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連絡3.
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♢ ♢ ♢ ♢
「で、結局、美園が行ったのか?」
「はい、その方がいいと思って」
そう一花は助手席で小さくなりながら頷いた。
そこまで寒くないだろうにと思いながら、鬼塚は車の暖房を入れる。
一花はあの後仕事に戻った。鬼塚はいつもしている残業をせずに仕事を切り上げ、帰宅しようとしていた一花を捕まえ自宅まで車で送り届ける最中だった。
「それより、すみません。送ってもらって。なんだか心配ばっかりかけちゃってますね」
「それはいいけどよ。お前のためだけじゃないし」
これは本当だ。一花はそうなんだ、と言って小さく笑った。
「しかし、行かないのか、本当に?」
「行ってもなんの役にも立てないもの。周りに迷惑かけちゃうだけで。下手したら榛瑠本人になんで来たんだって怒られちゃう」
「まあ、嶋さんあたりは、行かないでいてくれたほうがほっとするだろうがなあ」
でも、お前はそれでいいのかよ、という言葉を鬼塚は飲み込んだ。
「それに、お父様にもこっちにいなさいって言われちゃったし」
「社長と電話ごしでも直接話せてよかったな。大丈夫だって?」
「うん。他のみんなも大丈夫みたい。榛瑠だけ。でもひどい怪我をしてるわけじゃないって」
「……そうか」
二人の会話が途切れた。つきっぱなしのラジオから若い女性が歌う楽しげな曲が流れている。
「でも、正直、ちょっと反省しました」
「あ? 何が?」
「なんだか全然役に立たないんだって。自覚あったけど、でも、さすがにちょっと落ち込んだっていうか」
鬼塚は返答のしようがない。そんなことはない、と悪いが一花の場合言えないからなあ。
「せめて、英語くらいもうちょっと話せるようになろうかなって」
「四条戻ったら教えてもらえよ」
「うーん、それもな、って感じです」
「なんだよ?」
「だって、忙しいじゃないですか。それに、あの人に教わるのも一長一短というか」
「一短はなんだよ」
「だって、榛瑠はすぐわかっちゃう人だし、わたしは飲み込み悪いし。そうするとお互い理解できなくてだんだんイライラしてきちゃうというか」
鬼塚は笑った。
「眼に浮かぶわ、それ」
「笑いますけど。昔は彼が家庭教師代わりだったんです。我慢強く付き合ってはくれるんですよ。別に怒りもしないし。でも、わたし馬鹿だし。特に数学は……」
「奴の脳みそのほうが特別なんだろう」
「そうだけど……。でもね、昔言われたことがあるんです。どんな難問より、あなたがなぜわからないのかをわかるほうが難しいって」
鬼塚は声をだして笑った。学生時代の二人が眼に浮かぶ。
「笑い事じゃないです。本当に、頭のいい人なんてキライ」
一花はふてくされた声で言った。
鬼塚はそんな一花を見て思う。あのずば抜けた脳みそをもった男も、こいつにかかるとただの困ったヤツだな。
そうして今、病院にいる榛瑠を思って、ため息をついた。
「鬼塚さん?」
「いや、なんでもない。……もう着くぞ」
舘野内家の車寄せでは嶋ともう一人の女性が出迎えた。一花と同じくらいの年恰好の長い黒髪が美しい人だった。
一花は車から降りると嶋に何か言いながら屋敷に入っていく。その後ろから中に入っていこうとする女性の腕を鬼塚は掴んだ。
「……あ」
一花がわずかに振り返って彼女に目配せする。二人が屋敷に入り、後に二人が残された。
鬼塚は玄関脇の薄暗がりに彼女を連れていく。木が植わっていて、二人の姿を屋敷から隠した。
「なんで何にも言わずに戻ろうとするんだ?」
「だって、仕事中ですし……」
少し下を向きながら彼女が言う。そんな彼女を月明かりが照らしている。暗がりに白い肌が美しい。
「それにしたって無視はないだろう。大体、いちいち一花が怒るかよ。あいつが良いなら良いんだから。この家は」
そう言って、鬼塚は強引に引き寄せた。
「あっ……、やっ」
鬼塚はその声を無視してそのまま抱き締めた。
「あの、離して、馨さん……」
「……」
「あの、お嬢様がこんな時ですし、私……」
「あーあ」
鬼塚はため息をついて彼女を離した。
「ごめんなさい。でも、あの、私、榛瑠さまが帰られるまで会うのもしばらく控えようかと思っていて……」
