妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第1章 人生の転換期

第20話 無言のマイク

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 約束の時間より少し早くファミレスに入ると、窓際の席に案内された。外はまだ冬の名残を引きずるような風が吹いているが、店内は温かな照明に満ち、コーヒーと揚げ物の匂いが漂っている。俺はメニューにも視線を落とさず、水のグラスを指先で弄びながら、入口の方へ目を向けていた。

 十分ほど経ったころ、ドアベルが鳴った。制服の上から黒いパーカーを羽織った我が娘――雪乃《ゆきの》が、どこか不機嫌そうな顔で入ってきた。身長は少し伸び、顔つきにも幼さより鋭さが勝ち始めている。春から中学三年生になる。思春期ど真ん中。その雰囲気は、会う前から覚悟していたとはいえ、胸に刺さるものがあった。

「……来たか」

 声をかけると、雪乃は視線を合わせず、ドサリと向かいの席に腰掛けた。椅子の背にもたれ、腕を組む。俺を見ようともしない。

「なんか頼むか? パフェとか、ハンバーグでも」

「いらない」

 即答だった。冷たいというより、心のどこかを閉ざしてしまったような声音。俺は店員を呼ぶのをやめ、水を一口飲んでから、慎重に口を開く。

「最近……どうだ。学校とか」

「普通」

「部活は?」

「やめた」

 短い返事。続きはない。俺は言葉を探しながら、彼女の表情をひそかに観察する。目元に疲れの影が見える。唇は真一文字に結ばれ、頬の筋肉は強張っている。

「雪乃――」

「ねえ」

 唐突に、彼女が口を開いた。顔はまだこちらに向けないまま、テーブルの端を指先でこすりながら、低い声で続ける。

「ママの彼氏、イケメンだよ。背高くて、服もおしゃれで、車も綺麗で……最初はさ、欲しいって言ったもの、大体買ってくれたの。靴も、バッグも。お小遣いだっていっぱいくれた」

