妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第35話 花が咲く

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 一ヶ月は、驚くほどあっという間だった。

 嵐のような総体が過ぎ、雪乃の足もようやく松葉杖が外れ、そして――チャンネル登録者数百万人記念の食事会当日。

 当初の予定では、都内のちょっとオシャレなレストランだった。
 落ち着いた照明、静かな音楽、背筋が伸びるような雰囲気の、いかにも「記念」に相応しい店。

 ……だったのだが。

「焼肉がいい!」

 と言い切った張本人が、今、俺の隣でメニューを広げてテンションを爆上げしている。

「雪乃、もうちょっと……こう、記念日ってものをだな」

「焼肉は世界の記念食だよ。異論は認めません」

 全く聞く耳を持たない。

 結果――

 俺たち五人は、都内の人気焼肉店の**完全個室**に集結していた。

 換気フードの下、ジュウジュウと肉が焼ける音。
 タレの香り、白米、煙。
 どうしたって肩の力が抜ける。

「いやー、まさか記念会が焼肉になるとは」

 笑いながら言ったのはナンコツさん。
 おっとりした雰囲気の女性で、穏やかだが目の奥は仕事人のそれだ。

「わ、私も焼肉嬉しいです……!」

 ほたるはメニューを大事そうに抱え、少し頬を紅潮させていた。
 初めて会った時より、表情が柔らかい。

 そして――

「カルビ三人前追加でいいですか?」

 問答無用でタッチパネルを操作しているのは、スナギモさん。

 長い髪をポニーテールにして、軽くジャージっぽい格好。
 黒い瞳がキラキラしていて、肉を前にして妙に輝いている。

「え、あ、ちょっと待――」

「ライス大盛りも」

 完全に止まらない。

「すごい食べますね……」

 ほたるが苦笑すると、

「大会前は控えてたんですよー。今日は解禁日です」

 と胸を張る。

 俺は思わず雪乃を見た。

「……食欲の方向性、似てないか?」

「似てないし。いや似てるかも」

 本人が認めた。

 



 

 肉が運ばれ、網の上で音を立て始める。

「改めて――」

 俺は少し背筋を伸ばした。

「今日は、本当にありがとうございます。ここまで来られたのは皆さんのおかげです」

 頭を下げると、三人三様の反応が返ってくる。

「そんな、こちらこそ楽しい編集させてもらってます」

 ナンコツさんは柔らかく笑い、

「記念に関われるなんて光栄です」

 ほたるは胸に手を当てる。

「はい、肉来ました」

 スナギモさんはトングを握っていた。

 会話より肉。強い。

「百万人、本当におめでとうございます」

 ナンコツさんがもう一度言った。

「海外からのコメントもすごいですよ。スナギモが字幕頑張った甲斐がありましたね」

「任せてください、推し事なので」

 スナギモさんは親指を立てた。

 俺は前から気になっていたことを、ここで聞いてみることにした。

「その……スナギモさんって、ナンコツさんの従姉妹なんですよね」

「そうですよ。従姉妹でございます」

 敬語と砕けたテンションのアンバランスさがすごい。

「大学で留学してたんで英語は任せなさいって感じで」

「すごいですね」

「まあ、推しがグローバル展開するためならなんでもします」

 ズバッと言い切られ、なんとも言えない気恥ずかしさが込み上げる。

 



 

 肉を焼きながら、話題は自然と配信に移った。

「姫宮さんの配信、最近ますます安定してますよね」

「雑談力がエグい」

 ナンコツさんとスナギモさんが言う。

「そ、そうですかね……」

「コメント拾いも優しいし、変な荒らしへの対応も落ち着いてて安心する」

「たまに声裏返ってるけど」

「やめてください」

 思わず顔を覆う俺。

 すると横で雪乃がくすくす笑った。

「ねぇ、それ家でも同じ声だからね」

「言わなくていい!」

「全部バラすよ?」

「やめろ本気で」

 ほたるが手で口を押さえて笑いながら、こくこく頷いた。

 



 

 そして話題は自然と、雪乃の総体の話へ。

「動画拝見しました。すごかったです」

 ほたるの目は真剣だ。

「橋本さんのアドバイスをちゃんと活かしてて……」

「ああ、あれね」

 雪乃は湯飲みをくるくる回しながら、少し照れた顔をした。

「勝ちたかったし、部のみんなとももう一回試合したかったし……悔しかったけど、楽しかった」

 その言葉に、胸がじんわり温かくなる。

(あいつ……本当に強くなったな)

 



 

 そこへ唐突に、

「で」

 雪乃がテーブルに肘をついて、俺を見る。

 嫌な予感しかしない。

「恋バナしよっか」

「待て」

「いやー、今その話題来たか」

 ナンコツさんは楽しそうに笑い、

 ほたるはみるみる赤くなっていく。

「え? 恋……?」

「恋……」

 スナギモさんはカルビをくるくる巻いてご飯に乗せていた。聞いてない。

「でさ」

 雪乃はにやりと笑った。

「パパ、この中だったら誰がタイプなの?」

 肉をひっくり返していた手が止まった。

「は??」

「誰、タイプなの?」

「お前……なにを急に――」

「え、気になるじゃん?」

 悪魔の笑み。

「ほたるさん? ナンコツさん? それともスナギモさん?」

 視線が一斉に俺に集まる。

 ほたるは耳まで真っ赤になり、
 ナンコツさんは余裕の微笑みを浮かべ、
 スナギモさんは肉を頬張りながら親指を立てた。聞け。

(やめてくれ……頼むから……)

