妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第34話 策士は背後に

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 翌朝、目覚ましの鳴る少し前に目が覚めた。カーテンの隙間から射し込む初夏の光はやけに白く、胸の奥に微かな不安を落としていく。

 リビングに向かうと、雪乃がダイニングチェアに腰掛け、右足を椅子の上に乗せていた。
 くるぶしの少し上――うっすらと腫れて、淡い紫色が浮いている。

「……思ったより、腫れてるな」

 俺は声を抑えて言った。

 雪乃は苦笑いを浮かべる。

「歩けるよ、パパ。ほら」

 立ち上がって見せる。
 確かに歩けている――でも、その一歩は、昨日のそれよりわずかに重かった。

(これは……捻挫か、いや、もしかすると――)

 最悪の可能性が、頭をかすめる。
 それでも、雪乃の瞳には迷いがなかった。

「今日の試合、出る。ここまで来て……諦めたくない」

 静かな声。
 一度は辞めたテニス、それでも戻ってきた。
 その裏にある想いを、俺はまだすべてを知ってはいない。

 だが――それでも。

「わかった」

 俺は頷いた。

 甘やかすわけでも、止めるわけでもない。
 それが今、父親としての――俺の精一杯だった。

 テーピングを重ね、その上からサポーターを巻く。
 雪乃は歯を食いしばって耐えていたが、ひとつたりとも弱音を吐かなかった。

「……よし」

 俺は親指を立てて笑う。

「頑張れ。最後まで」

 雪乃も、小さく笑って頷いた。

 



 

 会場につくと、既に熱気が漂っていた。
 コートの奥で、対戦相手の少女が軽快にウォーミングアップをしている。

 ハナ・テイラー――イギリス人の父を持つ選手。
 鋭いフォームと、迷いのないプレースタイル。
 父親はフェンスの向こうで腕を組み、鋭い視線を向けていた。

「HEY! FOCUS!  DON’T STOP!  MOVE YOUR FEET!」

 怒号に近い声が、会場に響く。
 だが英語な上、発音は完璧で――ほとんどの観客が理解できない。

(……でも、ハナには刺さってるんだな)

 その一言ひとことが、鎖のようにハナを縛り上げているように見えた。

 試合が始まる。

 序盤から、ハナのボールは重く速い。
 雪乃はサポーターで固定された右足をかばいながら、必死に喰らいつく。

「ナイスショット!」

 拍手が起こる。

 だが、踏み込んだ瞬間――雪乃の足が微かに震えた。

(痛むよな……)

 喉の奥で言葉が止まる。

 それでも彼女は前を向き、打ち返し続けた。

 デュースまでもつれ込む。
 だが先に二セット奪われ、追い詰められる。

 セット間、ベンチで雪乃が右足首にアイシングを当てながら、こちらを見た。

 一瞬、その瞳に迷いが走る。

 ここで俺が同情の顔を見せたら――
 それは、逃げ道を差し出すことになる。

(強い顔を、見せてやれ)

 俺は立ち上がり、力いっぱいガッツポーズを突き上げた。

「行け! 雪乃!」

 彼女は一瞬驚いたあと、口角を上げて頷いた。

 三セット目。
 ハナは怒涛のパワープレーで攻めてくる。
 ポイントが奪われていく。

 そのとき――背後から声が飛んだ。

「逆クロス、一本置いてからのストレートが効きます!」

 振り返ると、フェンスの外に――橋本選手が立っていた。

 準々決勝で戦った少女。
 相手の嫌なコースを突くのが異様に上手い、あの一年生。

「相手の打点、少し遅いです! コーナー空きます!」

 会場がざわつく。

「え……同じ大会の、しかもライバル校……?」

「アドバイスするのかよ……!」

 誰もが驚いた。

 俺も息を呑む。

(――すげぇな)

 橋本の目は真剣だった。

 敵味方じゃない。
 ただ、目の前で戦っている人間を尊敬している目だった。

 雪乃は一瞬だけ震え――
 そして、コートに視線を戻す。

 言われたコースを、素直に狙った。

 ――一本、入る。

 歓声。

 次のポイントも入る。

 雪乃の動きが、少しずつ変わっていく。

 守るだけじゃない。
 攻めのリズムを取り戻し――

(いける……!)

 気づけば二セット奪い返し、イーブンに並ぶ。

 客席で、ハナの父が声を荒げる。
 英語の罵声が飛ぶ。

 それまで感情を見せなかったハナの顔が――歪んだ。

(……今だ)

 精神が乱れた瞬間は、勝負の分水嶺。

 雪乃は容赦なく、嫌なコースを突き続ける。

 俺の視界の端で、橋本が――不敵にニヤリと笑った。

 最後の一本。

 ネット際で決まる。

 歓声と拍手が爆発した。

 雪乃は膝に手をつき、息を切らしながらも、笑っていた。

(勝った……)

 胸の奥が、音を立てて震えた。

 雪乃は――決勝へ進んだ。

 



 

