妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第38話 切り取られた夜は、まだ冷たい

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 配信を終えた直後の部屋は、いつも少しだけ広く感じる。
 声を出していた分だけ、空気が軽くなり、そのあとに静けさが落ちてくるからだ。

 防音室の照明は落としたまま、モニタの光だけが机の上を青白く照らしている。
 俺は椅子に深く腰を沈め、背もたれに体重を預けた。

 耳鳴りが、まだ消えない。
 配信中に張り詰めていた神経が、ゆっくりとほどけていく音だ。

「……ふぅ」

 息を吐くと、胸の奥に残っていた熱が少し冷めた。

 管理画面を開く。
 同時接続数、再生回数、登録者数。
 数字はまだ、生き物みたいに動いている。

 増えている。
 確実に。

 嬉しい。
 でも、それ以上に――少し、怖い。

(あぐらをかくな)

 自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
 浮かれるな。
 これは、偶然の波だ。

 そう思いながら、Xの通知を開いた。

 その瞬間、背中に冷たいものが走った。

 見覚えのあるサムネイル。
 俺の配信だ。

 けれど、タイトルが違う。

『妻に浮気され、会社をクビになったVTuberの闇が深すぎる』

「……は?」

 声が、思ったより低く出た。

 嫌な予感が、胸の奥で膨らむ。
 俺はそのまま、動画を再生した。

 流れてきたのは、確かに俺の声だった。
 昨日の、あの夜の声。

 けれど――どこか違う。

 間が、ない。
 呼吸が、切られている。
 笑ったあとにあったはずの沈黙が、全部削られている。

『……クビになって、浮気されて、でも今ここで笑ってます』

 そこで音が途切れ、画面が暗転した。

 大きな文字が、画面いっぱいに浮かぶ。

【“笑ってる”って言えるのが怖い】

 心臓が、ひとつ強く跳ねた。

「……違うだろ」

 思わず、呟いていた。

 違う。
 あのとき、俺はちゃんと笑っていた。
 苦しかったけど、嘘じゃなかった。

 コメント欄を開くと、すでに空気が変わり始めていた。

〈強がりだろ〉
〈可哀想売りじゃん〉
〈子どもいるのに配信とか無責任〉

 文字が、刃物みたいに並んでいる。

 胸の奥が、じわっと冷える。
 指先が、少し震えた。

 管理画面の隅が光る。
 着信。

 名前を見て、少しだけ息を整えた。

「……もしもし」

『今、例の切り抜き、ご覧になりましたか?』

 ほたるの声は、いつも通り落ち着いていた。
 感情の起伏が、ほとんどない。

「ああ。今見た」

『現時点では、まだ炎上ではありません』

 淡々とした口調で、状況を整理する。

『ただ、このまま拡散されると、火がつく可能性は高いです』

 正論だ。
 分かっている。

『聖士さん、今は反応しないでください』

「……理由、聞いていい?」

『下手に説明すると、“被害者ムーブ”と受け取られます』

 少しだけ間を置いて、続ける。

『特に、ご家族の話題は』

 胸の奥が、きしっと音を立てた。

「……娘のことか」

『はい』

 迷いのない即答。

『正直に申し上げます』

 ほたるは、そこで一拍置いた。

『“娘さんがいる”という情報は、これ以上前に出さない方が安全です』

 言葉が、胸に落ちる。
 重く、静かに。

「……隠せってこと?」

 自分でも分かるくらい、語気が少し強くなった。

『“隠す”のではありません』

 ほたるの声は変わらない。

『“使わない”です。
 聖士さんが語るのは、聖士さんご自身まで。
 それ以上は、仕事の領域を越えます』

 仕事。

 その二文字が、妙に冷たく響いた。

「……俺はさ」

 言葉を選びながら、ゆっくり話す。

「守りたいだけなんだよ。
 炎上してもいい。でも、あいつに矢が向くのは嫌だ」

『そのお気持ちは、理解しています』

 即答だった。

『だからこそです』

 少しだけ、声が低くなる。

『ネットは、“守られているもの”を壊したがる場所です』

 反論できなかった。
 正しすぎる。

「……分かった。今回は、黙る」

『ありがとうございます』

 その一言に、わずかな硬さを感じた。

『嵐が通り過ぎるのを、待ちましょう』

 通話は、それで切れた。

 暗くなったスマホの画面を、しばらく見つめていた。

