妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第2章 トライアングル

第41話 その先はまだ

「……ねえ」

 雪乃が、少しだけ表情を緩める。

「ほたるお姉ちゃんのこと」

 心臓が、ひとつ跳ねた。

「どう思ってるの?」

 直球だった。逃げ場がない。

「正直に言う」

 言葉を選ぶ。選びすぎない。

「助けられてる。仕事としても、気持ちの面でも。……でも、ハッキリさせなきゃいけないってのも、分かってる」

 雪乃は、腕を組む。中学生らしい仕草だ。

「ハッキリしないとだめだよ」

 真っ直ぐな視線。

「私は、お姉ちゃんだと思ってるけど」

 胸の奥が、少し温かくなる。少し、重くなる。

「でも、パパがどうしたいかは、ちゃんと考えて。私に気を遣って、曖昧にするのは、もうやめて」

 頷く。深く。

「分かった」

 言葉が、珍しく迷わなかった。

「考える。逃げない」

 雪乃が、小さく笑った。涙の跡が残ったままの笑顔。

「それでいい」

 部屋の色が、ゆっくり夜に溶けていく。さっきまで広すぎた部屋が、少しだけ、元の大きさに戻った気がした。

 家族は、完璧じゃない。泣いて、声を荒げて、やっと同じ場所に立つ。それでも、支え合える。今日、それを思い出した。

 キッチンに立ち、二人分のココアを作る。甘さは控えめ。湯気が立ち上る。

 戻ると、雪乃が言った。

「配信、次いつ?」

「明後日」

「じゃあ、終わったら感想言う」

「厳しめで頼む」

「容赦しない」

 笑い合う。短いけれど、確かな時間だった。

 ココアを飲みながら、胸の奥で静かに決める。これからのこと。配信のこと。ほたるのこと。曖昧なまま進まない。逃げない。

 夜は、まだ長い。だが、足元は見えている。

 ◇◆◇◆

 ### 第41.5話

 夜のキッチンで、スマホの画面が淡く光っていた。
 湯気の消えかけたマグカップを手に、俺はしばらく通知を眺めていた。

〈明日、少しお時間いただけませんか。
 次回配信のサムネイル、直接お話ししたくて〉

 ほたるからのメッセージだった。

 普段なら、こういうやり取りはすべてテキストで完結する。構図案、色味、キャッチコピー。無駄のない箇条書きと、的確な提案。仕事として、心地よい距離感。それが、いつの間にか当たり前になっていた。

 ――直接、会って。

 その一文だけが、やけに重く胸に残る。

 断る理由は、いくらでもあった。
 配信準備が忙しい。雪乃との時間を優先したい。離婚したばかりだ。年齢差もある。

 それでも、指は自然に動いていた。

〈分かりました。午後なら〉

 送信した瞬間、ため息が漏れる。自分でも理由が分からない。いや、分かっているからこそ、認めたくなかった。

 ほたるは、俺のことが好きだ。
 それは、薄々、いや、かなり前から気づいていた。

 姫宮みこととしての活動を、誰よりも真剣に分析し、支え、推してくれる。数字の話だけじゃない。言葉選び、沈黙の使い方、炎上しかけた時の距離感。まるで中身を丸ごと見透かしているみたいだった。

 人としても、だ。

 冗談のタイミング。弱っている時の間合い。過剰に踏み込まない優しさ。
 ……顔がタイプだ、なんてことまで、冗談めかして言われたことがある。

 正直に言えば、可愛いと思う。
 それ以上に、信頼している。

 だからこそ、踏み出せなかった。

 十歳の年齢差。
 離婚して、まだ日も浅い。
 何より、雪乃がいる。

 守るべきものが多すぎて、自分の気持ちを考える余裕なんて、あるはずがなかった。

 翌日、指定されたカフェは、駅から少し離れた静かな場所だった。木目のテーブルと、控えめな照明。打ち合わせには、ちょうどいい。

 ほたるは先に来ていた。
 いつもより少しだけ大人びた服装で、それでも笑うと年相応の柔らかさがある。

「今日はありがとうございます」

 敬語。変わらない。
 それが、妙に救いだった。

「こちらこそ。サムネの件だよな」

 椅子に腰を下ろす。距離は、仕事仲間として適切なはずなのに、意識がやけに細かいところに向く。テーブルに置かれた指先、揺れるピアス、コーヒーの香り。

 ノートパソコンを開き、サムネイル案が並ぶ。

「今回は、少し攻めた構図にしようと思ってまして」

 配信内容に合わせた色使い。視線誘導。文字量。説明は的確で、いつものほたるだった。
 俺は相槌を打ち、意見を述べる。頭は仕事をしている。だが、どこか別の場所が、落ち着かない。

