妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第3章 配信者「姫宮みこと」

第52話 喧騒から離れて

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 最初は、ほんの違和感だった。
 喉の奥が少しだけ熱を持っているような、そんな感覚。

「……あれ?」

 朝、目を覚ました瞬間に気づいた。
 身体が重い。布団がやけに熱を溜め込んでいる気がする。

 体温計を脇に挟み、数十秒。
 電子音と同時に表示された数字を見て、思わず息を吐いた。

「三十八・一……か」

 決して見慣れない数字ではない。
 それでも、ここ最近の予定を思い返すと、ため息が出た。

 病院に行くしかないか。

 マスクをして、最寄りの内科へ向かう。検査の結果は拍子抜けするほどあっさりしていた。

「ウイルス性ではないですね。普通の風邪です」

 医師はモニターを見ながら、淡々と言った。

「疲れが溜まっていたんでしょう。ここ数週間、無理されました?」

「……まぁ、それなりに」

 配信、テレビ、ネット番組、打ち合わせ。
 気づけば、休みらしい休みを取っていなかった。

「しばらくは安静に。仕事も休んだ方がいいですね」

 その一言で、腹を括った。

 帰宅してすぐ、関係各所に連絡を入れる。
 配信は休止。テレビとネット番組も、しばらくお休み。
 ボイトレも延期。

 画面越しに見ていた世界が、急に遠のいた気がした。

 その日の夜から、熱は本格的に上がった。
 三十八度台。
 二日目も、三日目も、同じ数字が続く。

 身体はだるく、頭の奥がずっとぼんやりしている。
 眠ろうとしても、浅い眠りを繰り返すだけで、すぐに目が覚めてしまう。

「……つら」

 独り言すら、掠れていた。

 そんな俺を甲斐甲斐しく世話してくれたのが、雪乃だった。

「水、飲める?」

 ベッドの横で、小さな手がコップを差し出す。

「ありがとう」

「無理しないでね」

 その声が、やけに優しい。

 おでこに触れる冷たい手。
 冷却シートを貼り替えながら、雪乃は少しだけ困った顔をしていた。

「……なんか、変な感じ」

「何が?」

「いつもは、私が熱出す側なのに」

「確かに」

 二人で、くすっと笑う。
 その笑いだけで、少しだけ楽になった気がした。

「朝来野くんとは、どうなの?」

 不意打ちだった。
 思わず咳き込みそうになる雪乃。

「どうって……良い感じ、だけど?」

 頬を赤らめながらそう答える。

「そっか」

「なに?」

「いやぁ、なんか安心した」

「親か」

「親です」

 きっぱり言い切られて、笑うしかなかった。

 三日目の夜を越えた頃、ようやく身体が軽くなった。そして翌朝、目を覚ますとあの嫌な熱っぽさがない。

 体温計を確認する。

「三十六・七」

 久しぶりに見る平熱だった。

 食欲も戻り、頭もはっきりしている。
 一気に世界に色が戻った気がした。

 ボイトレは、すでに休むと伝えてある。
 ジムに行くことも考えたが、さすがにまだ本調子ではない。

「……せっかくなら」

 思いついたのは、ドライブだった。

 雪乃は学校がある。
 だから、一人で行く。

 行き先は、奥多摩。

 関東とは思えないほど、自然が残る場所。
 山と川と、空気。

 車を走らせるにつれ、街の喧騒が遠ざかっていく。
 ビルが減り、木々が増え、信号も少なくなる。

 深呼吸すると、肺の奥まで澄んだ空気が入ってくるのが分かった。

「……いいな」

 簡易的なデイキャンプ。
 椅子を出して、コーヒーを淹れるだけ。

 それだけで、十分だった。

 川のせせらぎ。
 風に揺れる葉の音。
 遠くで聞こえる鳥の声。

 スマホはポケットに入れたまま、触らない。

 ここ数週間、ずっと誰かに見られていた。
 評価されて、消費されて、話題にされて。

 それが嫌だったわけじゃない。
 むしろ、ありがたいと思っていた。

 けれど。

 こうして一人で自然の中にいると、
 自分が、ちゃんと呼吸できていなかったことに気づく。

「……少し、急ぎすぎてたかもな」

 湯気の立つコーヒーを口に含み、そう呟いた。

 また、戻る。
 配信も、歌も、仕事も。

 でも、次はちゃんと、自分のペースで。

 木漏れ日の中で、そう静かに決めた。


◇◆◇◆

 奥多摩の山道を抜け、川沿いの開けた場所に車を停めた。
 平日ということもあってか、人影はまばらだ。遠くで水の流れる音がして、耳にまとわりついていたノイズが一つずつ剥がれていく。