 正しい。
 間違っていない。
 でも――胸の奥に、小さな棘が残ったままだ。

 そのとき、防音室の外で小さな物音がした。

 足音。
 水を飲みに起きた、雪乃だ。

 ドア越しに、気配が止まる。
 何かを言いかけて、やめたような間。

 やがて、足音は遠ざかっていった。

 俺は、無意識に拳を握っていた。

 守る。
 だから、黙る。

 それが大人の選択だと、分かっている。

 それでも、さっきの字幕が頭から離れない。

【笑ってるって言えるのが怖い】

「……違う」

 誰に向けた言葉かも分からないまま、呟く。

「怖くなんかねえよ。
 ちゃんと、前向いて笑ってたんだ」

 声は、防音室に吸われて消えた。

 外では、俺の言葉が俺の知らない形に切られ、広がっていく。
 俺の声が、俺の手を離れていく。

 椅子から立ち上がり、ドアを開ける。
 廊下は暗く、雪乃の部屋の明かりも消えていた。

「……大丈夫だ」

 自分に言い聞かせるように、そう言った。

 大丈夫じゃなくても、止まれない。
 ここが、分かれ道だ。

 切り取られても、歪められても。
 俺の声だけは、俺が決める。

 そう心の中で繰り返しながら、静かにドアを閉めた。


◇◆◇◆

 炎上という現象を、私は何度も見てきた。
 派手な言葉と感情がぶつかり合い、やがて燃え尽きて、何事もなかったように次へ移っていく。その繰り返しだ。

 だから本来なら、今回も「仕事」として処理できるはずだった。

 デスクに並べたモニタには、いくつものウィンドウが開いている。
 動画の再生数推移、SNSの拡散グラフ、切り抜き元の配信アーカイブ。
 どれも見慣れた数字で、特別な異常値は出ていない。

 ――にもかかわらず。

「……嫌な歪み方ですね」

 思わず、独り言がこぼれた。

 問題は規模じゃない。
 切り取られた箇所が、あまりにも“彼の人生そのもの”に触れていることだった。

 たった数十秒。
 前後を削られ、間を詰められ、感情だけが強調された言葉。

 彼は、誰かを煽ったわけでも、同情を強要したわけでもない。
 ただ、自分の過去を静かに語っただけだ。

 それが「売り物」に変換されている。

 私は椅子にもたれ、目を閉じた。

 こういうとき、私はいつも冷静でいる。
 炎上は分析対象で、対処すべき事象だ。
 感情を挟めば、判断を誤る。

 ……でも。

 彼の声が、ヘッドセット越しに脳裏へ蘇る。
 少し掠れていて、どこか慎重で、それでも逃げない声。

 「大丈夫ですよ」

 そう言ったときの、微妙な間。
 本当に大丈夫な人間は、あんな間を置かない。

 私はスマートフォンを手に取った。
 彼に送ったメッセージは、まだ既読になっていない。

 当然だろう。
 今頃、彼はコメントを読み、数字を見て、
 自分の言葉がどんな形に歪められたのかを理解しようとしているはずだ。

 ――一人で。

「……放っておくべき、なんですよね」

 仕事仲間としてなら。
 彼は成人した配信者で、自分の判断で表に立っている。
 マネージャーでも、保護者でもない私が踏み込みすぎる理由はない。

 それでも。

 モニタの片隅に映る、彼のアバターが頭から離れなかった。
 いつもより、ほんの少しだけ笑顔が硬かったあの配信。

 娘さんの話題が出たとき、
 一瞬だけ視線が逸れたのを、私は見逃していない。

「……距離、取りすぎですか」

 誰に向けた言葉でもなく、空気に投げる。

 彼は弱い人ではない。
 壊れやすいガラス細工でもない。

 ただ――
 「助けを求めること」に、慣れていないだけだ。

 私は再びスマートフォンを見た。
 送信済みのメッセージを消すことも、追撃することもできず、
 結局、そのまま机に伏せた。

 窓の外では、夕方の光が街を染め始めている。
 今日も、誰かが燃え、誰かが忘れられ、
 世界は何事もなかったように回り続ける。

 でも――。

「次、どうするかは……あなた次第ですね」

 それは、彼に向けた言葉でもあり、
 自分自身への確認でもあった。

 仕事仲間として支えるのか。
 それとも、もっと近い場所へ踏み込むのか。

 答えは、まだ出せない。

 ただ一つだけ分かっているのは、
 この火が、彼の人生を焼き尽くすものになってはいけない、ということだった。

 私は目を開け、再びモニタを見る。
 数字の向こう側にいる、一人の人間を思いながら。

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