「まったく、なんでそんなにクソ真面目なんだか。本当に、一花といい、月子といい、やりすぎだ」
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。どうせそんなことだろうと、今日、無理矢理来たんだし」
「……はい、ありがとうございます」
月子は恥ずかしそうに下を向いた。
鬼塚はそんな彼女の頭に手を置くと、サラサラの髪を優しく撫でた。
「まあ、あれだ。一花のこと頼むな。この先、俺が出来ることなんてないだろうし」
「はい。私も何が出来るかわかりませんけど、お側にいようと思います」
そう言って見上げる月子を見て、鬼塚はまたため息をついた。
「そもそも考えてみれば、なんで俺が一花の心配をしなくちゃならないんだ。それもこれも四条のヤツが、いない間よろしくとか気軽に言いやがるから……」
月子は微笑んだ。
「馨さんも真面目ですね」
鬼塚は月子を見下ろすと、少しだけ乱暴に頭を撫でた。
「きゃっ、やだ、馨さん」
月子は自分の髪に手をやる。そんな彼女を見て今度は鬼塚が軽く笑うと言った。
「ま、しょうがないか。お前の優先順位も、何でか一花だしな」
「……今日、こうして会えて本当はとても嬉しいです。会いに来てくださってありがとうございます」
そう言うと月子は爪先立ちになって、自分の恋人の唇にそっとキスをした。
月子が恥ずかしそうに、でも微笑みを湛えて鬼塚を見上げる。自分よりずっと背の低い彼女を見ながら、鬼塚は彼女の感触の残る自分の唇を手の甲で触れた。
……まったく、この女は、唐突にこういう事をするんだ。
「……拉致るぞ」
「え?」
鬼塚のつぶやきが聞き取れず、月子が聞き返す。鬼塚は答えず、前かがみになると彼女の肩に頭をのせた。
「馨さん?」
「好きだ、月子」
「……はい。私もです」
その言葉を聞きながら鬼塚は動かずにいた。月子の落ち着いた優しい声がここちいい。
鬼塚の脳裏に一花と、入院中の男の事がよぎる。
「馨さん?」
なおも動かない鬼塚に月子が問う。
「馨さん? あの、えっと……?」
鬼塚は自分の名を呼ぶ声を聞きながら、そういえば今日は月が綺麗だな、とふと思った。
四条榛瑠はそれから10日ほどして帰国し、そのまま総合病院に検査入院となった。
「で、結局、美園が行ったのか?」
「はい、その方がいいと思って」
そう一花は助手席で小さくなりながら頷いた。
そこまで寒くないだろうにと思いながら、鬼塚は車の暖房を入れる。
一花はあの後仕事に戻った。鬼塚はいつもしている残業をせずに仕事を切り上げ、帰宅しようとしていた一花を捕まえ自宅まで車で送り届ける最中だった。
「それより、すみません。送ってもらって。なんだか心配ばっかりかけちゃってますね」
「それはいいけどよ。お前のためだけじゃないし」
これは本当だ。一花はそうなんだ、と言って小さく笑った。
「しかし、行かないのか、本当に?」
「行ってもなんの役にも立てないもの。周りに迷惑かけちゃうだけで。下手したら榛瑠本人になんで来たんだって怒られちゃう」
「まあ、嶋さんあたりは、行かないでいてくれたほうがほっとするだろうがなあ」
でも、お前はそれでいいのかよ、という言葉を鬼塚は飲み込んだ。
「それに、お父様にもこっちにいなさいって言われちゃったし」
「社長と電話ごしでも直接話せてよかったな。大丈夫だって?」
「うん。他のみんなも大丈夫みたい。榛瑠だけ。でもひどい怪我をしてるわけじゃないって」
「……そうか」
二人の会話が途切れた。つきっぱなしのラジオから若い女性が歌う楽しげな曲が流れている。
「でも、正直、ちょっと反省しました」
「あ? 何が?」
「なんだか全然役に立たないんだって。自覚あったけど、でも、さすがにちょっと落ち込んだっていうか」
鬼塚は返答のしようがない。そんなことはない、と悪いが一花の場合言えないからなあ。
「せめて、英語くらいもうちょっと話せるようになろうかなって」
「四条戻ったら教えてもらえよ」
「うーん、それもな、って感じです」
「なんだよ?」
「だって、忙しいじゃないですか。それに、あの人に教わるのも一長一短というか」
「一短はなんだよ」
「だって、榛瑠はすぐわかっちゃう人だし、わたしは飲み込み悪いし。そうするとお互い理解できなくてだんだんイライラしてきちゃうというか」
