妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第31話 強い笑顔

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 カウントダウンの数字が、モニターの右上で静かに点滅していた。
 999,895、999,964――。

 呼吸をするだけで胸が痛い。
 椅子の背もたれに身体を預けながら、それでも目だけは画面から離せなかった。

「……あと、ひとり」

 マイク越しに出た声は思いのほか震えていた。
 チャット欄には〈ドキドキ〉〈いけるぞ!〉〈見届ける〉と溢れんばかりのコメントが流れる。

 雪乃は今日は部活で帰宅が遅い。
 この瞬間はひとりで迎えることになった。
 けれど――本当はひとりじゃない。
 何万人、何十万人という「誰か」が、この瞬間、画面の向こうで息を詰めている。

 更新ボタンを押す指が汗ばむ。
 唇を噛み、願うように数字を見つめた。

 ――ピコン。

 軽い効果音と同時に、数字が跳ね上がった。

 

1,000,000

 

 その瞬間、世界が少しだけ、音を失った。

「……っ」

 声が出なかった。
 代わりに込み上げてきたのは、胸の奥をぐちゃぐちゃにかき混ぜる熱いもの。

 コメント欄が爆発する。

〈おめでとう!!!!〉
〈姫宮みこと100万人!!!〉
〈ここまで来たか……〉
〈ずっとついていく〉
〈泣いていいぞ〉

 視界が滲んで、モニターの文字が読めなくなる。
 手の甲で拭っても、涙は新しく零れ落ちる。

「……ありがとう……っ」

 声にならない声を吐き出し、俯く。
 過去が、走馬灯のようにフラッシュバックする。

 働いても働いても埋まらなかった生活の穴。
 笑いながら裏で誰かとメッセージを交わしていた元妻。
 父の病室の匂い。弱くなっていく声。
 泣きながら眠りについた雪乃の小さな背中。

 何も守れなかった自分。
 それでも足掻いて、必死に、無様にここまで来た。

「……ひとりじゃ、ここまで来れませんでした」

 顔を上げ、震える声で言葉を紡ぐ。

「イラストを描いてくれるほたるさん、切り抜きを作ってくれたナンコツさん、その従姉妹のスナギモさん……支えてくれた人、そして――いつも配信を見にきてくれるみんな。
 本当に、本当に、ありがとう」

 コメントがさらに流れ出す。

〈俺たちも救われた〉
〈みこと、頑張ってきたよな〉
〈これからだから〉
〈一緒にいこう〉

 胸に手を押し当てて、深く息を吸う。
 泣き顔のまま笑う自分が、画面に映っていた。

 



 

 配信を切ったあと、Xの通知は数百件単位で増え続けていた。
 お祝いのイラスト、ケーキの写真、コラージュアート。
 中には芸能人や著名配信者の投稿まで混ざっている。

〈姫宮みことさん100万人おめでとうございます〉
〈ずっと応援してました〉
〈歌と声に救われてます〉

「……すごいな」

 胸の奥がくすぐったくなる。
 震える指でスクロールすると、見慣れた名前が目に入った。

 ――ほたる。
 柔らかい線で描かれた記念イラスト。
 そこには配信衣装の「姫宮みこと」と、小さな雪乃のシルエットが寄り添っていた。

『ここまで一緒に歩けて幸せです。おめでとうございます』

 喉が熱くなる。

 続いてナンコツさんからDM。

『最初の頃から編集できて本当に光栄です。100万人、おめでとうございます』

 そしてスナギモから。

『英語字幕、これからも全力で支えます! 世界に広げましょう!』

 文章は丁寧なのに、隠しきれないオタク感が微笑ましい。

 俺はひとつひとつに、丁寧に感謝の返信を書いた。

 ――みんながいてくれたから、ここまで来れた。

 



 

 翌日、スマホに新しい通知が届いた。
 送り主はナンコツさん。

『実は……スナギモと相談して、記念に皆で食事でもどうかなと』

『ほたるさんにも声をかけてみようと思ってます。もしよければ、娘さんも』

「みんなで……」

 思わず笑みがこぼれる。
 画面の向こうの人たちが、初めて「同じテーブルに座る」イメージが浮かぶ。

『ぜひ、行きましょう』

 すぐにそう返した。

 ただ、全員の予定を合わせるのは簡単ではなく――
 結局、**一ヶ月後に都内のレストランで集まる**ということに決まった。

 そのやり取りを確認したあと、ソファに身を沈める。

 雪乃の笑い声。
 キッチンに立つ音。
 ジム帰りの疲労感。
 穏やかな日常の匂い。

 嵐のような日々の中で、ふと訪れた静かな時間。

 配信も、父としての役目も、歌も。
 やっとどれもが「同じ人生の線上」に並び始めている。

 ――あの日、すべてを失ったと思っていた。
 けれど、まだ終わっていなかったのだ。

 俺は天井を見上げ、目を閉じる。

「……これからだな」

 ひとり呟いたその言葉は、
 静かな部屋の中で、未来へ向かって溶けていった。

 

