妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

文字の大きさ
12 / 55
第1章 人生の転換期

第12話 境界の向こう側

しおりを挟む
 約束の日時になり、俺は街の中心部にそびえる高層ビルの前に立っていた。
 冷たいガラス張りの外壁は、雲の薄い影を映し込み、上の階へいくほど空と溶けていくようだった。入口の自動ドアはホテルのロビーのように静かで、扉の向こうに広がる空気は、外とは違う温度で保たれている。

 胸の奥で、心臓がひとつ強く脈打った。

(……ここか)

 案内メールに記されていたフロア番号を確認し、エレベーターに乗り込む。
 艶のある金属の内壁に、俺の横顔がぼんやりと映る。スーツ姿のビジネスマン、モデル風の若い女性、スタッフ証をぶら下げた技術職らしき男。偶然同乗した彼らの会話は短く、人工的な静けさの中で、階数表示だけが淡々と数字を刻んでいた。

 扉が開き、指定されたフロアに足を踏み入れた瞬間、世界の色調がわずかに変わった。
 受付カウンターの奥、広いラウンジには、壁一面に飾られた人気ライバーたちのビジュアルポスター。整然と並んだサイン色紙。スタジオへと続く廊下には、防音扉が等間隔に並んでいる。

 受付の女性に名を告げると、少ししてスーツ姿の男性が現れた。柔らかな笑みを携え、名刺を差し出してくる。

「本日はお越しいただき、ありがとうございます。担当させていただく、制作管理の三谷と申します」

「こちらこそ、わざわざお時間を……」

 形式的な挨拶を交わし、応接室へ案内される。
 磨かれたテーブルの上に温かいコーヒーが置かれ、壁掛けモニターには俺の配信チャンネルの概要ページが映し出された。

 そこで始まったのは、ひとつひとつ丁寧に組み立てられた説明だった。

 事務所の方針、ブランドコンセプト、タレントとして求められる意識。
 配信環境の提供、機材サポート、経理・税務面での支援、案件タイアップの仲介、同事務所タレントとのコラボレーションの機会――。

 言葉は滑らかで、整っていて、何度も似た話を通しているのだろう。
 要点を射抜く説明だった。

「個人で活動されている方にとって、最も負担となるのは申告や契約管理などの事務作業です。そこは当社が全面的にバックアップいたします。活動に専念していただける環境をご用意できるのが、弊社所属の大きな利点です」

 三谷の声は穏やかで、その内容にはたしかに魅力があった。
 具体的な数字や運用モデル、マネージャー体制の説明が続き、俺は相づちを打ちながら耳を傾ける。

 だが、次第に、説明の合間に挟まれる言葉が胸のどこかに引っかかりはじめた。

「スケジュール管理は基本的に弊社主導となります」
「ブランドイメージを統一する必要がありますので、発言内容やコラボ先については事前確認を」
「案件出演の際は、演出方針に沿った進行をお願いすることがあります」

 ひとつひとつは合理的で、業界では当たり前の取り決めなのだろう。
 だが、それらが静かに積み重なっていくにつれ、見えない重さが俺の肩にのしかかってくる。

(俺は……どこまで自由でいられるんだ?)

 心の奥で、誰にも聞こえない問いが小さく鳴る。

 今の配信は、俺の気分と体力、生活のリズムに寄り添って動いている。
 辛い日は雑談に逃げ、調子のいい日は三時間でも四時間でも話し続ける。
 それを「仕事」と呼ぶ覚悟は、まだ俺の手のひらの中で完全な形を持ってはいない。

 説明の最後、三谷は書類を一式差し出した。
 契約案、モデルケース、所属後のロードマップ。

「もちろん、すぐにご返事をいただく必要はありません。じっくりとご検討ください。ただ――今の貴方の勢いであれば、ここからさらに上を狙えると、私どもは本気で考えています」

 その言葉に、俺は小さく息を吸い込んだ。
 テーブルの上に並ぶ書類を見下ろし、しばらく沈黙する。

(上、か……)

 たしかに、視界の向こう側に別の景色が広がる予感はある。
 だが同時に、踏み出した先の床が、俺の足裏に馴染むかどうかは分からない。

「……ありがとうございます。とても、参考になりました。ですが、その……少し、考えさせてください」

「ええ。無理にお引き止めはいたしません。本日はお時間をいただき、感謝いたします」

 応接室を出て、廊下を歩く。
 整然と並ぶスタジオ扉のひとつが開き、スタッフたちの笑い声と機材音が一瞬だけ漏れては、すぐに吸い込まれるように消えた。

 エレベーターホールへ向かおうと角を曲がった、そのときだった。

「――あ、あのっ!」

 少し高めの声が、背中に届いた。

 振り返ると、丸ぶち眼鏡の女性が立っていた。
 黒髪をゆるく束ね、薄手のカーディガンに落ち着いた色のワンピース。印象としては大学生――いや、よく見ると落ち着きのある雰囲気が年齢を曖昧にしている。

 彼女は胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、戸惑いながらも勇気を振りしぼるように口を開いた。

「も、もしかして……姫宮みことさん、ですよね!?」

 一瞬、時間が止まったように感じた。

 ここで、その名前を呼ばれるとは思っていなかった。
 驚きが表情に出たのだろう。俺が言葉を探していると、彼女は慌てて頭を下げた。

「あ、すみません! 突然声かけて……! あの、その……変な意味じゃなくて……!」

「い、いや……大丈夫です。はい、姫宮、です。というか――」

 俺は目の前の女性の顔を、まじまじと見つめる。

 どこかで見た線の細さ、柔らかな輪郭。
 スクリーン越しに何度も目にした、アイコンの雰囲気が重なっていく。

「……あなた、もしかして――」

 彼女は戸惑いながらも、小さくうなずいた。

「はい。あの……最初の頃から配信を見ていた、イラストレーターの……ニシカワです」

 胸の奥で、音にならない声が弾ける。

(――ニシカワ? 本当に?)