鬼塚は笑った。
「眼に浮かぶわ、それ」
「笑いますけど。昔は彼が家庭教師代わりだったんです。我慢強く付き合ってはくれるんですよ。別に怒りもしないし。でも、わたし馬鹿だし。特に数学は……」
「奴の脳みそのほうが特別なんだろう」
「そうだけど……。でもね、昔言われたことがあるんです。どんな難問より、あなたがなぜわからないのかをわかるほうが難しいって」
鬼塚は声をだして笑った。学生時代の二人が眼に浮かぶ。
「笑い事じゃないです。本当に、頭のいい人なんてキライ」
一花はふてくされた声で言った。
鬼塚はそんな一花を見て思う。あのずば抜けた脳みそをもった男も、こいつにかかるとただの困ったヤツだな。
そうして今、病院にいる榛瑠を思って、ため息をついた。
「鬼塚さん?」
「いや、なんでもない。……もう着くぞ」
舘野内家の車寄せでは嶋ともう一人の女性が出迎えた。一花と同じくらいの年恰好の長い黒髪が美しい人だった。
一花は車から降りると嶋に何か言いながら屋敷に入っていく。その後ろから中に入っていこうとする女性の腕を鬼塚は掴んだ。
「……あ」
一花がわずかに振り返って彼女に目配せする。二人が屋敷に入り、後に二人が残された。
鬼塚は玄関脇の薄暗がりに彼女を連れていく。木が植わっていて、二人の姿を屋敷から隠した。
「なんで何にも言わずに戻ろうとするんだ?」
「だって、仕事中ですし……」
少し下を向きながら彼女が言う。そんな彼女を月明かりが照らしている。暗がりに白い肌が美しい。
「それにしたって無視はないだろう。大体、いちいち一花が怒るかよ。あいつが良いなら良いんだから。この家は」
そう言って、鬼塚は強引に引き寄せた。
「あっ……、やっ」
鬼塚はその声を無視してそのまま抱き締めた。
「あの、離して、馨さん……」
「……」
「あの、お嬢様がこんな時ですし、私……」
「あーあ」
鬼塚はため息をついて彼女を離した。
「ごめんなさい。でも、あの、私、榛瑠さまが帰られるまで会うのもしばらく控えようかと思っていて……」
「まったく、なんでそんなにクソ真面目なんだか。本当に、一花といい、月子といい、やりすぎだ」
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。どうせそんなことだろうと、今日、無理矢理来たんだし」
「……はい、ありがとうございます」
月子は恥ずかしそうに下を向いた。
鬼塚はそんな彼女の頭に手を置くと、サラサラの髪を優しく撫でた。
「まあ、あれだ。一花のこと頼むな。この先、俺が出来ることなんてないだろうし」
「はい。私も何が出来るかわかりませんけど、お側にいようと思います」
そう言って見上げる月子を見て、鬼塚はまたため息をついた。
「そもそも考えてみれば、なんで俺が一花の心配をしなくちゃならないんだ。それもこれも四条のヤツが、いない間よろしくとか気軽に言いやがるから……」
月子は微笑んだ。
「馨さんも真面目ですね」
鬼塚は月子を見下ろすと、少しだけ乱暴に頭を撫でた。
「きゃっ、やだ、馨さん」
月子は自分の髪に手をやる。そんな彼女を見て今度は鬼塚が軽く笑うと言った。
「ま、しょうがないか。お前の優先順位も、何でか一花だしな」
「……今日、こうして会えて本当はとても嬉しいです。会いに来てくださってありがとうございます」
そう言うと月子は爪先立ちになって、自分の恋人の唇にそっとキスをした。
月子が恥ずかしそうに、でも微笑みを湛えて鬼塚を見上げる。自分よりずっと背の低い彼女を見ながら、鬼塚は彼女の感触の残る自分の唇を手の甲で触れた。
……まったく、この女は、唐突にこういう事をするんだ。
「……拉致るぞ」
「え?」
鬼塚のつぶやきが聞き取れず、月子が聞き返す。鬼塚は答えず、前かがみになると彼女の肩に頭をのせた。
「馨さん?」
「好きだ、月子」
「……はい。私もです」
その言葉を聞きながら鬼塚は動かずにいた。月子の落ち着いた優しい声がここちいい。
鬼塚の脳裏に一花と、入院中の男の事がよぎる。
「馨さん?」
なおも動かない鬼塚に月子が問う。
「馨さん? あの、えっと……?」
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