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第3章 配信者「姫宮みこと」
第50話 表舞台の喧騒
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例の騒動から、二週間が経った。
時間というものは万能薬のように語られることが多いが、今回に限って言えば、効き目はまちまちだった。俺自身の気持ちは、あの日の夜からほとんど変わっていない。配信でも何度も言ってきた通り、「気にしていない」。それは嘘ではなかったし、今も嘘ではない。
だが、世間はそう簡単には納得してくれないらしい。
大御所俳優の発言は、いつの間にか本人の問題だけに留まらず、長年続いてきた彼の代表的なドラマにまで飛び火していた。
〈あのドラマは好きだったけど、今見るとキツい〉
〈昔の価値観をそのまま引きずってる象徴〉
そんな論調の記事やコメントが、日替わりでネットを巡る。
その中心に、なぜか俺――姫宮みことの名前が、毎回のように添えられていた。
【大人の対応を見せた姫宮みこと】
【沈黙ではなく笑顔で受け流す強さ】
……誰がそんな立派な人間だと言った。
配信を終えた後、デスクに突っ伏したり天井を見上げることが増えた。
何かをした覚えはない。ただ、流れに巻き込まれて、立っていただけだ。それなのに、勝手に意味を与えられ、役割を押し付けられる。
その違和感を、雪乃に悟られないようにするのが、最近は一番神経を使うことだった。
「最近またニュース出てるね」
夕食の後、何気なく言われた一言に、箸が止まる。
「うん。まあ……まだ続いてるみたいだな」
「パパは、ほんとに気にしてないの?」
探るような視線。
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「傷ついてはいないよ。でも……疲れてはいるかな」
「そっか」
それ以上、雪乃は何も聞かなかった。
その沈黙が、ありがたくもあり、少しだけ胸に刺さった。
そんな日々の中で、それは届いた。
姫宮みこと公式アカウントのDM。
差出人は、見慣れないが、重みのある名前だった。
〈橋丘芸能事務所・広報担当の佐藤と申します〉
〈先日の朝の情報番組における件につきまして、ご連絡差し上げました〉
嫌な予感は、だいたい当たる。
〈例の件について、本人から改めて謝罪をしたいと申し出があり、お時間をいただけないでしょうか〉
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
謝罪。
その言葉自体に、怒りは湧かなかった。ただ、困惑が先に立つ。
俺はすぐに返信した。
〈ご丁寧にありがとうございます。ただ、私は本当に気にしておりませんので、お気遣いなく〉
これで終わると思っていた。
だが、相手は引かなかった。
〈重ねてのご連絡、失礼いたします〉
〈本人がどうしても直接お詫びをしたいと申しておりまして〉
〈一度で結構ですので、機会をいただけませんでしょうか〉
文面は丁寧だが、切実さが滲んでいる。
個人で活動している俺と違い、彼は巨大な組織の一部だ。
そして、その組織は「区切り」を必要としているのだろう。
誰かが頭を下げ、形を整え、幕を下ろす。
そうしなければ、この騒動は終わらない。
……俺がどう感じているかよりも、世間がどう納得するか。
「めんどくさい世界だな」
思わず声に出た。
その夜の配信でも、例の話題は避けられなかった。
〈あの件、どうなったの?〉
〈事務所から連絡来てそう〉
「えっと……」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「私は本当に、何とも思ってないです。ただ、いろんな立場の人がいるんだな、とは感じてます」
それ以上は語らなかった。
語れば語るほど、燃料になるのは分かっていたから。