 だが、右足首は既に限界に近かった。

 氷を当てても震えは止まらない。
 立っているだけで痛む。

 それでも――コートに立つ。

 決勝の相手は、もちろん後神選手。

 昨日、ダブルスで壮絶なデュースを戦った相手。

 しかし、今日は違った。

 雪乃の体は、もう動かない。
 足を庇いながらのプレーでは、まともにラリーが続かない。

 それでも食い下がるが――

 結果は、完敗だった。

 歓声、祝福、拍手。
 優勝は後神選手のものとなった。

 表彰式。

 雪乃は銀メダルを首にかけられ、静かに頭を下げる。
 その横顔は――悔しさと、誇りと、痛みでいっぱいだった。

 



 

 帰りの車内。

 夕焼けが窓を赤く染めていた。

 雪乃は助手席で、窓の外を見ながら――微笑んでいた。

 でも、その頬を――一筋の涙が伝っていた。

「……悔しい?」

 俺は静かに尋ねる。

 雪乃は小さく首を振った。

「……ううん」

 唇を噛みながら、ぽつりとつぶやく。

「……楽しかった」

 声は震えていた。

 笑顔のまま、涙が止まらない。

「……最後まで、やれたから」

 右足を見下ろし、ぎゅっと手を握る。

「ありがと、パパ」

 胸の奥で、言葉が崩れた。

 俺は前を向いたまま、小さく答える。

「……ありがとう。雪乃」

 ハンドルを握る手に、力が入る。

(お前は――本当に、強い)

 走る車の中で、二人はしばらく何も言わなかった。

 ただ、夕暮れだけが静かに流れていた。

◇◆◇◆

 病院の待合室は、白くて静かで、やけに冷たかった。

 検査室から戻ってきた雪乃は、ベッドの上でじっと足を見つめている。
 その右足首には包帯がしっかりと巻かれていた。

「――捻挫ですね。軽くはありませんよ」

 医者はカルテを閉じながら、渋い顔で言った。

「昨日の状態で、さらに負荷をかけ続けていたら……最悪、疲労骨折もあり得ました。わかりますか?」

 俺と雪乃は同時にうつむく。

「す、すみません……」

 雪乃が小さく頭を下げる。

「謝る相手は私じゃないでしょう。ご自分の身体です」

 きっぱりと言い切られた。

 胸に刺さる言葉だった。

(それでも……あの場で止めていればよかったのか?
 でも、あいつは――勝ちたかったんだ。最後まで、戦いたかったんだ)

 答えは簡単じゃない。

「念のため、一週間は松葉杖を使ってください。通学も無理はしないこと」

「……はい」

 雪乃は少し悔しそうに、それでも素直に頷いた。

 



 

 病院を出ると、松葉杖を渡された雪乃は、意外なほど器用に歩き始めた。

「わ、思ったより難しくないね、これ」

「慣れるな。慣れなくていいから」

「えへへ」

 苦笑いしながら、俺は車のドアを開けてやった。

 



 

 その週末、俺たちは家でのんびり過ごした。

 テレビをつけて、冷たい麦茶を飲みながら、くだらないバラエティに笑う。
 雪乃はソファに寝転がって、膝掛けをかけたままゲームをしている。

「ねぇパパ、みそ汁、今日ちょっと薄い」

「文句言えるほど元気なら安心だ」

「ふふん、アスリートだからね」

「捻挫中のアスリートはゲーム三昧なのか?」

「リハビリだよ、親指の筋トレ」

「それはただのゲームだ」

 他愛もない会話。
 それでも――その静かな時間が、やけに愛おしかった。

 



 

 そして月曜日。

 松葉杖を持った雪乃を車に乗せ、学校へ向かう。

「階段使うなよ。エレベーター借りろよ。無理するなよ」

「はいはい、過保護。わかってるって」

「過保護じゃない。父親だ」

「そういうの、言い方ちょっとカッコいいんだよなぁ」

 からかうように笑い、雪乃は窓の外を眺める。

 校門が見えてきたその瞬間――

 雪乃は突然、窓を開けた。

「おーい!」

 風に乗って、明るい声が飛ぶ。

 手を振った先には――朝来野くんの姿。

 彼は気付いて手を上げ、にこやかに近づいてくる。

「ここでいいよ、パパ」

「いや、まだ校舎近くまで――」

 言い終わる前に、雪乃はシートベルトを外し、ドアを開けた。

「待て、ちょっとは――」

「大丈夫!」

 松葉杖を器用に使い、トン、トン、と軽快に進んでいく。

(……はやいな、おい)

「おい、こら! もう少しゆっくり――!」

 声を上げるが、届いていない。

 胸の奥で、妙なざらつきが広がる。

(なんだろうな……この感じ)

 不機嫌というより――置いていかれるような感覚。

 



 

 朝来野くんがこちらに気付くと、深々と頭を下げた。

 真面目で礼儀正しいその仕草に、少し肩の力が抜ける。

 だが、雪乃はもう彼の方へ向き直り、何か楽しそうに話している。

 ふたりの声は聞こえない。

 それでも――なんとなく、わかってしまう。

(あぁ……)

 もう――「子ども」じゃない。

 胸がきゅっと締め付けられた。

 

 そのとき、雪乃が急にこちらを振り返る。

 満面の笑顔で、両手を大きく振り――

「パパー! 送ってくれてありがとー!!」

 校門いっぱいに響く声。

 朝来野くんは隣で照れくさそうに笑っていた。

 俺は咄嗟に返事が出ず――
 口の端だけ、ゆっくりと緩んでいた。

 

(……まいったな)

 そう心の中で呟き、静かにハンドルを握り直した。



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