知らないフリをしたハルトがごほん、と咳払いをしながらにやりと笑みを浮かべると、次の言葉を言い放った。


「―――レーヴァテイン帝国魔剣学園に一緒にきてくれないか?」



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