配信を終え、シャワーを浴び、ベッドに横になる。
暗い天井を見つめながら、事務所からのメッセージをもう一度読み返す。
会うべきか。
会わないべきか。
自分のためだけなら、断っていただろう。
だが、この騒動が長引けば、リスナーや、雪乃にまで余計な影を落とす。
それだけは、避けたかった。
翌日、俺は短い返事を送った。
〈分かりました。一度だけ、お会いします〉
すぐに返ってきた了承のメッセージと、候補日程。
決めた瞬間、胸の奥が少し重くなる。
同時に、奇妙な覚悟のようなものも生まれていた。
逃げるためではなく、終わらせるために。
俺は、その人に会いに行くことにした。
◇◆◇◆
伍井《いつい》 貴之――。
その名を知らない者は、テレビを見ない世代でも少ないだろう。
映画、連続ドラマ、舞台。主演も脇役も問わず、作品に名を連ねれば「格」が一段上がると言われる俳優だ。国内の主要な映画賞はほぼ総なめにし、演技派という言葉が安っぽく聞こえるほどの実力を持つ。
若い頃は二枚目として騒がれ、年を重ねてからは渋さと威厳を兼ね備えた名優へ。
世間の評価は、概ねそんなところだった。
――そんな人物に、俺は会いに行くことになった。
指定されたのは、渋谷の一等地にあるビルだった。ガラス張りで、外観からして「大手芸能事務所」と主張しているような建物。
エントランスを抜け、エレベーターで五階へ。
ドアが開いた瞬間、受付の奥から人影が動いた。
そして、次の瞬間。
「……すまん!」
深々と、信じられないほど深く。
頭を下げたのは、伍井貴之本人だった。
「え、あ、いえ……!」
反射的に、こちらが焦る。
何を想像していたかと言われれば、もっと形式ばった、事務所の人間に囲まれた謝罪会見のようなものを想定していた。
だが実際は、開口一番、本人が真正面から頭を下げてきたのだ。
「Vtuber、っていうんか? その辺の文化はよう分からんでな。せやけど……不快にさせてしもうたんは事実や。本当に、申し訳なかった」
低い声。年齢を感じさせるが、芯がある。
演技ではない――と断言する自信はない。だが、少なくとも形だけの謝罪には見えなかった。
「本当に、気にしていないんです。だから、そんな……」
そう言いながら、内心ではますます困惑していた。
これでは、こちらが悪者みたいじゃないか。
「まあまあ、立ち話もなんや。少し、話をさせてもらえんか」
促されるまま、応接室へ通される。
広い。無駄がない。高そうなソファと、ガラスのテーブル。
ここで何本もの契約が決まり、何人もの芸能人の人生が動いてきたのだろう。
向かい合って座ると、伍井はふう、と一つ息を吐いた。
「……正直に言うとな」
そう前置きしてから、こちらを見る。
「Vtuberいう存在に、興味があるんや」
意外な言葉だった。
「興味、ですか?」
「せや。顔も出さん、声も加工する。けど、熱狂的なファンがおる。わしらの世界とは、真逆やろ?」
なるほど、と腑に落ちる。
役者は顔を出し、声を使い、身体を晒す職業だ。その対極にある存在を、不思議に思わないほうがおかしい。
「それに……」
伍井は、少しだけ視線を逸らした。
「機嫌取りの演技をしとる、と見えとるかもしれんが……まあ、それも否定はせん」
自嘲気味な笑み。
「この歳になると、謝り方一つで周りがどう動くか、嫌でも分かるようになるんや」
ああ、と心の中で頷いた。
この人は、ただの“時代錯誤なおじさん”ではない。
世間に揉まれ、誤解され、叩かれ、それでも表舞台に立ち続けてきた人間だ。
「日常の話も、少し聞かせてくれへんか」
話題は、自然とプライベートへ移っていった。
「奥さんに、不倫されたとか聞いたで」
直球だった。
一瞬、言葉に詰まる。
「あ、いえ……まあ……」
「すまん、デリカシーないな」
そう言いながらも、伍井は続けた。
「実はな。俺も、昔に同じようなことがあってな」
その名が出たのは、玉原佳世子。
当時、清楚系モデルとして一世を風靡していた女性であり、伍井の妻だった人物。