「……最高かよ」

 思わず独り言が漏れる。

 トランクから折りたたみの椅子と簡易テーブルを出し、地面に置く。
 それから、行きがけに寄ったホームセンターで買ったばかりの新品の鍋と、ガスコンロ。

 普段なら、配信の準備をしている時間だ。
 それを今は、自然のど真ん中で、土の匂いを嗅ぎながらやっている。

 なんだか不思議だった。

「よし……やるか」

 今日のメニューは、カレー。
 キャンプ飯の王道にして、裏切らない存在。

 クーラーボックスから材料を取り出す。
 玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、そして牛肉。特別なスパイスなんてものはない。市販のルーだ。

 包丁で玉ねぎを刻みながら、川のほうを見る。太陽の光を反射して、きらきらと水面が揺れている。

 玉ねぎを炒める音が、自然の中に溶け込んでいく。透明になり、少しだけ色づいたところで肉を投入。

 じゅう、という音と一緒に、食欲を刺激する匂いが立ち上った。

「……これは優勝」

 にんじん、じゃがいもを加え、水を入れて煮込む。
 蓋をして、しばらく放置。

 その間に、コーヒーを淹れることにした。
 簡易ドリッパーに粉を入れ、ゆっくりとお湯を注ぐ。

 ふわりと広がる香り。
 湯気の向こうに見える緑が、やけに鮮やかだ。

 椅子に腰を下ろし、コーヒーを一口。

「……生き返る」

 その時だった。

 視界の端で、何かが動いた。

「ん?」

 目を向けると、少し離れたところに、一匹の猫がいた。
 灰色の毛並みで、痩せすぎてもいない。人慣れしているのか、こちらをじっと見ている。

「お前、ここ住んでるのか?」

 もちろん返事はない。
 だが、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 警戒しながらも、好奇心が勝っている顔だ。

「カレーはあげられないぞ」

 言葉が分かるわけもないのに、猫は「にゃあ」と鳴いた。

 可愛い。

 しばらく、猫とにらめっこをしながらコーヒーを飲む。
 こういう時間が、今は何より贅沢だった。

 やがて、鍋の中から、ぐつぐつと良い音がしてきた。
 ルーを入れて、さらに煮込む。

 完成だ。

「……やっちゃったな」

 鍋の中を見て、苦笑する。
 明らかに、米の量に対してカレーが多い。

 炊いたご飯は、一合半。
 鍋の中には、明らかに四、五人分はある。

「猫にあげるわけにもいかないし……」

 辺りを見渡す。

 すると、少し離れた場所に、ひと組だけテントを張っている集団が見えた。
 人数は四人。若い。二十歳前後だろうか。

 大学生かな、と当たりをつける。

「……お裾分け、するか」

 鍋を持ち、声をかけに行く。

「すみませーん」

 声をかけると、四人が一斉にこちらを見た。

「うわ、すげぇカレーの匂い!」

「まじっすか?」

 案の定、反応は良い。

「作りすぎちゃって。良かったらどうです?」

「いいんですか!?」

 目を輝かせる四人。

 だが、その直後。

「あー……火、全然つかねぇ」

 一人が、コンロを前に頭を抱えていた。

「ライター湿ってるし、どうしよう」

「それなら」

 そう言って、俺は持ってきていたガスバーナーを取り出した。

「これ使ってみて」

 カチリ、と音を立てて火をつけると、四人は一斉に歓声を上げた。

「すげぇ! 文明の利器!」

「助かります!」

 無事に火がつき、カレーをよそる。
 一口食べた瞬間、また歓声。

「うまっ!」

「キャンプで食うカレー、最強っすね!」

 そのままなぜか盛り上がり、ビールを差し出された。

「どうぞどうぞ!」

「いや、俺は運転あるから」

「あ、そうっすよね……残念!」

 断ると少し残念そうにしながらも、皆楽しそうに笑っていた。

 若いな、と思う。
 そして、悪くないなとも思った。

 カレーはほとんど空になり、鍋も軽くなった。
 猫はいつの間にか姿を消している。

 椅子に戻り、もう一度コーヒーを飲む。

 風が、頬を撫でた。

「……来てよかった」

 誰にも見られていない時間。
 誰にも評価されない時間。

 その静けさを、しっかりと胸に刻み込んだ。
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