 淡々とした語り口。しかし、その奥にあるものは、決して軽くはない。

「そうか……」

「でもね」

 雪乃はようやく顔を上げた。視線が俺を射抜く。その瞳の奥は揺れていた。

「最近、全然違う。イライラしてるし、急に怒鳴るし……ママもママで、前よりずっと荒れてる。家の中、めちゃくちゃ。私が何言っても、聞いてくれない」

 唇が震えているのが分かった。俺は手を伸ばしかけて、しかし途中で止めた。

「……パパだってさ」

 雪乃の声が一段高くなる。

「女の格好して、ネットで変なことばっかりしてるじゃん。友達にも言えないし、笑われるし……」

 喉の奥が焼けるように痛んだ。それでも、反論はできなかった。俺はただ、黙って彼女の言葉を受け止めるしかない。

「なんで……」

 その瞬間、彼女の中で何かが弾けた。

「なんで私だけ、こんな思いしなきゃいけないの!?」

 抑えつけられていた感情が、一気に溢れ出した。椅子が軋み、視線が鋭さを増す。

「ママもパパも、自分のことばっかり! もう嫌なの! 大嫌い! 二人とも大嫌い!!」

 店内の空気が一瞬止まったように感じた。雪乃は立ち上がり、躊躇なく入口へ向かって駆け出した。

「雪乃!」

 俺も慌てて立ち上がり、追いかけた。ドアベルが鳴り、外の冷たい風が頬を叩く。しかし、彼女の姿はもう見えない。周囲を見回しながら、俺は早足で歩き出した。

 通りの先、横断歩道、バス停――どこにもいない。胸の鼓動がどくどくと激しくなる。もし事故に遭ったら、もし誰かとトラブルになったら。その考えが頭を締め付ける。

「雪乃……!」

 息を切らしながら、周囲を探し回る。すると、角を曲がった先の建物に、見覚えのあるネオンが光っていた。

 ――ゲームセンター。

 足が自然とそちらへ向かう。ガラス越しに中を覗くと、クレーンゲームの前に、小さな後ろ姿が見えた。肩を落とし、ぼんやりと機械の中を見つめている。

 俺はゆっくりと中へ入り、彼女の隣に立った。雪乃はしばらく気づかないふりをしていたが、やがて小さく呟いた。

「ねえ、パパ……覚えてる?」

 視線はまだ景品のぬいぐるみに向けられたままだった。

「ここ。昔、三人で来たよね。ママと、パパと私で。クレーンゲーム、全然取れなくてさ……でも、パパが最後に一個だけ取ってくれて」

 胸の奥に温かな痛みが灯った。あのときの光景が、鮮明によみがえる。笑い合う声、少し誇らしげな雪乃の顔、小さな手のぬくもり。

「あのとき、楽しかったなって……思い出してた」

 その声は、かすかに震えていた。

「私、どうしたらいいんだろう」

 雪乃はようやくこちらを向いた。強がりを剥ぎ取られた素顔が、そこにあった。目尻に涙が滲み、唇が必死に震えを堪えている。

「ママもパパも変わっちゃって……家も学校も、どこにいても息苦しい。反抗したら怒られるし、黙ってたら置いていかれる。友達とも上手くいかなくて……」

 言葉は途中で途切れ、代わりに涙が頬を伝った。

「私、ちゃんとしたいだけなのに……心の中、ぐちゃぐちゃで……」

 幼さも、強がりも、全部ひとつに溶けて、ただただ泣く娘の姿。俺の胸は、軋むように痛んだ。

 そっと近づき、彼女の肩に手を置く。拒まれる覚悟をしていたが、雪乃は振り払わなかった。むしろ、かすかに肩を預けてきた。

「雪乃……悪いのは、お前じゃない」

 それだけを、静かに伝えた。

 彼女の涙は、しばらく止まらなかった。ゲーム機の明滅する光が、こぼれ落ちる雫をやわらかく照らしていた。

◇◆

 数日後、俺は弁護士事務所の応接室にいた。壁に掛けられた抽象画と、磨き上げられた木製のテーブル。窓の外にはくもり空が広がり、その灰色が胸の奥の重さと奇妙に重なって見えた。

 ほどなくしてドアが開き、彩花が入ってくる。ブランド物のバッグを肩にかけ、ヒールを鳴らしながら椅子へ腰を下ろす。その顔立ちも、どこか刺々しい雰囲気も、昔と少しも変わっていなかった。

「で? 何の話?」

 ぶっきらぼうな声。視線は俺に向けられもせず、爪の先をじっと眺めている。

 向かいの席に座った弁護士が静かに資料を整え、口を開いた。

「本日は、三点についてお話ししたく、お時間をいただきました。まずは雪乃さんのこと。次に養育費を含めた金銭面。そして――高橋氏との関係についてです」

「……ふーん」

 彩花はつまらなそうに相槌を打った。

 俺は深く息を吸い、正面から彼女へ視線を向けた。

「雪乃のことだ。最近、学校を休みがちで、家でも不安定になっている。思春期なのは分かるが、俺としては、できる限り支えたい。お前も――ちゃんと向き合ってやってくれないか」

 しかし、彩花は何も返さない。横顔には無関心が貼りついたままだ。

 沈黙が落ちる。数秒がやけに長く感じられた。

「彩花さん」

 弁護士が穏やかな声で続ける。

「娘さんの学業や生活面について、ご一緒に方針を考えていきたいのです。いま一番大切なのは――」

「はいはい、分かってますから。そういう“いい親ごっこ”」

 彩花は鼻で笑い、俺の方へ冷たい視線を投げた。

「なに? 今さら“父親ヅラ”してカッコつけてるわけ?」

 その言い方は、まるで刃のようだった。

「……今さら、か」

 喉の奥でため息が滲む。しかし、俺は言い返さなかった。過去の言い争いが、頭の中で一瞬よぎり、喉元まで込み上げてきた言葉を、唇の裏側で飲み込む。

 不倫して家庭を壊したのは向こうだ。それでも、ここで声を荒らげたところで、雪乃のためにはならない。そう自分に言い聞かせる。

「養育費についてですが――」

 弁護士が話を本題へ戻そうとしたそのとき、彩花のスマホが震えた。画面を見た瞬間、彼女の表情がわずかに固まる。

「……ちょっと、学校から。雪乃の中学」

 椅子を乱暴に引き、立ち上がる。

「続きはまた。用があるから」

 ドアがバタンと閉じ、足音が遠ざかっていった。

 部屋に静けさが戻る。弁護士はしばらく黙り、眼鏡の位置を正した。

「……申し訳ありません。彩花さんのご様子から察するに、精神的に余裕がないのかもしれません。ただ――いずれにせよ、雪乃さんの環境は改善が必要でしょう」

「そうですね……」

 俺はテーブルの木目を見つめながら答えた。

「彼女のためにできることがあるなら、何でもやります。親権のことも含めて、選択肢を整理しておきたい」

「承知しました。こちらでも引き続き状況を確認します」

 その日は、それで解散となった。

 ――そして、数日後。

 午後の配信準備をしていたとき、スマホが震えた。見覚えのない番号。胸の奥がざわめく。

「……はい、もしもし」

『雪乃さんの中学校の生活指導担当です』

 落ち着いたが、どこか重い声だった。

『お時間をいただき、ありがとうございます。実は……ここ最近の欠席日数についてお話ししなければなりません』

 俺は椅子に腰を下ろし、無意識に拳を握りしめた。

『出席日数が基準に満たない可能性があります。このままでは、進級自体は形式上可能ですが――高校受験に大きく影響するおそれがあります』

 言葉の一つひとつが胸に刺さる。

 雪乃の叫び、泣き顔、ゲームセンターの光景――それらが一気によみがえり、視界が滲んだ。

「……分かりました。すぐ相談の場を設けてください。俺も出席します」

『ありがとうございます。詳細は追ってご連絡いたします』

 通話が切れた。

 静まり返った部屋の中で、机の上のマイクだけが無言でこちらを見つめているように見えた。


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