スクープは、今でも覚えている。
〈人気モデル玉原佳世子、不倫か〉
〈お相手は年下の若手俳優〉
だが当初、世間の矛先は伍井に向いた。
「どうせ男が悪い」「大御所の権力で若い女を囲った」
そんな憶測が飛び交った。
事実は、全く逆だった。
番組で共演していた若手俳優との密会。
写真、日時、場所。言い逃れできない証拠が揃っていた。
「当時はな」
伍井は、苦笑する。
「私のほうが疑われておったんやで? 酷い話やで、ほんま」
笑い話のように語るが、その目は少しだけ曇っていた。
「真実なんぞ、世間には関係ない。都合のええストーリーが先に出来上がったら、そこに人を当てはめるだけや」
胸の奥が、じくりと痛んだ。
――ああ、同じだ。
顔も知らない人間に、勝手な像を作られ。
“中身はオッサン”だの、“被害者ポジションを取っている”だの。
立場も年齢も、世界も違う。
だが、浴びせられるものの質は、驚くほど似ていた。
「……だからな」
伍井は、こちらを真っ直ぐに見た。
「君が、あの場で怒らんかったこと。それがどれほど難しいことか、わしにはよう分かる」
その言葉に、初めて、少しだけ肩の力が抜けた。
「大人の対応、なんて言われとるやろ」
「……ええ、まあ」
「違う。あれはな」
伍井は、静かに言った。
「生き延びるための対応や」
しばらく、言葉が出なかった。
この人は、謝罪に来ただけではなかったのだ。自分がかつて通った道の延長線上に、俺を見ている。
立場は違えど、同じ“舞台の上の人間”として。
応接室を出る頃には、最初の緊張は消えていた。
完全に分かり合えたわけじゃない。
だが、少なくとも、この騒動に一つの区切りがついたことは確かだった。
「今日は、ありがとうな」
最後に、伍井はそう言って、もう一度だけ頭を下げた。
ビルを出て、渋谷の喧騒の中に戻る。
人の波に紛れながら、ふと思う。
――有名になる、というのは。
こうして、見知らぬ誰かの過去と、交差していくことなのかもしれない。
俺は深く息を吸い、スマホをポケットにしまった。
時間というものは万能薬のように語られることが多いが、今回に限って言えば、効き目はまちまちだった。俺自身の気持ちは、あの日の夜からほとんど変わっていない。配信でも何度も言ってきた通り、「気にしていない」。それは嘘ではなかったし、今も嘘ではない。
だが、世間はそう簡単には納得してくれないらしい。
大御所俳優の発言は、いつの間にか本人の問題だけに留まらず、長年続いてきた彼の代表的なドラマにまで飛び火していた。
〈あのドラマは好きだったけど、今見るとキツい〉
〈昔の価値観をそのまま引きずってる象徴〉
そんな論調の記事やコメントが、日替わりでネットを巡る。
その中心に、なぜか俺――姫宮みことの名前が、毎回のように添えられていた。
【大人の対応を見せた姫宮みこと】
【沈黙ではなく笑顔で受け流す強さ】
……誰がそんな立派な人間だと言った。
配信を終えた後、デスクに突っ伏したり天井を見上げることが増えた。
何かをした覚えはない。ただ、流れに巻き込まれて、立っていただけだ。それなのに、勝手に意味を与えられ、役割を押し付けられる。
その違和感を、雪乃に悟られないようにするのが、最近は一番神経を使うことだった。
「最近またニュース出てるね」
夕食の後、何気なく言われた一言に、箸が止まる。
「うん。まあ……まだ続いてるみたいだな」
「パパは、ほんとに気にしてないの?」
探るような視線。
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「傷ついてはいないよ。でも……疲れてはいるかな」
「そっか」
それ以上、雪乃は何も聞かなかった。
その沈黙が、ありがたくもあり、少しだけ胸に刺さった。
そんな日々の中で、それは届いた。
姫宮みこと公式アカウントのDM。
差出人は、見慣れないが、重みのある名前だった。