「い、いや、その、違うんだこれは、その――」

 言葉がうまく出てこない。

 背中に嫌な汗が流れる。

「顔赤いですよ」

 ナンコツさんがからかうように言う。

「パパ、正直に言っていいんだよ?」

 完全に遊ばれている。

 雪乃は楽しそうに肘で俺の脇腹をつついた。

「娘の前で答えろっていうのがまず無理なんだよ!」

「じゃあ、今は秘密ってことで?」

「そう。秘密で」

「ふーん?」

 雪乃はにやにやしながら肉を口に運んだ。

 心臓に悪い。

 



 

 ひとしきり盛り上がってから、
 ナンコツさんがふとスナギモさんを見た。

「そういえば自己紹介、ちゃんとしてませんでしたよね」

「あ、そうだね」

 俺がそう言うと、スナギモさんはタン塩をひっくり返しながら言った。

「本名は――朝来野結梨です」

「え?」

 その苗字を聞いた瞬間、頭の中にひとりの少年の顔が浮かぶ。

「……朝来野?」

「はい。弟が、お世話になってます」

 さらりと言われた。

「弟?」

「サッカー部の」

「あ」

 全員の声が揃った。

「うそでしょ?」

 雪乃が目をまん丸にする。

「ちょ、ちょっと待って、朝来野くんのお姉さん!?」

「そうなりまーす」

 結梨はあっけらかんとして笑った。

「世間って狭いなぁ……」

 思わず呟く。

「弟からも聞いてるんですよ。『恩塚さん、めっちゃいい人』って」

「やめろ恥ずかしい」

「あと、『雪乃ちゃん可愛い』って」

「やめろさらに恥ずかしい!!」

 顔が熱い。今日何回目だ。

 雪乃は顔を真っ赤にしたまま、

「……なにそれ」

 と小さく呟いていた。

 



 

 肉は次々と網の上で消えていく。

 笑い声と、煙と、白いご飯。

 気付けば、あの長い一年が、ひとつの円になっていた気がした。

 不倫、離婚、孤独、配信、リスナー、仲間。
 泣きながら進んで、それでもまだ進んでいて。

(俺はひとりじゃないんだな)

 当たり前で、でもずっと手に入らなかった感覚が胸の奥に広がる。

「――よし」

 俺は心の中だけでつぶやいた。

(ここからがスタートだ)

 百万人はゴールなんかじゃない。

 守るものも、笑わせたい人も、背中を押してくれる仲間も、
 ようやく手に入ったのだから。

 網の向こうで、雪乃が笑っている。

 ほたるが、ナンコツさんが、結梨――スナギモが、笑っている。

 煙の向こうのその笑顔が、何よりも嬉しかった。

 
◆◇◆◇

 焼肉の煙の匂いって、家までついてくるんだよね。

 マンションのエレベーターに映る自分の姿を見ながら、私は小さく息を吐いた。
 口元は、知らないうちに緩んでいる。百万人記念の食事会――思っていたより、ずっと温かかった。

「ただいまー」

 玄関を開けると、リビングからテレビの光が漏れていた。

「おかえり」

 淡々とした声。弟の宏夜。
 ソファに座ったまま、ゲームのコントローラーを手にしている。

「なんだ、起きてたの」

「姉ちゃん、酔ってる?」

「酔ってないし。……ちょっと楽しかっただけ」

 そう言いながら、私はポスンと彼の隣に腰を落とした。
 焼肉の脂と、少しのビール。身体がふわりと緩む。

「臭い。焼肉」

「いい匂いって言いなさいよ、弟くん」

 わざと肩にもたれかかると、宏夜は小さくため息をついた。

「またダル絡みモード?」

「家族にだけ許された特権です」

「はいはい」

 いつものやり取り。
 だけど今日は、胸の奥にまだ残っている温度が違った。

 私はぽつりとつぶやく。

「……雪乃ちゃん、いい子ねぇ」

 そのとき、宏夜の指が止まる気配がした。

「……雪乃、ちゃん?」

「うん。今日、一緒だったの」

「……」

 テレビの音だけが流れる。

 私はにやりと口角を上げ、弟の横顔を覗き込んだ。

「なに、今ちょっと顔変わったよね」

「別に」

「ほらー、分かりやすいんだから」

「分かりやすくない」

「ふふ。……行きたかった?」

 軽く肘でつつく。

「……何が」

「今日。焼肉。あの子来てたのに」

 宏夜は少しだけ唇を結んだ。

 返事はない。
 でも、その沈黙は、言葉より雄弁だった。

「青春じゃーん」

「やめろ」

 照れくさそうに目を逸らす弟を見て、胸の奥がくすぐったくなる。

 ああ、うん。
 きっと、こういう瞬間のことを青春って言うんだろうな。

「……いいじゃん。姉は応援するよ」

「勝手に応援すんな」

「もう始まってるでしょ?」

「始まってねぇよ」

 でも、声は少しだけ柔らかかった。

 私は天井を仰いで、静かに目を閉じる。

 焼肉の匂いと、配信チームの笑顔と、
 あの子のまっすぐな瞳――

 そして、横にいるこの弟の、不器用な横顔。

(……世界って、案外優しいかもね)

 そんなことをぼんやり思いながら、私は弟の肩に頭を預けた。

 夜の部屋に、柔らかな気配が溶けていった。
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