妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第30話 走り出した鼓動

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 それから二日後の夜、メールの受信通知が鳴った。差出人は――ナンコツさんから紹介された、従姉妹を名乗る人物。

 件名には「初めまして、スナギモです」とある。

 スナギモ。なかなか個性的なペンネームだ。

 本文を読むと、きっちりした文体の中に、どこかオタク特有の熱量が隠れているのが伝わってくる。

〈この度は字幕制作の件、お声がけいただきありがとうございます。姫宮みことさんの配信、いつも楽しく拝見しております。好きな回は“深夜テンション料理配信”です〉

 ――よりによってあの回か。

 思わず苦笑しつつも、胸が少し温かくなる。

〈では、一週間後を目安に切り抜き動画の作成をお願いします〉

 そう返信すると、返事は驚くほど早かった。

〈すみません……もう出来上がってます〉

「はやっ!?」

 思わず声が漏れた。

 どうやらスナギモさんは、既にいくつかの切り抜きに英語字幕を乗せ終えており、チェックしてもらえれば即投稿できる状態らしい。大学時代に留学経験があり、英語は日常会話どころか翻訳も得意とのこと。

 ナンコツさんが編集した動画に、追加で字幕を重ねていく――そんな理想的な役割分担が、自然と出来上がった。

〈助かります。本当にありがとう〉
〈こちらこそ、推しの役に立てて光栄です〉

 最後の一文に、また少し笑ってしまった。

◇◇

 同じ日の昼過ぎ。ほたるから記念配信用サムネイルのラフ画が送られてきた。

 メールを開くと、そこには――華やかな色彩の中で微笑む姫宮みこと。その背後に散る光の粒子と、胸元に輝く「1,000,000」の数字がふわりと浮かんでいる。

〈まだ仮ですが、イメージはこんな感じでどうでしょうか〉

 繊細で柔らかい線。それでいて、どこか凛とした強さを帯びた表情。

〈最高です。ぜひこの路線でお願いします〉
〈よかった……では清書に入ります〉

 ほたるのメッセージはいつも控えめで、それでいて温かい。

 ――準備は万端だ。

 あとは、数字がその瞬間に辿り着くのを、静かに待つだけ。

 胸に広がる期待と、どこか不安にも似た高揚感を抱えながら、俺はモニターを閉じた。

◇◆◇◆◇◆◇

 テニス部総体まで、あと数日。

 放課後のコートには、夕方の橙色の光と汗の匂いが満ちていた。ラケットを振る音、シューズが地面を擦る音、後輩たちの掛け声。どれも、胸をざわつかせる。

 この三年間の集大成。
 絶対に悔いは残したくない。

 練習が終わって、私はいつものように校門前へ向かった。朝来野を待つためだ。

 ――送ってもらえ、ってパパに言われたから……それだけ。
 ……たぶん、それだけ。

 校門を出たところで、彼の姿が目に入った。
 後輩の女子たちに囲まれ、笑顔で何かを話している。肩を叩かれたり、冗談を言ったり――すごく自然で、距離が近い。

 胸の奥が、チクリと痛む。

 ――え、なにこれ。

 わからない感情が、一気に溢れ出した。
 喉の奥がざわついて、立っていられなくなる。

 気付けば、私はその場から走り出していた。

 どこへ向かうのかも考えず、ただ足の赴くままに。呼吸が荒くなり、心臓の音が耳の奥で響く。

(……なんで、私、逃げてるの?)