――そして、平穏な日々は、しばらく続いた。

◇◆◇

 朝の光がフロントガラスの向こうで揺れていた。
 梅雨が明けきらない夏の入口の空は少し霞んでいて、それでも今日が特別な日だと告げるように眩しく輝いている。

 助手席の雪乃は、ユニフォーム姿のまま窓の外を見つめていた。
 緊張しているのか、膝の上でぎゅっと手を握りしめている。

「……パパ、そんなに見ないでよ」

「見てないぞ。いや、見てたな。ごめん」

 ハンドルを握り直しながら苦笑する。

 中学最後の総合体育大会。
 テニスコートの砂の匂いと汗と歓声――そのすべてが、今日で終わるのかもしれない。

 信号で停まったタイミングで、助手席へ小さな保冷バッグを差し出す。

「これ。お弁当。水分ゼリーと塩タブレットも入れてある」

「うん……ありがと、パパ」

 受け取った雪乃は一度見つめ、口元をほころばせる。

「パパってさ、ほんとみたい」

「褒めてるのか、それ」

「もちろん」

 短い言葉のあと、車内に少しだけ静かな空気が流れる。
 その沈黙の中で、雪乃はぽつりと呟いた。

「……頑張るね。ちゃんと、全部出してくる」

「うん、頑張れ。パパはこれくらいしかできることないけど……応援してる」

「うん。分かってるよ」

 雪乃は笑った。
 少しだけ泣き出しそうで、それでも前を向く強い笑顔だった。

 



 

 大会会場に着くと、既にコートの周りは選手と保護者、顧問の教師たちでごった返していた。
 青い空に、硬式ボールの乾いた音が響き渡る。

 砂入り人工芝のコート。白線は朝露を吸ってわずかに濡れている。
 入口近くに貼られたトーナメント表には、ずらりと並ぶ名前――その中に「恩塚 雪乃」の文字。

 一年生の時、彼女はベスト16止まりだった。
 手を伸ばしても届かなかった「都大会」。

 二年の時は、家の事情の渦の中で部活を辞め、コートに立つことすらできなかった。

 ――だから今日が、最後の賭けだ。

 選手集合のアナウンスが流れ、雪乃はラケットケースを背負いながら振り返った。

「パパ、じゃあ行ってくるね」

「ああ。怪我だけはするな。水分とれよ」

「大丈夫、任せて」

 軽く手を振り、雪乃は仲間の輪へ走っていく。

 

 その少し向こう、開会式の準備が整う。
 前回大会個人優勝の少女が前に立ち、右手を高く掲げる。

 灼けるような初夏の陽射しの中、声が澄んだ空へ届いた。

「選手宣誓――私たちは、本大会において正々堂々と……」

 誰かの青春が始まり、誰かの物語が終わる。
 それを見届ける空気の中で、俺は胸の奥をぎゅっと掴まれる。

 



 

 最初の種目はダブルス。
 雪乃のパートナーは、一年下の後輩――

 絵上《えがみ》 笑《えみ》。

 小柄で快活、チームのムードメーカー。
 顧問からは「次期主将候補」と目されているらしい。

「先輩、緊張してます?」

「ちょっとだけね。笑は?」

「めちゃくちゃしてます! でも勝ちます!」

 二人は拳を軽くぶつけ合い、コートへ入っていった。

 

 ――試合開始。

 相手は同じ地区で何度も当たっている学校。堅実で、粘り強いプレースタイル。

 最初のサービスゲームは雪乃。
 トスを上げ、吸い込むようなフォームで振り抜く。

 硬い音が空気を裂いた。

 ボールはコーナーぎりぎり――
 相手は追いつけず、ライン際で弾かれる。

 15-1

 観客席の端から、小さく拍手が起こった。

 笑は前衛で俊敏にネットへ詰める。
 雪乃の深いストロークと、笑のタイミングの良いボレー。

 二人の呼吸は、見ていて気持ちいいほど噛み合っていた。

「ナイスショット先輩!」
「笑、次センター行く!」

 声が飛ぶたび、流れはこちらへ傾く。

 第一セット――6-2

 危なげなく取り切った。

 



 

 続く二回戦も、熱を帯びたラリーの応酬になりながらも、
 雪乃のバックハンドスライスが相手の体勢を崩し、笑のボレーが決まる。

 6-3

 汗で頬に張り付く髪を指で押さえ、雪乃は息を整えながらコートを出てきた。

「パパ、麦茶……!」

「ああ、はいはい。ほら」

 ボトルを渡すと、雪乃は一気に喉へ流し込む。

「落ち着いてるな」

「……今回は負けたくないから」

 短い言葉に、強い意志が宿っていた。

 

 三回戦――
 対戦相手は、長身でサーブの重たいペア。

 序盤は押され気味。
 サービスエースを何本か取られ、スコアは2-4。

 応援席の空気が少しざわつく。

「落ち着け、雪乃……」

 心の中で呟いた瞬間、彼女は動いた。

 相手がスピンの深いボールを打ち込んできた次の瞬間――
 雪乃はライン際を狙って振り抜いた。

 低く伸びるクロスショット。

 相手が追いついた頃には、もう次のボールがネット前に落ちている。
 笑のボレーが決まり、歓声が上がる。

 その一点から、流れは変わった。

 雪乃のリターンが深く刺さり、ラリーが続くごとに相手の足が止まっていく。
 粘り勝ちの展開――

 7-5

 雪乃たちは逆転で勝ち切った。

 

 ベンチに戻ってくると、笑が弾けるように叫ぶ。

「やりましたね先輩!! 準々決勝ですよ!!」

「まだだよ。ここから、だよ」

 そう言いながらも、雪乃の声は少し震えていた。
 拳を握りしめる彼女の横顔を見て、胸が熱くなる。

 ――あと一つ勝てば、都大会。

 歓声の余韻がまだコートに漂う中、
 次の試合のアナウンスが淡々と響き渡る。

 

 そして雪乃は、準々決勝のコートへ向かって歩き出した。



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