〈橋丘芸能事務所・広報担当の佐藤と申します〉
〈先日の朝の情報番組における件につきまして、ご連絡差し上げました〉
嫌な予感は、だいたい当たる。
〈例の件について、本人から改めて謝罪をしたいと申し出があり、お時間をいただけないでしょうか〉
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
謝罪。
その言葉自体に、怒りは湧かなかった。ただ、困惑が先に立つ。
俺はすぐに返信した。
〈ご丁寧にありがとうございます。ただ、私は本当に気にしておりませんので、お気遣いなく〉
これで終わると思っていた。
だが、相手は引かなかった。
〈重ねてのご連絡、失礼いたします〉
〈本人がどうしても直接お詫びをしたいと申しておりまして〉
〈一度で結構ですので、機会をいただけませんでしょうか〉
文面は丁寧だが、切実さが滲んでいる。
個人で活動している俺と違い、彼は巨大な組織の一部だ。
そして、その組織は「区切り」を必要としているのだろう。
誰かが頭を下げ、形を整え、幕を下ろす。
そうしなければ、この騒動は終わらない。
……俺がどう感じているかよりも、世間がどう納得するか。
「めんどくさい世界だな」
思わず声に出た。
その夜の配信でも、例の話題は避けられなかった。
〈あの件、どうなったの?〉
〈事務所から連絡来てそう〉
「えっと……」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「私は本当に、何とも思ってないです。ただ、いろんな立場の人がいるんだな、とは感じてます」
それ以上は語らなかった。
語れば語るほど、燃料になるのは分かっていたから。
配信を終え、シャワーを浴び、ベッドに横になる。
暗い天井を見つめながら、事務所からのメッセージをもう一度読み返す。
会うべきか。
会わないべきか。
自分のためだけなら、断っていただろう。
だが、この騒動が長引けば、リスナーや、雪乃にまで余計な影を落とす。
それだけは、避けたかった。
翌日、俺は短い返事を送った。
〈分かりました。一度だけ、お会いします〉
すぐに返ってきた了承のメッセージと、候補日程。
決めた瞬間、胸の奥が少し重くなる。
同時に、奇妙な覚悟のようなものも生まれていた。
逃げるためではなく、終わらせるために。
俺は、その人に会いに行くことにした。
◇◆◇◆
伍井《いつい》 貴之――。
その名を知らない者は、テレビを見ない世代でも少ないだろう。
映画、連続ドラマ、舞台。主演も脇役も問わず、作品に名を連ねれば「格」が一段上がると言われる俳優だ。国内の主要な映画賞はほぼ総なめにし、演技派という言葉が安っぽく聞こえるほどの実力を持つ。
若い頃は二枚目として騒がれ、年を重ねてからは渋さと威厳を兼ね備えた名優へ。
世間の評価は、概ねそんなところだった。
――そんな人物に、俺は会いに行くことになった。
指定されたのは、渋谷の一等地にあるビルだった。ガラス張りで、外観からして「大手芸能事務所」と主張しているような建物。
エントランスを抜け、エレベーターで五階へ。
ドアが開いた瞬間、受付の奥から人影が動いた。
そして、次の瞬間。
「……すまん!」
深々と、信じられないほど深く。
頭を下げたのは、伍井貴之本人だった。
「え、あ、いえ……!」
反射的に、こちらが焦る。
何を想像していたかと言われれば、もっと形式ばった、事務所の人間に囲まれた謝罪会見のようなものを想定していた。
だが実際は、開口一番、本人が真正面から頭を下げてきたのだ。
「Vtuber、っていうんか? その辺の文化はよう分からんでな。せやけど……不快にさせてしもうたんは事実や。本当に、申し訳なかった」
低い声。年齢を感じさせるが、芯がある。
演技ではない――と断言する自信はない。だが、少なくとも形だけの謝罪には見えなかった。
「本当に、気にしていないんです。だから、そんな……」
