妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第28話 雨上がりの通学路

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「いってきまーす」

 玄関のドアを開けながら声をかけると、キッチンから「気をつけてな」とパパの声が飛んでくる。
 最近のパパは、なんというか……すごく機嫌がいい。忙しそうにしているくせに、顔つきは前よりずっと柔らかい。
 朝から洗い物をしながら小さく鼻歌なんか歌ってるし、ジムやボイトレに向かう時の背中にも、どこか迷いがない感じがある。

 あの頃のパパとは、まるで別人みたいだ。

 たまにウザい時もある。
 「ちゃんと朝ご飯食え」「夜更かしするな」「帰りが遅いなら連絡しろ」
 いちいち口うるさいし、過保護すぎるんじゃないかって思うことだってある。

 でも。

 今のパパは、ちゃんと私を見てくれる。
 学校への送り迎えも、部活の応援も、暇があれば必ず来てくれる。
 「雪乃のプレー見たいんだ」なんて、ちょっと気恥ずかしいことを真顔で言うくせに、こっちが照れるとバツが悪そうに笑う。

 ……昔は、そんな人じゃなかった。

 歩道橋を渡りながら、私はつい遠い日のことを思い出す。

 パパはいつも仕事ばかりしていた。
 家のため――散財するママのため――そしてたぶん、私のためでもあったんだろう。
 それくらいは、わかってた。

 だけど、寂しかった。

 夜遅くに帰ってきて、会話は「宿題やったか」「風呂入れ」くらい。
 目が合っても、何かを話す前にもうパソコンの画面へ向き直ってしまう。
 私が部活で勝っても、賞状を見せても、「すごいな」の一言で終わり。

 嬉しさが胸につかえて、ちゃんと届く前に地面に落ちていく感じ。

 ママは、そんなパパに文句を言いながら、外で誰かと会っていた。
 それが“ただの友達”じゃないことなんて、子どもの私でもすぐにわかった。

 ある夜、部活から疲れて帰ったとき。
 寝室から聞こえてきたあの声は、今でも耳にこびりついて離れない。
 耳を塞いでも、シャワーを浴びても、心の奥に残り続ける。

 あの日から、家は安全な場所じゃなくなった。

 パパとママが離婚してからは、私はますます空気みたいな存在になった。
 なりたくてなったわけじゃないけど――あの人たちからすれば、空気以下だったのかもしれない。

「外に遊びにでも行けば?」

 そう言われた日、私は初めて家出をした。
 家出なんて言っても、近所の幼馴染――ウッチーの家に泊まっただけだけど。

 近所にはもう噂が広まっていて、みんなが私を見る目は「かわいそうな子」という同情混じりの視線だった。
 その視線から逃げるように、私は部活に没頭した。

 ――だから。

 大切な大会の日にママが来なかった時、私が怒鳴ったのは、ただの腹いせじゃない。
 唯一の居場所を、奪われた気がしたからだ。

 考えかけて、私は頭を振った。

 もういい。あれは、過去の話だ。

 校門をくぐり、昇降口でスニーカーから上履きに履き替える。
 教室に入ると、友達がいつものように手を振ってくれる。

「雪乃、おはよー!」

「おはよ。今日、部活残る?」

「残る残る。あ、英語の小テストやばいんだけど」

「はいはい、見るからノート貸して」

 笑い合って席に着く。
 クラスの空気は、数ヶ月前よりずっと穏やかになっていた。

 “あの件”以来――例の萩山《おぎやま》、通称ストーカーは学校に来ていない。
 転校したという噂もあるし、家から出られないらしいという話もある。

 正直、どうでもいい。

 私は私の生活を取り戻したいだけだ。

 授業を終え、放課後は部活へ。
 汗をかいてボールを追い、笑って、怒鳴って、走って――気づけば夕焼けが校舎に伸びている。

 更衣室で着替えを済ませ、駅へ向かう帰り道。
 ふと、背中に視線を感じた。

 ――誰かがついてきている。

 心臓が早鐘を打つ。
 歩く速度を少し速めても、足音は一定の間隔でついてくる。

(やだ……また……?)

