妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第37話 もしも、魔法が使えたのなら

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 スマートフォンの画面に表示された名前を見て、俺は一瞬だけ動きを止めた。

『ほたる』

 ちょうど夕飯の下準備を終え、キッチンの流しに手をついて一息ついていたところだった。雪乃は部屋で課題をしているはずだ。今は話しても問題ない時間帯だろう。

「もしもし」

『あ、みことさん……今、大丈夫ですか?』

 電話越しの声は、いつもより少し小さく、張りがなかった。

「ああ。どうした?」

 一拍、間が空く。

『……相談、してもいいですか』

 その言葉を聞いた瞬間、俺は自然と背筋を伸ばしていた。
 ほたるが「相談」という言葉を使うときは、軽い内容じゃない。

「もちろん」

 短く答えると、受話器の向こうから、ほっと息を吐く音が聞こえた。

『ありがとうございます』

 それからしばらく、ほたるは言葉を探すように沈黙した。俺は急かさず、ただ待つ。

『……私、今のままでいいのかなって』

 ぽつりと落ちたその言葉は、思っていた以上に重かった。

「今のまま、というと?」

『イラストの仕事も、みことさんのサムネやグッズ用の絵を描かせてもらって……正直、すごくありがたいですし、楽しいです』

 そこまでは、いつものほたるだ。

『でも、家のこととか……父のこととか。ずっとこのまま、目を背けていいのかなって』

 以前に聞いた話が、頭の中に蘇る。
 幼い頃に亡くした母。
 事故で記憶障害を負い、今では自分のことすら分からない父。
 そして、その原因が自分にあると思い込み、許せずにいる彼女。

