妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第17話 灰色のバス

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 翌日、俺は再び病院へ向かった。
 昨日と同じ病室の扉を開けると、ベッドの上で背もたれを起こした父がこちらを振り向いた。

「おお、昨日の今日で何しに来たんや」

 開口一番、そんな軽口が飛んでくる。
 その声音には、妙に楽しそうな響きがあった。

「様子見るくらい良いだろ。文句あんのか」

「いやいや、嬉しいがな。まさか二日続けて顔見られるとは思わんかったわ」

 父は声を立てて笑い、点滴の管をぶら下げたまま、俺に手を振った。
 その仕草がどこか子どもっぽくて、思わず苦笑してしまう。

「なんか機嫌良いな。良いことでもあったのか?」

「あるわけないやろ、入院生活やぞ」

 そう言いながらも、父の口元は緩みっぱなしだった。
 やがて、にやりとした顔で俺を見つめる。

「……昨日な、暇やし、携帯でな、あの……なんや、アーカイブってやつ? 見てたんや」

 一瞬、嫌な汗が背中を伝った。

「まさか……」

「そうや。姫宮みこと、や」

 父は胸を張るように言い放った。

「えらい可愛くなってもうて。ウチにも娘がいたんやなぁって思たわ」

「や、やめろ……やめろマジで……」

 俺は思わず顔を覆った。
 しかし父は堪えきれず声を上げて笑い続ける。

「いやぁ、あれはあれでええやん。元気そうで安心したわ。『私』とか言うてはったな」

「配信モードの話はやめろ……」

「ええ娘や。父として鼻が高い」

「父としての対象が間違ってんだろ……!」

 笑い合ううちに、胸の奥にこみあげていた重いものが、少しだけ和らいでいくのを感じた。
 父も、俺も、ほんの短い時間、病室という現実を忘れていた。

 だが――ふと視線を向けたとき、胸の奥が冷たくなる。

 昨日と同じはずの父の姿が、なぜか、より一層細く見えた。
 肌の色も、腕の線も、影が落ちたみたいに薄くなっている。

 笑っているはずなのに、その笑顔が風に消え入りそうに見えた。

 俺は気づかれないように拳を握りしめ、心の奥で静かに誓う。

 ――まだ、終わらせない。
 この時間を、簡単に手放すつもりはない。

 父の笑い声を聞きながら、俺はただ強く、そう思っていた。

◇◇◇

 長野の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、俺は再び東京行きのバスに乗り込んだ。灰色の車体がゆっくりと発車し、窓の外で見慣れた山並みが後ろへ流れていく。座席に体を預けた瞬間、どっと疲れが押し寄せたが、不思議と心は静かだった。父の顔を見て、母とも話をして、胸の奥に積もっていた澱がほんの少しだけ晴れた気がしていた。

 ふとスマホを取り出し、メールフォルダを開く。そこで、俺は固まった。

「……あ」

 切り抜き動画編集者の募集フォーム。
 締切──**三日後**。

 思っていたより、ずっと、時間がない。

「やべ……完全に忘れてた」

 小さく悪態をつきながら、俺は慌ててクラウドフォルダを開いた。応募者一覧のファイルをタップすると、膨大な数の名前がずらりと並んだ。

 数えるまでもなく、スクロールバーが豆粒みたいに小さい。

「……こんなに来てんのかよ」

 驚きと同時に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
 俺なんかのために、時間を割いて資料を作り、応募してくれる人間がこんなにもいる。

 ありがたい。だが同時に、とんでもない責任でもある。

 資料、実績、ポートフォリオ──順番に目を通し始めると、時間の流れ方が一気に変わった。
 一枚一枚、動画、編集データ、応募理由。
 表に見える技術だけでなく、その奥に滲む「気持ち」を読み取るように、俺は画面を食い入るように見つめ続けた。

 気づけば窓の外はビルの群れへと変わっていた。

 東京に、着いていた。

 慌てて荷物をまとめ、バスを降りる。
 その足で近くのマクドナルドに立ち寄り、紙袋を抱えて家路を急いだ。冷たい夜風が頬を打つ。マンションの階段を駆け上がり、靴も脱ぎきらないまま椅子に腰を下ろす。

「……よし、続き」

 片手にハンバーガー、もう片方の手にはマウス。
 画面には、まだ開ききれていない応募者フォルダの数々。

 肉の匂いも、ポテトの塩気も、だんだん味を感じなくなっていく。
 ただ無心で、文字と映像を追い続けた。

 一時間、二時間、三時間──
 ハンバーガーは冷め、ポテトはしなび、コーラは氷が溶けて水っぽくなった。

 それでも俺は画面から目を離せなかった。

 バスの中で見続けて三、四時間。
 家に戻ってさらに四時間。

「……合計八時間かよ……」

 額を押さえ、深く息を吐く。
 それでも、まだ終わりは見えない。

 このまま黙って資料と睨み合っていても、頭が回らなくなる一方だ。
 少し息抜きを兼ね、俺は配信アプリを起動した。

「……作業雑談、でもするか」

 マイクをオンにし、わずかに背筋を伸ばす。
 画面に映る配信準備画面を見つめながら、呼吸をひとつだけ整えた。

 そして、スイッチを切り替える。

 俺から──「私」へ。

「こんばんは、姫宮みことです」

 その瞬間、胸の奥のどこかが、少しだけ軽くなる。
 チャットには、瞬く間に挨拶が流れはじめた。

《おかえり!》
《実家どうだった?》
《今日は作業配信?》

 俺──私は柔らかく笑ってマイクに声を乗せた。

「今日はですね、ちょっと特別な作業配信になります。先日お話しした“切り抜き編集者さんの募集”──その資料を今、ひとつひとつ拝見しているところでして……」

 モニターの向こうで、誰かが息を飲む気配まで感じる。

「ありがたいことに、応募してくださった方が──百五十人以上、いらっしゃって」

 コメント欄が一斉にざわついた。

《えぐ!?》
《人気者じゃん》
《選考地獄案件》
《みことさん過労死しない?》

「本当にありがたいことです。どの方の資料も、とても丁寧で、心がこもっていて……ちゃんと向き合わなきゃって、思ってます」

 手元のマウスを動かしながら、私は静かに続ける。

「だから今日は、皆さんとお話ししながら、もう少し作業を進めていこうと思います。雑談に近い形ですけど……よかったら、お付き合いくださいね」

 チャットが温かい色で満ちていく。

《付き合うよ!》
《作業のお供に作業配信助かる》
《無理しすぎないでね》

 その言葉の一つひとつが、胸の奥にそっと降り積もるようだった。

 同時に、俺は決意する。

 この八時間は、無駄じゃない。
 この選考も、ただの仕事じゃない。

 俺の配信に関わってくれる人間を選ぶということは──これからの人生に、仲間を迎え入れるということだ。

 あの病室で笑っていた父の顔が、ふと脳裏に浮かぶ。

 俺は静かに画面へと向き直り、もう一度、マウスを握りしめた。

「それじゃあ──始めましょうか」
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