 足が震え始め、私は急いで駅の階段へ向かった。
 一段目を降りようとした瞬間――

 つま先が引っかかった。

「――っ!」

 視界が傾く。
 体が前に倒れ、階段の下が遠くに見えた。

 落ちる――そう思った瞬間。

「おっと、大丈夫?」

 腰を強く支えられ、体が引き戻された。
 肩越しに回された腕に力が入り、息が詰まる。

 振り返ると、汗を拭ったタオルを首にかけた男の子が立っていた。

 朝来野《あさくの》 宏夜《ひろや》。
 同じクラスで、サッカー部の部長。一年からずっとレギュラーで、勉強もできて、しかもイケメン。

 女子人気ランキングがあったら、堂々の一位だろう。

「やっぱり、恩塚か」

「や、やっぱりって何それ!」

「おっちょこ塚に改名した方がいいんじゃね?」

「は!? なにそれ!」

 ムカついて肩を叩こうとすると、ひょいと避けられる。

「おっと、反射神経だけはあるんだよな、俺」

「自分で言うし……」

 力が抜けたみたいに、私は息を吐いた。

 朝来野は少しだけ真剣な表情に変わる。

「後ろ、変なヤツいたからさ。気になってついてきた」

「……え?」

「もういない。階段手前でどっか行った。たぶん俺がいたからだろ」

 胸の奥の緊張が、少しずつほどけていく。

「……ありがと」

「礼いらねーよ。クラスメイトだし」

 そう言って、彼は照れくさそうに鼻をかいた。

 私はもう一度深く息を吸って、前を向いた。
 怖さはまだ消えない。でも――

(……今の私は、一人じゃない)

 そう思えた瞬間、胸の奥がほんの少し温かくなった。

◆◇◇◇◇

 昨夜、夕食を終えて一息ついた頃だった。
 雪乃が湯呑みを両手で包み込みながら、ぽつりと口を開いた。

「……あのさ、昨日ちょっと怖いことがあって」

 言葉の調子が、いつもより少しだけ弱い。
 胸の奥でざわりと不安が鳴った。

「帰り道で、後ろから誰かにつけられてる気がして……。駅の階段で足、滑らせそうになったんだけど……その、同じクラスの子が助けてくれたの」

「誰だい?」

「朝来野。サッカー部の部長の」

 ああ、と記憶が結びつく。学年だよりで名前だけ見たことがあった。
 それにしても……夜の駅で、背後の気配、転びかけた階段。

 喉の奥で固いものを飲み込む。

「雪乃。これからは、誰かと一緒に帰りなさい」

「みんな逆方向だし……」

 すぐに返ってきた言い訳は、あまりにも彼女らしい。
 だからこそ、突き放すことはできなかった。

「だったら、その――助けてくれた朝来野くんに頼めばいいじゃないか。じゃないとパパが毎回、部活帰りに迎えに行っちゃうぞ?」

「それはヤダ!」

 即答。しかも全力拒否。

「そんなに否定しなくても……」

 苦笑しながらも、胸の奥は締めつけられる。
 思春期の娘にとって、親が迎えに来るなんて嫌に決まっている。
 分かっている。分かっているけれど――それでも心配は減らない。

 雪乃は視線を伏せ、湯呑みの中を覗き込むようにして小さく息を吐いた。

「……でも、なんか最近こういうの続いてて。気のせいかもだけど」

 続いている。
 その一言が、心の中の警鐘をさらに強く鳴らした。

「学校にも、一度相談してみる」

 そう告げると、雪乃は少しだけ安心したように微笑んだ。
 その笑顔が、かえって胸に痛い。

 守らなければならない。
 今度こそ、絶対に。

◇◇◇

 翌日。
 学校の相談室の隅で、俺は教師と向かい合っていた。

「部活終わりのあの時間帯、同じ電車に乗るのは……朝来野だけですね」

「そうですか……」

「念のため、こちらからも声をかけておきます。雪乃さんを気にかけてあげるように、と」

 教師が穏やかに頷いた、そのときだった。

「あ、あの子ですよ恩塚さん」

 扉の向こう、廊下を歩く長身の男子生徒。
 すらりと伸びた背筋、落ち着いた歩き方。
 髪は短く整えられ、どこか大人びた雰囲気を纏っている。

「朝来野くん、ちょっといいかい?」

 教師に呼び止められた彼は、素直にこちらへ歩み寄ってきた。
 間近で見ると、さらに端正な顔立ちだ。

(サッカー部の部長って……女子サッカー部じゃなかったのか!?)

 ――違う、男子だ。
 思わず内心で突っ込みながらも、同時に胸のどこかがざわつく。

 俺は娘を守ってくれた少年の顔をまじまじと見つめる。彼のまなざしは不思議と真っ直ぐで、誠実そうだった。

 それが少しだけ、救いのように思えた。


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