「……父さんの具合は?」

『変わりません。名前を呼んでも、知らない人を見る目をします』

 淡々とした口調。
 それが、かえって痛々しい。

『昔は、反抗ばっかりしてました。絵なんて役に立たないって言われて、喧嘩して……あの日も』

 言葉が詰まる。

『あの日、私が怒らなければ、父は事故に遭わなかったかもしれないって、ずっと思ってて』

 俺は目を閉じた。

 ――自分で自分を裁き続けている。

 それが、ほたるの一番苦しいところだ。

「……なあ、ほたる」

『はい』

「事故のことは、警察も医者も、全部調べたんだろ?」

『……はい』

「原因は、父さんの不注意だって結論が出てる」

『……でも』

「“でも”って言いたくなる気持ちは分かる。でもな」

 少しだけ、声を強める。

「それでも事故は事故だ。誰か一人のせいにしないと、前に進めないなら、それは事実じゃなくて感情だ」

 電話の向こうが静まり返った。

「感情を否定するつもりはない。でも、事実まで歪めて、自分を責め続ける必要はない」

『……みことさんは、強いですね』

「強くなんかない」

 思わず苦笑が漏れる。

「俺だって、未だに元妻のことを考える日がある。不倫されたこと、娘に辛い思いをさせたこと……後悔は消えない」

『……』

「でも、だからって“今”を捨てる理由にはならない」

 言葉を選びながら、続ける。

「ほたるは、今、絵を描いてるだろ。それで誰かを支えてる。それが現実だ」

『……』

「父さんが覚えてなくても、ほたるが父さんを大事にしてる事実は消えない。過去は変えられないけど、今の積み重ねは、未来になる」

 しばらくして、かすれた声が返ってきた。

『……私、ずっと“許される側”になろうとしてました』

「うん」

『でも、誰に許されたいのか分からなくて……』

「答えを急がなくていい」

 俺は、ゆっくりと言った。

「今日、決めなくていい。半年後でも、十年後でもいい」

『……考える、余地はありますかね』

「ある」

 はっきり答えた。

「少なくとも、今ここにいる俺は、そう思ってる」

 電話の向こうで、小さく笑う気配がした。

『……ありがとうございます』

「どういたしまして」

『すぐに答えは出せないですけど……少し、楽になりました』

「それで十分だ」

 通話が切れ、画面が暗くなる。

 俺は深く息を吐いた。

 解決なんてしていない。
 何一つ、問題は片付いていない。

 それでも、ほんの少しでも考える余地が生まれたなら、それでいい。

「……よし」

 時刻を見る。
 配信の時間だ。

 防音ブースに入り、マイクとカメラをセットする。
 モニターに映る自分は、いつもの“姫宮みこと”の姿だ。

 配信開始ボタンを押す。

「こんばんは、姫宮みことです」

 コメントが一気に流れ出す。

〈こんみこ!〉
〈待ってた!〉
〈今日も可愛い〉

 軽く笑って、俺は続けた。

「今日はね、ちょっと趣向を変えて――」

 一拍置く。

「リスナーからの相談にのります!」

〈マジ!?〉
〈人生相談!?〉
〈重くない?大丈夫?〉

「大丈夫大丈夫。重すぎたら、私が重くなる前に止めます」

 冗談めかして言うと、コメント欄が笑いで埋まった。

 相談に答えることに、特別な資格なんてない。
 正解を出すつもりもない。

 ただ、話を聞いて、考えるきっかけを渡すだけ。

 それで救われる人がいるなら――
 それは、配信者として悪くない役割だろう。

「じゃあ、最初の相談、どうぞ」

 流れる文字列を眺めながら、俺は思った。

 人はみんな、答えを欲しがる。
 でも、本当に必要なのは、答えじゃなくて“考える余地”なのかもしれない。

 今日の配信が、誰かにとって、そんな時間になればいい。

 そう願いながら、姫宮みことは、マイクに向かって微笑んだ。

◇◆◇◆

「じゃあ、最初の相談いきましょうか」

 コメント欄はすでに流れが早い。
 普段の雑談配信より、明らかに温度が違う。

〈進路相談いいですか〉
〈仕事辞めたいです〉
〈恋愛無理ゲー〉
〈受験で詰んでます〉

「うん、いっぱい来てるね。全部は答えられないけど、できる限り拾っていくよ」

 私はそう前置きして、一つ目を選んだ。

「えーと……“高三です。第一志望がE判定で、周りはもう諦めムード。頑張る意味が分からなくなってます”」

〈あるある〉
〈それな〉
〈E判定は心折れる〉

「うーん……正直に言うね」

 私は一度、息を吸った。

「結果が出る前に“意味があるか”を考え始めると、たぶん何もできなくなる」

〈おお〉
〈刺さる〉

「意味って、後からついてくるものだと思う。今やってることが無駄だったかどうかなんて、合否が出るまで誰にも分からないし」

 少し言葉を柔らかくする。

「それにね、仮に落ちたとしても、“最後までやった”って事実は残る。あれ、結構あとから効いてくるよ」

〈やめて泣く〉
〈経験者は語る〉

「だから、頑張れる余力があるなら、やってみてもいい。もう限界なら、逃げるのもアリ。どっちも“負け”じゃない」

 コメント欄に「ありがとう」が流れた。

 次。

「“社会人三年目。仕事がつらくて辞めたい。でも辞めたら何も残らない気がして怖い”」

〈これガチで多い〉
〈日本人すぎる〉

「辞めたら何も残らないって思うの、すごく真面目だと思う」

 私は苦笑した。

「でもね、辞めても“辞めた経験”は残る。これはマジで」

〈名言〉
〈履歴書に書けないやつ〉

「人って、失敗とか遠回りを“無かったこと”にしようとするけど、実際は全部蓄積されてる。今の自分を作ってる材料だよ」

 少しだけ、実体験を滲ませる。

「私は遠回りしまくったけど、あの時辞めたから今がある、って思える瞬間がちゃんと来た」

〈信じる〉
〈姫宮が言うなら〉

 次は軽めに。

「“趣味がありません。休日が虚無です”」

〈わかる〉
〈寝て終わる〉

「趣味って、探そうとすると見つからない」

 私は笑った。

「“暇つぶし”を続けてたら、いつの間にか趣味になる。だから“ハマらなきゃ”って思わなくていい」

〈配信見てるだけでもいい?〉

「もちろん。ここに来るのも立派な暇つぶし」

 コメントが草で埋まる。

「“恋愛が分かりません。好きって何ですか”」

〈深い〉
〈哲学〉

「これはね……」

 私は少し考えた。

「“一緒にいて疲れない”とか、“その人の機嫌が気になる”とか、人によって違う」

 正直に言う。

「分からないなら、分からないままでいい。無理に恋しなくても、人として欠けてるわけじゃない」

〈救われた〉
〈ありがとう〉

 ここまでは、よくある相談だった。

 けれど。

 次に目に入った一行で、私は言葉を失った。

〈死にたい〉

 一瞬、思考が止まる。

 流れが速いコメントの中で、その短い言葉だけが、やけに重く見えた。

 私は慌てず、でも慎重に確認する。

「……これ、もう少し詳しく書いてもらっていい?」

 数秒後、返事が来た。

〈中二です〉
〈友達もいない〉
〈家でも学校でも居場所がない〉
〈全部私が悪いって言われる〉
〈もう疲れた〉

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

 雪乃の顔が、一瞬よぎった。

 同い年くらいだ。

 私は、いつもより低い声で話し始めた。

「……来てくれて、ありがとう」

 コメント欄が静まる。

「まずね、ここに書いた時点で、あなたは“誰かに聞いてほしい”って思ってる。それは生きたい気持ちだよ」

〈……〉
〈聞いてる〉

「正直に言う。私は、今すぐ全部を解決できる言葉は持ってない」

 逃げない。

「でも、あなたが一人じゃないってことは、ちゃんと伝えたい」

 少し間を取る。

「辛いって言っていい。逃げたいって言っていい。弱いって思っていい」

 言葉を選びながら、続ける。

「ここに来ていい。何度でも来ていい。名前を変えてもいいし、黙って聞いてるだけでもいい」

 声が、わずかに震えた。

「“死にたい”って思うくらい追い詰められてるなら、まずは“今日をやり過ごす”だけでいい」

〈……〉
〈姫宮……〉

「明日のことを考えなくていい。来週のことも、将来のことも」

 私は、画面の向こうをまっすぐ見る。

「今日、ここに来た。それだけで十分だよ」

 コメント欄に、応援の言葉が溢れ始める。

〈一緒にいよう〉
〈また来て〉
〈一人じゃない〉

「お願いがある」

 私は静かに言った。

「もし、また辛くなったら、配信に来て。私がここにいる」

 一拍。

「それだけは、約束する」

 画面の向こうから、返事が来た。

〈……ありがとう〉

 私は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じながら、微笑んだ。

「こちらこそ、話してくれてありがとう」

 配信は、その後もしばらく続いた。

 すべてを救えるわけじゃない。
 魔法の言葉もない。

 それでも――
 誰かが“もう少し生きてみよう”と思える時間を作れたなら。

 今日の配信は、きっと意味があった。

 私はそう信じて、マイクの前に座り続けた。

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