 最初の配信で、唯一最初から最後まで残ってくれたリスナー。俺が崩れ落ちそうな夜に、黙って背を支えてくれた存在。サムネイル用のイラストを送ってくれた、あの人。

「……本当に、ニシカワさん、なんですか」

「はい。えっと、本名は――西河《にしかわ》羽灯《ほたる》といいます。羽に灯で“ほたる”で……。今日は、別件の打ち合わせで、たまたま……」

 緊張で言葉を結ぶたび、照れくさそうに笑う。その仕草に、今まで画面越しにしかなかった存在が、急に温度を帯びて現実へと立ち上がった。

「すみません、勝手にイメージしてたんですけど……てっきり、学生さんかと」

「よく言われます。ですが、いちおう社会人です。二十八歳、フリーのイラストレーターで……。あ、年齢言う必要なかったですね、すみません!」

「いや、むしろ助かります。いろいろと……安心しました」

 互いに少し笑い、張りつめていた空気が和らいでいく。

 短い立ち話のつもりが、自然と会話は広がり、気づけば時間を忘れて話し込んでいた。配信の裏話、イラスト制作のこと、最近の生活、趣味の音楽――。

 言葉を交わせば交わすほど、距離が急速に縮んでいくのが分かる。

「よければ、この近くにおいしいお店があるんです。お昼、まだでしたら……」

 羽灯が、遠慮がちに提案してくる。

 考えるより先に、口が動いていた。

「ぜひ。……正直、少し気持ちを整理したかったんです。誰かと話したくて」

「じゃあ、行きましょう。無理に元気出さなくてもいいお店、知ってます」

 彼女はそう言って、柔らかく微笑んだ。

 ビルを出ると、午後の陽光が街を包み込んでいた。大通りから少し外れた路地へと足を踏み入れ、俺たちは並んで歩きはじめる。

 その背中に、ほんの少しだけ、重さが抜けていくのを感じながら。

 ――この出会いが、後にどれほどの意味を持つのか。
 そのときの俺は、まだ何も知らなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

卒業パーティでようやく分かった? 残念、もう手遅れです。

ファンタジー
貴族の伝統が根づく由緒正しい学園、ヴァルクレスト学院。 そんな中、初の平民かつ特待生の身分で入学したフィナは卒業パーティの片隅で静かにグラスを傾けていた。 すると隣国クロニア帝国の王太子ノアディス・アウレストが会場へとやってきて……。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

誰の金で生活してんの?

広川朔二
ライト文芸
誰よりも家族のために尽くしてきた男がいた。朝早くから働き、家事を担い、家庭を支えてきた。しかし、帰ってきたのは妻の裏切りと娘の冷たい視線。不倫、嘲笑——すべてを悟った男は、静かに「計画」を始める。仕組まれた別れと制裁、そして自由な人生の再出発。これは、捨てられた“だけの男”が、すべてをひっくり返す「静かなる復讐劇」。

愛する夫にもう一つの家庭があったことを知ったのは、結婚して10年目のことでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の伯爵令嬢だったエミリアは長年の想い人である公爵令息オリバーと結婚した。 しかし、夫となったオリバーとの仲は冷え切っていた。 オリバーはエミリアを愛していない。 それでもエミリアは一途に夫を想い続けた。 子供も出来ないまま十年の年月が過ぎ、エミリアはオリバーにもう一つの家庭が存在していることを知ってしまう。 それをきっかけとして、エミリアはついにオリバーとの離婚を決意する。 オリバーと離婚したエミリアは第二の人生を歩み始める。 一方、最愛の愛人とその子供を公爵家に迎え入れたオリバーは後悔に苛まれていた……。

魔物に嫌われる「レベル0」の魔物使い。命懸けで仔犬を助けたら―実は神域クラスしかテイムできない規格外でした

たつき
ファンタジー
魔物使いでありながらスライム一匹従えられないカイルは、3年間尽くしたギルドを「無能」として追放される。 同世代のエリートたちに「魔物避けの道具」として危険な遺跡に連れ出され、最後は森の主(ヌシ)を前に囮として見捨てられた。 死を覚悟したカイルが崩落した壁の先で見つけたのは、今にも息絶えそうな一匹の白い仔犬。 「自分と同じように、理不尽に見捨てられたこの子だけは助けたい」 自分の命を顧みず、カイルが全魔力を込めて「テイム」を試みた瞬間、眠っていた真の才能が目覚める。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

処理中です...