「……ここ、もう少し余白があってもいいかも」

「そうですね。では、この部分を削って――」

 会話はスムーズなのに、妙にぎこちない。
 沈黙が来るたび、次の言葉を探してしまう。

 部活の話も、学校の話も、ここでは出てこない。
 配信の話題しか持ち合わせていない自分が、少し情けなくなる。

 一時間ほどで、打ち合わせは終わった。
 完璧なサムネイル案が、画面に残る。

「今日はこれで大丈夫ですね」

「ああ。助かった。いつもありがとう」

 立ち上がり、会計を済ませる。
 店の外に出ると、夕方の空気が肌に触れた。

「じゃあ、また連絡する」

 そう言って、別れようとした、その時だった。

「……あの」

 ほたるの声が、少し低くなる。

「少し、いいですか」

 立ち止まる。
 嫌な予感と、期待が、同時に胸を打つ。

「ずっと、言おうか迷ってたんですけど」

 視線が、初めて逸れなかった。

「私は……あなたのことが、好きです」

 言葉は、驚くほど静かだった。

「配信者としても、推してます。でも、それだけじゃなくて。人として、考え方とか、弱いところも含めて。……顔も、タイプですし」

 冗談めかして、でも、逃げない目。

 頭が、真っ白になる。

 可愛い。
 親身だ。
 一緒にいて、楽だ。

 そう思う自分が、確かにいる。

 同時に、ブレーキも全力で踏み込まれる。

「……すぐに答えは出せない」

 ようやく、そう言った。

「年齢のこともあるし、俺は離婚したばかりだ。娘もいる」

「分かってます」

 即答だった。

「だから、今すぐ付き合ってほしい、とは言いません。ただ……知っておいてほしかったんです。私の気持ち」

 夕暮れの光が、彼女の横顔を縁取る。
 若さと覚悟が、不思議なバランスで同居していた。

 俺は、何も言えなかった。

 拒む理由は揃っているのに、突き放す言葉が出てこない。
 受け入れる勇気も、まだない。

 迷っている。
 それだけは、はっきりしていた。

「今日は、ありがとうございました」

 ほたるは、いつもの敬語で、軽く頭を下げた。

 背中を見送りながら、胸の奥が、静かに痛む。
 選ばなかったわけじゃない。選べなかっただけだ。

 夜風が、少し冷たい。

 これから先、何を守り、何を手に取るのか。
 配信の次に、考えなければならない問題が、増えてしまった。

 それでも――
 彼女の言葉は、確かに、心の奥に残っていた。

 ◇◆◇

 人間というのは実に脆く、なにより非常に曖昧な生き物だ。
 強くなろうとした瞬間に弱さを曝け出し、正しくあろうとすればするほど、心のどこかで歪んだ感情が芽を出す。私は最近、その事実を痛いほど思い知らされている。

 自分は理性的な人間だと、どこかで信じていた。感情に振り回されず、状況を整理し、最善と思える選択を積み重ねて生きてきたつもりだった。だが、実際はどうだろう。ひとつの出来事が起きただけで、心は容易く揺れ、判断は曇り、気づけば「正しさ」よりも「怖れ」に足を取られている。

 私は傷つくことを恐れている。
 それを高尚な言葉で包めば、「周囲への配慮」や「責任感」になるのだろう。だが、その内側を覗けば、ただ自分が傷を増やしたくないだけだ。拒絶される恐怖、失敗する恐怖、再び何かを失う恐怖。そうしたものが、私の足首を掴んで離さない。

 それでも人は、他者の好意に無関心ではいられない。
 向けられた言葉、視線、信頼――それらは暖かな火のように、冷え切った心を一瞬で溶かしてしまう。その火に手を伸ばせば火傷をするかもしれないと分かっていながら、それでも温もりを欲してしまうのが、人間というものなのだろう。

 私は自分の不完全さを知っている。
 強くなりきれないこと。潔く断れないこと。守るべきものを理由にして、決断を先延ばしにする狡さ。それらをすべて抱えたまま、それでも「誠実でありたい」と願っている。この矛盾こそが、私という人間の正体なのだ。

 完全な人間など、どこにもいない。
 それは慰めにも、言い訳にもなる言葉だ。しかし今の私にとっては、ただ事実として胸に沈んでいる。人は誰しも、清濁を併せ持った存在であり、その揺らぎの中でしか生きられない。

 私はまだ、答えを持たない。
 どこへ向かうのか、誰と歩くのか、自分は何者でありたいのか――そのすべてが、霧の中にある。ただひとつ分かっているのは、曖昧さを抱えたままでも、人は歩き続けなければならないということだ。

 不完全で、脆く、矛盾だらけのまま。それでも前へ進むほかない。
 それが、人間なのだから。
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