 駅は逆方向。気付いたときには、校舎も街灯も遠くなっていた。

 ――帰らなきゃ。
 踵を返した瞬間。

「やっと二人になれたね」

 背後に、聞き覚えのある声。

 振り向くと、そこに荻山《ストーカー》が立っていた。
 暗い目で、じっと私を見つめている。

「……なっ、萩山?」

「最近、ずっとあのブサイクが一緒だったからさ。話しかけられなかったんだよ」

 口元を歪め、不気味に笑う。

 背筋が凍った。

 逃げなきゃ――そう思って腕を伸ばした瞬間、右手首を掴まれた。

「そんなに恥ずかしがらなくてもイイのに」

「や、やめて――!」

 叫ぼうとした口を手で塞がれる。
 息が詰まり、目の奥が熱くなる。

 服の上から、指が肩へ、背中へ滑り落ちていく。

 恐怖で身体が固まった、その時――

「おい。今すぐ雪乃から手を離せ」

 低く、鋭い声。

 振り向くと、そこに朝来野が立っていた。

 夕焼けの逆光の中、強い眼差しで荻山を睨みつけている。

「……邪魔をするなぁ!!」

 荻山が掴みかかろうと飛び出す――

 次の瞬間。

 朝来野の身体が軽やかに横へずれ、足をひっかける。体重を支えられなくなった荻山は、前のめりに地面へ倒れ込んだ。

「今だ、逃げるぞ!」

 そう言って、朝来野は私の手を強く握る。

 温かくて、力強くて――震えていた心が一瞬だけ落ち着いた。

「う、うん……!」

 二人で駆け出す。
 風を切る音、鼓動の音、手の温度。

 校舎の灯りが見えるまで、一度も振り返らなかった。

 校門の影に入り、ようやく息を整える。

 繋がれた手はまだ離されていなくて――
 それに気付いた瞬間、胸が熱くなる。

「……大丈夫だったか?」

 優しい声。

 私は小さく頷いた。

「ありがと……」

 喉の奥が詰まりながらも、なんとか言葉にする。

 そのとき、ふと気付いた。

 ――どうして私は、あんなに走ったんだろう。後輩に囲まれていた彼を見て、胸が苦しくなったのは――

 自分でも答えを出せないまま、握られた手の温もりだけが、心に残っていた。

◇◇◆

 家で食をとっているときだった。ポケットの中でスマホが震える。雪乃からのメッセージだ。部活終わりの時間帯に連絡が来るのは珍しい。胸騒ぎを覚えながら画面を開く。

> 「ごめん、いま学校にいる。ちょっとだけ来てほしい」

 その短い文章だけで、背筋が冷たくなる。理由は書いていないのに、ただならぬ空気が伝わってくる。

 考えるより先に立ち上がっていた。家を飛び出し、車に乗り込み学校へ向かう。車内で何度もメッセージを打ちかけては消し、結局「いま向かってる」とだけ送った。

 校門前にはパトカーが停まっていた。赤い回転灯が薄曇りの空にくっきりと映える。その脇で、制服姿の男子生徒が警察官に両腕を抱えられている。髪型、顔立ち――見覚えがあった。

 荻山だ。

 彼は抵抗しようと暴れるが、警察官に押さえつけられ、半ば引きずられるようにしてパトカーの後部座席へ押し込まれる。ドアが音を立てて閉まり、車内の静けさが外界を遮断した。

 喉がきゅっと締めつけられる。

(……間に合わなかったのか)

 胸の奥がきしむ感覚に耐えながら、職員室横の応接室へ急ぐ。ノックもそこそこにドアを開けた。

 視界に飛び込んできたのは、ソファに並んで座る二人の姿だった。

 雪乃と――朝来野くん。

 二人はぎゅっと手を握り合っていた。雪乃はその肩に頭を預け、安心したように静かな寝息を立てている。涙の跡が頬に残っているのが見え、胸が締めつけられた。

 朝来野くんは、こちらに気づくなり慌てて雪乃の肩を揺らした。

「ゆ、雪乃、あの……起きて、えっと……!」

「あ……ごめん……寝ちゃってた……」

 雪乃が顔を上げると、すぐにこちらを見つけて目を潤ませた。

「パパ……」

 その声に、ようやく息ができた気がした。

 担当の先生と警察官から事情を聞く。荻山は雪乃を校外で待ち伏せし、無理やり連れ出そうとしたという。そこへ朝来野くんが駆けつけ、助け出してくれた――そういう流れだったらしい。

 警察官はきっぱりと言った。

「今回の件について、荻山くんは逮捕されます。今後は起訴の有無を含め、弁護士とご相談ください」

 現実感は薄いのに、その言葉だけが生々しく胸に落ちてくる。

 説明が終わると、私は朝来野くんの前に立ち、自然と頭を下げていた。

「ありがとう。本当に……本当にありがとう」

「や、やめてください! 頭を上げてください、俺はただ――当然のことをしただけで……!」

 彼の声は震えていたが、その目だけは真っ直ぐで、迷いがなかった。

 そのとき、ドアがノックされる。

「朝来野くんの保護者の方、到着されました」

 先生の声に振り返る。入ってきた人物を見て、一瞬時間が止まった。

 ――ジムでよく会う、あの女性だった。

 汗まみれでストイックにトレーニングしていた、あの人。互いに顔を見合わせ、同時に目を丸くする。

「えっと……朝来野くんのお母様、だったのですか?」

 恐る恐る尋ねると、彼女は即座に首を横に振った。

「違いますよ! 姉です!!」

「えっ!?」

 思わず間の抜けた声が出てしまい、次の瞬間には二人とも吹き出していた。

「あははは……いや、まさか……」

「私もびっくりしました。まさかジムの方が、弟の同級生の親御さんだったなんて」

 緊張で張りつめていた空気が、少しだけ柔らかくほどけていく。

 隣で雪乃は、握られた手をもう一度ぎゅっと強く握りしめていた。

 その仕草を見て、俺は胸の奥でひっそりと思う。

(――守ってくれて、本当にありがとう)



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