そう言いながら、内心ではますます困惑していた。
これでは、こちらが悪者みたいじゃないか。
「まあまあ、立ち話もなんや。少し、話をさせてもらえんか」
促されるまま、応接室へ通される。
広い。無駄がない。高そうなソファと、ガラスのテーブル。
ここで何本もの契約が決まり、何人もの芸能人の人生が動いてきたのだろう。
向かい合って座ると、伍井はふう、と一つ息を吐いた。
「……正直に言うとな」
そう前置きしてから、こちらを見る。
「Vtuberいう存在に、興味があるんや」
意外な言葉だった。
「興味、ですか?」
「せや。顔も出さん、声も加工する。けど、熱狂的なファンがおる。わしらの世界とは、真逆やろ?」
なるほど、と腑に落ちる。
役者は顔を出し、声を使い、身体を晒す職業だ。その対極にある存在を、不思議に思わないほうがおかしい。
「それに……」
伍井は、少しだけ視線を逸らした。
「機嫌取りの演技をしとる、と見えとるかもしれんが……まあ、それも否定はせん」
自嘲気味な笑み。
「この歳になると、謝り方一つで周りがどう動くか、嫌でも分かるようになるんや」
ああ、と心の中で頷いた。
この人は、ただの“時代錯誤なおじさん”ではない。
世間に揉まれ、誤解され、叩かれ、それでも表舞台に立ち続けてきた人間だ。
「日常の話も、少し聞かせてくれへんか」
話題は、自然とプライベートへ移っていった。
「奥さんに、不倫されたとか聞いたで」
直球だった。
一瞬、言葉に詰まる。
「あ、いえ……まあ……」
「すまん、デリカシーないな」
そう言いながらも、伍井は続けた。
「実はな。俺も、昔に同じようなことがあってな」
その名が出たのは、玉原佳世子。
当時、清楚系モデルとして一世を風靡していた女性であり、伍井の妻だった人物。
スクープは、今でも覚えている。
〈人気モデル玉原佳世子、不倫か〉
〈お相手は年下の若手俳優〉
だが当初、世間の矛先は伍井に向いた。
「どうせ男が悪い」「大御所の権力で若い女を囲った」
そんな憶測が飛び交った。
事実は、全く逆だった。
番組で共演していた若手俳優との密会。
写真、日時、場所。言い逃れできない証拠が揃っていた。
「当時はな」
伍井は、苦笑する。
「私のほうが疑われておったんやで? 酷い話やで、ほんま」
笑い話のように語るが、その目は少しだけ曇っていた。
「真実なんぞ、世間には関係ない。都合のええストーリーが先に出来上がったら、そこに人を当てはめるだけや」
胸の奥が、じくりと痛んだ。
――ああ、同じだ。
顔も知らない人間に、勝手な像を作られ。
“中身はオッサン”だの、“被害者ポジションを取っている”だの。
立場も年齢も、世界も違う。
だが、浴びせられるものの質は、驚くほど似ていた。
「……だからな」
伍井は、こちらを真っ直ぐに見た。
「君が、あの場で怒らんかったこと。それがどれほど難しいことか、わしにはよう分かる」
その言葉に、初めて、少しだけ肩の力が抜けた。
「大人の対応、なんて言われとるやろ」
「……ええ、まあ」
「違う。あれはな」
伍井は、静かに言った。
「生き延びるための対応や」
しばらく、言葉が出なかった。
この人は、謝罪に来ただけではなかったのだ。自分がかつて通った道の延長線上に、俺を見ている。
立場は違えど、同じ“舞台の上の人間”として。
応接室を出る頃には、最初の緊張は消えていた。
完全に分かり合えたわけじゃない。
だが、少なくとも、この騒動に一つの区切りがついたことは確かだった。
「今日は、ありがとうな」
最後に、伍井はそう言って、もう一度だけ頭を下げた。
ビルを出て、渋谷の喧騒の中に戻る。
人の波に紛れながら、ふと思う。
――有名になる、というのは。
こうして、見知らぬ誰かの過去と、交差していくことなのかもしれない。
俺は深く息を吸い、スマホをポケットにしまった。
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