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連絡2.

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 一花は真っ直ぐに資料室に向かった。そこに、その人はいるはずだった。

「失礼します」

 資料室には室長はおらず、派手な顔をした明るい茶髪の女性がデスクにひとり、きらきら光るネイルを気にしながら退屈そうに座っていた。

「美園さん」

 一花は彼女に声をかけた。美園が面白くなさそうな顔を向ける。返事はなかった。

「仕事中にごめんなさい。実は……」 

 一花は榛瑠の現状を話した。会社では苗字も変えて自分の立場を隠していた一花だったが、多分、美園は知っているので細かい説明はしなかった。というより、そんな事を慮る余裕はなかった。
 美園は聞き終わるや否や立ち上がって言った。

「なんていうとこ?」
「え?」
「病院、名前。さっさと教えなさいよ。知らないの? それとも知らせない気? っていうか、あんた何であたしのとこ来たの?」
「えっと」
「まあ、あんたの思惑なんてどうでも良いけど」
「えっと、場所は早川さんが知っていると思う」
「あ、そう。じゃあ……」

 その時、30代くらいの細身の穏やかそうな男性が部屋に入ってきた。美園が一花を相手にするのをやめて彼に話しかける。

「しつちょー、あたし今から有給使うのでよろしく。期限はわかんないです」
「有給? 何言ってるの、君、そんなの残ってないよ」

 室長はおっとりと言う。

「はあ? そうなの? じゃあ、欠勤で。あ、いいや、もうめんどくさいし、退職で」
「そうか、じゃあ、辞表出してくれる? あ、他にも提出書類とか、きっとあるよねえ、総務に聞いてみないと」
「あ? なに、めんどい。もう、行方不明でいいわ。それじゃ」

 そう言って部屋を出て行こうとする美園に、慌てて一花は声をかけた。

「ちょっと、待って、美園さん。そんな乱暴な」

 美園はちらっと視線をよこしたがそのまま一花を無視して出て行く。

「待って……。ああ、もう。すみません、室長、今の話、無しでお願いします」
「僕はどっちでも良いんですけどねえ」

 一花はニコニコしている彼に軽く頭を下げると美園を追った。

「美園さん!」

 美園は足を止めない。一花は走って追いつくと彼女の腕を掴んだ。

「待ってってば」
「何よ」

 美園は乱暴に一花の手を振りほどく。

「だから、辞めないでいいから」
「あんたに関係ないし。あんたはあんたで好きにすれば良いでしょ。あたしはあたしで……」
「そうじゃなくて。聞いて。あのね、外国で入院して身動き取れないなら、絶対誰か近くにいた方がいいと思うの」

 美園が明らかにイライラした視線を向けてくる。一花は臆せず話を続けた。

「で、今、社員の男性がついてるらしいけど、その社員さんも長引くと大変と思うの。それに女の人の手があったほうがいいこともあると思うの、入院って」
「だから?」
「だから、あなたがちゃんと仕事として行けるように内緒で掛け合うから。多分、早川さんなら了承してくれると思う」
「何のつもりか知らないけど、あんたと仲良く行くの嫌」

 はっきりと嫌われてるのがわかる言葉を言われ続けるのもなんだなあ、と思いながら一花は続けた。

「だからね、私は行かないから」
「え?」

 はじめて美園が正面から一花を見た。

「何言ってるの、あんた? 心配じゃないの? 結構薄情?」
「心配だよ。だから美園さんに行ってもらうんじゃない」
「イミわかんない」
「わたしが行っても役に立たないもの。言葉もわからなし。それに、父が……社長が戻ってくるならわたしはこっちにいないと」

 美園は黙ったままだった。

「それに、入院が長引くなら榛瑠の会社の仕事のこともあるでしょう? その辺は美園さんじゃないとわからないし」
「へえ、そうなんだ。ふーん」

 一花はその馬鹿にしたような返事に身構えた。が、意外にも美園は真面目な顔をして言った。

「ま、なんでもいいけど。それなら話つけといてよ。あたし、行くから」
「そのかわり、ちゃんと無事に彼を連れ帰って」
「無事は大丈夫よ。そうじゃないと困るもん。でも、あんたの元に返すかはわかんないけど。弱ってるわけだしさあ、彼女は来ないわけだしさあ。あ、いっそ、そのままアメリカに一緒に戻っちゃおうかなあ」
「……日本に連れ帰って」

 美園は鼻で笑った。そしてそのまま一花に背を向ける。

「美園さん!」

 美園は無視して返事をしなかった。が、ふいに立ち止まって振り返った。

「一応、言っとくけどさ。あたし、あんたのそのねじ曲がった潔癖さは嫌いじゃない」
「え……」
「でもさ、男にとってはどうなんだかね。あたしはあんたと違ってワガママ大好きだけどさ、ハルだってそうよ。ま、後で後悔しなよ、じゃね」

 そう言って美園は廊下の角に姿を消した。

「……わかったようなこと言わないで」

 一花はボソッと呟いた。喉が詰まって声が震える。

 だって、仕方ないじゃない。お父様は今回はきっと屋敷の方に戻ってくるだろう。その時、私がいないとなるときっと悲しむ。事情がわかっていたとしても。私は居て出迎えなくっちゃ。
 
 他人にはわからないかもしれないが、それは一花の中で譲れないところだった。

 それに何より、自分が動くとなると美園さんみたいに身軽に一人でというわけにはいかない。
 安全面からも言葉の面からも、嶋さんは絶対に一人では行かせないだろう。結局、榛瑠の面倒を見に行く私の面倒をみる誰か、が必要になる。
 でも、屋敷に主人が戻ってくる予定とあれば、嶋さんも運転手の高橋さんも動かせない。となると誰かを雇うことになる。それも、きちんと信用がおける人間を。それを今、手配させるべきなのかな、私? と思うと、答えはNOだった。

 美園さんなら少なくとも英語は問題ないし、度胸がいいからどうとでもするだろう。それに彼女にも言ったように、榛瑠のアメリカの会社での仕事は美園さんしか手伝えない。
 榛瑠も美園さんなら余計な気を使わなくていいはず。行くならやっぱり彼女が適任だ。
 榛瑠は絶対にわかってくれるはず。絶対、彼女の言葉なんかに簡単に乗ったりしない。……多分。

 一花は不安が胸に広がって泣きたくなった。

 でも、泣いちゃだめだ。泣くとここから動けなくなる気がする。
 ああ、もうどうでもいい。どうでもいいから、とにかく無事な姿を見せて欲しい。それだけでいいから。

 そう思いながら、たまらなくなってその場にしゃがみこむ。

 本当は泣き叫びたい。誰かに文句を言って当たってやりたい。誰に?

 そこに浮かぶのは、それを許してくれる人は、一人しか思い浮かばない。

 榛瑠が元気になったら、散々泣いて文句言ってやるんだから。予定通り戻るって言ったのに。ウソつき。
 きっと彼は、しょうがないなあって顔をして、すみません、とか言って、笑いながら抱きしめてくれるだろう。

 その笑顔を思うと、たまらなくなった。喉の奥が痛くなって、目元が熱くなる。
 
 榛瑠、早く戻ってきて。
 早く……私の元に。

 

 
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